tener’s diary

てねーるのブログ記事です

【ディズニー映画感想企画第27弾】『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』感想~実質的な第二期黄金期の始まり~

 ディズニー映画感想企画第27弾です。今回は『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』の感想を書こうと思います。これも日本での一般的知名度は低いですが、前作と並んで第二期黄金期の兆しを感じさせる「隠れた名作」としてディズニーオタクの間で扱われることも多い作品です。
 そんな『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』について語っていきたいと思います。

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【基本情報】

黄金期復活に向けて

 『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』はディズニー27作目の長編アニメーション映画として1988年に公開されました。原作はイギリスの有名な文豪チャールズ・ディケンズ作の『オリバー・ツイスト』ですが、舞台や登場キャラクターを大幅に変更しています。なお、余談ですが本作品公開と同年にディズニーは他社とも協力して、実写とアニメの合成映画である『ロジャー・ラビット』も公開しています。

 これまでの記事で述べた通り、1984年以降のウォルト・ディズニー・カンパニーはマイケル・アイズナー氏やジェフリー・カッツェンバーグ氏のもとで新体制を迎えました。『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』はそんな新体制の指導者ジェフリー・カッツェンバーグ氏の提案によって企画された作品です。前作『オリビアちゃんの大冒険』の企画構想は旧体制下でのことだったので、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』は「企画の構想から制作まで全て新体制下で行われた最初の作品」になります。だからこそ、新体制の純粋な実力を初めて測れる作品だとも言えるでしょう。実際、この作品を「新体制の船出」にふさわしい作品とするために、いくつかの新しい試みが行われました。

 これらの新しい試みは翌年以降の第二期黄金期にも通じる試みであり、それゆえに『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』は「第二期黄金期の実質的な始まり」となる作品だと言えます。


ミュージカル路線

 そのような新しい試みの一つがブロードウェイ風のミュージカル路線の拡大でしょう。それまでのディズニー映画でもミュージカル要素はありましたが、暗黒期のディズニー映画では一部例外を除いてミュージカル要素は少なめだったんですよね。前々作『コルドロン』ではミュージカル要素は皆無でしたし、前作『オリビアちゃんの大冒険』ではミュージカル要素が復活したとはいえ劇中歌は3曲しかありませんでした。それに対して、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』では劇中歌が5曲に増えたうえ、ミュージカルシーンにたくさんの尺がとられました。

 このような「ミュージカル要素の充実」は戦前の初期ディズニーや1950年代以降の第一期黄金期のディズニー映画を彷彿とさせ、「ミュージカル映画としてのディズニーの復活」を印象付けることになりました。この傾向は翌年の第二期黄金期にも引き継がれ、「ディズニー映画と言えばミュージカル」というイメージを再び人々の間に根付かせることになります。

 本作品ではミュージカル要素を充実させるために、すでに音楽家として名を馳せていたハワード・アシュマン氏が作詞担当に任命されました。後に作曲家アラン・メンケンと組んで『リトル・マーメイド』や『美女と野獣』で多くの作詞を手掛けることになるハワード・アシュマン氏が初めて携わったディズニー映画がこの『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』だったのです。ミュージカル要素の面でディズニー第二期黄金期の繁栄を支えることになる作詞家の力量は、この作品でも存分に発揮されています。

 さらに、本作品は舞台が現代のニューヨークのマンハッタンということもあって、当時のアメリカで流行っていたポップス歌手を声優に採用しました。それがビリー・ジョエル氏とベット・ミドラー氏の二人でした。洋楽好きならば、というか洋楽好きでなくても恐らくみんな知ってるであろう超有名なこの二人の歌手*1を、ディズニーは声優に抜擢したのです。そして、本作品内ではこの二人がミュージカル・ソングを歌うシーンが流れています。

 また、声優こそ務めていませんが劇中歌の歌い手として、これまた超有名なミュージシャンであるヒューイ・ルイス氏やルース・ポインター氏などを採用しています*2。このようにビッグネームのミュージシャンを多数採用したことからも、当時のディズニーがミュージカル要素の充実にだいぶ力を入れていたことがうかがえるでしょう。


CGの本格的な多用

 もう一つの新しい試みがCGの本格的な多用です。前々作『コルドロン』や前作『オリビアちゃんの大冒険』でも一部シーンにCGが使われていましたが、この『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』からは作品内の至る所でCGが多用されるようになります。とうとうディズニーがコンピュータ・グラフィックス(CG)という新しい技術を本格的に使うようになったのです。

 このようなCGの積極的な活用はその後の第二期黄金期作品でも共通しています。そのような意味で、本作品はアニメーションの技術史上においても意義の大きな作品であると言えるでしょう。新しい技術の積極的な使用はウォルト・ディズニー存命時代からのディズニーの伝統であり、そのようなディズニーの伝統が本作品から復活したとも言えるかも知れません。


制作ペースの向上

 これも『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』における新しい試みの一つです。本作品は前作『オリビアちゃんの大冒険』のわずか2年後の1988年に公開されています。前作『オリビアちゃんの大冒険』がわずか1年で公開されたのは、『コルドロン』の興行的失敗による制作期間の短縮という消極的な理由によるものでしたが、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』以降の公開ペースのアップは黄金期復活に向けた積極的な理由によるものです。

 すなわち、再びディズニー・アニメーションの黄金期を決定づけるために、カッツェンバーグ氏たちが今後は約1年に1本のペースで新作の長編アニメーション映画を公開することを決めたのです。実際、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』が公開した1988年以降はほぼ毎年ディズニー映画の新作が公開されています。毎年クオリティの高い新作のディズニー・アニメーションが公開されていたからこそ、これ以降の時代は第二期黄金期と呼ばれるようになったのです。そんな第二期黄金期特有の早い公開ペースの始まりも本作品からだったのです。


第二期黄金期の実質的な始まり

 このように、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』は新体制下での新しい試みが多く行われ、その結果として興行的にも成功を収めることとなりました。これまでの記事で述べた通り、当時ディズニーにはドン・ブルース氏がライバルとして立ちはだかっていました。そんなドン・ブルース氏の新作アニメーション映画『リトルフット』も、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』の公開とほぼ同時期に公開されていましたが、ディズニーはこのドン・ブルース氏の新作を上回る興行収入を本作品を通じてアメリカで稼いだのです。こうして、ディズニーはドン・ブルースという強力なライバルにようやく勝てたのでした。*3

 一般に、ディズニー第二期黄金期は次作『リトル・マーメイド』の公開から始まるとされていますが、僕は『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』も「第二期黄金期の実質的な始まり」と言っても過言ではないだろうと思っています。上で述べて来た通り、この作品では第二期黄金期に通じる様々な新しい試みが行われた結果、興行的にも成功してライバルのドン・ブルース氏にも勝てました。まさに、ディズニー・アニメーションの栄光が再び復活しているということがうかがえる作品だと言えるんじゃないでしょうか。それゆえに本作品は「第二期黄金期」の‟公式”な始まりでこそないですが、‟実質的な”始まりと言うことは出来ると思います。




【個人的感想】

総論

 上で述べた通り、この『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』は第二期黄金期の実質的な始まりだと僕は思っています。つまり、第二期黄金期の名作たちの中に一緒に並べても見劣りしないんじゃないかと思えるぐらいには、めちゃくちゃ面白い名作だと思ってます。「隠れた名作」って言葉をこうも連発するのは気が引けるのですが、前作『オリビアちゃんの大冒険』と同じく本作品も十分に「隠れた名作」だと言えると思います。素直に「めっちゃ面白いわ、これ!」って言える作品に仕上がってるんですよね。

 第二期黄金期らしい豪華で楽しくなる演出、目まぐるしく変わるストーリー展開などなどが上手く作用しており、普通に名作と言って差支えのないクオリティに仕上がってるんですよね。エンタメとして盛り上がる場面があり、起伏のある展開もあり、感動要素もそれなりにあり、最後は大団円のハッピーエンドで終わる、という「黄金期のディズニーらしい王道」を十分に踏まえた作りになっています。

 ただ、ちょっと個人的にストーリーに対しては倫理的な違和感を覚える面もあります。このちょっとした倫理的嫌悪感が若干のマイナス要因として働いてはいますね。この倫理的嫌悪感は、主に原作の『オリバー・ツイスト』では完全な悪役として描かれていたフェイギンを善玉に改変してしまったことに起因するものです。この点への違和感についても後で詳しく述べたいとは思います。

 とは言え、基本的には本作品は第二期黄金期の実質的な船出を告げる名作と言っても過言ではない出来だと思います。とにかく純粋に面白いです。


音楽

 先述の通り、本作品ではミュージカル要素が大幅に拡充されており、その点が大きな魅力の一つになっています。「ディズニー第二期黄金期のミュージカル路線」はこの作品から始まったと言っても過言ではないでしょう。僕はこの頃のディズニーのミュージカル要素が大好きな人間なので、その点で『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』も非常に満足できる作品だと思っています。

Once Upon a Time in New York City

 まず、オープニングからしてこれまでの暗黒期ディズニー映画とは違います。冒頭からがっつりミュージカル風のオープニング・ソングである"Once Upon a Time in New York City"がいきなり流れ出し、ニューヨークの街並みが映し出されるオープニングとなっています。冒頭で音楽と共に舞台となる世界をいきなり見せる演出は、『アラジン』や『ノートルダムの鐘』を彷彿とさせます。視聴者を序盤から一気に作品舞台へと引き込ませてくれる素晴らしいオープニング演出だと思います。

 そんな素晴らしいオープニング演出を際立たせている"Once Upon a Time in New York City"もこれまた名曲でしょう。先述の通り、この曲は有名なミュージシャンのヒューイ・ルイス氏が歌っています。さわやかな曲想が心地よい名曲だと思います。その爽やかな雰囲気が、ニューヨークの街並みの映像に合っています。この音楽の映像に合わせて、主人公オリバーの境遇を表すアニメーションが流れてくるんですよね。具体的な説明セリフは一切ないにも関わらず、歌詞と映像だけでオリバーの背景が察せられる上手な演出に仕上がっています。この歌詞は先述したハワード・アシュマン氏が作詞に携わってるらしいので、そんな彼の力量が良く現れてるんでしょうね。だからこそ、歌詞と音楽と映像だけでしっかりと状況が伝わってるんだと思います。個人的にとても好きなシーンですねえ。

Why Should I Worry?

 そして、本作品の主題歌とも言える曲が、ドジャー演じるビリー・ジョエル氏の歌う"Why Should I Worry?"でしょう。この映画で流れる曲の中では僕はこの曲が一番好きです。というか、僕はもともとビリー・ジョエルの歌がめちゃくちゃ好きなんですよね。彼の力強い声量で歌われるこのアップテンポな曲は、聞いてるだけでとても楽しくなる屈指の名曲でしょう。かなり現代風のアップテンポなポップ・ミュージックなんですが、その曲想が大都会ニューヨークを駆け回るドジャーのアニメーション映像に見事に合ってるんですよね。

 この曲が流れてくるシーンのアニメーションの映像もめちゃくちゃ楽しい映像に仕上がってます。現代風のニューヨークの街並みが次々と映し出されてドジャーとオリバーがそこを駆け回り、終盤では街中の犬たちが大勢で交差点のど真ん中を闊歩するシーンが映し出されます。こういうミュージカル映画らしい大袈裟かつ豪華な演出は見ていて楽しくなりますね。大好きです。*4

 この曲はエンディングでも再び流れ、ドジャーやティトたちがニューヨークを走るたくさんの車の上に乗りながら別れを告げるという、これまた楽しい映像に仕上がっています。パトカーのランプを叩くティトが良い味を出してます。本当に、ノリノリで何度でも歌いたくなる名曲だと思います。やっぱりビリー・ジョエルの歌声は良いですねえ。

Streets of Gold

 この曲も"Why Should I Worry?"と同じくアップテンポな曲想がニューヨークの街並みにマッチする良曲ですね。主に歌ってるのは有名なポインター・シスターズの一人ルース・ポインター氏です。他の曲に比べると少々短めな曲ではあるんですが、ルース・ポインター氏の歌声のすごさがうかがえる素晴らしい曲だと思います。

 バックで流れるリズミカルなドラムの音とちょいちょい入るシンセの音が個人的に好きな曲でもあります。しっかりと耳に残る音楽になっています。

Perfect Isn't Easy

 ジョルジェット演じるベット・ミドラー氏が歌う名曲です。典型的な「我が儘で高慢な金持ちのお嬢様」って感じのジョルジェットのキャラが良く分かる名曲だと思います。今までのロックっぽい曲とは打って変わって、豪華なお金持ちのための曲って感じの曲想になっており、これはこれでとても印象深く耳に残る曲になっています。

 ベット・ミドラー氏の声量すごいですね。良くこんなに声が出るなあ、と感心してしまいます。個人的には"Why Should I Worry?"と並んでこの映画の中で一番好きな曲です。今でもたまに何度かリピートして聞いてしまうぐらいには好きですね。

 音楽とともに流れるアニメーション映像も素晴らしいです。今までの歌のシーンとは打って変わって、ニューヨークの屋外ではなく豪華な大邸宅の屋内で歌われてるんですが、ちょいちょい窓の外からニューヨークの景色も一望できるシーンがあります。このシーンのあるお陰で、ジョルジェットの箱入りお嬢様っぷりが存分に強調されてて、なかなかに魅力的なミュージカルシーンになってると思います。

Good Company

 恐らく"Why Should I Worry?"と並んで本作品の主題歌扱いされてる曲でしょう。終盤の感動シーンでも流れてくるぐらいですからね。これまでの曲とは違って、ここはとても感動的でほっこり癒される音楽となっています。ぶっちゃけ、この曲が一番「第二期黄金期のディズニー・ソングらしい」です。『リトル・マーメイド』で言えば"Part of Your World"、『美女と野獣』で言えば"Beauty and The Beast"、『アラジン』で言えば"A Whole New World"に相当する曲でしょう。

 爽やかなピアノの音と共に始まるこの曲に合わせて、ジェニファーとオリバーの心温まる交流の様子が描かれた映像が流れ、思わず心が癒されます。最初はピアノとボーカルの音だけだったのに、途中からオーケストラのたくさんの楽器の音が流れてくるのが個人的に好きなポイントですねえ。特にストリングスとブラスの音がめちゃくちゃ良いです。「とても豪華で感動的な曲だなあ」って感じがします。本当に第二期黄金期の到来を告げるような名曲だと思います。


ストーリー

 本作品の原作はイギリスの有名な文学作品『オリバー・ツイスト』です。実はそもそも僕はチャールズ・ディケンズの小説がわりと好きで、原作の『オリバー・ツイスト』もディケンズ作品の中ではかなり好きなほうなんですよね。『オリバー・ツイスト』ってストーリーが普通に面白くて、良くできたエンタメ作品になってるんですよね。だから、そんな『オリバー・ツイスト』をモデルにしてるこの『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』のストーリーもわりと面白く仕上がってると感じます。

 とは言え、ディズニー映画ゆえに『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』は原作の『オリバー・ツイスト』からは大幅に内容が改変されています。そもそも舞台やキャラクターからして原作から大幅に変更させられています。この映画の舞台は19世紀のイギリスではなく現代のニューヨークですし、オリバーやドジャーなど主要キャラクターのいくつかは犬猫に変えられています。また、フェイギンが善玉になるなど、ストーリーも大きく変えられています。

 それでも、大まかなプロットは『オリバー・ツイスト』と同じであり、だからこそ飽きずに見られるストーリー展開になってるんですよね。暗黒期に見られた中だるみするシーンは一切なく、次から次へとオリバーを取り巻く状況が移り変わりスピーディーな展開が繰り広げられているため、素直に「面白い」と思って見ることができる作品になっています。

 本当に展開がスピーディーなんですよねえ。前作『オリビアちゃんの大冒険』もだいぶテンポが良かったんですけど、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』のテンポの良さはそれ以上だと思います。かなり目まぐるしく次から次へと新しいイベントが起こっています。それでいながら、各キャラクターの行動動機にも説明不足や描写不足な点はあまり見られないので、前々作『コルドロン』のような「悪い意味での急展開」にもなっていません。しっかりと飽きずに面白く見続けられるテンポの良い作品に仕上がっています。こういうスピーディーで飽きない展開が次々と起こる点も黄金期のディズニー映画の特色なので、それゆえに本作品はストーリーの面でも非常に「第二期黄金期らしい面白さ」を醸し出してると思います。


キャラクター

オリバー

 本作品の数少ない欠点を挙げるとしたら、いくつかのキャラクターの魅力が薄い点でしょうか。例えば、主人公のオリバーですが、彼にはあまり主体性が見られません。移り変わる周囲の状況になんとなく身を任せてるだけのキャラクターに見えてしまいます。とは言え、この欠点は原作『オリバー・ツイスト』にも当てはまる欠点なんですよね。原作のオリバーも周囲の環境に流されるだけの主体性のない人物として描写されてるので、ある意味この点は原作に忠実だと言えるのかもしれません。

 主人公のオリバーが受動的すぎてほとんど活躍しないという点では、前々作『コルドロン』を彷彿とさせなくもないのですが、『コルドロン』と違ってオリバー以外の主要キャラ(ドジャーやフェイギンなど)は終盤でしっかりと活躍してくれてるので、主人公の影の薄さによるマイナスを十分に補っています。

ドジャーたち

 主人公のオリバーがあまり活躍してなかった一方で、ドジャーやティトなどフェイギンの飼い犬たちはしっかりと終盤のアクションシーンでも活躍しており、なかなかに魅力的なキャラになってると思います。みんなのリーダー格であり機転の利くドジャー、少々口調が乱暴だけど女好きな一面もあるティト、頼れる姉御肌のリタなど、それぞれにしっかりと個性的な性格が与えられています。それゆえに、各々がちゃんと魅力的なキャラに仕上がってるんですよねえ。彼らのキャラ設定は成功してると思います。

 とは言え、あくまでも彼らは後述するフェイギンのペットであり、それ故にフェイギンの命令で窃盗行為を働いてるんですよね。このことに対する倫理的嫌悪感は多少感じなくもないです。まあ、直接それを指示してるのはあくまでもフェイギンのほうなので、彼に比べると相対的に嫌悪感は小さめですが……。

ジョルジェット

 本作品において特に魅力的なキャラはジョルジェットでしょう。我が儘で高慢でオリバーに嫉妬するなど基本的に典型的な「嫌らしいお嬢様キャラ」なんですが、それゆえに本作品のギャグ要員としてなかなかにコミカルで面白いキャラクターに仕上がってると思います。

 彼女の歌う"Perfect Isn't Easy"も彼女のキャラクターが良く分かる名曲になってますしね。彼女とティトとの恋愛模様は、少々エグさのある後半の展開を緩和させるギャグ要素として上手く働いてると思います。終盤のアクションシーンで慌てふためく彼女の様子もギャグ要素としてなかなかに面白く働いてます。わりと好きなキャラですね。

 ドジャーたちを上手く騙してオリバーを家から追い出す企みを働くなど、普通にあくどいシーンも描かれているんですけどね。その後オリバーがいないのを悲しむジェニーに連れられてオリバー探しに駆り出されるなど苦労してるからか、いまいち憎めないお嬢様キャラになっています。

フェイギン

 逆に、僕はこのフェイギンと言うやつのクズさが好きになれません。先述した通り、このフェイギンというキャラクターに対して僕が抱く倫理的嫌悪感は、本作品の数少ない欠点として働いてると思います。ペットの動物たちを利用して窃盗行為を働いてるのは普通にクズでしょって思ってしまう。しかも、自身の貧困さやサイクスの強硬な取り立てをその免罪符にしているように見えるから余計にタチが悪く感じます。なんというか『カイジ』とかに出てきそうな「弱者しぐさを免罪符にゲスな行為を働くクズキャラ」に近いものを感じます。

 後年の作品だと例えばアラジンなんかも「生きるため食うために」仕方なく盗みを働いてる描写がありますが、あれはまあ大昔のアラブが舞台なので「貧困層は本当に盗みでもしないと生きていけない過酷な世界なのかな」と納得できなくもないんですが、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』の舞台は現代のニューヨークですからねえ。貧困が盗みや恐喝の免罪符として機能するような社会状況じゃないでしょ、と思ってしまいます。真面目に働き口を探すなり、仕事がないなら政府の福祉に頼るなりすれば良いのに……とどうしても思ってしまい、フェイギンに同情できないんですよね。これは舞台を現代のニューヨークにしたことが悪く働いちゃった例だと思います。*5

 このように個人的には許容できないクズな人間としてフェイギンが描写されてるにも関わらず、この映画はフェイギンを善玉のキャラとして描いちゃったため、本作品には倫理的嫌悪感を少し抱いちゃうんですよね、僕は。とは言え、原作では完全な悪党であるはずのフェイギンをディズニーが善玉キャラクターに変えた理由は仕方ない面もあるんですよね。なぜなら、原作ではユダヤ人であるフェイギンを悪党として描くと「反ユダヤ主義の人種差別だ」と非難されかねないからなんですよね。実際、原作の『オリバー・ツイスト』に対してはそのような批判がたまに聞かれます。

 ただでさえ、ウォルト・ディズニー氏に対して生前から「反ユダヤ主義者」「レイシスト」との批判が投げかけられていたこともあったからか*6、これ以上そのような批判を食らいたくなかったディズニーがフェイギンを完全なる悪党として描くことはできなかったという事情があったのかもしれません。個人的には、ユダヤ人の悪役が出て来ただけで「反ユダヤ主義だ」と認定するのは短絡的な考えすぎて全く賛同できないのですが*7、当時のディズニーはそのような批判にもある程度対応していったのです。いわゆる「ポリティカル・コレクトネス」を意識せざるを得なくなったと言うこともできるでしょう。このようなポリコレの導入もその後の第二期黄金期のディズニー映画に繋がる傾向ですね。

 とは言え、そのポリコレ的な改変が少し下手だったために、「原作同様のクズな悪党であるにもかかわらずなぜか善玉扱いされる」という歪なキャラクター設定がフェイギンに対して為されることになったのでしょう。まあ、それでもディズニー版のフェイギンは、悲しむジェニーの姿を見て改心し、誘拐したオリバーをジェニーに返してあげるシーンなどを通して根は良い奴として描かれているので、原作のフェイギンと比べれば相対的にマシなやつには見えますけどね。それでも彼を善玉に据えた本作のストーリーにはやっぱり少し倫理的嫌悪感を抱かざるを得ないです。

 オリバーをジェニーに返してあげるシーンだって、自分が誘拐犯だとジェニーにばれないようにわざわざ一芝居打つ辺り、卑怯者の極みって感じがして好きになれないですもん。こういう妙にズルくて卑怯で弱者ぶったクズを僕は好きになれないです。マジで『カイジ』に出てきたら「クズだ!」と非難されそうなタイプのキャラだと思います。

サイクス

 フェイギンと違って、サイクスは原作同様にディズニー版でも完全な悪役として描かれています。ただ、サイクスの悪役ぶりは少々シリアスすぎてちょっと魅力に欠けます。キャラクターにコミカルな要素が一切なく、普通にひたすらエグイことをしまくる純度100%の悪人なので、悪役としても好きになれないです。あんまり性格にも個性がなく、単にヤミ金融や少女誘拐を行うリアルなギャングって感じです。舞台が現代のニューヨークってこともあって、サイクスの悪行がわりとリアリティある犯罪なんですよね。サイクス自身のキャラも、普通にリアルにもいそうな「怖いギャング」って感じなので、個性もなければ悪役特有の魅力もないです。魅力的な名悪役が多いディズニー映画には珍しく、あまりにもシリアスすぎてエグすぎるので、逆に魅力に欠ける珍しいタイプの悪役だと思います。

 手下の飼い犬ロスコーとデソートはまだ多少間抜けな描写もあるのでマシですが、それでもやっぱり彼らもわりとシリアス寄りな悪役には違いないです。飼い主のサイクス同様にリアルな悪役すぎて少々魅力に欠けます。

ジェニーとウィンストン

 この二人のキャラは魅力的ですね。特にジェニーは「育ちの良い優しいお嬢様」として可愛らしいキャラに仕上がってると思います。欠点がなさすぎて逆に無個性な気が少々しなくもないですが、オリバーが彼女に懐くのも納得なキャラだと思います。そんな愛おしいキャラだからこそ、後半でジェニーが誘拐された時にみんなで一致団結して救出しようと自然に思える流れになるんですよね。

 ウィンストンも面倒見の良いお茶目な執事って感じのキャラでなかなかに面白いです。プロレス好きというギャップ萌えもきっちり抑えており、それなりに魅力的なキャラになっていますね。この二人は「お金持ちサイド」のキャラクターとしてなかなかに魅力的な描写ができていると思います。


アクション

 この頃の面白いディズニー映画にはほぼ必ず面白いアクションシーンがついていますが、それは『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』も例外ではないです。サイクスに誘拐されたジェニーを助けるためにドジャーたちが繰り広げる終盤のアクションシーンは本作品で一番盛り上がる山場でしょう。感電しながらワイヤーを操作するティト、その後滑り台のように滑り落ちるドジャーたちなど激しい動きのアクションが盛りだくさんで楽しいです。サイクスがリアルな悪人ゆえにとても緊張感ある展開になっています。

 そして、極めつけは終盤のサイクスとフェイギンによるカーチェイスシーンでしょう。地下鉄の中で繰り広げるカーチェイスアクションはとてつもないスピード感のあるアクションになっており、終始ハラハラしながら見ることができます。とても面白いアクションシーンだと思います。


感動的なエンディング

 怒涛のアクションが終わった後、気絶するオリバーがジェニーに見守られる中で復活するシーンは「第二期黄金期らしい」感動シーンだと思います。『美女と野獣』でラストにビーストが復活するシーンや『塔の上のラプンツェル』でラストにフリンが蘇生するシーンとかの感動に近いものがあります。ここで本作品の主題歌の一つである"Good Company"が再び流れる演出になっているのも良いですねえ。

 感動的なラストの後に、ギャグ要員のジョルジェットがボロボロになってるシーンが映る作りになってるのも素晴らしいです。大団円後のちょっとしたコメディ要素って感じで微笑ましくなります。その後のジェニーの家でのひと段落、そしてドジャーたちとのお別れシーンに至るまで、「あー、本当にディズニー映画らしいハッピーエンドだなあ」と感じさせるエンディングになっています。

 先述した通り、このエンディングで再び"Why Should I Worry?"が流れる点も僕は好きですね。ほっこりして幸せな気分になれるうえに楽しくもなる良エンディングだと思います。その後のエンドロールでは、それまでのミュージカル・シーンで流れた曲が順番に流れる仕様になってるので、「エンドロールで余韻に浸りたい」という人にはうってつけのエンドロールなんじゃないでしょうか。実際、僕はここのエンドロールで良い感じの気分に浸ることができます。



第二期黄金期の実質的な始まり

 ここまで述べて来たとおり、フェイギンを善玉にしたことによる多少の倫理的嫌悪感はありますが、それでもやっぱりこの『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』はとても面白い名作だと思います。その面白いと感じれる要素は、その後の第二期黄金期のディズニー作品にも共通する要素であり、だからこそ僕は本作品を第二期黄金期の実質的な始まりと呼んでも差し支えないと思っています。

 実際、黄金期の到来を告げていると思えるぐらい高いクオリティの作品になっています。ストーリーも面白いし、ミュージカル要素は充実してるし、エンディングはハッピーエンドで良い気分になれるし、アクションも見ごたえある。いくらかのキャラクターに倫理的嫌悪感を覚えるという欠点こそありますが、そこには目を瞑っても構わないと思える程度には他の要素が良く出来ています。なんだかんだで、この『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』は僕にとってかなり大好きなディズニー作品の一つになっています。







 いつもよりもかなり長い記事となってしまいましたが、以上で『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』の感想記事を終えたいと思います。次回は『リトル・マーメイド』の感想記事を書く予定です。それではまた。

*1:二人の名前を聞いたことない人も、多分"Piano Man"や"The Rose"で曲を検索して聞いてみれば「あー!この曲を歌ってる人か!」って分かると思います。

*2:ヒューイ・ルイスは日本だと映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主題歌"The Power of Love"を歌ったことで有名なミュージシャンでしょうか。ルース・ポインターは有名な音楽グループ「ポインター・シスターズ」のメンバーの一人です。

*3:ただし、これはあくまでもアメリカ国内での興行収入に限った話であり、世界全体での興行収入はドン・ブルース氏の『リトルフット』のほうが『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』を上回っています。

*4:余談ですが、このシーンでは同じく犬映画ということで『わんわん物語』や『101匹わんちゃん』のキャラクターがこっそりカメオ出演しています。こういうファンサービスが上手いのも、ディズニーオタクにとっては嬉しい演出ですね。

*5:と、ここまで書いた時点で『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』公開時の1988年のアメリカは小さな政府をモットーにしてたレーガン政権期であることに思い至った。『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』の舞台である「現代のニューヨーク」とは当然1988年の人にとって「現代」なので、当時のレーガン政権による社会保障の切り詰めという背景を考えればフェイギンに同情できるようになる可能性もあるかも知れない……?いやまあ、それでもやっぱり僕は現代風の世界観においてフェイギンのクズさを擁護するのは難しいと感じるので、彼を好きになれないですけど。

*6:なお、僕個人はウォルト・ディズニー氏は決して反ユダヤ主義者ではなかったと思ってます。彼に対するこのような批判の多くは基本的には不確かな根拠に基づく言いがかりに近いです。ウォルトはその生涯において決してユダヤ人を差別するようなことはありませんでした。

*7:例えば、白人の悪役が出て来たところで、それだけでその作品が「白人はみんな悪人だ」という差別的な考えを主張してると読み取る人はほぼいないでしょう。たまたまその白人が悪人だったと考えるだけです。同じようにユダヤ人の悪人が作品内に出てくるからと言ってユダヤ人への差別意識の表れだとは必ずしも言えないと僕は思います。数あるユダヤ人のうちたまたまその一人が悪人だっただけだと僕は考えます。