tener’s diary

てねーるのブログ記事です

【ディズニーで学ぶアメリカの歴史と文化】第2弾:名作『南部の唄』の復活を求めて

 本日はいつも書いてるディズニー映画感想企画とは少し異なる趣旨の記事を書こうと思っています。今回の記事はディズニー関連ブログのアドベントカレンダーに参加させていただく形で書くものになります。

adventar.org


 去年もこのアドベントカレンダーに参加させていただきましたが、懲りずに今年もまた参加したいと思います。今年も去年に引き続き新シリーズ【ディズニーで学ぶアメリカの歴史と文化】の新記事を書きます。

 前回は、ディズニーと関係の深いアメリカ南部の街ニューオーリンズについての記事を書きましたが(下記の記事です)、今回もアメリカ南部についての記事を書きたいと思います。ずばり、タイトルにもある通り『南部の唄』についてです。

president-tener.hatenablog.com

 数多あるディズニー映画の中でも特に物議をかもしがちなこの『南部の唄』。かねてからTwitterでは本作について僕は色んなことをツイートしてきたのですが、一度ちゃんとブログの形でまとめたほうが良いなと思い、この記事を書くことを決意しました。一応、このシリーズのテーマに沿って、アメリカ史の文脈とも関連付けながら『南部の唄』について語っていけたら良いなと思っています。

 それでは、さっそく始めていきます。

基本情報

 『南部の唄』は1946年に公開されたディズニーの実写映画です。昔*1アメリカ南部の大農場を舞台に、悩める少年ジョニーと心優しい老人リーマスおじさんとの心温まる交流を描いた話です。ジャーリスト兼作家のジョージ・チャンドラー・ハリスによる小説"Uncle Remus"が原作となっています。この"Uncle Remus"は、ハリスが南部の黒人の間に伝わる民話を集め、それをリーマスおじさんという登場人物の口から語らせるという形の小説です。

 ディズニーはこの小説に目を付け、リーマスおじさんたちの出てくる部分を実写で、彼の話す民話部分をアニメ―ションで再現する映画を作りました。それが『南部の唄』です。後述するように、この作品はディズニー史上の重要な位置にある作品なのですが、それにもかかわらず現在は視聴が非常に困難な作品になっています。というのも、ウォルト・ディズニー・カンパニーは2021年12月現在、この作品を封印し続けているんですよね。本作はポリコレ勢から「人種差別的な作品」だとの非難を受けてしまったため、ディズニー社はDVDなどのホームビデオでも発売していませんし、ディズニー+でも本作を配信していません。『コルドロン』などとは別の意味でディズニーの黒歴史になってしまっていると言えるでしょう。

 過去のディズニー作品が不幸にもポリコレ圧力のもとでキャンセルを求められてしまっている事例は多々ありますが、その中でも一番大きな被害を被っている例が本作なんですよね。しかし、詳細はまた後述しますが、そんなキャンセルカルチャーに反対し『南部の唄』の再公開を目指す人もたくさんいます。かくいう僕も本作の復権を望んでいる人の一人です。この記事では、本作の名誉回復を求めて、改めて本作の制作過程や物語における歴史的背景、そして「本当に本作はキャンセルされるべき悪しき作品なのか」という点について僕なりの見解も絡めて述べていきたいと思います。



歴史的背景

 『南部の唄』の制作過程について語る前に、まずは本作の背景となるアメリカ南部の歴史について軽く解説します。これについて知らないと、本作を巡る論争を理解できませんからね。とは言え、本作は歴史のブログではなくディズニーブログなので、あくまでも"軽く"振り返るだけに留めます。


「再建」期の南部

 1861年に有名な南北戦争が起きます。アメリカ史上の一大事件ですね。奴隷制度を巡りアメリカを南北に二分したこの大規模な戦争は、最終的に北軍の勝利で1865年に幕を閉じます。戦争の結果、アメリカ南部諸州は北軍に占領されました。この時代を歴史用語で「再建」と言います。詳細は後述しますが、『南部の唄』の時代設定もこの時代の南部だと言われています。

 この再建期にアメリカ南部の社会は大きく変容します。その中でも特に大きな変化がやはり奴隷制の終焉でしょう。アンテベラム*2の南部では奴隷制が合法であり、多くの黒人奴隷がいました。しかし、1865年にアメリカ合衆国憲法修正第13条が制定され、この条項によってアメリカ合衆国全土で正式に奴隷制が廃止されました。

 再建期に南部をどう扱うかに関しては、合衆国政府内でも穏健派と急進派の間での激しい対立があり、その度に揺り戻しが起きたりまた戻ったりを繰り返しました。再建当初は穏健派が南部占領の中心となったため、南部ではアンテベラム期への揺り戻しとも見られるような事態も発生しました。例えば、南部諸州では戦後すぐに"Black Codes"と呼ばれる一連の州法が制定されています。この法律は、奴隷から解放されたばかりの黒人に対してその移動の自由や職業選択の自由、裁判に参加する権利や投票権などを厳しく制限し、元の奴隷と同じような地位に彼らを留めようとしたものでした。

 しかし、その後すぐに合衆国政府内で急進派が多数派となったため、1868年には憲法修正第14条が、1870年には憲法修正第15条が制定されました。修正第14条は全ての人種に対してアメリカ合衆国市民としての権利(すなわち公民権)を平等に認めたもので、これにより黒人は他の白人同様に移動や職業選択の自由、裁判に参加する権利などを認められることになりました。そして修正第15条では投票権における人種差別を禁止し、これによって投票権も黒人に対して認められるようになりました。Black Codesによる揺り戻しを無効化したわけですねえ。


ジム・クロウ法から公民権運動へ

 上述した通り、再建期に憲法修正第13条から第15条までの制定*3を通し、かつての黒人奴隷たちは解放されアメリカ合衆国市民としての権利が平等に保障されるようになりました。しかし、次第に南部での黒人の法的地位は再び一変し始めます。
 1877年までには北軍が南部から軍を引き上げて「再建」が終了しました。それまで州としての自治権を制限されて連邦政府の占領下にあった南部諸州は、占領軍の引き上げとともにその自治権を取り戻し、北部諸州と法的に対等な「アメリカ合衆国を構成する州の1つ」へと戻ったわけです。自治権を取り戻した南部諸州では、戦時中の南軍にシンパシーを持つリディ―マーと呼ばれる白人たちが政権を握っていて、彼らのもとでジム・クロウ法と総称される人種差別的な州法が次々と制定されていったのです。

 このジム・クロウ法では、学校や鉄道や劇場などありとあらゆる公共機関を黒人用と白人用とに分離し、両者の混合を厳格に禁止しました。黒人は黒人用の学校にしか通えず、鉄道も黒人用の車両しか利用できなくなったわけですね。他にも、黒人と白人の結婚を禁じたり、試験や投票税を課すことで黒人から‟実質的”*4投票権を奪ったりと、ジム・クロウ体制下の南部諸州では多くの人種差別的な制度が制定されたんですね。

 これらのジム・クロウ法は、1896年にプレッシー対ファーガソン裁判*5にて「分離すれども平等」なので問題ないとの判決が下されたことで合憲となり、以後長い間この人種隔離体制が南部で維持されました。『南部の唄』が公開された1946年時点でも、まだ南部ではこのジム・クロウ法が依然として有効な状態でした。

 この状況が終わったのは1954年のブラウン対教育委員会裁判によるものでした。この裁判にて従来の「分離すれども平等」の理屈は否定され、学校での人種分離は憲法修正第14条に違反するとの判決が出ました。さらに、翌1955年にはローザ・パークスという名の黒人女性がバスの人種分離に逆らって逮捕されたことをきっかけに、様々な草の根の抗議活動が沸き起こりました。これがいわゆる「公民権運動」と呼ばれている運動の始まりでした。有名なマーティン・ルーサー・キング牧師などの指導下で、人種隔離のなされているレストランに座り込んだり、人種統合されたバスを運転したり、様々なデモ行進を行うなどしました。

 その結果、1964年にアメリカ合衆国政府は、学校やバスやレストランや劇場やホテルなど、あらゆる施設での人種分離を禁じる公民権法と呼ばれる法律を制定しました。さらに翌1965年には投票権法の制定により、試験などによって黒人の投票権を事実上奪う制度もなくなり、1967年にはラヴィング対ヴァージニア州裁判で異人種間結婚の禁止*6違憲とされるなど、1960年代を通してアメリカ南部の黒人差別的な法制度は次々と終焉に向かったわけです。こうして法的な平等はほぼ達成され、公民権運動はかなりの成功を収めたわけです。


ジョエル・チャンドラー・ハリス

 さて、時代を一旦遡ってもう一度19世紀後半に話を戻します。南部の「再建」が終了し少しずつジム・クロウ法体制が整備されていく時期のことです。本作の原作"Uncle Remus"を表したジョエル・チャンドラー・ハリス氏が活動していたのはまさにこの時期でした。当時、彼は"The Atlanta Constitution"という新聞でジャーナリストとして働いていました。この新聞はその名の通りジョージア州アトランタで発行されている新聞です。ジョージア州はディープサウスと呼ばれる地域*7に属しており、その州都アトランタは現在でも南部随一の大都市です*8。そんなアトランタの新聞にてハリス氏は1879年に"Uncle Remus"の連載を始めたのです。

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ジョエル・チャンドラー・ハリス

 この連載では、リーマスおじさんという登場人物が多くの民話を語るという内容になっています。「ブレア・ラビット」や「ブレア・フォックス」*9などが登場するこれらの民話は、実際に当時の南部の黒人たちの間で語り継がれていたものだったそうです。ハリスは、若い頃に自分が働いていたプランテーションにて黒人奴隷たちからこれらの物語を聞き、南北戦争終結後になってそれらの口承の民話を文字の形で残すことを試みたそうです。そうして始まったのが"Uncle Remus"シリーズの連載なんですよね。この連載のおかげで、黒人奴隷たちが口だけで伝えていた数々の素晴らしい物語が文字資料として現在まで残ることになったのです。

 ハリスは上記の物語を残しただけでなく、新聞社に勤めるジャーナリストとして、南北戦争後の白人と黒人の間の和解を常に訴える活動を続けていました。先述の通り、当時の南部は北軍の占領が終了し黒人差別的なジム・クロウ体制が整備されていった時期でしたが、そんな時代においてハリスは黒人への教育や黒人の投票権を支持する主張をし続けていました。当時の南部では白人による黒人へのリンチ事件なども起きていましたが、ハリスはそのような人種差別的な暴力行為を非難する記事も書いていました。そんな彼によって"Uncle Remus"シリーズは著されたわけです。彼は白人に対して黒人への寛容な姿勢を常に訴え続け、レイシズムを非難していました。晩年には、黒人への偏見の消滅や公正な取り扱いへの需要などを夢見て"Uncle Remus's Home Magazine"という雑誌を出すなどの活動もしています。

 ハリスの残したリーマスおじさんの語る物語は、ハリスが1908年に亡くなった後もアメリカ全土で読まれ続け、19世後半のアメリカ合衆国においてマーク・トウェインの作品と並ぶ人気を誇る童話となりました。彼の住んでいた家は博物館として保存され2021年12月現在も運営されています。

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ジョエル・チャンドラー・ハリスの家

『南部の唄』の制作から公開まで

 さて、上述のジョエル・チャンドラー・ハリスによって書かれ当時アメリカ全土で人気となっていた"Uncle Remus"シリーズを1946年にディズニーは映画化したわけです。果たしてどういう経緯でこの制作が進んでいったのか。当時のディズニーの歴史的背景も絡めながら書いていきたいと思います。


第二次世界大戦下の苦境を抜けて

 『南部の唄』が公開された1946年は、前年に第二次世界大戦が終わったばかりの時代です。その少し前、第二次世界大戦が始まった頃のディズニー・スタジオは経営的に非常に苦しい状況でした。ウォルト・ディズニーがかなり力を入れて作った『ファンタジア』や『バンビ』などが興行的に失敗したうえ、1941年にはアニメーターたちによる大規模なストライキまで起きたことで、金銭的に苦しくなったのです。戦時中のディズニーはそんな状況下でも何とか生き残るために、政府から資金援助を受けて数多のプロパガンダ作品を作ることで食いつないでいました。

 政府からお金を貰わないといけないぐらい苦しかった当時のディズニーに、もはやかつてのような大作アニメーション映画を作る体力はなかったため、必然的に実写混じりの作品が増えることになりました。『ラテン・アメリカの旅』や『三人の騎士』など、当時のディズニー映画はどれも実写パートが必ず入っています。そして、本作『南部の唄』も実写とアニメーションを混ぜた映画です。

 経営難ゆえに、低コストで済む実写パートをアニメーション映画に混ぜるようになった当時のディズニーですが、その中でも『南部の唄』の実写パートはウォルトにとっては特に挑戦的なものになりました。というのも、それまでのディズニー映画における実写はちょっとした語り部パート程度のノリにすぎず、当時の他の実写ハリウッド映画と同程度に本格的な大作ストーリー映画を実写で作るのはウォルトにとってはこの『南部の唄』が初めてだったからです。戦時中の経営難からの起死回生を賭けて、ウォルトは新しい試みに挑戦したわけですね。

 世界初の長編フルカラーアニメーション『白雪姫』を公開した直後の1938年、ウォルトは自身の子供時代に聞いたのを覚えている"Uncle Remus"の物語の映画化を構想し始めました。当時のウォルトは他にも様々な作品の制作に取り掛かっていたので、すぐ本作の制作を進めることはできませんでしたが、それでも翌1939年にはジョエル・チャンドラー・ハリスの遺族から映画化の権利を購入し、着々と制作準備を進めていました。そして1940年代には、当時のディズニー作品の流れに沿った実写とアニメーションの混合映画として、本格的に『南部の唄』の制作が開始されます。


脚本作り段階での「配慮」の試み

 さて、映画作りはまず脚本から始まるわけですが、実はディズニーはすでにこの脚本作りの段階から人種関係の描写には気を配っていたんですよね。上述の通り、当時はまだ公民権運動が盛り上がる前ではありましたが、それでも黒人が登場する映画を作る上では様々な「配慮」をしないと物議を呼ぶことになる風潮はありました。実際、当時のディズニーの広報担当が「黒人情勢は危険だ」と発言し、慎重に事に当たるよう警告していました。

 現在しばしば「人種差別的」とのレッテルを張られて非難されがちな本作ですが、実は当時の制作陣営もそう非難される可能性を考慮して、彼らなりに色々と「配慮」しようと努力していたんですよね。製作段階における彼らのそんな努力の過程をこれから見ていきます。

 さて、本作の脚本としてまず最初に選ばれたのが南部生まれのダルトン・レイモンドという人でした。彼は当時ハリウッドでいくつかの仕事に携わっていましたが、映画の脚本を書くのは本作が初めてでした*10。脚本家としての経験も乏しい彼がセンシティブな問題に対応した脚本を書くためにはそのチェック役が必要でした。

 実際、レイモンドの作る脚本に対して黒人側の意見も聞くためにウォルトはクラレンス・ミューズという当時の有名な黒人俳優を呼んでいます。作品が「人種差別的」と言われないようウォルトなりに努力していた証ですね。しかし、残念ながらミューズは、黒人の登場人物を品位あるキャラとして描いて欲しいという自身の提案がレイモンドから却下されたことですぐに辞めてしまいました。

 しかも、ミューズはディズニー・スタジオを去った途端に、すぐさま本作のネガキャンを始めたのです。ディズニー内でミューズが見た『南部の唄』の脚本は、後述のモーリス・ラプフによる修正もまだなされる前の草案バージョンに過ぎなかったにもかかわらず*11、その修正前の内容だけで本作を「黒人の文化的発展に対して有害だ」と非難したのです。

 そんな状況下で、次にディズニーに雇われたのが共産主義者ユダヤ人モーリス・ラプフでした。彼はかなりラディカルな左翼であり、それゆえにそもそもこの映画制作に携わることには乗り気ではありませんでした。ラプフはこの"Uncle Remus"シリーズを人種差別的な作品だと考えており、その映画化には反対しているとウォルト自身にも伝えました。そんな彼の発言に対してウォルトは「それこそがまさに私が君を欲している理由だ。君はアンクル・トム*12に反対するラディカルだろう。そんな君の考え方を私はこの映画に持ち込みたいんだ」という感じの返事を返してるんですよね。

 このエピソードから分かる通り、ウォルトは彼なりにこの『南部の唄』が人種差別的にならないような対策を脚本作りの段階ですでに取っていたんですよね。脚本のアドバイザーとして雇われたラプフのもとで、レイモンドが当初作った脚本は数々の修正を受けました。

 しかし、モーリス・ラプフ氏もわずか6~7週間で『南部の唄』の制作から離れてしまいます。原因は上述のダルトン・レイモンドとの不仲でした。と言っても、不仲の原因は脚本の中身を巡る対立ではありません。レイモンドが勝手にラプフの名を騙って女性を口説いていたことにラプフが怒ったのが原因でした。ただし、レイモンドのほうはラプフの名を騙ったことはないと当時否認していたので、ラプフの勘違いであった可能性もあるかもしれません。いずれにせよ、『南部の唄』の脚本内容とは全く関係ないこの諍いが原因で、ラプフは本作の制作から離れることになりました*13


一部からの非難とそれへの対応

 このように『南部の唄』制作に当たってウォルトはクラレンス・ミューズやモーリス・ラプフなど様々な人に脚本内容についての相談をしました。本作が「人種差別的」と非難されないようにウォルトが色々と試行錯誤していた証と言えるでしょう。ディズニーは、ヘイズ・オフィス*14にもレイモンドの原稿を見てもらい、差別的と見られないよういくつかの言葉遣いを修正しました*15。そうやってディズニーなりに「配慮」の努力は続けていたわけです。

 しかし、それにもかかわらずこの『南部の唄』は公開された途端にNAACP*16などから大きな非難を浴びてしまったのです。その原因は色々あるのですが、その中でも特に大きいのは、本作が奴隷制度を美化しているという「誤解」が広まってしまったことでしょう。この悲劇的な誤解が出た背景についてはまた後の章で詳述いたします。

 いずれにせよ、本作がそのような非難を受けてしまったことはウォルトにとってもショックなことでした。上述の通り、ウォルトなりに色々と配慮するような人選を試みたのですが、その試みは結果論としては失敗に終わったわけです。そして、ウォルトはその原因を上述したクラレンス・ミューズ氏のネガキャンによるものと結論付けました。実はミューズ氏はNAACPのロサンゼルス支部長だったんですよね。ミューズ氏は本作の主人公であるリーマスおじさんの役を自分が演じることも望んでいたそうですが、その願いは叶いませんでした。また、前述の通りレイモンドの脚本(修正前のものですが)にも彼は不満を抱いていました。

 そうした不満を持つミューズがネガキャンを始めてNAACPなどを扇動したせいで本作が非難されてしまったのだとウォルトは思ったんですね。そして、ウォルトは本作を攻撃する人たちを過激派だと考え、彼らを「いつだって問題を掻き乱したがる」連中だと言い放つんですよね。その理屈にはいささか陰謀論めいた突飛な推理が含まれてはいますが、ともかくウォルトは、過激な左翼のイチャモンみたいなポリコレ圧力には屈しないぞという毅然とした態度をとったわけです。そういう彼の態度を、ポリコレ勢によるキャンセルカルチャーにすぐ屈してしまう今のディズニー社には見習ってほしいと個人的には思います。

 ちなみに余談ですが、当時のウォルトのこうした考えの背景には、当時彼が反共主義に傾倒していたという事情もあります。1941年にアニメーターによる大規模なストライキの被害を受けて以来、ウォルトは共産主義を強く憎むようになりました。本作公開の翌年1947年には、アメリカ議会で当時行われていたマッカーシズム*17にも協力したぐらいには当時のウォルトは「反共」色を強めていました。だからこそ、『南部の唄』への反対運動もそんな悪しき共産主義による悪質な扇動に他ならないと考えたわけです。ウォルトのこのような反共姿勢をどう評価するかはその人の政治思想次第でしょうが*18、いずれにせよウォルトは当時の彼のそうした政治姿勢のもとで『南部の唄』への反対運動を(いささか陰謀論っぽく)捉えたのでした。


配慮のための努力とその失敗

 実はNAACP会長ウォルター・ホワイト氏は、本作公開前に脚本が人種差別的になっていないかをNAACPにチェックさせるようディズニーに求めていたのですがその要望は叶えられませんでした。と言っても、これはディズニーにとっては珍しいことではなく、ウォルトは自身の創作活動についてNAACPに限らずありとあらゆる外部団体からの干渉を嫌っていました*19。決して、ウォルトがNAACPのような黒人団体だけを差別的理由から無視していたわけではありません。

 それどころか、先述した通りヘイズ・オフィスやクラレンス・ミューズやモーリス・ラプフなど映画関係者に対してはディズニーもアドバイスを求めており、それなりの配慮の努力をしてきました。もし仮に当時のディズニーが、これらに加えてNAACPの要望にも応じていたのならば、ここまでの強い非難を浴びずには済んだのかもしれません。少なくとも事前チェックに加わればNAACPからの非難はなくなる可能性が高いでしょう。そういう意味では、ポリコレ的非難を受けないような回避策が不十分だった点は当時のディズニーの「失敗」だったとみなせるかもしれません。

 しかし、それはあくまでも商売において無駄な軋轢コストは避けた方が良いという経営戦略レベルでの失敗にすぎず、重大な倫理的な瑕疵とまでは言えません。ウォルトは純粋に誰にも干渉を受けずに自由に自身の創作活動を行いたかったのでしょう。そういうクリエイーターの思い自体は決して間違いだとは思えません。もちろん自由には責任が伴いますので、その自身の自由な創作活動により出来上がった創作物が極悪な駄作になった場合はそのことへの批判を浴びるのも当然のことでしょう。でもその判断は、純粋に成果物の内容、すなわち『南部の唄』という作品の中身から判断すべきことであり、事前に誰に脚本を見せているのかという事実自体は創作物の良し悪しに関係ないですからね。


相反する反応

 いずれにせよ、NAACPは本作の事前チェックをすることなく、ミューズのネガキャンを真に受けて、後述する「誤解」に基づいて本作を大いに非難してしまったんですよね。さらに、NAACPだけでなく政界にもその波は伝わり、当時のアメリカの黒人議員の1人アダム・クレイトン・パウエル・ジュニアなども本作への非難に加わってしまいました。これらの否定的反応の影響は現在まで続き、現在でも本作を「人種差別的」だと的外れに断罪する声は、残念ながら多く見受けられます。

 しかし、その一方で本作に対して肯定的な評価を述べる人も当時からいました。本作に出演した黒人女優のハティ・マクダニエル*20は「この映画が私の人種にとって侮蔑的な映画だと私が一瞬でも思っていたら出演なんてしていません」と述べて本作を擁護しています。現在でも、有名な黒人女優のウーピー・ゴールドバーグ氏が本作の再公開を望む発言をするなど、本作が封印されてる状態を悲しむ人の声は決して少なくありません。

 また、本作を人種差別的だと批判する人たちも、純粋にアニメーション作品としての本作の価値は高く評価していました。実写とアニメーションの組み合わせは当時すでに『三人の騎士』などで世間を多いに魅了させていたディズニーの得意技術であり、本作でもその点は高く評価されました。主題歌"Zip-a-Dee-Doo-Dah"も批評家から好評を得ており、アカデミー歌曲賞を受賞したほどでした。

 実写部分は先述の通りディズニーにとっては本作が事実上の初挑戦になったわけで、イマイチとの評価も一定数得てしまいましたが、ジェームズ・バスケット氏によるリーマスおじさんの演技は概ね好評でした。ジェームズ・バスケットはその演技を称えられアカデミー名誉賞も受賞しています。ちなみに黒人男優がアカデミー賞を受賞したのは彼が初めてです*21。しかも、この受賞はウォルト自らがアカデミー賞の会員に働きかけた結果でもあるんですよね。ウォルト自身がジェームズ・バスケット氏の演技を高く評価していたということがうかがえるエピソードです。

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アカデミー名誉賞を受け取るジェームズ・バスケット(画像中央の人物)

試写会に関する誤解

 上述の通り、ウォルトはジェームズ・バスケットの演技を大変気に入り、彼にアカデミー賞を贈ろうと画策したほどでした。しかし、このような事実があるにもかかわらず、日本ではウォルトが黒人のバスケット氏を冷遇したという誤解が時折流れています。これは明らかなデマなんですが、なぜこんなデマが流れたのかというと、本作の試写会公開時のエピソードがその原因でしょう。この『南部の唄』公開時の試写会にて、主演であるはずのバスケット氏がなぜか招待されなかったというエピソードがあるんですよね。

 このエピソードは確かに事実です。しかし、これはウォルトのせいではありません。このエピソードを根拠に、ウォルトが黒人であるバスケット氏を差別していたと断じるのは正しくないです。というのも、本作の試写会の会場となったジョージア州アトランタは先述の通りジム・クロウ法が当時支配する土地であり、それゆえに黒人と白人が劇場で同じ試写会に参加することは許されなかったんですよね。つまり、ディズニーのせいではなく当時のアメリカ南部の法体制が悪いわけです。当時の南部の州法が人種差別的なルールを課していたことの責任を、南部の住人でもないウォルトに帰するのは筋違いでしょう。

 ちなみに、本作と同じくジョージア州を舞台とする有名な映画『風と共に去りぬ』の試写会も本作同様にジョージア州アトランタの劇場で行われました。『風と共に去りぬ』の公開は本作公開の約7年前にあたる1939年ですが、その時も同様の理由で黒人俳優たち*22が試写会に参加できませんでした。それぐらい当時のアメリカ南部におけるジム・クロウ法体制は強固だったわけで、ディズニーだけでなく『風と共に去りぬ』の制作者たちもその人種差別的な法体制には抗えなかったわけです。なので、批判すべきは当時の南部の法体制なんですよね。決して、ウォルト個人が人種差別意識をもってバスケット氏に意地悪したわけではないのです。

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『南部の唄』試写会の会場であるジョージア州アトランタのフォックス劇場

『南部の唄』は本当に問題作なのか?

 さて、上述の通りこの『南部の唄』は公開当時から、人種関係の描写に問題があるとの非難を一部界隈から受けてきました。しかし、果たして本作は本当にそこまで道徳的に問題ある作品なのでしょうか?少なくとも僕はそうは思いません。これから、なぜ本作が不幸にも問題視されてしまったのかについて、順番に個々の論点を自分なりの見解も交えて検討していきたいと思います。


奴隷制擁護という誤解

 実は本作がNAACPなどから当時批判された最大の理由は、本作が「アンテベラム期の南部の奴隷制を美化して描いている」と誤解されてしまったことにありました。この『南部の唄』の舞台がアンテベラム期の南部だと勘違いされてしまったわけですね。もちろんこれは完全な誤解です。本作の時代設定と舞台は先述した「再建」期の南部だとディズニー側が公式に声明を出しています。つまり、奴隷制廃止後の南部を描いたわけであり、リーマスおじさんたち黒人の登場キャラも奴隷ではないんです。

 しかし、批判者の多くは本作は奴隷制がまだ残っている時代の南部が描かれていると勘違いし、「黒人奴隷であるリーマスおじさんたちが幸せそうに暮らしている世界を描くなんて奴隷制を美化&擁護している。けしからん!」という非難を展開したわけです。実際、当時ニューヨーク・タイムズの専属映画評論家だったボズレー・クラウザー氏は本作から「(奴隷制を廃止した)リンカーンは間違っていた」というメッセージを読み取れてしまうという批判を書いています。NAACP会長のウォルター・ホワイト氏も同様に本作が「史実に反する牧歌的な奴隷と主人の関係を印象付けている」と批判しています。

 しかし、実はこの批判を書いたホワイト氏は本作『南部の唄』を自分で直接見たわけではないんですよね。NAACPの部下2人が本作を見た際の感想のメモを受け取り、それを読んで上述の声明を出したわけです。つまり、自分の目で直接確かめないまま本作を奴隷制擁護の作品だという誤解の下で批判したわけです。とは言え、ホワイト氏本人ではないにしろNAACPの部下2人が本作を見てアンテベラム期の南部が舞台だと誤解したのもまた事実なのです。では、なぜそのような誤解が生じたのでしょう。

 その原因の一つには、本作から遡ること約7年前の1939年に公開された歴史的大ヒット映画『風と共に去りぬ』の存在が挙げられます。『南部の唄』同様にジョージア州を舞台にしたこの作品では南北戦争期の黒人奴隷たちも登場しているのですが、そんな『風と共に去りぬ』と本作『南部の唄』の映像が視覚的に極めて似ているんですよね。建物や服装の雰囲気が著しく似ています。まあ、南北戦争中から「再建」期までの南部を舞台にした『風と共に去りぬ』が、同じく「再建」期の南部を舞台にした『南部の唄』と似通った映像になるのは当たり前なんですけどね。

 似たような映像の『風と共に去りぬ』に出て来た黒人キャラクターたちは奴隷という設定だったのだから*23、『南部の唄』に出てくる黒人も同じく奴隷なのだろうという類推です。しかも、『風と共に去りぬ』で黒人奴隷のマミー役を演じたハティ・マクダニエルが本作『南部の唄』でもテンピーという似たような家政婦キャラを演じているので、その事実も誤解を促進したのだろうと思われます。つまり、彼女がまた奴隷の役を演じていると誤解されちゃったんですね。


奴隷制擁護でない証

 このような誤解にもかかわらず、実際の『南部の唄』は脚本作りの段階からすでに奴隷制廃止後という設定にすることを意図して作られていました。先述したモーリス・ラプフ氏がダルトン・レイモンドの脚本を修正した際に特に強く意識したのはその点でしたからね。彼は、本作が奴隷制廃止後の「再建」期の南部を舞台としていることを明確に示すような改変をたくさん施しました。

 実際、ラプフ版の脚本では、主人公ジョニーの父が彼のもとを離れた理由は、元奴隷たちの給料を支払うためにアトランタで金を稼ぐ必要があるからというものになっていました。さらにラプフ版では、物語終盤でジョニーの母がリーマスにジョニーに関わらないよう頼んだシーンにて「俺は自由身分だ。従う必要はない」というセリフをリーマスの口から言わせています。これらの修正によってラプフは、本作の時代設定が奴隷制廃止後の時代でありリーマスたちが決して奴隷ではないことを明らかにしようとしたわけです。

 ただ、これらのラプフの修正はラプフ氏が離れた後の最終版ではなぜか消えているんですよね。先述の通り、ラプフが本作の制作から離れた原因は脚本内容とは全く関係ないことなので、なぜ彼の離脱後に彼の脚本がまた改変されたのかは不明です。理由はともかく、ラプフ離脱後の脚本では、リーマスたちが奴隷でないことをはっきり表していた描写のいくつかが消えてしまったため、時代設定がより誤解されやすい内容になっていたわけです。だから、NAACPなどからも誤解に基づく批判が来たわけで、その点でディズニー側にも多少の瑕疵はあります。

 とは言え、最終版の脚本でもラプフによる改変の影響が完全に全て消え去ったわけではないです。ラプフ版ほど明確ではないですが、最終版でも本作が奴隷制廃止後の世界であることがそれとなく察せられるような描写は存在します。物語終盤で、リーマスがジョニーの母の言葉にショックを受けて勝手に農場を去るシーンがその例です。もしリーマスおじさんが奴隷ならばこんなことできるはずありませんからね。主人の許可なく奴隷が勝手に農場を去るのは"逃亡"に当たるわけで、それが作中で問題になっていないということはリーマスおじさんは奴隷ではないのだと察せられます。

 また、レイモンドの元々の脚本では"massa"という単語がしばしば黒人キャラクターの口から飛び出ていたのですが、このセリフも最終版ではきっちり消されています。"massa"とは"master"すなわち「ご主人様」が訛った表現であり、これを黒人キャラが白人キャラに対して使うと彼らの間の主従関係を連想させてしまいます。だから、本作の黒人たちが奴隷でないことを明確にするために、ディズニーはこの"massa"という言葉を脚本から完全に取り除いたんです*24。このように、ラプフ後の最終版脚本でも、黒人たちが奴隷でないことを観客に示すような工夫をディズニーは施していたわけで、決してラプフの仕事を全て完全に台無しにしたわけではないんですよね。

 映画公開後にラプフは、自分の施した修正点がいくつか消え去っていることを根拠に、この作品がNAACPなどから批判されるのも当然のことだと主張し、彼らと一緒に本作への批判を行うようになってしまいました。確かに、最終版の脚本はラプフ版に比べるとリーマスたちが黒人奴隷でないことが少し分かりにくいです。それでも、"massa"という言葉を省いたり、リーマスおじさんが勝手に農場を去るシーンを入れたりと、ディズニーなりに奴隷制廃止後の時代だと伝えるような努力はしていたわけです。だから、本作が奴隷制を擁護しているという批判はやはり誤解に基づく批判なんですよね。


改変理由についての余談的推測

 なお、なぜディズニーがラプフ版の脚本をこのように少し変えたのかについての理由は良く分かりません。僕のできる範囲で色々と調べてみましたが、その改変の意図についてはっきり示した資料はみつかりませんでした。なので、ここからは完全に僕の推測になるのですが、恐らくディズニー側としてはラプフ版の脚本のままだとジョニーの家が元「奴隷所有者の家」になってしまうことを嫌ったのではないでしょうか。そう考えると、ラプフ版脚本にあった上述のリーマスのセリフやジョニー父の離脱理由を改変した原因にも納得できます。

 だって、ジョニー父が元奴隷への給与支払いのために出稼ぎに行ったなんていう設定にしたら、かつてのジョニー父は彼らを奴隷として所有していたという話になっちゃいますからね。同様に、リーマスが「俺は自由身分だ」という発言をジョニー母にするということは、逆説的にジョニー母は奴隷への命令のつもりでリーマスに話しかけていたということが言えちゃうわけで、それって彼女もかつては奴隷の主人だったということになっちゃうじゃないですか。

 恐らくディズニーとしては、ジョニーの両親がかつて奴隷を所有していたという設定になるほうが奴隷制度の美化だと捉えられると思ったのではないでしょうか。だって、奴隷を所有していた家族を主人公の心の拠り所として描くということは奴隷所有者という悪人を美化しているようにも見えちゃいますからね。ジョニーの家を「奴隷制」という道徳的悪から切り離したかったのでしょう。

 そう仮定すれば、ラプフの改変が弱められたことにも一定の正当性があると言えるのではないでしょうか。つまり、最終版の設定では、主人公ジョニーの家は一度も奴隷を所有したことがなく、リーマスおじさんたち黒人も"元"奴隷ですらなく、最初から自由身分の黒人として設定されているのだと思います*25。そのように考えると、本作を奴隷制の美化だと捉える当時の批判はますます的外れなものと言えるでしょう。

 まあ、これはあくまでも僕の推測にすぎず、当時のディズニー側が本当にそういう設定で考えていたという明確な証拠があるわけではないんですけどね。明確な証拠のもとで言えるのは、当時のディズニーが本作の舞台を「再建」期の南部に設定しており、奴隷制は描写されていないという点だけです。これは実際にディズニー側から公式にアナウンスされていますし、先述の通り作品内の描写(リーマスおじさんの農場離脱シーンなど)からもその点は察せられるような内容になっています。


ドキュメンタリーではないという魅力

 上述の通り本作は決して奴隷制を擁護している作品ではないのですが、その誤解が解けてもなお本作を問題視する意見はあります。その中でも最も良く聞く批判が「現実にあったアメリカの人種差別的風潮をこの作品は描いていない」というものでしょう。確かに、上で述べたように現実の南部では「再建」期の終わりとともにジム・クロウ法体制への移行が進むなど、黒人への人種差別的な風潮は依然として残っていました。それにもかかわらず、本作では白人の少年ジョニーが黒人のリーマスおじさんやトビーと差別なく仲良く暮らしている理想的な世界が描かれています。この点をもって「現実を美化している」と批判する声があるわけです。

 しかし、ここで忘れてはならない視点は、そもそも本作『南部の唄』は「現実社会を忠実に描くドキュメンタリー」ではないということです*26。『南部の唄』に限らずディズニー映画は常に理想的な世界をイマジネーションの下で描いてきました。確かに、現実の当時のアメリカ南部ではリーマスおじさんとジョニーのような関係を黒人と白人が築くことは難しかったかもしれません。でも、だからこそせめてアニメーションの世界では非現実的な理想を見せてくれるのがディズニー映画の素晴らしさなのではないでしょうか。

 現実の南部で白人と黒人が差別による対立抜きに関係を築くのが難しかったのと同様に、現実世界ではフェアリー・ゴッドマザーが魔法で衣装を出してくれることもないですし、ブルー・フェアリーが心優しい人形を人間に変えてくれることもありません。バンクス氏のような毒親が改心して凧を直してくれることも観客の暮らす現実世界においては起きないかもしれません。しかし、アニメーションの世界においてはウォルトの持つイマジネーションの力でそれらの非現実的な理想も現実になるのです。そのイマジネーションの持つパワーこそがディズニー最大の魅力でしょう。

 上記の観点で『南部の唄』を批判する人は、そもそも『南部の唄』含めディズニー作品の多くはドキュメンタリーなどではないという事実、ディズニーの魅力の核となるその事実を無視していると思います。もし本作が現実のアメリカ南部の歴史を忠実に再現しようという試みのもとで作られたドキュメンタリー映画だったならば、彼らの批判も妥当なのかもしれません。しかし、これまで解説してきた本作の制作背景を見ても分かる通り、本作は決してそのようなドキュメンタリーを意図して作られた作品ではないのです。

 ウォルトは究極の楽観主義者です。彼はイマジネーションの力を用いて、楽観的な希望にあふれた理想の世界を出現させることに長けています。そんなウォルトの姿勢を反映し、その理想的な人種の関係を描いた作品こそが『南部の唄』だと考えたら、本作は人種差別的な作品どころかむしろその真逆とも言える素晴らしい作品に見えるはずです。キング牧師は有名な演説で「私には、いつか(南部でも)黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢がある」という発言をしていましたが、この『南部の唄』ではまさにそんなキング牧師の理想がまさに視覚的に表現されています。

 キング牧師のこの演説よりも15年以上も昔に、ディズニーはイマジネーションの世界においてキング牧師の理想とする世界を描写したわけです。それは確かに「美化」とも捉えられるかもしれませんが、そう捉えるよりもむしろ、非現実だけど理想的な「夢」を見せてくれたディズニーの「偉業」として捉えるべきでしょう。


批判の妥当性に対する個人的見解

 そもそも「人種差別」なんて程度の差こそあれ現在だって残っています。もし、「再建」期の南部を舞台にして黒人と白人が仲良く暮らすシーンを描くのが問題ならば、現代を舞台にした作品でも同様の描写は認められないという話になりかねません。現在にも残っているはずの人種差別問題を無視して黒人と白人が仲良くしているなんてあり得ないとも言えるわけですからね。その理屈がいかにナンセンスなのかを考えれば*27、『南部の唄』への批判も同様だと気付けるでしょう。

 さらに言えば、『南部の唄』も完全に史実からかけ離れているとまでは言い切れない部分があります。再建期のいつ頃を設定しているか次第なのですが、上述の通り再建期でも共和党急進派が主導権を握っていた時期がありますからね。すなわち、"Black Codes"によるアンテベラム期への揺り戻しが食い止められ、合衆国憲法修正第14条などが制定され黒人の公民権が保障されていた時代です。そして、人種差別的なジム・クロウ法体制の整備もまだ完全には始まっていない頃の時代です。仮に本作がその時代の南部を舞台にしていると考えれば、"Black Codes"やアンテベラム期の奴隷制や再建後のジム・クロウ法体制の時代を描いているわけではないので、これらの人種差別的制度を美化している作品だとは言えなくなります。

 もちろん、そこまで正確な時代設定は作品内で明かされていないので*28確かなことは分からないのですが、逆に言えば確かなことが分からないからこそ本作への批判も妥当性に欠けると言えるでしょう。少なくとも、本作が奴隷制やジム・クロウ法体制を擁護しているとはっきりと解釈できるような描写も一切ないわけですからね。確証もなしに作品の意図を邪推して批判するのは妥当性に欠ける批判でしょう。


マジカル・ニグロというイチャモン

 別の観点だと、本作をマジカル・ニグロだと批判する人もたまに見受けられます。アメリカの映画などにおいてしばしば黒人キャラが魔法的な力で白人キャラに救いをもたらす展開があり、そのような役割を担う黒人キャラクターはマジカル・ニグロと一般に呼ばれています。そして、これを黒人に対する侮蔑的なステレオタイプだと批判する声が一部に存在するわけです。

 しかし、マジカル・ニグロは確かにお決まりのテンプレ展開であり、それゆえに作品として陳腐な展開になりがちとの批判までは言えるでしょうが、そこから人種差別的な悪だとまで言うのは論理が飛躍しすぎでしょう。その証拠に、マジカル・ニグロはアメリカにおいてですら、ごく一部の過激なポリコレかぶれしか批判していないです*29

 そもそも、公民権運動の成功から何十年も経ちポリティカル・コレクトネスという言葉が一般的になった1990年代や2000年代においてすら、モーガン・フリーマンウーピー・ゴールドバーグなどの有名な黒人俳優がマジカル・ニグロ的な役を頻繁に演じており、それを普通に何の問題もなく楽しめているアメリカ人(黒人含む)が多くいたわけですからね。マジカル・ニグロの典型とされる『グリーンマイル』の公開って1999年ですからね。そんなに大昔のことじゃありません。一周回って逆差別の問題まで起こるぐらいには黒人の文化的地位が上がり、ポリコレ規範がそれなりに強く浸透した結果、映画における露骨な人種差別表現がもはや難しくなった時代でも*30、普通に大手の映画会社がマジカル・ニグロを映し出せていたわけです。そんな時代においても、大して問題視するほどのことではないと判断されてきてるんですよね。

 つまり、マジカル・ニグロ描写というのはその程度のことに過ぎないと思われてきたわけです。実際、僕自身もその風潮に大いに同意します。マジカル・ニグロが人種差別的表現に当たるとは全く思えません。マジカル・ニグロって基本的には黒人を善玉キャラとして描いているわけで、彼らを侮蔑的に描いているわけでは全くないですからね。何も問題ではないでしょう。

 確かに、テンプレ的という点はありますが、それは例えばアジア人キャラをとりあえず数学得意に設定したりするのと同じことでしょう。アジア人のテンプレ表現のキャラを見たところで、それがアジア人への侮蔑的意味を込めていないならば目くじら立てることはないでしょう。僕はアメリカの映画で数学に強いなどのテンプレ表現で描かれるアジア人描写があっても全く気にしません*31。もちろん、現実のアジア系には理数系に強くない人もたくさんいるでしょうが、何も一つの作品内で現実の全てのアジア人のパターンを網羅する必要は一ミリもないわけですからね。

 仮にテンプレ表現ばかり世の中に溢れた影響で社会的にそういうステレオタイプが形成されることそれ自体が問題だというのならば、テンプレから外れた表現を新しい創作物で出せば良いだけの話で、従来のテンプレ描写が倫理的に悪とまでは言えないでしょう。そもそもマジカル・ニグロに関していえば、その描写が黒人にとって好ましくないステレオタイプ形成に影響するとも思えませんしね。

 そんなわけでマジカル・ニグロの観点から本作を批判する意見にも僕は全く同意できないです。なお、昨今のポリコレはマジカル・ニグロとは逆パターンの「白人の救世主」も問題視していますが、こうやってどんどんと新しい用語を生み出しては使えないタブー表現を増やすのが今のポリコレの問題点なんですよね。最新のポリコレ的言い分によると、黒人が白人を助けるのも白人が黒人を助けるのもどっちも人種差別に当たるからダメなんだそうです。ポリコレ縛りの不自由さと馬鹿馬鹿しさがうかがえますね。


結論

 これまで述べて来たように、『南部の唄』は決して人種差別的な作品ではありません。当時のディズニーは制作過程において人種差別にならないよう彼らなりに模索していましたし、実際作品内においても黒人を侮蔑的に扱うシーンは一切ありません。それどころか、本作で描かれている黒人であるリーマスおじさんは、悩めるジョニーに笑いと教訓をもたらしてくれる素晴らしき人生の教師として描かれています。本作ではそんなジョニーとリーマスの間の人種や立場の差を超えた絆が表現されています。

 ジョニーはリーマスおじさんだけでなく、貧しい白人少女のジニーや黒人少年のトビーとも仲良くしています。彼らの絆には人種や家の裕福さの違いなんて関係ありません。そんな理想的な世界が、すなわちウォルトらしい楽観的な世界が描かれているわけです。それを史実と違うだとかマジカル・ニグロだとかのポリコレ言葉でいくら非難したところで、本作の描く理想的世界が持っているその普遍的な価値や魅力は決して揺らぎません。そんな名作こそがこの『南部の唄』なのです。

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 2021年12月現在、本作はポリコレの圧力に屈したウォルト・ディズニー・カンパニーによってずっと封印され続けています。残念ながら今のウォルト・ディズニー・カンパニーが『南部の唄』を再リリースする可能性は極めて低いでしょう。それどころか、最近のウォルト・ディズニー・カンパニーはスプラッシュ・マウンテン*32までなくそうとしています。実際、アメリカのディズニーパークにあるスプラッシュ・マウンテンは全てなくなり、別のディズニー映画『プリンセスと魔法のキス』をテーマにした新アトラクションへと改変されることがすでに決まっています。

 しかし、そんな絶望的な状況の中でも本作『南部の唄』の復権を望んでいる人はたくさんいます。かくいう僕もその一人です。こういうことを言うと、黒人でもない部外者の立場からそんなことを言うななどという意見も聞こえてきそうですが、そういう批判こそ逆差別的な人種差別に他ならないでしょう。本来、本作の評価に人種は関係なくて良いはずです。

 そもそも黒人の中にも『南部の唄』の再リリースを望む人はいますからね。有名な黒人女優のウーピー・ゴールドバーグ氏は2017年にディズニー・レジェンド*33に選ばれた際、『南部の唄』の再リリースを彼女が望んでいる旨を発表しています。また、生前にウォルトの下で実際に働いていた黒人アニメーターのフロイド・ノーマン氏も同様に『南部の唄』の復権を訴え続けています*34。このように、本国アメリカでも『南部の唄』の封印解除を望む声は決して少なくないです。

 現実問題として、『南部の唄』の完全な復権は当分先のことになりそうですが、いつか本作がちゃんと再リリースされる日が来ることを僕は夢みたいと思います。尊敬するウォルトのように、いつかの未来に向けてそんな希望を込めて、この記事を終えたいと思います。それではまた。




参考文献

 本作の記事を書くにあたって、特に大きく参考にした資料を以下に挙げます。

  • Who's Afraid of the Song of the South? And Other Forbidden Disney Stories, Jim Korkis (著)

『南部の唄』について詳細なその背景について調べてくれた素晴らしい資料です。また、『南部の唄』だけでなくディズニーの歴史全般を知る上でも非常に有用な資料となっています。
https://www.amazon.co.jp/Afraid-Forbidden-Disney-Stories-English-ebook/dp/B00AG6G250www.amazon.co.jp

  • Walt Disney, Neal Gabler(著)

 ウォルト・ディズニーについての伝記の中でも決定版と言える資料です。ウォルト・ディズニーの生涯について知る上で一度は必ず読んでおくべき本でしょう。日本語訳も出ていますが結構省略が多いので、抜けなく読みたいのならば英語版がオススメです。
www.amazon.co.jp

*1:時代設定については後で詳述しますが、おおよそ1870年代だと思われます。

*2:南北戦争前の時代を指す歴史用語です。

*3:細かいことを言うと、他にも1866年公民権法の制定などもありました。

*4:憲法修正第15条によって、法律で明示的に黒人から投票権を奪うことは禁じられていたので、代わりに試験や投票税という制度を導入したわけです。試験に合格したり、一定の税を収めたりしないと投票権を得られなくしたんですね。これによって多くの黒人の投票権が奪われました。

*5:ルイジアナ州の車両が黒人用と白人用とに分離されていることが、先述の憲法修正第14条に違反するのではないかとして争われた裁判です。

*6:ジム・クロウ体制下の南部では黒人と白人の結婚が州法で禁止されていました。

*7:アメリカ南部の中でも特に典型的な南部らしい地域をそう呼びます。ジョージア州の他には、アラバマ州ミシシッピ州ルイジアナ州サウスカロライナ州などを含みます。

*8:2021年12月現在でもコカ・コーラやCNNやデルタ航空の本社が位置していたり、1996年には夏季オリンピックの開催地になったりと、アメリカ全土でも有数のかなり大きな都市です。

*9:日本だと「うさぎどん」や「きつねどん」と呼ばれることもありますね。ちなみに、ブレア"Br'er"とは英語"Brother"の南部訛りだそうです。

*10:そして、本作『南部の唄』を最後に映画の脚本はその後も二度と書いていません。

*11:後に述べますが、レイモンドによる草案はラプフなどの影響もあってその後色々と修正されています。

*12:卑屈で白人に従順な黒人のことを「アンクル・トム」という蔑称で呼ぶことがあります。黒人をそのような人物として描写することは黒人への侮辱に当たるとしばしば非難されることがあります。ちなみに、この蔑称は奴隷制廃止を訴えた有名な小説『アンクル・トムの小屋』に由来します。

*13:ただし、ラプフは『南部の唄』制作からは離れましたがディズニーから離れたわけではなく、その後も『シンデレラ』の制作などに携わりウォルトの下で働いています。

*14:当時のハリウッド映画における倫理規定を取り扱っていた事務所です。ヘイズ・コードという当時の映画製作における自主規制用コードを定めていました。

*15:例えば、黒人を指して"darkie"と呼ぶ表現を削除しました。この表現は19世紀の南部では黒人を指す表現として使われており、黒人への侮蔑的な表現だと考えられていました。

*16:NAACPとは、全米黒人地位向上協会(National Association for the Advancement of Colored People)の略で、その名の通り有色人種の地位向上を目指して人種差別への反対運動などを行う民間の政治組織です。1909年に設立され、現在でもアメリカの黒人問題に関して大きな政治的影響力を持っている黒人ロビー団体の古株です。

*17:アメリカの上院議員ジョセフ・マッカーシーによる扇動のもとで巻き起こった有名な反共運動です。共産党の関係者だと思われる人を片っ端からあぶり出し社会的に追放しようという運動が当時巻き起こりました。

*18:僕自身は、自分もウォルト同様に共産主義を嫌う右翼なので、彼のこの点を欠点だとはあんまり思っていません。一方で、リベラル寄りの人からするとこの点はウォルトの汚点に見えるのかもしれません。

*19:実際、後年ウォルトは別作品に対してFBIから同様の要求を受けましたがその要求も断っています。

*20:余談ですが、彼女は本作の少し前に公開された『風と共に去りぬ』にも出演していて、そこで黒人初のアカデミー助演女優賞を受賞しています。当時の時の人だったんですね。

*21:男優ではなく女優ならば、これ以前にハティ・マクダニエル氏が『風と共に去りぬ』で黒人初のアカデミー助演女優賞を獲得しています。

*22:参加できなかった黒人俳優の中には先述のハティ・マクダニエル氏も含まれます。

*23:正確に言うと、『風と共に去りぬ』の黒人奴隷たちも劇中後半では南北戦争終了に伴い奴隷身分から解放されていますけどね。

*24:なお、日本語吹き替えだと黒人キャラが白人キャラを「様付け」で呼んでおり、依然として主従関係が両者にあるようなセリフになっていますが、これは日本語吹き替えサイドの問題でしょう。本国のディズニーは主従関係を示す"massa"という呼び方をむしろなくしているわけですからね。

*25:ちなみに、アンテベラム期の南部でも少数派とは言え自由黒人の存在は確認されているため、リーマスおじさんたちが生まれた時から自由身分だったとしても、完全に史実に反しているとまでは言えません。南北戦争前でも南部にいる黒人全員が必ずしも奴隷だったわけではないんですよね。

*26:ディズニー史研究家のジム・コルキス氏や元ディズニーアニメーターのフロイド・ノーマン氏も同様の指摘を行っています。

*27:当たり前ですがフィクションの世界は現実としばしば異なる世界を描くものですし、そもそも現在アメリカで黒人と白人が仲良くすることが100%絶対にあり得ないとは言えません。普通に、仲の良い黒人と白人もいるでしょう。同じことは再建時代の南部にも言えます。

*28:というか、恐らく制作サイドもあまり厳密な時代設定は決めていないような気がします。

*29:そもそもマジカル・ニグロという言葉自体が、そんな過激なポリコレ批判ばかりしているスパイク・リーという映画監督によって生み出されたものです。彼は黒人が出てくるあらゆる映画に対して何かしらポリコレ的批判を加えてはそれらの映画製作者と揉めているような人です。そういうトラブルメーカー的な人が言い出した言葉にすぎず、学術的バックボーンがそこまでしっかりしているような言葉でもありません。

*30:この時代にはすでに『南部の唄』はそのあまりにも強くなったポリコレ圧力のせいで封印されるようになっていましたからね。そんな時代です。

*31:そういう日本人は僕以外にも恐らく多いと思います。

*32:東京ディズニーランドにもあるこのアトラクションは『南部の唄』をテーマとしています。

*33:ディズニー・レジェンドとはウォルト・ディズニー・カンパニーがディズニーに貢献した偉大な人に対して贈る賞です。ナイン・オールドメンや高橋政知やメアリー・ブレアなど、文字通りレジェンドと言うべき人たちがこれまで受賞しています。

*34:彼はこの記事の参考文献として活用した"Who's Afraid of the Song of the South"にて前書きを書いています。それぐらい『南部の唄』を愛しているんですよね。