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てねーるのブログ記事です

【ディズニー映画感想企画第55弾】『ズートピア』感想~第三期黄金期のもう一つの頂点~

 はい、めちゃくちゃ長らくお待たせしました。約1年ぶりの更新になってしまい大変申し訳ありません。ディズニー映画感想企画第55弾です。今回は『ズートピア』の感想記事を書きたいと思います。この作品もかなり大ヒットした超有名作品でしょう。日本でもかなりヒットしましたが、特に本国アメリカでのヒットが凄まじかった作品でもありますね。そんな『ズートピア』について語っていきたいと思います。

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【基本情報】

動物ものへの伝統回帰

 『ズートピア』は2016年に公開された55作目のディズニー長編アニメーション映画です。原作は存在せず、ディズニーの完全オリジナルストーリーです。ディズニーに所属するアニメーターのバイロン・ハワード氏が本作の原案を考えました。バイロン・ハワード氏は以前『塔の上のラプンツェル』の監督を務めた経歴があり、本作『ズートピア』でも監督を務めることになった人です。本作の制作はこのバイロン・ハワード氏の発案から始まっています。

 これまでの記事で見てきた通り、第三期黄金期のディズニーは「伝統回帰路線」が一つの特徴として挙げられます。『プリンセスと魔法のキス』『塔の上のラプンツェル』『アナと雪の女王』などのような「ヨーロッパの童話を原作とするプリンセスもの」の作品を作り続けてきたのはまさにそのような伝統回帰路線の一環でしょう。

 しかし、ディズニーの伝統は「ヨーロッパの童話を原作とするプリンセスもの」だけではありません。「動物もの」もディズニーの伝統的なジャンルの一つでしょう。むしろ、ウォルト存命期から1980年代ぐらいまでのディズニー映画に限って言えばプリンセスものより動物もののディズニー映画のほうが圧倒的に多いです。つまり、「昔のディズニー」における伝統要素としてより強いのは動物もののほうだと言えます。そんなディズニー伝統の動物ものの作品を改めて作りたいという「伝統回帰」の試みのもとで本作『ズートピア』の企画は始まったのでした。

 特に、本作の監督を務めたバイロン・ハワード氏は『ロビン・フッド』のような映画を作りたいと考えて本作『ズートピア』の企画を持ち込んだそうです。この『ロビン・フッド』は1973年に公開された21作目のディズニー長編アニメーション映画で*1、動物もののディズニー映画の一つです。ディズニー作品の動物ものには『バンビ』や『ライオン・キング』や『わんわん物語』のように実際の動物たちの動きをそのままアニメーション化したものもありますが、『ロビン・フッド』は動物を擬人化してアニメーション化したタイプの‟動物もの”作品です。そもそもディズニーは『ミッキーマウス』シリーズ*2の頃から、そのような「動物を擬人化したアニメーション作品」を作ってきました。『ロビン・フッド』もそういうタイプのディズニー作品の一つだったんですねえ。

 そんな『ロビン・フッド』にインスパイアを受けて作られた本作『ズートピア』でも、同様に動物が擬人化され人間のような文明社会を営む世界が描かれています。そんなわけで本作『ズートピア』はまさに『ミッキーマウス』シリーズや『ロビン・フッド』のような「動物擬人化もの」という伝統要素に回帰した作品と言えるんですよね。これもまた第三期黄金期ディズニーの伝統回帰路線の一つでしょう。


製作段階での作風変更

 上述の通り、本作『ズートピア』は1973年公開のディズニー映画『ロビン・フッド』のような作品として企画されました。監督には先述の原案者バイロン・ハワード氏が選ばれました。彼は『ロビン・フッド』同様にキツネを主人公としたストーリーを当初考えていたそうです。つまり、ウサギのジュディではなくキツネのニックのほうが主人公でありジュディは脇役という設定でした。

 しかもその当初の構想では、ニックたち肉食動物は都市ズートピアでは首輪の着用が義務付けられており、一定以上の興奮を感知するとその首輪から電流が流れるという舞台設定が用意されていました。肉食動物の脅威から草食動物を守るためという名目のもとで、肉食動物に対してそんな抑圧的な政策が実行されているディストピア的な都市として当初のズートピアは設定されていたわけです。

 しかしその設定があまりにも暗すぎたため内部でも多くの反対意見が出て、制作陣は路線を大きく変更せざるを得なくなりました。その結果、残酷な首輪の設定はなくなり、主人公もキツネのニックではなくウサギのジュディに変更されました。こうして、もう少し明るい作風へと『ズートピア』のストーリーは変えられたのでした。また、2015年からはバイロン・ハワード氏と一緒に共同監督を務める人としてリッチ・ムーア氏*3も新たに加わることになりました。これ以降はバイロン・ハワード&リッチ・ムーアのコンビで本作の監督を務めることになったのです。


第三期黄金期の絶頂再び

 本作『ズートピア』は公開されるや否や異常なほどの大ヒットを記録しました。興行収入は約10億2000万ドルを記録し、歴史的大ヒットとなりました。ディズニー映画(ピクサー含む)で10億ドルを超える興行収入を記録した作品は『トイ・ストーリー3』『アナと雪の女王』に続き本作で3作目です。ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ*4の歴代公開作品の中では当時『アナと雪の女王』に次ぐ歴代2位の興行収入を記録しています*5。ディズニー第三期黄金期は『アナと雪の女王』以来の繁栄の絶頂を再び経験したわけです。

 特に、本国アメリカでのヒットは凄まじくて、アメリカでの初週末興行収入は『アナと雪の女王』のそれを抜き、当時の歴代ディズニー映画1位を記録したほどです。批評的にもかなり大好評を記録し、Rotten Tomtoesでは評論家コメントのうち98%が肯定的評価を挙げたほどです*6。もちろん、本作もアカデミー賞長編アニメ映画賞を受賞しています。WDAS作品の受賞は『アナと雪の女王』『ベイマックス』に引き続き本作で3作目ですね。本作はその他にもゴールデングローブ賞の長編アニメ映画賞やアニー賞の長編アニメ作品賞など、数々の栄誉ある賞を受賞しています。まさに『アナと雪の女王』と並んで第三期黄金期の頂点の1つであると言うべき作品なんですよね、この『ズートピア』という作品は。



【個人的感想】

総論

 はい、ということでこの『ズートピア』の感想ですが、はっきり言って僕は本作を歴代ディズニー映画の中でもストーリーのクオリティが最も高い作品だと思いますね。純粋な個人的好き度ランキングだと思い出補正や音楽の好みなどもあって『アラジン』が1位になるのですが、ストーリーや演出などの総合的なクオリティにおいてははっきり言って『ズートピア』が断トツで1位だと思います。これを超える高クオリティでwell-madeなディズニー作品に僕はまだ出会ったことがないです。

 ストーリー、世界観、映像、キャラクター……の全てにおいて高得点をとっている作品なんですよねえ。まさに「完璧」としか言いようのない、名作の中の名作です。特にストーリーと世界観設定が素晴らしいです。ディズニー映画どころかこの世の全ての映画の中でもトップレベルのクオリティであることは間違いないでしょう。僕は公開当時リアルタイムでこの映画を見て、そのあまりのクオリティの高さに「これが歴史に残る名作ってやつなのか」と心底感動した覚えがあります。それぐらい素晴らしい作品だったんですよね。

 以下、詳細な感想を述べていきます。


Well-madeなストーリー作り

 ラセター体制に入ってからのディズニー作品の特長として、伏線の張り方などが非常に秀逸でいわゆるwell-madeなストーリー作りが出来ている点が挙げられることはこれまでの記事でも述べてきました*7。本作『ズートピア』はそのようなwell-madeさが特に際立った作品と言えるでしょう。『ルイスと未来泥棒』『シュガー・ラッシュ』『ベイマックス』を通してディズニーが実現してきた「巧みなミステリー的なストーリー作り」はこの『ズートピア』において一つの頂点に達したのです。

 そもそも本作はクライム・サスペンス系の作品ですからね。ジャンル自体がミステリー小説に近いと言えます。そのため、ラセター体制の特徴であるその「伏線を張り巡らした巧みストーリー作り」が大いに生きていると言えるでしょう。その具体的な例を挙げていけばキリがありません。

 特に秀逸なのはやはりメインの謎解き部分に関わる「夜の遠吠え」を巡る伏線でしょう。前半に繰り広げられたジュディとデューク・ウィーゼルトンとの追いかけっこアクションのシーンが、終盤の謎解きパートの伏線になってるんですよね。単なる前半部の盛り上がり用のアクションシーンかと思われたこのシーンが実はしっかりと終盤で生かされていたこのストーリー展開には、僕も本作初見時に大いに感心しました。

 本作はWDAS作品の中ではわりと上映時間が長いほうなんですが、それにもかかわらず展開上「無駄」と言えるようなシーンがほとんどないんですよね。先述の追いかけっこシーンにしても、それが終盤にて「夜の遠吠え」の真相を解き明かす伏線として機能しているわけで、そういうふうにあらゆる展開がのちの展開への伏線として必要不可欠なものになっています。この序盤のアクションシーンは他にもジュディがネズミのマフィアと関係性を築くうえでの伏線としても機能しています。このように、1つ1つの展開がちゃんと後半の展開に繋がるよう計算されてストーリーが作られているんですよねえ。これは本当に上手いと思います。

 上記の例以外にも本作には上手な伏線回収がたくさんありました。例えばブルーベリーもその一例でしょう。ジュディの農家で育てていたブルーベリーが、終盤のシーンにてベルウェザーを嵌めるためのキーアイテムとして活躍しますからねえ。こういうふうに、途中で出て来たアイテムが終盤のシーンで再登場し重要な活躍を担うという伏線の張り方は、後述するニンジン型ペンにも当てはまります。本作における伏線の上手さを実感できて感激しますねえ。


数々の‟繰り返し”の技法と伏線

 上述の通り『ズートピア』では前半のあらゆる展開が後半のシーンへとつながる伏線として機能しています。特に、前半で見せた動きを後半でももう一度見せるという「繰り返しの技法」が本作ではかなり多用されているんですよね*8。これまでのラセター体制下の作品でもこの技法を用いたストーリー展開はいくつか見られましたが、この『ズートピア』はその技法を最も大量かつ効果的に使いまくっている作品と言えるでしょう。

 その最も顕著な例として、録音機能付きのニンジン型ペンをキーアイテムとして何度も使ったことが挙げられます。本作品ではこのペンの録音機能が何度も繰り返し登場し、本作の重要なシーンにおけるキーアイテムとして使われています。最初の登場シーンでは、ジュディがニックを脱税の罪で脅迫して捜査協力させるための道具として使っています。このペンはその後も捜査の過程で何度もニックが返却を要求し、ジュディがそれを上手くあしらうという形で登場します。そして捜査を通じてジュディとニックの絆が次第に深まっていき、最終的にライオンハート市長を捕まえたジュディは記者会見直前のシーンで、ニックが警察になるための申請用紙とともに録音ペンをニックに渡します。このように、ペンがジュディとニックの関係性を象徴するアイテムとして描かれているんですよねえ。

 そして、ジュディが自身の軽率な差別的発言をニックに謝罪する後半のシーンでは、今度は逆にニックがペンの録音機能でジュディの謝罪を録音しています。最初にこのペンが登場したシーンとは2人の立場を入れ替えるという粋な演出により、2人の和解シーンを印象的なものにしてくれてますね。さらに、終盤では今度はベルウェザーを嵌めるためのキーアイテムとしてこのペンが活躍してるんですよね。序盤でジュディがニックを嵌めたのと全く同じ方法で今度はベルウェザーを嵌めるこのストーリー展開は、まさに同じ方法を繰り返すことによる伏線回収の気持ち良さが全面に表れていると言えます。本当に上手い作劇方法ですねえ。

 このニンジン型ペンの他にも本作には上手い「繰り返しの手法」が多々溢れています。例えば、中盤の記者会見直前でニックがジュディにした受け答え方法についてのアドバイスが、エンディングでのジュディとニックの会話のやり取りで活用されているのもその一例でしょう。「俺のことが好きなんだろ?」と揶揄い気味に尋ねるニックに対して、上手くはぐらかした回答するジュディのやり口は、まさに中盤でのニックのそのアドバイス通りの手法なんですよねえ。

 また、しばしば本作で繰り返し"Biology"というキーワードが発言されているのも*9、後述する本作のテーマとも関連した上手い「繰り返しの技法」の一例です。最初のシーンで子供時代のジュディがこの言葉を使って肉食動物の本能を説明していましたが、それと同じ言葉を中盤での記者会見でジュディに再び口に出させることで、上手い伏線回収になっているんですよね。"Biology"という言葉を再び使わせることで、ジュディが子供時代から肉食動物への偏見を潜在的に抱き続けていたことが印象的に描写されているわけです。このキーワードはジュディのみならず他のキャラクターもしばしば使用しており*10、「誰もが何かしら差別意識を抱えている」という本作のテーマを分かりやすく表していますね。終盤のシーンでベルウェザーが記者会見時のジュディの失言を敢えて引用するような形で"biologically"という言葉を使ったのも、そうした演出の一環として上手く機能しています。

 ジュディの隠れた差別意識の伏線としては他にもキツネ撃退用のスプレーが挙げられます。上京する時に両親から貰ったそのスプレーをジュディが実際に使うことはなかったのですが、その一方でジュディが初めてニックを見かけた際にそのスプレーを構えてるシーンが映し出されており、スプレーの存在を通してジュディの潜在的差別意識が伏線として描写されているわけです。だからこそ、記者会見直後のシーンにて、ジュディへのニックの不信感の一因としてそのスプレーの存在がニックの口からはっきりと指摘されているんですよね。このスプレーや先述のニンジン型ペンなど、ストーリー展開上における一つ一つの小道具の使い方が本作はめちゃくちゃ上手いと感じます。

 本作のテーマに関わる上手な「繰り返しの技法」としては「ずるいキツネ(Sly fox)」と「間抜けなウサギ(Dumb bunny)」というキーワードの繰り返しも挙げられますね。これはウサギとキツネに対するステレオタイプの例として序盤のシーンでニックが皮肉を込めてジュディに言っていたセリフですが、この言い回しがエンディングのシーンにて今度は「間抜けなキツネ(Dumb fox)」と「ずるいウサギ(Sly bunny)」というふうにアレンジされて再登場するんですよね。キツネとウサギに対する形容詞を引っ繰り返してもう一度使うことで、ステレオタイプに基づく偏見の否定を上手く表現した演出になっています。

 その他、ジュディの初勤務時のボゴ署長のセリフがエンディングでニックに対して(今度は冗談として)繰り返されたり、大型動物用の大きなトイレの中にジュディが入るシーンが警察学校時代とライオンハートのアジトとで二度繰り返されたり*11、肉食動物に噛まれたふりをするときのジュディのオーバーすぎる演技がオープニングと終盤で繰り返されたりと、本作では繰り返しの技法を巧みに利用した伏線がたくさん見られるんですよね。まさにwell-madeなストーリー作りと言えるでしょう。


テーマ選択の絶妙なバランス

 本作は歴代のディズニー長編アニメーション作品の中でも一二を争うレベルで、かなり‟社会派”色の強い作品と言えるでしょう。「人種差別」というなかなかに重くて物議を醸しがちなテーマをはっきりと真正面から取り上げています。ここまで社会派色の強い作品は『ポカホンタス』以来でしょう。昨今のディズニー映画はポリコレ色が強くなったと良くも悪くも言われがちですが、本作はその最も典型的な例とも言えます。

 しかし、本作は単に「ポリコレ的なメッセージ性の強い作品」に留まらず、「エンターテインメントとしても面白い作品」に仕上げているんですよね。ちゃんとメッセージ性と娯楽性を両立させているので、単に説教臭いだけの作品にはならずに済んでいます。実際、先述の通り本作はかなり綿密に伏線を張り巡らせたwell-madeなサスペンス劇としての面白さをしっかり担保しています。

 それだけでなく、そのエンタメ性に沿って描く本作のメッセージの伝え方も非常に上手いです。僕は思想的にわりと右寄りで、現在の過激なリベラルのポリコレ思想には基本的に全く賛同していないのですが、そんな僕でも、いやむしろそんな僕だからこそ本作の描くメッセージには強く共感し賛同できるんですよね。というのも、本作は人種差別という重いテーマを扱ううえで明らかに「誰もが差別の加害者にも被害者にもなり得る」というメッセージを込めているからなんです。

 ある差別の被害者が別の場面では今度は差別の加害者になるということは現実の世界でも起こり得ますが、この『ズートピア』は明らかにそれを分かりやすくはっきりと描いています。実際、「ウサギなんかに警察の仕事が務まるわけない」という人種差別の被害を常に受け続けていたジュディが、一方では肉食動物への差別を扇動した加害者となったわけですからね。現在でも、ポリコレ好きなリベラルの一部はしばしば差別の加害者と被害者をそれぞれ特定の集団に固定してしまい*12、そのせいで逆差別などに陥ってしまっている例をしばしば見受けます。本作では差別の加害者と被害者を特定の種類の動物に固定化せず流動的に描くことによって、こうした現実のリベラルの風潮に対する批判としても解釈できるような作劇になっています。

 その一方で、人種差別への反対もしっかりと中心的なテーマに置いているわけなので、リベラル受けも良い作品にも仕上がっています。ジュディの過ちを通して一部のリベラルの問題点を戒めることで保守受けの良さも担保しつつ、リベラル寄りのテーマもあくまでも維持した非常にバランス感覚の上手い作品と言えると思います。保守とリベラルの間の分断が騒がれて久しいアメリカにおいて、これほどまでに両陣営どちらからも受けの良い作品を作れたのはさすがと言う他ありません。


社会派テーマの上手な表現方法

 しかも、本作はそんな重いテーマの描き方がとても上手いんですよね。まず基本設定が上手です。本作は明らかに現実のアメリカの多人種社会に対する風刺として作られていますが、現実のアメリカ社会をそのまま舞台にするのではなく敢えて架空の動物たちの世界を舞台とすることで、面倒な問題を上手く回避して普遍的な物語として描くことに成功しています。

 現実のアメリカに人種に当てはめて本作みたいな物語を描いたら、それこそポリコレ勢からどんな批判やイチャモンが付くものか分からないですからね。作中の登場キャラクターそれぞれに現実のアメリカの人種を当てはめたら、それが特定人種への偏見を助長すると言われて逆に叩かれる可能性もありますからね。そういう点で、架空の世界を舞台にしたのは上手いやり方だと感じます。

 ファンタジーな獣人の世界を現実世界の人種差別のメタファーとして描写する手法自体は、ディズニーに限らなければ本作以前にもいくつか例はあるため*13、この『ズートピア』がそこまで画期的な試みというわけではないのですが、それでも本作レベルで徹底的にそれをやった作品はかなり珍しいほうだと思います。というのも、本作は現実のアメリカにおける多人種社会を、同じく現実の自然界における種の多様性に上手く置き換えて描いているという点でかなり徹底しているんですよね。

 『キャッツ・ドント・ダンス』などに代表される他の作品はあくまでも人間と獣人という2つの大きな集団を主軸にして、その二項対立のみで差別問題を描いている例が多いように見受けられます。しかし、『ズートピア』の世界では敢えて人間を世界観から完全に消し、野生動物の多様な種だけを世界設定に利用することで、単なる二項対立に留まらない複雑で多層的な現実の多人種社会を描くことに成功しています。現実のアメリカ社会だって決して「白人」と「黒人」だけの単純な二層構造にはなっていませんからね。より複雑で多種多様な人種集団で構成されているのが現実のアメリカ社会です。そして、だからこそ先述した通り差別の加害者と被害者という枠組みは決して固定的なものではないわけです。ある場面では差別の被害者となっている集団に属していた者が、別の場面では差別の加害者になる例が現実のアメリカ社会でもしばしば起こるのは、それだけアメリカ社会が複雑で多様な集団から成っている証でもあります。

 『ズートピア』はそんなアメリカ社会の人種の多様性と複雑さを上手く描写できている作品と言えるでしょう。「草食動物」と「肉食動物」だけの単純な二層構造だけで描くことはせず、より多様な種を描くことでその複雑さを上手く表現できています。草食動物同士でも、大きくて力の強い種であるボゴ署長は身体の小さい種であるジュディに対して差別的な態度をとりますし、そんな差別の被害者だったジュディも後半では肉食動物への差別を行ってしまいます。このように、複雑な多人種社会における多層的かつ流動的な差別の存在を本作はこの独特な世界観設定の下でかなり説得力をもって描くことに成功していると言えるでしょう。


誰もが加害者にも被害者にもなり得る

 上述した差別の多層的な構造、すなわち「誰もが差別の加害者にも被害者にもなり得る」ということを示す描写が本作では至る所に散りばめられています。主人公ジュディの描かれ方だけを見てもそれは明らかです。ウサギなんかに警察が務まるわけがないという偏見による差別にジュディが晒され続けるシーンが前半部で大いに描写されています。子供時代に実の両親からもそう言われ、ようやく夢が叶ったあともニックの嫌味やボゴ署長からの冷遇に苦しんでいます。

 一見すると、こんなふうにジュディはあくまでも「差別の被害者」としてのみ前半部では描かれているように見えますが、良く良く見てみると実は前半部からすでに彼女の「差別の加害者」としての側面も描かれています。先述したキツネ撃退用のスプレーの件もそうですし、オープニングでジュディが披露した劇にて肉食動物に"biological"な本能があるという描写をジュディがした点もその一例でしょう。このbiologyという概念は現実の歴史においても人種差別正当化のためにしばしば用いられて来た理屈であり、それゆえに本作でこの表現を使って彼女の内なる差別意識を描写したのは非常に上手いやり方だと感じます。問題となる記者会見のシーンでも、ジュディは再びbiologyやDNAを強調した差別的な発言をしてますしね。

 もちろん差別的な偏見を抱えているのはジュディだけではありません。ジュディの両親もジュディを送るシーンでさり気なくキツネへの偏見を見せていましたし、意外なところではヤックスもそうでしたね。ヤックスが「ゾウは記憶力が良い」という偏見をもとにナンギに色々訊いていますが、実は自分のほうが詳細を記憶しているという描写がありました。これは単なるギャグシーンになっているだけでなくヤックスもまた「ゾウは記憶力が良い」という種へのステレオタイプに囚われているという現実を表した描写でもあります。

 このようにギャグシーンに絡めて人々の持つ潜在的な偏見を上手く描写しているシーンは他にもあります。フラッシュの描写がその良い例でしょう。職員がナマケモノばかりで仕事が極めて遅い陸運局を前半で見せることで、観客はジュディ同様に「ナマケモノはやっぱり現実同様に極めて動きがのろい」という偏見を自然と強めます*14。だからこそ、エンディングでフラッシュが車のスピード違反で捕まったシーンでは観客の多くがその意外性に驚き笑うわけです。そして、このシーンでフラッシュの登場に驚いたということで、実は観客もナマケモノは遅いものだという固定観念に縛られていたことを自覚するわけです。劇中の登場キャラクターだけでなく観客もまた偏見を抱えてしまうということを巧みに伝える展開であり、とても上手い作劇だなあと感心させられます。

 私たち観客を含め全ての人が、たとえ一見善良そうな人格の人でも何かしら差別的な偏見を抱えているという描写がとてもリアルで、良い感じに現実への皮肉になっているんですよね。そして、その最たる例として描かれているのが本作の黒幕ヴィランであるベルウェザーでしょう。ベルウェザーは前半までのストーリーでは、警察内の差別に苦しむジュディを応援する味方として描かれています。また、ベルウェザー自身がライオンハート市長から冷遇されている差別の被害者となっている描写もありました。

 しかし、差別される小動物への味方であり自身も小動物差別の被害者であったベルウェザー自身が、実はそれゆえに肉食動物への恐怖を扇動しようという特大の差別の加害者であったことが終盤で明らかになりました。自分たち草食動物は常に大型の肉食動物に過小評価され見下されてきたから数の力で彼らに対抗するのだというベルウェザーの言い分は、一見すると、強者からの差別に対して弱者が団結して立ち向かうという「革命」のような理屈であり、リベラルからすると耳障りの良いセリフに聞こえるでしょう。

 でもそんなベルウェザーを本作では悪役として描いているのだから、本作は素晴らしいんですよね。ベルウェザーの唱えるようなリベラル的な革命の理屈が、肉食動物への逆差別的なヘイトを扇動する行為の正当化に使われてしまっているという本作の筋書きは、弱者(とされる集団)と強者(とされる集団)との力関係を単に逆転させるだけの逆差別にしばしば陥りがちな一部の過激なリベラルに対する鋭い風刺としても解釈できるわけです。だからこそ、リベラルだけでなく保守派からの受けも良い作品となれているわけですよね。決して片方の側に全面的に偏っているわけではない、むしろリベラルの行き過ぎを牽制するかのような内容を描くこのバランス感覚こそが、本作の極めて優れた点の1つだと僕は感じますね。


決して暗くない描き方

 本作はこういう重くて暗くなりがちなテーマを扱っているにもかかわらず、先述の通り上手くエンタメ性も両立させているので、ちゃんと明るい雰囲気の中で作品を鑑賞することができるんですよね。しかも、現実社会の人種差別を単に批判するだけのネガティブな作品にはせず、非常にディズニーらしい楽観的なメッセージを込めて話を締めくくっているから本作は素晴らしいんですよね。

 本作のラストでジュディは大事なのは"try"し続けることだと述べていますが、まさにこういうふうに未来への希望に溢れたメッセージでしめてくれた点が本作の魅力でもあります。ジュディもラストの演説で言っている通り、現実社会はなかなか理想通りにはいかず、しばしば我々はみな差別の加害者にもなってしまうという間違いを犯します。本作はそういう現実の悪い面をしっかり認めて逃げずに向き合いつつも、それでも諦めずにtryし続ければ世の中は少しづつ良くなっていくはずだという希望も同時に描いているんですよね。こういうふうに、最終的には未来への希望に満ちた救いのある終わり方にしている点こそ、これまでのディズニーの伝統が本作にも根付いている点だと思います。

 非常に楽観的で未来への希望に満ちていたウォルト・ディズニー氏の意向が本作にもしっかり反映されていると言えるのではないでしょうか。ラセター体制下最初のWDAS作品である『ルイスと未来泥棒』ではウォルトの"Keep Moving Forward"という名言を強調していましたが、本作が"try"し続けることを謳っているのもまさにこのウォルトの名言に通じる精神と言えます。常に前を向いて進歩するよう努力し続けること、そうすることによって未来は少しずつ明るく希望に満ちたものに変わっていくという期待、そんなウォルトの考えが込められた非常にディズニーらしいテーマの作品なんですよね、本作は。だからこそ、昔からのディズニーのこうした楽観的な思想が好きな僕みたいな保守的なファンも本作は惹き付けるわけです。


世界観設定の面白さ

 本作は差別というテーマを描くために動物の擬人化を採用したところが上手いと先ほど述べましたが、この動物の擬人化された世界は単に現実のアメリカの多人種社会を上手く風刺しているだけでなく、シンプルに面白くてワクワクするような独特な世界観にもなっており、その発想の面白さも本作の魅力の一端を担っています。ピクサー作品に通じるような、世界観の発想の面白さが本作には見られるんですよね。本作で描かれている"ズートピア"という都市がテーマパークのような魅力を持った世界として描かれています。

 それぞれの動物の生態に合わせて、ツンドラ・タウンやレインフォレスト地区など複数のエリアに分けた都市の設計がまず面白いですからねえ。本当に、ディズニーのテーマパークにおけるウェスタンランドやトゥモローランドのような各エリアを彷彿とさせる分け方になっています。それぞれのエリアに独特の魅力的なデザインが成されており、見ているだけでワクワクするような作りです。

 本作は「動物が人間たち同様の進化を遂げたらどんな文明を築くのか」という仮定のもとで細かなところまで良く考え抜いた世界観設定を施しています。特に、様々な動物のサイズの違いを考慮した都市設計の描き方はかなり秀逸と言えるでしょう。ネズミたち小動物が暮らすエリアであるリトル・ローデンシアの設定もその一例でしょう。また、鉄道一つを例にとっても、動物のサイズごとに合わせた異なるサイズのドアや窓が車両についていたり、駅にはカバが通るための水路やレミングが通るためのパイプが備わっていたり、キリンの長い首に対応した飲み物の受け渡し装置があったりと、各々の動物の特徴に合わせて文明が発展していることがうかがえるような描写になっています。こうした細かな描写のおかげで本作の世界観に説得力が生まれると同時に、こういう細かな小ネタを観客が探して気付ける楽しみも提供してくれてるんですよね。

 また、本作では現実のアメリカ社会の風刺であることが分かるように、動物の種の多様性以外にも現実の都市を彷彿とさせる世界観設定が数多くなされています。手続きに時間のかかる陸運局の描写や裸体を志向するナチュラリストのクラブの存在などが現実のアメリカ社会を彷彿とさせてくれますね。こういう小ネタの描写もまた非常に上手いです。


世界観を生かしたアクション

 これまでの感想記事でも述べて来たようにディズニー映画の魅力の1つには良質なアクションシーンの豊富さも挙げられます。本作もその例に漏れずかなり迫力満点のアクションシーンが多数用意されています。本作のアクションシーンの特長として、上述した世界観の視覚的面白さを利用したアクションが目立つという点が挙げられます。

 その最初の一例は、ジュディが球根泥棒のウィーゼルトンを追いかけるシーンです。ここではリトル・ローデンシアを舞台に視覚的に面白いアクションが堪能できます。ネズミたちの居住区ゆえにジュディやウィーゼルトン視点だとあらゆる建造物やインフラがミニチュアサイズになっているから面白いんですよね。ミニチュアサイズの鉄道の上に乗ってネズミ用のパイプ通路を色々な格好で避けるウィーゼルトンや、傾いたミニチュアサイズの建物を足で元に戻してあげるジュディなど、視覚的に面白いアクションの映像が次々と現れるから面白いんですよねえ。また、このシーンではパイプの通路や運動用の回し車など現実にネズミを飼う際に見かけるアイテムが出てきており、こういう小ネタでも本作の世界観設定の面白さを楽しめますね。

 続いて現れるアクションシーンは、レインフォレスト地区で凶暴化したマンチャスからジュディとニックが逃げるシーンです。ここでもレインフォレスト地区の視覚的特徴を生かしたアクション映像が堪能できます。絶えず降る雨の中で、高低差の大きいこのエリアの地理的特徴を生かした立体的なアクションが目立つんですよね。どことなく『ターザン』のアクションシーンを彷彿とさせる楽しさです*15。実際、ジュディはターザンのように植物の蔓を利用したアクションを披露していますからね。倒木の中に潜ってマンチャスの攻撃を避けるアクションや、雨で濡れて滑りやすい木の板に必死にしがみつくアクションなども、ジャングルをモデルにした街並みらしいアクションと言えるでしょう。視覚的にとてもワクワクしました。

 終盤の地下鉄でのアクションシーンもまた素晴らしかったです。羊たちの追跡を上手くかわしながら、猛スピードで走る列車の迫力は見応え抜群で終始興奮できるアクションに仕上がってました。特に、他の列車とぶつかりそうになるシーンの緊迫感、そこからの急カーブによる大転倒からの大爆発に至るまでのシーンの迫力はなかなかに見応えありました。ダグたち羊がジュディとニックに襲い掛かるシーンの怖さも良い感じに描けています。スリル満点の素晴らしい王道アクションシーンでした。


和解シーンのエモさ

 僕が個人的に気に入っている本作のシーンとして、ジュディとニックの仲直りシーンがあります。このシーンは上述の通り「繰り返しの技法」を使った上手な演出が感動を誘うのですが、それ以外にも個人的に良いなと感じてるポイントがあります。それはジュディがはっきりと謝罪の言葉を述べているという点なんですよね。

 過去の悪事やそれによるわだかまりをなあなあで済ませたまま何となく和解しているみたいな展開って、世の中の創作で結構多いじゃないですか。元悪役が何となく成り行きで味方になる展開とかに良くありがちなやつです。そういう展開も上手く描ければ決して後味悪くない展開ではあるのですが、一方で「なんでこいつの過去の悪行が何の謝罪もないまま成り行きで許されていの?」と疑問に思っちゃうような展開も世の中には多いです。

 しかし、本作のジュディは自身の過ちについてなあなあで済ませることはせず、はっきりとニックに対して謝罪の言葉を口にしているんですよね。これは素晴らしい描き方だと思います。それぐらい、ジュディが犯した過ちは大きかったということの現れなんでしょう。ジュディが記者会見の場でやってしまった失言はそれほどまでに大きな罪であり、ジュディの言う通り実際に多くの肉食動物を傷付けた過ちだったわけです。だからこそ、その過ちをジュディが大いに反省している今、謝罪の言葉は絶対に必要であり、そこを誤魔化したままジュディとニックが和解してしまうような展開は好ましくないですからね。

 しっかりとジュディに謝らせる展開にしたのはそういう点で素晴らしいと思います。過去の重大な人種差別的過ちは、その自らの罪を明確に認めて謝罪し改善に向けた努力をすることでしか償えないということが良く分かる良い展開でしょう。そういう罪をなあなあで誤魔化してしまうようなことは良くないというメッセージも読み取れる点で、個人的に非常に好ましい展開でしたね。

 だからこそ、このジュディとニックのこの和解シーンが心底感動できるものになっているんですよね。ジュディが自身の犯した人種差別的行為の罪を本当に心の底から認めて反省しているということがはっきり分かるような謝罪になっているからこそ、その謝罪をニックが受け入れてニンジン型ペンを取り出すあの「繰り返し」の演出がよりエモい展開になってるんですよねえ。やはり、このシーンは何度見ても感動できる本作屈指の名シーンでしょう。


映像と音楽

 本作はアニメーション映像の面でも、ディズニーのCG技術の進化を感じられる素晴らしい出来になっています。何と言っても、動物の毛並みの再現がかなり素晴らしいです。本作の映像制作においては、動物の毛並みをいかにリアルに表現できるかで特に苦労したことが、制作陣へのインタビューなどで明らかになっています。実際、本作の制作過程において、毛並みのリアルな質感を表現するために、iGroomと呼ばれる新しいCGソフトウェアが開発されたりしました。それぐらい、毛並みの表現は本作にアニメーション映像における重要な課題だったんですねえ。

 そんな制作陣の努力の結果、本作では今までのディズニー作品のCGをはるかに凌駕するレベルで、リアルで細密な獣毛の映像が再現されています。それゆえに本作に出てくるキャラクターたちは本当に「動物がそのまま進化したような獣人」っぽさがあるんですよね。このモフモフ感あふれる毛の質感はいわゆるケモナーの人たちにとっては溜まらないでしょう。僕も少しケモナー気質なのでそういう感想を初鑑賞の時には抱きました。

 一方で音楽についてですが、本作は非ミュージカル作品のため劇中歌は極めて少ないです。というか、"Try Everything"だけです。ガゼル役を演じた歌手シャキーラの歌うこの曲は、非常にポップな今風の曲になっていて、聴いてるだけで楽しくなるような良曲に仕上がっています。先述した通り、本作はラストでのジュディの演説を通して"try"し続けることの重要性を伝えていますが、この"Try Everything"の歌詞はまさにそのテーマに合致した内容になっているんですよねえ。何度も失敗するけどそれでも諦めずに努力し続けることの大切さを歌うこの歌詞は、ジュディの演説同様に未来への希望に溢れた非常にディズニーらしい楽観的な内容になっていると感じます。本当に良い歌ですねえ。

 この"Try Everything"以外の本作のサントラはあのマイケル・ジアッキーノ氏*16が作曲しています。数々の名曲を作り続けた彼が関わっているだけあって、本作のBGMってどれもかなりキャッチーで耳に残るんですよね。本作はミュージカル作品でないにも関わらず、音楽面でも決して満足感を損なわせない作品になっています。素晴らしいですねえ。


完璧すぎる優等生な作品

 これまで見てきたように、本作は第三期黄金期のディズニー長編アニメーションの中でも最も完成度の高い作品でしょう。いや、それどころか全ディズニー映画の中でも断トツと言っても過言ではないです。計算し尽くされた伏線の数々によるwell-madeすぎるストーリー作り、非常にバランス感覚に優れた上手な社会派テーマの描き方、リアルな質感を再現した美しいアニメーション、耳に残る音楽のクオリティの高さ、世界観設定の視覚的面白さとそれを生かした豊富なアクション、作品内の至る所に仕掛けられた小ネタの数々……etcと、どれをとっても完璧としか言いようのない作りになっているんですよね。

 あまりにも欠点がなさすぎて逆に可愛げがないことが本作唯一の欠点だみたいなことを言っていた人がいましたが*17、実際それぐらい完璧すぎる作品だと僕も思います。本当に隙が一切ないんですよね、本作は。非常に‟優等生”的な作品だと言えます。この優等生ぶりは、ラセター体制による入念に準備を重ねて手間暇をかけた制作のおかげなのかもしれません。そういう意味で、本作はラセター体制下のディズニー映画の一つの到達点とも言える気がします。

 僕は本作を初めて映画館で観たとき、そのあまりの完成度の高さに心底驚いて腰を抜かしましたからね。今までもディズニーの映画製作技術の腕には一定の高い信頼を置いていましたが、まさかここまでのレベルの高すぎる作品を作れるほどに進化してるとは……と大いに驚き感激しました。間違いなく第三期黄金期のディズニー映画の中で一番好きな作品になりましたね。極上の王道エンタメとして仕上がっている、非常にバランス感覚の優れた完璧すぎる本作『ズートピア』は、誇張抜きで全ディズニー映画の中でも最高傑作の1つと言えると思います。本当に素晴らしすぎる作品です。





 以上で『ズートピア』の感想記事を終わりにします。前回からの更新が1年近く空いてしまい大変申し訳ございません。次回の更新がいつになるかはまだ分かりませんが(ごめんなさい……)、次回は『モアナと伝説の海』の感想記事を書く予定です。それではまた。

*1:詳細は【ディズニー映画感想企画第21弾】『ロビン・フッド』感想~再利用による節約映画~ - tener’s diaryの記事をご参照ください。

*2:1928年公開の『蒸気船ウィリー』から始まる、ミッキーマウスを主演としたディズニーの短編アニメーションシリーズのことです。言わずと知れたディズニーアニメーション躍進の本格的始まりとも言えるシリーズですね。

*3:以前、『シュガー・ラッシュ』の監督を務めた人でもあります。

*4:以下、WDASと略します。

*5:その後、2019年公開の『アナと雪の女王2』に抜かされたため、2021年12月現在は歴代のWDAS映画の中では第3位の興行収入となっています。

*6:2021年12月現在の話です。一般視聴者からも92%が肯定的評価を残しています。

*7:詳しくは【ディズニー映画感想企画第52弾】『シュガー・ラッシュ』感想~異色のピクサー風作品~ - tener’s diary【ディズニー映画感想企画第47弾】『ルイスと未来泥棒』感想~新たなる体制の始動~ - tener’s diaryの記事を参照してください。

*8:「繰り返しの技法」については以前【ディズニー映画感想企画第48弾】『ボルト』感想~第三期黄金期の復活の兆し~ - tener’s diary)の記事でも触れました。

*9:正確に言えば、その派生語の"Biological"や"Bilogically"などの形でも繰り返し登場しています。

*10:ジュディの両親やマッジ博士など

*11:ジュディの失敗として描かれていた一度目のトイレへの落下が、ライオンハートのアジトからの脱出方法の伏線となっていたわけです。

*12:例えば、白人を常に差別の加害者扱いにしたり、逆に女性を絶対的な差別被害者の扱いに固定したりといった例です。こういう固定化されたアイデンティティ・ポリティクスに過激なリベラルが陥っている例はしばしば見受けられます

*13:有名な例だとワーナー・ブラザーズの『キャッツ・ドント・ダンス』というアニメーション作品も獣人キャラを使って人種差別問題を描いています。

*14:ちなみにこの陸運局の描写は現実のアメリカの陸運局に対する風刺にもなっています。アメリカでは陸運局の仕事がお役所手続きでかなり遅くて、自動車免許関連の手続きに時間がかかるとしばしば言われていますからね。こういう陸運局の描写は本作以外にもアメリカの創作では良く見かけます。

*15:『ターザン』のアクションシーンについては【ディズニー映画感想企画第37弾】『ターザン』感想~第二期黄金期最後の名作~ - tener’s diaryの記事を参照。

*16:これまで『Mr.インクレディブル』や『カールじいさんの空飛ぶ家』など数々のピクサー映画の音楽を手掛けた作曲家です。

*17:有名な映画評論家兼ラッパーの宇多丸さんがそういう感想を述べていました。