tener’s diary

てねーるのブログ記事です

【ディズニー映画感想企画第4弾】『ダンボ』感想~コスパの良い傑作~

 ディズニー映画感想企画4発目は『ダンボ』について書こうと思います。僕は初期ディズニーのBig 5の中では『ピノキオ』と並ぶ傑作だと思っています。とても感動する「イイ話」です。
 一方で、現在『ダンボ』については少々コントロバーシャルな批判が投げられることもあります。その点も含めてこの映画『ダンボ』について語っていきたいなあと思います。

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【基本情報】

低予算&短期間なのに高評価

 『ダンボ』は4作目のWDAS長編アニメーション映画として1941年に公開されました。原作は、当時出版されたばかりの同タイトルの子供向け小冊子です。

 それまでの3作品には莫大な製作費と年月を費やしたのに対して、『ダンボ』は企画当初から極めて低予算かつ短期間で制作することが決められた作品でした。前のブログ記事で述べたように『ダンボ』の前の2作品(『ピノキオ』と『ファンタジア』)がともに興行的に失敗したせいで経営が苦しくなって、あまり大きなコストをかけられなくなったからです。しかも、『ダンボ』制作中にウォルト・ディズニー氏は従業員からの大規模なストライキに見舞われたりもします。*1

 そんな訳で、『ダンボ』は当時のディズニー映画としてはかなりの低コストな作品として制作されました。それにもかかわらず、『ダンボ』は批評家からは大絶賛の嵐となり、商業的にもそれなりに成功しました。実は『ダンボ』の公開からわずか1ヶ月ちょい後に真珠湾攻撃が起きてアメリカが第二次世界大戦に参戦したため、その時代背景を考えれば商業的に失敗してもおかしくなかったにもかかわらず、この映画は初期ディズニーの中では珍しく黒字を叩きだしました。*2

 このように、低コストにも関わらず評論家からも一般大衆からも好評だった作品が『ダンボ』なのです。そういう意味で『ダンボ』は非常に「コスパの良い傑作」だったと言えると思います。


人種差別問題?

 公開当初はこのようにかなりの高評価を得た『ダンボ』ですが、後世には「人種差別的な作品なのではないか?」みたいな批判がしばしば出てくるようになりました。正直、僕個人はこの作品がそんなに人種差別的だとは思ってないどころかむしろ真逆の作品だと思ってるのですが、悲しいことに、『ダンボ』に限らずディズニー作品はしばしばこの手の批判に晒されがちな風潮があります。

 「いわゆる”ポリティカル・コレクト”ではない」という批判は『ダンボ』のみならず歴代のディズニー映画に対してしばしばぶつけられて来た歴史があります。それらの「ポリコレ的観点」からのディズニー批判のうちいくつかは的を射ているものもありますが、一方で不適当な批判もかなり多いと僕は考えています。中にはウォルト・ディズニー氏自身を人種差別主義者扱いする人もいますが、僕はこういう論調には真っ向から異を唱えたいと思っています。

 『ダンボ』に関しても人種差別的な描写が作品内で見られるという批判が後世に行われるようになりましたが、僕自身はこれらの批判にはかなり懐疑的です。僕個人の考えについては後の章で詳述しますが、とりあえず『ダンボ』に関してはそのような人種差別論争が現在に至るまで存在するという事実をここでは指摘しておきます。




【個人的感想】

総論

 最初に述べたように僕は『ダンボ』を初期ディズニーの中では『ピノキオ』と並んで傑作だと思っています。小さい頃から何度も繰り返し見ては感動して泣いた思い出深い作品です。

 本当に、この作品はただただ「イイ話」なんです。テーマは非常に王道でありながら今でも通じる普遍的なものであり、それ故に心の底から感動する。そんな名作がこの映画『ダンボ』なんですよね。ディズニー映画でジーンと来る泣ける作品を列挙しろと言われたら、必ず早い段階で名前を挙げたくなる、そんな作品です。


迫害されし者への励ましの物語

 『ダンボ』のストーリーを貫くテーマは非常に分かりやすいです。周囲の人(やゾウ)たちから迫害されてきたダンボが、そんな迫害の原因である大きな耳を生かしてサーカスの人気者になっていくストーリーは、シンプルな王道をしっかり描いているからこそ心の底から感動します。

 もう、ホント最初の迫害シーンがつらすぎて主人公のダンボにめっちゃ同情するんですよ。生まれてそうそうに母親以外のゾウたちから大きな耳のことで悪口を言われ、サーカスを見に来た子供達には虐められ、それを止めようとして暴れた母親は檻に閉じ込められる。サーカスでは道化師にされ、高いところから突き落とされる姿を笑い者にされる。こういうつらいつらい迫害シーンが前半でしっかり描かれるからこそ、ラストでダンボが人気者になるシーンで強いカタルシスを得られるんですよね。

 そういう意味で、映画『ダンボ』はまさに「差別され迫害されてきた苛められっ子」に対する励ましの物語なんです。だからこそ僕はこの映画が大好きなんです。人種差別的な描写があるとしばしば言われがちな『ダンボ』ですが、むしろその根幹のテーマはそのような差別を被って来た人々を励ますことにあるという点には留意しておいて欲しいなと僕は思います。


低コスト感

 先述したように『ダンボ』は制作費や制作期間をかなり切り詰めて作られた作品なので、実際映画を見ていると「確かに低コストだなあ」と感じる部分はいくつかあります。特に、映像に関してそれが顕著です。『ダンボ』の作画はそれまでの初期ディズニー作品のような「リアリティーや芸術性をとことん追求した」感じはあまりせず、ウォルト氏が他のディズニー作品では積極的に脱却を目指してきた対象である「従来のアメリカのカートゥーンらしさ」を感じる作画になっています。

 しかし、ではその低コスト感のある―悪く言えば‟安っぽい”―映像がこの作品のマイナス要因として働いているかというと、そんなことは決してないです。僕個人はこういう「古き良きカートゥーン的な絵柄」も大好きなので、全然気にすることなく見れました。

 やっぱりアニメーションはストーリーさえ素晴らしい出来ならば、たとえ高価な最新技術を使って手間をかけた映像でなくても十分に魅力的な作品に成りうるということなんだと思います。『ダンボ』はそのことを強く実感させてくれる作品ですね。


素晴らしいキャラクターたち

 『ダンボ』にも数々の魅力的なキャラクターが登場します。まず、主人公のダンボがとても可愛らしい。彼はセリフは一切ないキャラクターなんですが、喋らない代わりに色んな表情や身振りで感情を表現するんですよね。そんなダンボの動きが非常にいとおしく感じられ、だからこそ彼に向けられる周囲の迫害の目に心の底から同情しながら見ることができるんですね。

 そして、視聴者と同じようにダンボを愛し彼の味方となるキャラクターがこの作品には2人出てきます。ダンボの母ジャンボとネズミのティモシーです。

 母ジャンボのダンボに対する母性愛はこの作品の見所の1つです。彼女が自分の息子に"Baby Mine"を歌うシーンは何度見ても泣けます。『ピノキオ』でもゼペットとピノキオの間の親子愛で感動させてくれましたが、『ダンボ』でも相変わらず親子愛の描写が素晴らしいです。ただただ泣ける。

 そして、そんな母から隔離され周囲に迫害されっぱなしだったダンボの唯一の味方となったのがティモシーです。ひたすら可哀想なダンボの境遇を見せ続けられる視聴者にとってティモシーの存在は本当に救いです。彼はこの物語において常にダンボを助け支えます。そんなティモシーの「良いやつ」っぷりが僕は本当に大好きです。


 後半に出てくるカラスたちも魅力的なキャラクターになってます。登場当初こそウザいキャラなんですが、ティモシーの必死の演説の結果ダンボに同情を寄せるようになってからは彼が空を飛ぶための訓練を手伝う気の良いキャラになってくれます。このカラスたちは後述する『ダンボ』のコントロバーシャルな批判の対象にもなってるのですが、それでも僕はこのカラスたちのキャラが大好きです。だって、こいつら作品内では本当に「イイ奴ら」なんだもの。


音楽

 『ダンボ』も他のディズニー映画の例に漏れずミュージカル形式になっているんですが、ぶっちゃけ『白雪姫』や『ピノキオ』に比べると『ダンボ』の劇中歌の知名度はやや劣る気がします。しかし、だからと言って決して音楽のクオリティが低い訳ではないです。知名度こそ劣りますが『ダンボ』にもたくさんの名曲が出てきます。

 僕が特に好きなのは"Casey Junior"ですね。サーカスの一団を率いる生きた機関車であるケイシー・ジュニアさんのテーマソングです。アップテンポでとても楽しくなる名曲。あとは、先述した"Baby Mine"も『ダンボ』では外せない名曲です。母ジャンボが息子のダンボに「泣かないで」と歌うこの曲の流れるシーンは本当に感動します。後は、カラスたちの歌う"When I See an Elephant Fly"も好きです。僕はジャズっぽい曲が大好きな人間なので、カラスたちがとても良い声で歌うジャズ風のこの歌も好きなんですよねえ。


ピンク・エレファンツ

 『ダンボ』の音楽と言えばもちろん"Pink Elephants on Parade"を挙げるのを忘れる訳にはいきません。この音楽が流れるシーンはネットで頻繁に話題になるので、ある意味『ダンボ』の中で一番有名なシーンかもしれません。音楽だけでなくこのシーンで流れてくる映像も合わせて、ディズニー史上屈指のホラー演出としてしばしばネットで取り上げられがちです。

 もともと、英語圏では酩酊状態を「ピンクの象が見える」という表現で表すことがあり、『ダンボ』のピンク・エレファンツのシーンもそれが元ネタなんですが、見事にその「酩酊状態」を表したシーンになっています。たくさんのピンクの象が現れてカオスとしか言いようの映像を見せるこのシーンは、どこかコミカルでありながらそのコミカルさゆえに何とも言えない恐怖を覚えさせるシーンだと良く言われます。

 この何とも言えないカオスで不思議な映像は、後に『くまのプーさん 完全保存版』でも似たようなものが出てきますし、『ふしぎの国のアリス』でのカオスな演出にも通じるところがあります。ダンボとティモシーの二人が酒に酔った状態をまさに上手く表現した名シーンだと思います。ここの演出は本当に上手いので、ネットでこのシーンがやたら話題になるのも納得です。


本当に人種差別的なのか?

カラスたちの描写

 先述したように『ダンボ』は後世になってから人種差別的な描写があると指摘され非難されてきた事実もあります。具体的に言うと、後半から登場するカラスたちの描写が黒人への人種差別的な表現になっているとして問題視されています。ただ、僕個人は決して『ダンボ』が人種差別的な作品だとは思わないので、この場を借りてのそのような視点での『ダンボ』批判に対して異を唱えたいなあと思っています。

 まあ、このカラスたちのキャラクターが明らかにアメリカの黒人たちをモデルにして作られていることには僕も異論ありません。そもそもこのカラスの役を演じている声優が黒人たちだし*3、彼らの歌う"When I See an Elephant Fly"も明らかにアメリカの黒人音楽っぽい曲調です。しかも、このカラスたちのリーダー格のキャラクター名がジム・クロウです。*4

 そういう訳で、『ダンボ』に出てくるカラスたちがアメリカの黒人をイメージして作られたことは否定できません。とは言え、黒人っぽいキャラクターが出て来ただけでは人種差別的とは到底言えないです。批判者たちが問題視しているのは、そんなカラスたちのキャラクター描写が黒人たちへの差別意識に基づく偏見に塗れている点だそうです。ただ、自分にはその批判は妥当だとはあまり思えません。

 もちろん、当時のアメリカ人の認識する典型的な黒人キャラクターみたいな描写はカラスたちについてなされているので、その点でステレオタイプ的な描写だとは言えると思います。ただし、「ステレオタイプな描写=差別的」とは必ずしも言えないでしょう。仮に「黒人はそのようなステレオタイプなイメージからはみ出るべきではない」という規範的主張がなされているのならば、それはレイシストな主張だと言えるとは思いますが、『ダンボ』のカラスたちの描写だけじゃそこまで強い規範的主張は読み取れません。また、「黒人とはこのようなステレオタイプのイメージに沿ったやつばかりである」という事実主張を行っているのならば、「そのような認識は実際の事実とは異なっており誤りだ。黒人への悪い偏見を助長している」と言えるかもしれません。しかし、『ダンボ』に出てきたこのキャラたちはあくまでも黒人ではなくカラスであり、しかも全てのカラス(≒黒人)が彼らのような人物像であるというような事実主張を行っている訳でもありません。


 ステレオタイプ的な描写というのはアメリカ黒人に対してだけでなく、あらゆる対象に対して起こりうることです。それこそ白人に対してだってしばしばこのようなステレオタイプ的な描写はなされますが、上記のような規範的主張や事実主張が含まれないのならばそれは単なるいちキャラクターの設定にすぎず、それ以上でもそれ以下でもないでしょう。例えば、日本の古い漫画で語尾に「アル」をつける中国人キャラが出てきたり語尾が「デース」となる欧米人キャラクターが出て来るのは良くあることですが、だからと言ってそれだけで中国人差別や白人差別だと断定するのはおかしな話だと僕は思うのです。単に、いちキャラクターの設定として(しばしば面倒なので)ステレオタイプな人物設定を採用しただけの話に過ぎないと思います。

 そもそも、先述したように『ダンボ』という作品においてこのカラスたちは最終的に「イイやつ」として描かれています。登場時こそダンボとティモシーをからかいますが、ティモシーの熱弁で心を入れ替えてダンボたちに協力するように変わります。決してカラス(≒黒人のステレオタイプ)を邪悪な存在として描いている訳ではありません。その点でも『ダンボ』は黒人に対する差別的思想の現れた作品とは言えないと思います。*5

むしろ差別問題にきちんと向き合っているのでは?

 ところで、映画『ダンボ』にはカラスたちだけではなく実際の人間の黒人たちも(モブキャラではありますが)何人も登場します。特に、黒人の非熟練労働者たちがテントを張るシーンはミュージカルシーンにもなっているので、自分の中では比較的強く印象に残っています。彼らがそのミュージカルシーンで歌う"Roustabouts"という歌には「昼も夜も寝る間を惜しんで働く」「読み書きを学んでない」「給料がいつ支払われるか分からない」という意味の歌詞が含まれています。

 『ダンボ』の舞台はフロリダ州です。フロリダ州は『ダンボ』公開当時も依然ジム・クロウ法が敷かれていたれっきとした南部の州です。そういう南部の州における黒人の非熟練労働者たちの悲惨な境遇をこの歌の歌詞から読み取ることができるのではないでしょうか?のちに映画『南部の唄』で「当時のアメリカ南部における黒人差別の実態を描いていない」としてNAACP*6から非難されるディズニーですが、それよりも前の映画『ダンボ』においては、南部フロリダにおける黒人労働者の悲惨な境遇をしっかりと逃げずにディズニーは描写しているのです。*7


 そういう意味で、『ダンボ』は人種差別的な作品どころか、むしろ逆に差別問題に対してきっちり向き合っている作品だと思うんですよね。そもそも、繰り返し述べますが『ダンボ』のストーリーの根幹は「迫害されてきた人々が幸せになるまでの物語」です。耳の大きさという身体的特徴を理由に周囲から差別されてきたダンボに焦点を当てたこの作品は、まさに「差別」や「いじめ」「迫害」といったテーマを正面から描いた作品だと言えるわけです。その点でも、やはり『ダンボ』は差別的な作品どころかむしろその逆の作品だと言えると僕は思います。*8


とにかく「イイ話」

 以上、長々と『ダンボ』について語ってきましたが、やはり僕にとって『ダンボ』はとにかく「イイ話」なんです。迫害され差別されてきた主人公のダンボが、母ジャンボやティモシー、カラスたちの愛情に助けられながら最終的に幸せになるこの話には本当に感動させられます。その最高に強いカタルシスのおかげで僕は何度も泣きました。
 
 ラストでの感動の度合いは個人的に『ピノキオ』と並びます。最初に言ったように、僕にとって『ダンボ』は初期ディズニーの中では『ピノキオ』と並ぶ傑作であり大好きな作品であります。みなさんもぜひ一度は見てみてください。





 以上で『ダンボ』の感想記事を終えます。次は『バンビ』の感想を書こうと思います。それではまた。

*1:このストライキがきっかけでウォルト・ディズニー氏は共産主義を強く嫌うようになるのですが、それはまた別の話

*2:初期ディズニー5作品の中で売り上げが黒字になった作品は『白雪姫』と『ダンボ』だけです。

*3:ただし、このカラスたちのリーダー格であるジム・クロウの声だけは白人のクリフ・エドワードが演じています。なお、クリフ・エドワード氏は『ピノキオ』でジミニー・クリケットの役を演じた声優でもあります

*4:アメリカ史に多少詳しい人にとっては有名な話ですが、ジム・クロウとは19世紀のアメリカでステレオタイプ的な設定で演じられた黒人のキャラクター名であり、南部諸州における人種隔離法の総称にも使われている固有名詞です。

*5:もちろん、僕がそう主張すると今度は「そうやって、主人公を助ける善玉キャラとして黒人を出すのもマジカル・ニグロとして問題になってるんだ」と反論する人が出てくるかも知れません。ただ、正直言って「マジカル・ニグロ」の存在を問題視する意見には僕は全く賛同できないです。あの概念は、単に黒人が出ているだけの普通の映画に対してスパイク・リー氏辺りが噛みつくためのイチャモンとしてしか使われてない印象が強く、その概念の意味する範囲や批判に使うための根拠も「オリエンタリズム」や「文化盗用」概念並みに曖昧模糊としていると思います。

*6:全米有色人種地位向上協会の略称

*7:もちろんあくまでも彼らはモブキャラですので、制作サイドもそこまではっきりと強い意識を抱いて労働問題をテーマとして描いたと言えるかどうかは微妙ですが、とにもかくにもそういう描写が作品内に存在するのは事実です。

*8:なお、余談になりますが、これら非熟練労働者以外に黒人のモブキャラはこの映画に登場しています。例えば、サーカス団が町中を行進するシーンでは、演奏している楽団の中に黒人の奏者も何人かいます。