tener’s diary

てねーるのブログ記事です

【ディズニー映画感想企画第33弾】『ポカホンタス』感想~第二期黄金期後期の新たな挑戦~

 ディズニー映画感想企画第33弾です。今回は『ポカホンタス』の感想記事です。これ以降、また少し知名度の劣る作品が続きます。まあ、あくまでも第二期黄金期前半の作品群と比べると少しマイナーになるってだけで、『ポカホンタス』も十分に有名なほうの作品だとは思いますが……。
 そんな『ポカホンタス』について語っていきたいと思います。

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【基本情報】

ディズニー初の歴史映画

 『ポカホンタス』は1995年に33作目のディズニー長編アニメーション映画として公開されました。原作は「史実」です。そう、史実が原作なんです。今までのディズニー長編アニメーション映画と言えば、小説や童話などを原作とするものかオリジナル作品かのいずれかであり、どちらにせよ完全なるフィクションでした。例外として、1973年公開の『ロビン・フッド』は史実も少し混じった話でしたが*1、あくまでも主人公ロビン・フッドやその仲間たちは伝説上の架空の人物です。『ロビン・フッド』伝説自体は史実ではなく、架空の伝説に過ぎません。

 それに対して、本作の主人公ポカホンタスは実際に歴史上存在した人物です。もう一人の主人公ジョン・スミスも史実の人物です。このように史実の人物を主人公とし、実際の歴史上の出来事を描いたアニメーションをディズニーが作ったのは初めてのことです。つまり、本作品はディズニー初の「歴史映画」なのです。その点で、この『ポカホンタス』は今までに例を見ない異色作となっています。

 とは言え、そこは原作改変が伝統芸のディズニーなので、本作品でも原作改変ならぬ史実改変は多く見られます。この点で本作品を批判する人もいますが、個人的には時代劇や歴史小説の細かな時代考証になんかいちいち拘る必要はないと思ってるので、この程度の史実改変は気にならないです。エンタメとして面白ければ時代考証なんて多少雑でも良いんですよ、別に。実際、考証がおかしくてもヒットした面白い時代劇の例なんて世の中にたくさんありますしね。

 この映画『ポカホンタス』は、アメリカの植民地時代初期の歴史における有名な逸話をモチーフにしています。それが、本作品のクライマックスにもなっている「先住民に捕まり処刑されそうになる白人入植者ジョン・スミスを、先住民のポカホンタスが救った」というエピソードです。ただし、そもそもこのエピソードについては本当に史実だったのかを疑問視する声も一部であがっているらしく、ちょっと僕にはその論争の正否を判断できません。まあ、史実かどうかの論争は専門の歴史学者に任せて、ここでその詳細に立ち入ることはしませんが、とにもかくにもこのエピソードはアメリカ人ならほぼ誰でも知ってるような有名な逸話なんですよね。アメリカの歴史教科書とかに載ってることもあるぐらいです。

 そういう有名なアメリカ史の逸話をディズニーはアニメ化したのです。この点からも、ディズニーの新しい挑戦がうかがえると思います。


新しい挑戦

 初の歴史映画という点以外にも、『ポカホンタス』はそれまでの第二期黄金期前半のディズニー映画とは少し違う新しい試みが多く見られます。何といっても特に大きいのが、作風の大幅な変更でしょう。今までの「子供も大人も楽しめる」「ハッピーエンドな王道エンターテインメント」としてのディズニー映画とはちょっと変わって、本作品は「少し大人向け」で「ビターエンドな社会派歴史映画」になっています。こういうちょっと大人向けのシリアスなビターエンドを特徴とする点では、かつての『きつねと猟犬』に近い部分があります。

 このようなちょっと大人向けな作風への変更は次作『ノートルダムの鐘』でも見受けられます。この頃のディズニーが新しい路線を模索していた証だと言えるでしょう。そのため、「ディズニー映画なんて毒気のないハッピーエンドしかない子供向けでしょ」と言ってディズニーを馬鹿にしたがる硬派気取りのオタクに対して、しばしばディズニーオタクが「いや、ディズニー映画にも大人の鑑賞に耐えうる深いテーマを扱った作品はあるんだ(キリッ」と反論する際にこの『ポカホンタス』が例に挙げられることは多いです。*2

 また、絵柄もだいぶ変わっています。今までの第二期黄金期前半のディズニー作品に見られた立体的でリアリティのある絵ではなくて、少し平面的でリアリティに欠ける絵柄になっているんですよね。色使いも独特で、どことなく抽象的なモダンアートっぽさがあります。この点で『眠れる森の美女』の絵柄に少し近いかも知れません。

 このように、本作品は今までとは異なる新しい挑戦が数多く試みられています。この頃からディズニーは従来の「典型的なディズニー映画」のイメージからの脱却を図り、「ちょっとディズニーらしくない」作品を公開し続けるようになります。第二期黄金期後期のディズニーの路線を大きく変える転換点となった作品がこの『ポカホンタス』なのです。


伝統との折衷

 とは言え、『ポカホンタス』ではそれまでのディズニー映画の伝統を踏襲してる部分もあります。完全に新しい作品となった訳ではありません。特に、重要な伝統は「ミュージカル映画路線」の維持でしょう。それまでのディズニーの成功を支えて来たこの伝統的な路線を変えることまではできず、ディズニーは本作品でもミュージカル要素を大いに取り入れました。

 音楽担当には、再びアラン・メンケン氏が選ばれました。『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン』の名曲たちを作り続けたディズニー御用達の作曲家です。この映画『ポカホンタス』でもアラン・メンケン氏の活躍により、数々の素晴らしいミュージカル・ソングが作られました。

 また、本作でも前作『ライオン・キング』や前々作『アラジン』などと同様に有名芸能人の声優起用が再び行われました。ジョン・スミスの声を務めたメル・ギブソン氏がその例です。『マッドマックス』シリーズの主演を務めたことなどで知られる、言わずと知れた超有名俳優ですね。そんなメル・ギブソン氏をディズニーは声優に採用したのです。

 このような「ビッグネームの採用」もそれまでの第二期黄金期のディズニーの流れに沿ったものです。このように、本作『ポカホンタス』は単に新しい挑戦的な作風を取り入れただけでなく、従来のディズニーの伝統もしっかり維持した作品となったのです。まさに「新しい試みと伝統の折衷」と言えるでしょう。


繁栄の陰りと新興勢力の台頭

 ディズニー第二期黄金期の立役者であるジェフリー・カッツェンバーグ氏は、この『ポカホンタス』がアカデミー作品賞にノミネートされる歴史的な大ヒット作品になることを夢見てました。新しい「大人向け」の作風が流行ることを期待していたのです。しかし、残念なことに『ポカホンタス』の興行収入は前作『ライオン・キング』のそれを下回る結果となってしまいました。これまで右肩上がりだったディズニーの興行収入は、この『ポカホンタス』を境にして逆に右肩下がりとなってしまうのです。次作『ノートルダムの鐘』や次々作『ヘラクレス』でも興行収入は下がり続けています。

 時期的にはまだ「第二期黄金期」ではありますが、この第二期黄金期後半からのウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ(以下、WDASと略します)は実際には衰退し始めていたと言うことができます。しかも、この頃になるとWDAS以外の新興アニメーション・スタジオが台頭してくるようになり、それまでのWDAS一強状態を脅かし始めたのです。

 その一つがピクサー・アニメーション・スタジオ(以下、ピクサーと略します)です。『ポカホンタス』公開と同年の1995年にピクサーは世界初のフルCGの長編アニメーション映画『トイ・ストーリー』を、ディズニー協力の下で公開しました。この『トイ・ストーリー』はかなりの大ヒット作品となり、これ以後ピクサーは『バグズ・ライフ』や『トイ・ストーリー2』などのヒット作を立て続けに公開し、興行収入が右肩下がりのWDASとは対照的に右肩上がりの成長を遂げました。その結果、2000年以降の暗黒期に入ると、ウォルト・ディズニー・カンパニーの業績は本家筋とも言えるWDASの作品ではなくピクサー作品の収入に支えられてると言われるような状態になってしまいました。そのような状態に繋がるピクサーの台頭がすでにこの頃から起きていたのです。

 もう一つの新興勢力はドリームワークス・アニメーションSKG(以下、ドリームワークスと略します)です。『ポカホンタス』公開の前年の1994年に設立されたこの新しいアニメーションスタジオは、超有名な映画監督であるスティーヴン・スピルバーグ氏、有名なレコード会社経営者のデヴィッド・ゲフィン氏、そして‟元ディズニー幹部”のジェフリー・カッツェンバーグ氏の三人によって立ち上げられました。そう、「元ディズニー幹部」のジェフリー・カッツェンバーグ氏も加わってるのです。これまでの記事で述べて来た通り、彼はウォルト・ディズニー・カンパニーに入社して以来、ディズニー第二期黄金期復活の立役者の一人として多大な功績を残してきました。

 しかし、当時のディズニーのCEOで彼と同じく第二期黄金期の立役者でもあったマイケル・アイズナー氏と次第に対立するようになり、とうとう1994年に彼はディズニーを退社してしまったのです。こうしてディズニーを退社した彼が、スピルバーグ氏らと共同して立ち上げたのがドリームワークスだったのです。かつて、暗黒期の最中にディズニーの経営方針に反発して退社したドン・ブルース氏も、スピルバーグ氏と協力してディズニーのライバルとなるアニメーション映画を公開してきました。それと同じようなことが再び起こったのです。かつてのディズニー繁栄の立役者だったカッツェンバーグ氏は、今やディズニーのライバルであるドリームワークスの指導者としてディズニーの覇権に挑み始めたのです。*3

 このように、『ポカホンタス』公開以降、本家ディズニーのアニメーション・スタジオが衰退し始める一方で、ピクサーやドリームワークスのような新興アニメーション・スタジオが台頭していたのです。ディズニーだけが天下をとっていた時代は徐々に終わりへと向かっていったのでした。


人種差別論争

 本作品は「人種差別論争」をアメリカで巻き起こしたことでも知られています。実在のインディアンと白人の恋愛を描いた『ポカホンタス』は、一部のインディアン団体などから「インディアンに対する人種差別を助長する作品だ」という批判を受けてしまいました。ただ、これまでのいくつかのディズニー作品に寄せられて来た「人種差別的だとの批判」と同様に、本作品に対する批判も僕に言わせればはっきり言って「言いがかり」「難癖」に近いと思っています。昔から、ディズニーはこういう「行き過ぎたポリコレ」の攻撃対象にされてきましたが、特に『ポカホンタス』に対するポリコレ的観点からの批判のおかしさはあまりにもひどすぎます。こんな批判をいちいち真に受けてディズニーへのバッシングを繰り返すような人たちの考えにこそ僕は強く抗議したいです。

 『ポカホンタス』を見てもこの作品がインディアンへの差別意識を助長してるとは僕には全く思えません。アメリカの保守派に近い考えの僕からすると、むしろ本作品はポリコレにかなり配慮して「現代リベラル」(ソーシャル・リベラル)的な価値観が少し強く出すぎていると思えるぐらいです。それにも関わらず、本作品を「まだまだ十分にポリティカルにコレクトではない」と批判する声にははっきり言って全く賛同できないです。僕は彼らの考えに真っ向から反論したいと思っています。個別具体的な論点ごとの反論は後の「個人的感想」の項目でも詳述しますが、とにかく僕はこの手の雑なディズニー叩きには真っ向から反対します。





【個人的感想】

総論

 上で述べた通り、『ポカホンタス』は少し大人向けのテーマを扱った歴史映画であり、その試みはかなり成功していると思います。どうも自分は政治思想がいささか保守的な人間なので、テーマの一部の描き方には賛同しかねる部分もあるのですが、「異なる民族同士の対立と和解」という非常に扱いにくいテーマを上手に絶妙なバランスでちゃんと描けてる良作だと思います。ちょっと中盤までストーリーがダレてる気もしなくはないですが、後半からはきちんと盛り上がりのある展開が用意されてますし十分に面白いです。

社会派テーマの上手な描き方

 本作品のテーマはディズニーには珍しくかなり社会派です。「民族対立」という現代の政治においてもしばしば問題になるようなテーマを扱っています。こういう政治的なテーマをアニメできちんと上手に描くのってかなり難しくて、下手すると戯画化されすぎて単純化された雑な政治観や歴史観を露呈するだけになりかねないんですけど(そういう作品はこの世にごまんとあります)、『ポカホンタス』はそういう失敗もあまりなくかなり上手く描けてるほうだと思いますね。

 白人とインディアンという二つの民族が対立に至るまでの過程の描き方が上手いんですよね。さすがに1995年の作品なので、いわゆるポリコレ的な風潮に配慮せざるを得なかったのか、白人のほうをインディアンよりも「悪い」存在として一応描いてはいます。しかしそれでも本作品は決して白人を「純粋悪」として描いてないところが素晴らしいんですよね。主人公の一人ジョン・スミスが善玉なのはもちろんのこと、トーマスやロンやベンなど他の白人入植者も完全な悪人としては描かれていません。仲間のジョン・スミスを思いやる気の良い親友として描かれています。唯一「完全な悪役」扱いなのはラトクリフ総督だけでしょう。

 とは言え、もちろん白人たちを一切非のない存在として描いてるわけでもありません。「根っからの悪人ではない」白人たちは、前半のシーンで偵察してるインディアンの存在に気付いた瞬間すぐに自分たちの方から先にインディアンへ攻撃を仕掛けてるんですよね。あくまでも対立の最初のきっかけは白人サイドにあるように描かれている。このバランス加減は絶妙だと思いますね。だからこそ、繰り広げられるドラマにそれなりのリアリティが生じている。上手いです。

 それでも、対立が決定的になったココアムの死はあくまでもスミスを守ろうとしたトーマスの正当防衛に近いものでしたし、その後のインディアン襲撃も捕まった仲間のジョン・スミス救出のためでした。だからこそ、インディアンたちがジョン・スミスを解放して武器を下ろした時、ラトクリフ総督以外の白人は攻撃をやめたんですよね。このように、白人側も全員を完全な悪人として描いていないどころか、わりと「善玉」の人間として描いてる点が本作品の素晴らしい点だと思います。

 まあ、この点を批判して「白人が一方的な加害者として描かれていなきゃ嫌だ」みたいな批判を言う人もたまに見られますが、僕はその批判には全く賛同できません。そういう考えはインディアン側を擁護しすぎる余り逆に白人への逆差別を助長する考えだと思います。僕には到底受け入れられません。現実問題として、白人入植者たちも根っからの悪者ばかりではなかったでしょうし、だからこそこの手の「民族対立」ってのは難しい問題なのです。そこから目を背けて、白人全員を純度100%の悪役にしてしまうほうが、こういうテーマを描くうえでは良くないと思います。安易な「白人悪玉論」は害悪ですし、映画『ポカホンタス』はそういう描き方をしなかった点で高く評価するに値すると思っています。


インディアン側の描写

 本作品が人種差別的だと批判する人の論拠の一つがこれです。しかし、僕はこのような批判には明確に反対します。本作品におけるインディアンの描写は全くもって人種差別的ではないです。過度なポリコレを押し付ける人たちによる言いがかりに近い批判だと思います。彼らの言い分によると、まず、本作品におけるポウハタン族の習俗の描き方が実際のポウハタン族のそれとは異なっていることが問題の一点だそうです。まあ、僕も専門家ではないのでアメリカのインディアンの各部族の服装や住居などの文化の詳細は知りませんし、その点でディズニーがどこまで正確に当時のポウハタン族の人々を描けているのかは判断できません。

 しかし、考証が雑であることを「人種差別」に結び付けるのはおかしいでしょう。別に、ディズニーの考察が適当なのは非白人のインディアンに限ったことではなく、ヨーロッパを舞台にしたプリンセスものの作品とかでも同様でしょう。『美女と野獣』でのフランスの描写だって、まともなフランス史の専門家から見ればおかしなところはあります。決して、非白人の文化圏だけを特別に雑に扱ってるわけでありません。そもそも歴史もののフィクションにおいて考証が不十分であることを問題視するのは一部の狭量な歴史オタクだけであり、大多数の人はそんなことと作品のクオリティとを関連付けません。一つの物語として面白いものに仕上がってさえいるのならば、多少の学術的な考証の不十分さなんて大したことないです。

 例えば日本でも考証が雑な時代劇なんてたくさんありますが、それを見て「日本人差別だ!」と考える人はいないでしょう。確かに、ディズニーはしばしば時代考証を雑に済ませることはありますが、それは学術的な正確性なんかよりもクリエイターにとってははるかに重要な要素である「物語自体の質の高さ」を優先したからにすぎません。学術的な正確性なんてのは、専門家の書く学術書や論文に対して求めるべきものであって、エンタメ映画などに対して求めるものではないでしょう。そして、そのことと人種差別を関連付けるのも不適当な考えです。


英語問題

 また、本作品でインディアンが英語を話す点を「人種差別的だ」として問題視する人もたまに見られます。しかし、これも的外れな難癖でしょう。そんなのはただの演出上の表現にすぎず、実際のインディアンたちは英語ではなくちゃんと彼らの独自の言語を使ってることは作品から読み取れます。だから、最初会った時にジョン・スミスとポカホンタスは言葉が通じなかったんでしょう。

 別に、本作品に限らず『アラジン』でも登場人物はアラビア語ではなく英語を喋ってますし、『美女と野獣』でも登場人物たちはフランス語ではなく英語を喋ってます。アメリカで制作されてる映画なんですからそんなのは当然のことで、いちいちアラビア語やフランス語を声優に話させて英語字幕でもつけろって言う方が無茶でしょう。だからと言って、ディズニーがアラブ人やフランス人を差別しているという理屈にはならないはずです。例えば、海外が舞台となっている日本の漫画は多数ありますが、それでもセリフは面倒なので日本語で表記していることは普通にあります。それを「差別だ」と糾弾するのはおかしな話です。

 『ポカホンタス』で主人公やパウアタン酋長やナコマなどが英語を話してるのもそれと同じことで、差別でもなんでもありません。こういう難癖に近い言いがかりが、『ポカホンタス』に対してはポリコレの名の下でたくさん言われているんですよねえ。嘆かわしいことです。

 なお、本作品では、それまで言葉の通じていなかったポカホンタスとジョン・スミスが急に英語でお互いに意思疎通できるようになるシーンがあります。良く見れば、前後の文脈などから、柳のおばあさんの言っていた「心の声を聴く」というファンタジー現象で意思疎通ができるようになったのだと分かる展開にはなってるのですが、初見だと分かりにくいのか「急にポカホンタスが英語ペラペラになりやがった」って誤解して違和感を抱く人が出てきてもおかしくないです。その点が上述の批判にも繋がってるのかなあと思わなくもないです。もっとジョン・スミスとポカホンタスに言葉が通じたことを驚かせるセリフでも言わせるなりして、ディズニーあるあるな「ファンタジー現象」なんだということを理解しやすい展開にしても良かった気がします。そうすれば、ポリコレ勢の言いがかりに近い批判もひょっとしたら幾分弱まったかも知れません。あくまでも個人的な勝手な想像に過ぎませんけどね。


異民族との和解

 本作品は、民族対立を描いた上で最終的にその和解を説いてるんですよね。終盤で、ジョン・スミスの処刑を止めたポカホンタスのセリフは、そのメッセージを全面に押し出すものでした。まあ、ちょっと厳しいことを言うと、ここまで拗れてしまった関係性が彼女の演説一つで収まっちゃうのはご都合主義が過ぎるかなとも思わなくもないです……。とは言え、これぐらいのご都合主義のハッピーエンドならば僕は全然気にならないですしノープロブレムです。普通に好きな終わり方です。そもそも、このシーンは元々のポカホンタスの逸話の一番有名なところなので変えようがないでしょうしね笑

 パウアタン酋長がポカホンタスの説得に応じてジョン・スミスを解放するシーンはやっぱり何度見てもそれなりに感動しますね。それまでの「一触即発」な緊張状態が緩和されたことでほっとする展開になっています。そしてそのままエンディングで、傷ついたジョン・スミスを見舞いにポウハタン族一同がトウモロコシを持ってやって来るシーンに繋がるんですよね。両者の和解がエンディングでも描写されています。

 こういう美しいハッピーエンドの要素もきっちりエンディングに入れる点は、今までのディズニー映画らしい点だと思います。『ポカホンタス』はディズニーの中ではやや異色作ではありますが、ちゃんとこうして感動的なハッピーエンドも用意しています。決してバッドエンドではない。ちゃんと「インディアンと白人の和解」という王道ハッピーエンドで締める点は良かったと思います。


スピリチュアルの素朴な称賛

 こういう作品だから仕方ないのかもしれませんけど、本作品は西洋文明に対するアンチテーゼとしてインディアンの宗教や思想を少し素朴に持ち上げてるところがあって、そこが個人的にはあまり賛同できなかったです。特に、それが顕著なのは"Colors of the Wind"の歌詞でしょう。ポカホンタスたちインディアンを「野蛮人」(Savages)と呼ぶジョン・スミスに対するポカホンタスの反論として歌われていますが、インディアンたちの多神教的な自然崇拝っぽいスピリチュアルな宗教観を無邪気に褒めたたえる内容になっていて、そこが自分にはいまいち合わないんですよね。

 まあ最近はジョン・スミスが唱えてるような「未開なインディアンに西洋文明の光を授ける」みたいな啓蒙主義思想は評判が悪いので*4、これをポカホンタスに否定させる展開になるのは仕方ないかなと思って諦められますが、そこで反論としてインディアンの文化を無邪気に称揚するのは違うんじゃないんですか?と思ってしまいます。

 それって、単なる逆転現象しかもたらしてないし、インディアンのそういう多神教的な価値観が必ずしも優れてるとも思えないんですよね。その手の多神教優位論って、西洋文明に対するアンチテーゼとして生まれた多神教文化圏の狭量なナショナリズムだとしか思えないので、ちっとも賛同できないんですよね。なので、その点で"Colors of the Wind"の歌詞は僕にはイマイチでした。


独特で味のある映像

 とは言え、そういうスピリチュアルな要素を出すための映像演出自体は良かったです。風の色を葉っぱで表現するなど、この映画独特の芸術的な映像表現は面白いと思いましたね。先述の通り、本作の絵柄は今までの第二期黄金期のディズニー映画と比べるとかなり独特なんですよね。色使いも妙に鮮明だし、そのうえ全体的に平面的な人間の絵なんですよね。『眠れる森の美女』の絵柄を彷彿させます。これを良いと思うかどうかは人それぞれでしょうが、僕は味のある絵だと思うのでわりと好きですね。

 葉っぱで表現する風の絵とコンパスの映像は特に好きですね。少々リアリティに欠ける抽象絵画的な人物の描き方も嫌いではないです。好き。


音楽

 本作品もアラン・メンケン氏作曲の多数のミュージカル曲が入っています。以下、各曲についての感想です。

The Virginia Company

 オープニングソングです。めっちゃ好きです。イントロのドラムからしてもう期待を大きく膨らませてくれる音だと思います。歌詞も、新大陸に夢をみた大航海時代のイギリス人の気持ちがうかがえ、とてもワクワクさせてくれます。こういう行進曲っぽさのある曲が僕は大好きなんですよねえ。

Steady as the Beating Drum

 イギリス人サイドの曲"Virginia Company"のrepriseから、先住民サイドの曲"Steady as the Beating Drum"に繋がる演出が素晴らしいですね。繋ぎのドラムがかなり良い感じのリズムを刻んでいて大好きです。"Virginia Company"とはちょっと違い、インディアンっぽい少し独特な音楽になってるのが素晴らしいですね。耳に残る素晴らしいオープニングソングだと思います。期待させてくる音楽になってる。

Just Around the Riverbend

 この映画の曲の中では一番好きですね。映像も合わせてめっちゃ素晴らしいです。ポカホンタスがカヌーに乗って川下りをする激しいアクションの映像はとても楽しいです。ポカホンタス自身の歌声も心地良いです。全体的に楽しくて爽やかな雰囲気の曲想だと思います。一時期何度も繰り返し聞いてたぐらいには好きな曲ですね。

Listen with Your Heart

 神秘的な雰囲気のする曲です。作品内で二回流れますが、どっちも何となくミステリアスで神秘的でスピリチュアルって感じの曲です。良いです。

Mine Mine Mine

 この曲もこの映画の中で一番好きな曲の一つです。ヴィラン・ソングとヒーロー・ソングがくっ付いてる曲って地味にディズニー映画ではこれだけな気がします。悪役ラトクリフ総督の溢れ出る俗物っぷりと、主人公ジョン・スミスの溢れ出る冒険家っぽさが対比的に描かれた良曲だと思います。

 そして、単純に音楽が豪華で好き。楽器の編成がすごく豪華に感じるんですよね。一緒に流れてる映像も豪華なんですよ。「土を掘るだけ」という、色だけみると地味になりがちな映像をとても豪華に表現しています。特にラスサビの壮大さは本当に興奮します。ラトクリフの周りをたくさんの土が舞うアニメーション映像と、音楽の盛り上がりが見事に合っています。何度でも繰り返し見たくなる映像です。

Colors of the Wind

 先述の通り、歌詞はそんなに好きじゃないのですが音楽自体は文句のつけようのない名曲です。サビの盛り上がりが感動的だと思います。それまでの第二期黄金期前半のメインソングに比べても遜色ない主題歌だと思います。美しくて快いメロディです。映像の演出も良く出来てて、特に風の色でポカホンタスの絵を描くアニメーション映像は本当に「上手く表現したなあ」と感心させられる絵になっています。なんだかんだで好きな曲です。

Savages

 白人入植者とインディアンという二つの民族が対立に至る過程をうまく表現した名曲です。集団心理の暴走を描いた点では、『美女と野獣』の"The Mob Song"を彷彿とさせる良曲です。インディアンと白人がお互いに憎しみに染まる過程を緊張感たっぷりに表現できてると思います。ドラムとブラスの音が特に緊張感を煽ってくれますねえ。

 アニメーション映像も本当に素晴らしくて、特に後半の赤色の使い方が僕は大好きですね。日の出の赤が良い感じに視聴者をハラハラさせてくれます。それに合わせて走るポカホンタスの映像の興奮も相まって、「盛り上がるクライマックス」って感じの名シーンに仕上がってると思います。

 なお、この曲の歌詞が差別的だから良くないと批判する声も一部にありますが、この批判もまた余りにも的外れすぎる批判だと思います。だってこのインディアン差別的な歌詞を歌っているのって悪役のラトクリフですからね。「悪役の歌詞が差別的で悪い内容」なのはある意味当たり前のことで、だから「悪役」なんでしょう。つまり"Savages"の差別的な歌詞は、最終的に作品内でも否定すべき「悪玉」的内容として扱われてるってことです。この差別的な歌詞が仮に善玉のセリフとして言われて作品内で最後まで肯定されたままだったら、「この映画は差別という悪行を助長してる」と言われても仕方ないですが、悪役のセリフに対して文句を言うのは筋違いでしょう。

 『白雪姫』で悪役の行動を見て「嫉妬が原因で殺人することを推奨してる」なんて文句言う人はいないでしょう。それなのに、『ポカホンタス』での悪役ラトクリフのセリフに対してはそれと似たような文句を言う人が出てきちゃうんですよね。こういうおかしな批判が蔓延ってるから、アメリカの少なくない人たちが「ポリコレ疲れ」を訴えることになるんだよと思わずにはいられませんね。まあとにかく的外れな言いがかりに近い批判でしょう。僕は全く賛同できないです。

If I Never Knew You

 本当はインディアンに捕まったジョン・スミスにポカホンタスが面会するシーンで歌われる予定だったのですがカットされ、エンドロールだけで流れることになった名曲です*5。エンドロールのエモさを感じさせる名曲だと思います。すごく良い感じの余韻に浸れます。こういう感動的なタイプのバラードは大好きなんですよねえ。


離れ離れのビターエンド

 本作品はポカホンタスとジョン・スミスが結局離れ離れになるというビターエンドが採用されました。ポカホンタスは、傷の療養のためにイングランドに帰らなきゃいけないジョン・スミスについて行くことを選ばずに、ポウハタン族の集落に残ることを決意します。離れ離れになってもポカホンタスとジョン・スミスの二人は愛し合ってるということを表現した終わりになっており、なかなかに感動的なビターエンドだと思います。この点では『きつねと猟犬』を彷彿とさせます。

 ただ、『きつねと猟犬』と違って、ポカホンタスがジョン・スミスについて行く選択をしなかった理由が、正直言って僕にはあんまり良く分からなかったです。もちろん家族や村を離れるのも嫌だったという理由ぐらいは分かるのですが、「ポウハタン族」と「ジョン・スミス」を天秤にかけたうえで前者に傾いた決定的な要因が描かれていないので良く分からないんですよね。もちろん、その辺りをわざとボカして描くことで、観客に色々と答えを想像させる効果も狙ったのかもしれませんが、正直その必要性はあんまり感じないです。そういう「ミステリアス」さを楽しむようなタイプの作品でもないですし……。

 正直言って、『きつねと猟犬』のようなビターエンドにすれば「大人向け」で渋い雰囲気出るかなと安易に考えた結果、大した理由も用意せずにポカホンタスとジョン・スミスを引き離す展開にしただけに見えなくもないです。ビターエンドで渋い味を出そうという意欲自体は悪くないので、そこに至る理由をもう少しちゃんと掘り下げて納得しやすい終わり方にして欲しかったです。本作品の描き方だとちょっと無理やりなビターエンドに見えてしまいます。


少し盛り上がりには欠ける?

 本作品の難点をもう一つ挙げるならば、ぶっちゃけ盛り上がりに少し欠ける点でしょうか。テーマがテーマだから仕方ないと思うんですが、本作品はそれまでの第二期黄金期の作品と違い盛り上がるアクションシーンがほぼ皆無なんですよね。ココアムが死んでから"Savages"の歌に入るまでの展開はかなり盛り上がるのですが、そこでも直接的な戦闘は結局起こらずに物語が終わるので、今までの作品のようなバトル満載のアクションシーンは本作品にはないです。せいぜい前半で白人とインディアンがちょっと銃撃戦を繰り広げるぐらいです。そこが物足りないと言えば物足りないかも知れません。

 特に、前半は画面の動きが静的な展開が続くので、ちょっとココアムの死のシーンまではいまいち盛り上がらずに淡々としすぎてる印象があります。ポカホンタスとジョン・スミスが何度も逢瀬を重ねる中盤の展開はワンパターンで人によっては眠くなるかもしれません。

 その退屈さを紛らわせるためのコメディ要素なのか、本作品ではアライグマのミーコと犬のパーシーの追いかけっこシーンが頻繁に出てきます。ここはまあまあ笑えなくもないのですが、ストーリーの本筋とはあまり関係ない上ちょっと冗長なので要らないかなあと思わなくもないです。『トムとジェリー』風のワンパターンな追いかけっこばかりで途中で飽きてきます。


ちょっと惜しいけど良作

 以上、ざっと『ポカホンタス』の感想を述べましたが、最初に述べた通り概ね良作だと思います。大人向けにしたいと思って入れた社会派テーマはかなり上手く扱えてます。「異なる民族同士の対立と融和」というテーマに沿って非常に感動的な物語が作れてると思います。

 しかし、その一方でいくらか欠点もあるんですよね。上で述べた通り、ビターエンドの無理やりさや中盤までの盛り上がらないダレた展開など、微妙な点もこの作品では結構目立ちます。そういう意味で非常に「惜しい作品」になってると思います。本作品が第二期黄金期前半の作品ほどの大ヒットとならなかったのも納得できます。絵柄も、『眠れる森の美女』同様にわりと人を選ぶタイプですしね……(僕はこういう絵も好きですが)。

 しかし、それでも本作品は初めて史実を原作として社会派なテーマを盛り込むなど、当時のディズニーにとって色々と新しい試みが見られた意欲作であり、その挑戦の心は僕も高く評価します。そして、その社会派テーマの描き方など新しい試みのいくつかは実際に成功してると思います。ココアムが死んでからの盛り上がりは普通に面白いですし、そこからのラストに至るまでの展開もそれなりに感動します。そういう意味で、「惜しい箇所」はありますけどもそれでも良作には違いないと感じます。







 以上で、『ポカホンタス』の感想記事を終わりにします。次回は『ノートルダムの鐘』の感想記事を書く予定です。それではまた。

*1:具体的に言うと、リチャード1世獅子心王やプリンス・ジョンなどのキャラクターが史実の人物でした。

*2:『きつねと猟犬』や『ノートルダムの鐘』を例に挙げる人もいます。

*3:ドリームワークスは後に『シュレック』シリーズを制作していますが、この作品には明らかにディズニーへの対抗意識が見受けられます。その背景には恐らくカッツェンバーグ氏のディズニーへの複雑な感情があるのでしょう。

*4:でも僕個人はこの思想も100%間違ってる思想だとは思っていないんですけどね。「西洋文明」の指す内容次第では現在でも一理ある考えだとは思っています。

*5:終盤のクライマックスでもBGMとして流れています。