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てねーるのブログ記事です

【ディズニー映画感想企画第47弾】『ルイスと未来泥棒』感想~新たなる体制の始動~

 はい、ディズニー映画感想企画第47弾です。今回は『ルイスと未来泥棒』の感想記事を書きたいと思います。これもまた一般にはかなりマイナーなほうのディズニー映画でしょう。でも、ディズニーの歴史的には意外と重要な位置付けの作品だったりもします。そんな『ルイスと未来泥棒』について語っていきたいと思います。

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【基本情報】

ジョン・ラセター氏の参加

 『ルイスと未来泥棒』は2007年に公開された47作目のディズニー長編アニメーション映画です。アメリカの作家ウィリアム・ジョイス氏による絵本『ロビンソン一家のゆかいな一日』を原作としています。そして、本作は「新体制」下で制作が進められた最初の作品でもあります。

 前回の記事【ディズニー映画感想企画第46弾】『チキン・リトル』感想~フルCGアニメーションへの移行~ - tener’s diaryで述べた通り、2005年にウォルト・ディズニー・カンパニー内で政権交代が起きました。約20年間にも渡ってウォルト・ディズニー・カンパニーのCEOを務めたマイケル・アイズナー氏に代わりボブ・アイガー氏が新たなCEOに就任したのです。そして、この新CEOのもとで早速2006年にディズニーは大きな取り決めを発表しました。それがピクサー・アニメーション・スタジオ*1の買収です。ボブ・アイガー氏は、当時のピクサーのトップのスティーブ・ジョブズ氏との間でピクサー買収の合意に達しました。この結果、2006年からピクサーは完全にウォルト・ディズニー・カンパニーの子会社となりました。そして、ピクサーからウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ*2に、ある重要人物がやってくることになったのです。

 それがジョン・ラセター氏でした。彼はディズニーのみならずアニメーション映画界全体において非常に著名で重要度の高い人物です。彼は、カリフォルニア芸術大学*3でナイン・オールドメン*4などからアニメーションについて学び、大学卒業後はそのままディズニーに入社しアニメーターとして働いていました。

 なお、ジョン・ラセター氏同様にカルアーツ出身でナイン・オールドメンなどから教えを受けディズニーに入社した同時代の有名人は他にもたくさんいて、ブラッド・バード氏やティム・バートン氏やクリス・バック氏、ヘンリー・セリック氏もそうでした。詳細は以前【ディズニー映画感想企画第24弾】『きつねと猟犬』感想~新世代へのバトンタッチ~ - tener’s diaryの記事でも述べましたが、彼らは当時ディズニーで『きつねと猟犬』の制作などに携わっていました。ジョン・ラセター氏もそんなディズニー育ちのアニメーターの1人だったのです。

 しかしジョン・ラセター氏はその後ディズニー社から解雇されたため1983年からはルーカスフィルムに入社し、そこのコンピューター・アニメーション関連の部門で働いていました。この部門が後にピクサー・アニメーション・スタジオとして独立した企業になり、ラセター氏はこのピクサーで『ルクソーJr.』などのCGアニメーションを制作し頭角を現してきました。そして、1995年公開の世界初のフル3DCG長編アニメーションであるピクサー映画『トイ・ストーリー』を始め、『バグズ・ライフ』や『トイ・ストーリー2』など数多くのピクサー映画の監督を務めたことで、ラセター氏はピクサーを代表する大物アニメーターになりました。また、『モンスターズ・インク』や『ファインディング・ニモ』など彼が直接監督を務めていないピクサー映画でも彼は制作総指揮を務めており、当時のラセターはピクサーにおける映画制作のリーダーのような存在になっていました。

 そんなジョン・ラセター氏が2006年のピクサー買収をきっかけにWDASのチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任したのです。これはWDASの映画制作におけるリーダー的ポジションです。つまり、2006年からジョン・ラセター氏はピクサー映画だけでなくWDASのディズニー映画においても制作総指揮を務めることになったのです。実際、2007年に公開された本作『ルイスと未来泥棒』から2018年*5までの間に制作された全てのディズニー長編アニメーション映画においてジョン・ラセター氏は制作総指揮を務めています。2006年以降ディズニー・アニメーションはジョン・ラセターという新たな指導者の下で新たなる制作体制に入ることになったのです。


ラセター体制による回復の兆し

 本作『ルイスと未来泥棒』はジョン・ラセターウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオに参加する前から制作が進行していた作品であり、当初の予定では2006年に公開されることになってました。しかし、2006年に新しくWDASのリーダーとなったジョン・ラセター氏は本作を見てその大幅な作り直しを要求し、2007年に公開時期が延期されたのです。こうして、ジョン・ラセターの指示のもとで大幅な修正が行われた状態で、2007年に本作『ルイスと未来泥棒』が公開されました。つまり、本作は(修正段階からの途中参加ではありますが)ジョン・ラセター氏が制作を指揮した最初のディズニー長編アニメーション映画なんですよね。

 そのおかげなのか、本作はそれまでの暗黒期のディズニー映画と比べるとわりと高い評価を得ています。公開時期の延期や前作『チキン・リトル』の悪評のせいなのか興行収入はめちゃくちゃ高いというほどでもなかったのですが、批評家からの評判はおおよそ肯定的なものでした。Rotten Tomatoesなどを見ると、本作が批評家からも一般観客からもそこそこ高い点数を獲得しているのがうかがえます。

 このような『ルイスと未来泥棒』の高評価はその後の第三期黄金期への復活に向けた兆しとなったと言えます。それまで長い暗黒期を経験したディズニー・アニメーションは、本作から始まった「ラセター体制」のもとで徐々に回復し始めてきたのです。本作『ルイスと未来泥棒』はそんな回復期の訪れを告げる最初の作品だと言えるでしょう。まさに、ディズニー・アニメーションの歴史において重要なターニング・ポイントに位置する時期の作品なんですね。




【個人的感想】

総論

 さてこの『ルイスと未来泥棒』ですが、僕も本作は色んな点で「ラセター体制下のディズニー作品」っぽさが出ている良作だと思います。「ラセター体制下のディズニー作品」の特徴として、脚本がものすごく「作りこまれている」点が挙げられると思います。別の言い方をすると、すごく「技巧的」でまるで「ミステリー小説」のような脚本になってるんですよね。事前に色々と伏線を張り巡らしておいて、最後に視聴者を驚かせるようなどんでん返しを仕込む脚本が、本作以降のディズニー映画ではしばしば目立つようになります。それこそがまさにラセター体制の作品の特長の1つなんですよね。

 この『ルイスと未来泥棒』もそんなラセター体制の作品の特長がかなり目立つ良作だと思います。初見で見た時には「おおー、ちゃんとストーリーを作りこんでるなあ」と思わず感心せずにはいられない、そんな作品に仕上がっています。ストーリーの作り方が普通に「上手い」んですよねえ。以下、詳細な感想を述べていきます。


巧みなミステリー的ストーリー

 上述したように、本作『ルイスと未来泥棒』は非常に「ミステリー的」なストーリーになっています。ようは、ストーリーの後半にいくつかの「どんでん返し」要素が存在してるんですよね。しかも、後半に明らかにされるその「衝撃の事実」のための伏線をきちんと前半に張ってあるので、単なる「意外性」ありきではなく非常に「構成の上手い」作品になっています。こういうストーリー作りにおける技巧的な上手さはジョン・ラセター体制下のディズニー作品において今後目立ってくる特徴の一つです。良い意味で「ネタバレが躊躇われる」作品になってるんですよね。まあ、この記事の感想はネタバレあり前提で書きますけどね笑

 ウィルバーを始めとするロビンソン一家のメンバーとルイスの関係、未来泥棒の正体と真のヴィランなどの後半で明らかになる「どんでん返し」要素のための伏線がかなり細かく前半のシーンで散りばめられてるんですよね。その散りばめ方が本当に上手くて感心します。例えば、ルイスの髪形や正体をロビンソン一家の他のメンバーに隠そうとするウィルバーの様子を伏線として前半に見せることで観客に敢えて「謎」を提示し、その「謎」が後半の展開で解消されるような「ミステリー的」なストーリーになってます。ルイスが実はウィルバーの父だったと後で明らかになることで、前半の謎が解消され観客に「スッキリ」感を与えてくれてるんですよねえ。

 まあ、ウィルバーの父コーネリアスの顔がなかなか判明しなかった描写などで、ミステリー慣れしてる察しの良い観客ならば真相に容易に気付くと思うのでそこまで意外性や衝撃はないかも知れませんけどね。それでもこういう正統派ミステリーらしい丁寧な伏線の張り方や謎解きの描写は、本作の脚本の上手さを象徴していてなかなかに素晴らしいと思います。エンディングでロビンソン一家のルイス以外のメンバーの正体が分かる展開もなかなかに「ミステリー」的で洒落ています。ルイスの将来の里親や将来の妻が、実は序盤の発明品発表の場にいたという種明かしは、この手のタイムトラベルものSFの定番展開ではありますが、まあそれなりに意外性があって感心させられます。ちゃんと将来のロビンソン一家のメンバーの一部を序盤のシーンから登場させていたというさりげない伏線の張り方が本当に上手なんですよね。


ヴィランの描写

 本作はまたヴィランの描写にも一捻り加えられています。この点も実に「ミステリー的」でなかなかに感心させられます。本作のヴィランズの描き方はピクサー作品にも通じるところがあり、その点でもジョン・ラセター体制らしい作品であると言えるでしょう。具体的には、「サプライズ・ヴィラン」と「同情の余地のある過去」の存在の2点です。

 まず、サプライズ・ヴィランについてです。サプライズ・ヴィランとはこの頃からディズニー映画において徐々に目立ってきた新しいタイプのヴィランズの総称です。その名の通り、「サプライズ」要素のあるヴィランのことを指します。どんな点がサプライズかというと、後半になって「実はこいつが真の悪役でした!!」と衝撃的な事実っぽく明らかになるサプライズのことです。最初は悪役ではなく普通の善玉サイドの脇役だと思われていたキャラが、終盤で実は全ての事件の黒幕であり真の悪役だったことが明らかになる展開が特に多いですね。

 このようなサプライズ・ヴィランは、『ターザン』のクレイトン、『トイ・ストーリー2』のプロスペクター、『モンスターズ・インク』のウォーターヌース社長など、当時すでにディズニーやピクサーの映画に登場していました。本作のヴィランズもこのようなサプライズ要素のあるキャラになっています。山高帽の男が悪役でドリスはその手下だと当初思われていたのが終盤でサプライズ的に覆され、実はドリスのほうが真の黒幕だったと明らかになるわけです。まあ、山高帽の男がわりと間抜けキャラっぽくてドリスのほうがそんな彼をしっかり支えている様子が序盤から描かれているので、実はドリスのほうが真の黒幕だということは察しの良い人ならば気が付く範疇ではありますけどね。それでも、そういうヴィランのサプライズ要素がストーリー上でしっかりと矛盾なく成立するように、序盤から色々と細かな伏線を設けていたのは見事だと思います。

 また、悪役に「同情できる過去」が存在してるのも本作の悪役描写のもう一つの特徴でしょう。本作では「真の黒幕」であるドリスを絶対悪に描く一方で、その愚かな傀儡だった「山高帽の男」のほうには不幸な過去があったことが描写されています。このように悪役サイドに同情の余地のある不幸な過去を設定するのは、『カールじいさんの空飛ぶ家』のマンツや『トイ・ストーリー3』のロッツォなど後のピクサー作品にも現れる特徴ですが、それに近いものを本作にも感じます。しかも、その過去というのがそのまま「未来泥棒の正体」というミステリー要素と関連してるんですよね。なので、そのネタ晴らしには単なる「不幸な回想シーン描写」以上の意外性もあります。

 山高帽の男の正体も本作における「ミステリー要素」「どんでん返し要素」の一つになっており、この部分のミステリー的展開の描き方もまた上手いんですよねえ。野球に負けて凹むグーブを山高帽の男が励ますシーンをちゃんと中盤に入れることで、彼の正体に繋がる伏線をきちんと張ってます。だから、終盤で彼の正体が分かった時もその伏線回収の気持ち良さにすっきりするんですよね。このように、ヴィランの描写に関してもミステリー的な上手いストーリーが作られていて感心します。


ディズニーらしいテーマ

 さらに、本作は非常にディズニーの伝統的なテーマを描いた作品でもあります。すなわち「家族」です。家族の絆や愛情というのは昔からディズニー映画が扱ってきたテーマであり、「親子が共に楽しめる」ことがモットーのディズニーらしいテーマでもあります。本作もルイスが自分にとって本当の新しい家族を見つけることが物語のゴールになっており、その点で非常に伝統的なディズニーらしい作品と言えると思います。

 本作ではそのような家族の重要性を「養子縁組」という少し変わった形で描いています。児童養護施設で本当の親を知らずに育ったルイスが自分の家族を見つけようと四苦八苦する本作の物語は、家族の重要性を描いてきたディズニーだからこその説得力あるテーマとして描かれており、わりと心に響きます。

 また、本作では"Keep Moving Forward"というウォルト・ディズニー氏の言葉が至るところで出てきて本作の重要なテーマになっています。オプティミストウォルト・ディズニー氏らしい名言であり、そんなディズニーらしい名言を本作の主要テーマにした点がまた嬉しいんですよねえ。この「いつまでも過去に囚われず前を向いて行こう」という考え方は、ラセター体制下の作品だと後に公開される『カールじいさんの空飛ぶ家』や『ズートピア』のテーマにも通じるところがあります。

 しかも、このテーマに関しては描写の仕方もちょっと上手いんですよね。例えば、野球で負けた過去の失敗にいつまでも囚われていたグーブがそのせいで悲惨な人生を辿ってしまったり、ルイスが自分を捨てた母親の正体にずっと執着していたりと、そういう「反面教師」の例を出すことで、"Keep Moving Forward"の精神がいかに大切なのかを伝えてくれるような描写になっています。

 自分を捨てた母親に会うことをルイスが敢えて辞めたエンディングのシーンは良い終わり方だったと思います。ルイスが"Keep Moving Forward"の精神のもとで未来に希望を持てるようになったことがうかがえる良い展開でしょう。また、最後の最後でその言葉がウォルト・ディズニー氏の言葉なんだと明らかになる展開もお洒落で良いですね。この洒落た種明かし演出も個人的にはかなり好きです。


アクションシーン

 本作はディズニー映画の中では珍しく終盤に印象的な迫力満点のアクションシーンがないんですけど、その代わり中盤に恐竜が出てくるアクションシーンがねじ込まれています。この恐竜とのアクションシーンはそんなにめちゃくちゃ見所あるというほどでもないんですけど、それなりに画面が目まぐるしく動く忙しい展開になっていて良かったです。この恐竜との共闘を通してロビンソン一家との絆が形成されていくという展開になっているため、アクションシーン自体がストーリー上の蛇足にもならずに済んでますしね。

 また、アクションシーンってほどではないですが終盤にドリスが人間たちを支配した世界の様子もそれなりに絶望感を演出できていて良かったと思います。ルイス以外の登場人物はみんな消えたりドリスの支配下になったりしていて、ルイスしかこの状況を変えられる人物がいないという状況になっていました。この部分がなかなかに絶望感ある展開で良かったと思います。それなりにハラハラドキドキさせられました。

 そして、そんな絶望的な状況をルイスが解決する方法もなかなかに良いんですよね。シンプルかつあっさりでありながら意外性も十分ある倒し方で、「コロンブスの卵」的なものを感じます。確かに、ドリスはルイスの発明品なんだから彼が最初から発明しないと決意しちゃえばそれだけでドリスの存在は消えてしまうんですよね。本作を初めて見た時はこの展開に思わず「あー、なるほど、その手があったか」と感心しました。納得感があってスッキリする上手い展開だと思います。


惜しい点

 以上、ここまでこの『ルイスと未来泥棒』のストーリーの素晴らしい点を述べてきましたが、本作は多少「惜しい点」もなくはないです。例えば、上でも述べた「アクションシーンの不足」などはその一つだと思います。まあ、これはアクションなくても十分にハラハラドキドキして盛り上がる緊張感ある展開を終盤に見せてくれたので十分なんですけどね。

 もう一つの惜しい点はキャラの多さでしょうか。ロビンソン一家はさすがに構成員の数が多すぎて初見だとなかなか全員は覚えられません。まあ、『トイ・ストーリー』でもあれだけたくさんのおもちゃのキャラを出しつつちゃんとそれぞれに個性を与えてキャラを立たせてくれたジョン・ラセター氏なので、本作でもロビンソン一家のメンバーそれぞれのキャラはきちんと立ってはいるんですけどね。とは言え、さすがに多すぎて覚えきれないという難点はあります。個人的にはそこまで強く気になるほどの欠点でもないんですけど、ちょっと「惜しい点」だとは思います。


音楽

 本作はそんなにミュージカル要素は強くないんですけど、それでも劇中歌はそれなりにあります。例えば前半のルイスが記憶を除く装置を発明するシーンでは"Another Believer"が流れます。この曲はルーファス・ウェインライト*6が手掛けています。この"Another Believer"は一昔前の懐かしい初期のロックっぽい雰囲気がお洒落でエモくなる良曲でしょう。そんなに強く印象に残るほどの曲でもないんですけどね。

 また、中盤ではカエルたちが"Where Is Your Heart At?"と"Give Me The Simple Life"を歌っています。お洒落なジャズっぽくてどっちも良い曲ですね。特に、僕はこういう格好良いジャズが好きなのでこの歌うカエルたちのシーンはなかなかに良かったです。この曲を歌っているのはイギリス出身の有名なジャズ・シンガージェイミー・カラム氏です。なかなかに格好良いボーカルがお洒落なんですよねえ。わりと好きな曲です。

 また、エンディングではロブ・トーマス氏*7の"Little Wonders"が流れました。この曲もそんなに強く印象に残るほどではないんですが、エンディングにぴったりの結構エモい感じの良曲に仕上がっていると思います。


伏線回収が気持ち良い良作

 以上、ここまで『ルイスと未来泥棒』の感想を述べてきましたが、全体的に暗黒期からの回復の兆しを感じる良作に仕上がっていたと思います。上で述べてきたように、本作は非常に「良質なSFミステリー作品」に仕上がってるんですよね。ロビンソン一家の秘密や山高帽の男の正体など、前半で提示された謎が後半で気持ち良く解明されていく過程は非常に気持ち良くてスッキリするんですよねえ。上手な推理小説の解決編を読んでる時のような気分になれます。

 伏線の散りばめ方がかなり上手いので、後半の謎解明シーンでそれらの伏線が一気に回収される過程がすごく気持ち良いんですよねえ。ルームメイトのグーブの存在と山高帽のルイスへの執着、発明品発表会でカエルを持ってた女の子とロビンソン一家の歌うカエルたちなど、一見関係なさそうに見えた描写が見事に伏線として繋がっていて終盤でそれが明らかになる過程は見事としか言いようがありません。脚本作りにおけるこういう技巧的な上手さは、これ以降のディズニー映画でも目立つ重要な特長です。この『ルイスと未来泥棒』以降のラセター体制下でのディズニー映画は全体的にこういう"well-made"なストーリーが光る作品が目立ちます。本作はまさにその走りと言えるでしょう。

 また、養子縁組を通して伝える家族の重要性やウォルト・ディズニー氏の名言"Keep Moving Forward"を本作の重要テーマに据えた点も個人的に好きな点ですねえ。僕は昔からのディズニーが大好きな保守的なディズニーオタクなので、こういうディズニーの伝統を感じさせてくれるようなテーマを全面に出してくれるととても嬉しくなるんですよね。先述した通り、そのテーマの描写の仕方もなかなかに上手いですからね。

 ただ、全体的に音楽がそんなに強く印象に残らなかったり、アクションシーンが少ないゆえに盛り上がりに若干欠けるなどの惜しい要素もなくはなかったです。とは言え、その程度の減点要素は大して気にならない程度には面白い作品でした。良く練られたwell-madeなストーリーのおかげで最後まで飽きずに満足感を持って見続けることができましたからね。全体的には、第三期黄金期に向けた回復の兆しを感じさせる良作と言えるでしょう。個人的にはわりと好きな作品ですね。






 以上で『ルイスと未来泥棒』の感想記事を終わりにします。次回は『ボルト』の感想記事を書こうと思っています。それではまた。

*1:以下、ピクサーと略します。

*2:以下、WDASと略します。

*3:ウォルト・ディズニー氏が1961年に創設した芸術大学です。通称「カルアーツ」と呼ばれます。

*4:第一期黄金期から1980年代頃までディズニー・アニメーションを支えた9人の大御所アニメーターの総称です。ジョン・ラセターはそのうちエリック・ラーソンフランク・トーマス、オリー・ジョンストンの3人から大学では教えを受けたそうです。

*5:ジョン・ラセター氏がディズニーを退社した年です。

*6:"The One You Love"などで知られるアメリカの有名な歌手です。

*7:アメリカの有名な歌手です。"Something To Be"とかの曲が有名でしょうか。