tener’s diary

てねーるのブログ記事です

【ディズニー映画感想企画第46弾】『チキン・リトル』感想~フルCGアニメーションへの移行~

 ディズニー映画感想企画第46弾です。今回は『チキン・リトル』の感想記事を書こうと思います。これも一般的にはマイナーな作品なのですが、ディズニーオタクの間では「色々な意味で」有名な作品だったりします。そんな『チキン・リトル』について語っていきたいと思います。

  f:id:president_tener:20200910094135j:plain  f:id:president_tener:20200910094156j:plain


【基本情報】

同じ寓話の二度目のアニメ化

 『チキン・リトル』は2005年に公開された46作目のディズニー長編アニメーション映画です。原作はヨーロッパに古くから口承で伝わる同名の寓話です。この寓話は『ヘニー・ペニー』というタイトルでも知られますが、アメリカでは本作品と同名の『チキン・リトル』というタイトルで呼ばれることも多いです。日本ではあまり知られていない寓話かもしれませんね。どんぐりが頭に落ちたのを「空の欠片が落ちた」と勘違いした鶏(チキン・リトル)がそれを王様に伝えてみんなで避難を画策するも狡賢い狐(フォクシー・ロクシー)に騙されてみんな食べられてしまうというストーリーで、「不確かな情報を安易に拡散すると酷い目に合うよ」という教訓を伝える寓話になっています。とは言え、原作改変が伝統芸のディズニーのことですから、本作においてもこの寓話のストーリーを大幅に変更しています。上で述べた寓話とは全く異なるストーリーで制作されました。

 実は、この寓話をディズニーがアニメ化したのは本作が初めてじゃないんですよね。1943年にも同じ寓話を原作とした『きつねとヒヨコ』というタイトル*1の短編アニメーションをディズニーは公開しています。この1943年版は短編アニメーションですが、そこから60年以上経った2005年に今度は長編アニメーションとしてディズニーは同じ寓話を改めて映画化したんですね。ディズニーにとっては二度目のアニメ化という訳です。


フルCGへの移行

 そんな『チキン・リトル』ですが、本作はディズニーのフルCGアニメーションへの移行を示す作品でもあります。これまでウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ*2では、基本的にはずっと手描き2Dアニメーションの映画を制作し続けてました。2000年にWDAS初のフルCG映画として『ダイナソー』を公開しましたがあれはあくまでも一時的な試みであり、その後公開された『ラマになった王様』以降の作品はまた全て手描き2Dアニメーションに戻っていました。

 これまでの記事で見て来た通り、当時のアメリカのアニメーション映画界ではすでにフル3DCGアニメーションが主流となっていました。ピクサー、ドリームワークス、ブルースカイなどの新興アニメーションスタジオがフル3DCGアニメーションでヒット作を公開していました。そんな時代の中で、ディズニーもフルCGへ移行しなければ2000年代の暗黒期は抜け出せないと考えるようになったのです。そして、とうとう前作『ホーム・オン・ザ・レンジ にぎやか農場を救え!』の公開をもって伝統的な手描き2Dアニメーションの制作を終了することを公式にアナウンスしました。*3

 こうして手描き2Dアニメーションを完全にやめることを決めたディズニーは、この『チキン・リトル』から完全にフル3DCGアニメーション制作へと移行したのです。実際、この『チキン・リトル』以降のディズニー長編アニメーション映画は原則としてほぼ全てフル3DCGアニメーションの映画です*4。こうして、最後の砦だったディズニーもフル3DCGへと移行を明らかにし、アメリカのアニメーション映画業界はほぼ完全にフル3DCGへの時代へと変わったのです。


アイズナー体制最後の作品

 前の記事【ディズニー映画感想企画第45弾】『ホーム・オン・ザ・レンジ にぎやか農場を救え!』感想~懐古趣味に溢れた作品~ - tener’s diaryで詳しく説明しましたが、当時のウォルト・ディズニー・カンパニー内では大きな政変が起きていました。約20年間にも渡ってウォルト・ディズニー・カンパニーのCEOであり続けたマイケル・アイズナー氏が、暗黒期の衰退の責任を取らされ退陣に追い込まれたのです。これが、本作の公開直前の2005年9月の出来事でした*5。つまり、本作『チキン・リトル』はマイケル・アイズナー体制下での最後の作品でもあるのです。

 マイケル・アイズナー氏に代わって新たにウォルト・ディズニー・カンパニーのCEOに就任したのがボブ・アイガー氏です。彼はもともとアメリカの有名なテレビ局ABCに所属していた人で、1996年にウォルト・ディズニー・カンパニーがABCを買収してからはウォルト・ディズニー・カンパニー内でも地位を得ていきました。そしてそのままウォルト・ディズニー・カンパニー内で順調に出世を重ねていき、2005年にアイズナー退陣後のウォルト・ディズニー・カンパニーの新CEOに就任したのです。

 このボブ・アイガー氏のもとで後にディズニー・アニメーションは第三期黄金期を迎えることになり、またウォルト・ディズニー・カンパニー自体も多数の企業を買収して巨大化していきました。まさに、ウォルト・ディズニー・カンパニーの復活と繁栄を象徴する時代のCEOと言えるでしょう。アイガー体制になってからのディズニーの変化については今後の記事でまた詳しく述べていく予定です。ともかく、本作『チキン・リトル』はその新しいアイガー体制に変わる前のアイズナー旧体制下で全ての制作が進められた最後の作品でもあるんですよね。時代の転換期に位置する作品と言えるでしょう。


暗黒期のどん底

 この『チキン・リトル』は興行的には実は結構ヒットしました。なんとあの『リロ・アンド・スティッチ』よりも『チキン・リトル』のほうが興行収入は上なんですよ。2000年代暗黒期の例外的成功作である『リロ・アンド・スティッチ』よりも高い興行収入を叩き出し、そこだけ見ると文句なしの成功作とも言えるこの『チキン・リトル』ですが、それにもかかわらず批評家や一般観客からの評判は物凄く悪いです。

 Rotten Tomatoesでの点数などを見れば、その評価の低さがすぐうかがえると思います。それぐらいこの作品は評判悪いです。実際、『リロ・アンド・スティッチ』よりも映画は売れたにも関わらず、現在のディズニー系のテーマパークなどでも『チキン・リトル』の登場するアトラクションやショーやキャラグリやグッズはほぼ皆無です。完全に忘れかけられた存在になっています。ほぼ黒歴史に近い扱いを受けていると言って差し支えないでしょう。

 そのため、この『チキン・リトル』はしばしばディズニーオタクの間で『コルドロン』などと並んで「ディズニー最大の失敗作」「ディズニー史上ワースト」との汚名で呼ばれることの多い作品です。まさに、ディズニーオタクの間では『コルドロン』同様に「悪い意味」で有名な作品なんですよねえ。実際、歴史的な立ち位置もちょっと『コルドロン』に似ています。というのも、上で述べて来たようにこの『チキン・リトル』はディズニーが旧体制から新体制へ変化するその転換期に当たる作品です。この点は、『コルドロン』にも当てはまります。『コルドロン』も、ディズニーのCEO交代の政変が起きた時に制作された作品でした。*6

 さらに、その新体制へ移行を境にディズニー・アニメーションは黄金期へ向けて徐々に復活の兆しが現れてきます。この歴史の流れもかなり似ています。1980年代のディズニーは『コルドロン』という大失敗の後に『オリビアちゃんの大冒険』や『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』などで徐々に復活の兆しが出てきて、最終的に『リトル・マーメイド』で第二期黄金期が始まりました。同様に、2000年代のディズニーもこの『チキン・リトル』という大失敗の後に『ルイスと未来泥棒』や『ボルト』などで徐々に復活の兆しが出てきて、最終的に『プリンセスと魔法のキス』『塔の上のラプンツェル』で第三期黄金期が開始するんですよね。まさに、「歴史は繰り返す」とでも言いたくなるぐらい似たような歴史を辿っています。

 このように、歴史的位置付けの点でも作品自体の評判の悪さの点でも『チキン・リトル』と『コルドロン』はそっくりなんですよねえ。そんな訳で、本作はディズニーオタクの間で「主に悪い意味で」有名な作品になっています。





【個人的感想】

総論

 さて、上で述べたように『チキン・リトル』はめちゃくちゃ評判が悪い映画なのですが、僕も本作はその評判通りの「駄作」だと思いますね。色々な点で「見るのが苦痛……」って感想が出てきてしまう作品なんですよね。ストーリー自体はそれなりに飽きないようなものにはなってるんですが、決して面白くはないし大きく感動するような要素も薄い、そんな良いところなしの話になっています。しかも、単に良いところなしのストーリーってだけでなく、わりと不快感も強い内容になってるんですよね。ここが本作の致命的な欠点にもなってると感じます。周囲の大人がリアルに嫌なやつばかりだし、安易なパロディ系のギャグに走りがちだし、ストーリーも超展開がすぎるし……そういうところでストレスがめちゃくちゃ溜まる作品になってるんですよねえ。駄作どころか、個人的には「嫌い」とすら言いたくなるような作品ですね。

 以下、詳細な感想を書きます。


悪趣味なコメディ

 この『チキン・リトル』は『ラマになった王様』のようなかなりギャグ要素の強いコメディ寄りの作品になっているんですよね。そもそも本作の監督と脚本を務めてる人はどちらも『ラマになった王様』の時と同じ人ですからね*7。そのため、『ラマになった王様』を彷彿とさせるようなかなりハチャメチャなギャグが多いのですが、本作はちょっとそのコメディ要素が『ラマになった王様』ほど面白くないです。というか、人によってはわりと悪趣味で不快感を感じるタイプのコメディに仕上がってるとすら言えると思います。

 というのも主人公のチキン・リトルの境遇がちょっとガチで可哀想で見てられないんですよね。本人は最初から本当のことを言ってたにもかかわらず周りの大人が信じてくれないという基本設定のところまではまだ良いですよ。でも、だからと言って町全体で彼を馬鹿にする映画を作るレベルで虐めるのはちょっと度を越していて酷すぎると思ってしまいます。学校でのスクールカーストの描かれ方もあまりにもリアルかつ陰湿で、ちょっとコメディの明るさを損なうレベルだと感じますね。しかも、学校でのいじめに関しては生徒だけでなく先生たち大人まで加担してるから余計にたちが悪い。

 ヒロインのアビーの容姿を笑うなと注意してた先生も実際にはアビーの容姿を気味悪がってましたし、ドッジボールの先生に至っては積極的にチームをスクールカーストで分けたりラントを的にするよう指示したりと、完全にいじめに加担してると言って差し支えないレベルです。こういうリアルすぎて笑えないレベルに酷い虐めのシーンを随所に入れてくるくせに、作品全体はギャグ色を強くして明るい雰囲気を出そうしてるのでそのチグハグさがきつい。だから、人によっては悪趣味に感じるタイプの演出だと思いますね、これ。

 あと、フォクシー・ロクシーが精神に異常をきたしたまま終わるオチも個人的には嫌いです。いくらギャグ描写だとは言え、あのオチはちょっと倫理的嫌悪感を覚えます。そりゃフォクシー・ロクシーは酷い虐めっ子ではありましたが、だからと言ってラントの一方的な言い分通りに彼女を気が狂った状態のまま放置して「ハッピーエンド」扱いはちょっと気持ち悪くてドン引きします。しかも、本来ならば治療できたのにも関わらずそれを敢えて放置したわけですからね。そんな倫理的に問題ありそうな行為をしておいて「ハッピーエンド」扱いはどうなのよ?という違和感は拭えないです。

 こういう「ドン引きして笑えないシーン」の多さが本作品の欠点だと思います。コメディにしては悪意がきつすぎるんですよね。見てるのが苦痛なタイプのコメディになってて、普通に嫌いです。


パロディネタ

 『ラマになった王様』ではメタフィクション演出やドタバタしたアクションなどが主なギャグ要素として機能していました。本作でもそのような方向性をおおむね踏襲してる一方で、新たなタイプの笑いとしていわゆる「パロディ」が多いのが本作の特徴となっています。例えば、最初のオープニングのシーンでは『ライオン・キング』の「日の出とともに始まるオープニング」や昔のディズニー映画の「本を開いて始まるオープニング」などをセルフパロディにしていますし、『インディ・ジョーンズ』や『キング・コング』や『スター・ウォーズ』など非ディズニー作品のパロディネタもぶっこんで来ています。同年公開されたばかりの映画『宇宙戦争』のパロディネタもあるぐらいですからね。かなりパロディに頼ったギャグが目立つ作品と言えるでしょう。

 ただ、ぶっちゃけこれらのパロディネタも、せいぜいちょっと「クスッ」と笑える程度のネタに過ぎず、そんなに大笑いできるほど面白いわけでもないです。いや、一般にパロディネタが必ずしも悪いってわけではないんです。でも、パロディネタって上手な出し方が結構難しくて、ちょっと使い方を間違えるとかなり寒くて痛々しいギャグになりがちなんですよね。本作のパロディネタは全体的にそんな感じが特に強かったです。なんでかというと、作品全体のストーリーやキャラクターの個性に繋がらない文脈無視の唐突なパロディネタが多かったからだと思うんですよね。

 例えば、オープニングのセルフパロディ的なネタも、その後のストーリー展開や物語のテーマには全くつながらずその場限りの使い捨てのネタにすぎない。同じようにディズニーのセルフパロディやるなら、この作品の2年後に公開された『魔法にかけられて』のほうが、作品全体のテーマに繋がったギャグとして成立していて上手いです。本作のセルフパロディは、「とりあえず今までのディズニーのあるあるオープニングを自分で茶化したら笑えるだろ」という安易な思い付きで冒頭にそのネタを持ってきたようにしか見えないんですよね。もちろん、そういうパロディネタも決して悪くはないんです。その場限りで「クスリ」とは笑えますからね。でも、逆に言えばそれだけなんですよね。その場限りの一時的な小笑いに過ぎず、作品を見終わる頃には忘れているような、印象の薄いネタにしかならないんですよね。

 しかも、パロディネタって上手い使い方を考えないと「安易な方向に逃げた」と思われるタイプのネタなんですよ。有名な映画のセリフやシーンをストーリーの文脈関係なく単に突っ込むだけならば誰にだってできるわけで、そこに「技巧的な上手さ」は感じ取れないんですよね。「上手いネタだなあ、感心するなあ」と思えるようなギャグにはならず、だから笑いの威力も低いままなんです。ようは、その場の雰囲気を考慮せずいつでもどこでも下品な下ネタを言えば笑いが取れると思っている小学生に近い「安易さ」なんですよね。とりあえずウンコだのチンコだの安易な下ネタを言えばいつでも面白いと思ってるだけのギャグって雑だし下手だし飽きるじゃないですか。本作のパロディネタもそんな感じなんですよね。単に「有名作品のパロディ入れてみました」以上のギャグにはなってなくて、安易だし雑だしそんな面白くないなあという感想です。

 まあ、ラントが唐突に『スター・ウォーズ』のネタバレを言うシーンは個人的に結構笑えたんですけどね。本作のパロディネタのうち一番面白かったのはここですかね。ここはちょっとした意外性があって面白かったです。こんなストレートなネタバレを言っちゃうんだ、という驚きと滑稽さがちょっと笑えました。まあそれでもせいぜい「ちょっと笑える」程度のギャグでしかないんですけどね。全体的に、もっとパロディネタの「上手い」使い方を考えるべきだと思います。思わず「上手いなあ」と感心するようなパロディネタが出て来たら良かったんですけどねえ。


へたくそなテーマの描き方

 本作はテーマの描き方も下手くそだと思います。確かに、作品全体のメインテーマは分かりやすいですよ。みんなから嘘つき扱いされた主人公のチキン・リトルが、父に信じてもらうよう頑張るお話です。物語のゴールがはっきりしている点は本作の数少ない長所ではあるでしょう。でも、だからこそそのゴールまでの持って行き方がダメダメすぎるんですよね。

 そもそも本作は父と子の絆がメインテーマにもかかわらず父バック・クラックと主人公チキン・リトルとの間の葛藤描写が少なすぎます。アビー、ラント、フィッシュのクラスメイト3人との絡みのほうが作品の大きな要素を占めてて、肝心の父と子の絆の変遷がほとんど描かれないのは、どう考えても物語のバランス配分を間違えてるとしか思えません。未知の宇宙船が出てきてからの展開ってもはやほとんどこのメインテーマに関係してないですからね。アビーやラントやフィッシュとともに未知の宇宙船を追いかけて冒険したりする中盤のシーンにおいて、父親バック・クラックの登場シーンってほとんどないですからね。そんなところに尺を使うよりももっと必要なシーンがあるでしょうと思わずにはいられませんでしたね。

 そして、問題の解決の仕方も強引すぎます。確かに、物語の冒頭からアビーが何度も"closure"の大切さを強調していました。でも、チキン・リトルはそんなアビーのアドバイスを無視して一向に父と話し合おうとしません。そんな彼がようやく父に自分の本音をぶつけたのは、宇宙人襲来の真っただ中のことです。どう考えても、今そんなことをしてる場合じゃありません。今まで散々アビーのアドバイスを無視して父との「話し合い」を避けて来たのに、よりにもよって宇宙人が町中を襲って大パニックになったタイミングで今更それを始めるチキン・リトルの行動が唐突だし呆れてしまいます。「じゃあ、最初から話し合えば良かったじゃん」と思わずにいられません。

 なんで今更このタイミングでチキン・リトルが父と話し合う決意をしたかの動機付けが弱すぎるんですよね。いやまあ、直接的にはアビーの「問題に対処しろ」というセリフに感化されたからなのは見てりゃ分かりますよ。でも、今まで散々アビーのアドバイスを無視してきたのになんでこのタイミングで急に彼女のアドバイスに従うのかは良く分かんないんですよね。だから「じゃあ、最初から話し合えば良かったじゃん」という感想が出てきてしまいます。

 さらに言えば、父親がその話し合い一つでチキン・リトルと和解してしまうのも唐突で謎です。今まで、息子のチキン・リトルがいくら必死に訴えてもまともに聞く耳を持たなかった父バック・クラックが、なんでよりにもよって宇宙人襲来のタイミングになってあっさりとチキン・リトルの熱弁を受け入れたのか良く分かりません。それならばもっと最初の段階から息子のことを信じてあげろよとどうしても思ってしまいます。上で述べたように、バック・クラックの背景や心情変化の描写がほとんどない*8から余計にそう感じるのかもしれません。もう少しバック・クラックとチキン・リトルの親子の絆が徐々に徐々に回復していく過程をゆっくりと丁寧に描写していれば、終盤のその「話し合いでの和解」シーンにも唐突さを感じずに済んだのかもしれません。

 本作と同じギャグ要素の強い『ラマになった王様』では、たくさんのギャグを挟みながらもクスコとパチャの間で絆が徐々に形成されていく過程を丁寧に描いていました*9。コミカルな作風でありながらもメインテーマの描き方はちゃんとしていたんですよね。それに対して、本作『チキン・リトル』はただただコミカルなだけで、肝心のメインテーマの描写は下手くそだし雑です。明らかに描写不足であり、それゆに最後の解決の仕方も唐突にしか見えないです。『ラマになった王様』でのクスコとパチャの関係みたいに、チキン・リトルとバック・クラックの関係ももっと丁寧にたくさん描写すべきだったと思いますね。


めちゃくちゃなストーリー

 さらに言えば、本作はストーリー展開も悪い意味で「ハチャメチャ」で「支離滅裂」です。そもそもの基本設定の話になるんですが、前半と後半のストーリー展開のつながりがあまりにも急すぎませんか?前半までの野球シーンとかの日常描写と後半の急なUFO出現のシーンのSF的世界観があまりにもチグハグすぎて違和感が半端ないです。急に全然違うジャンルの物語が始まったように思えて、ちっとも物語にのめり込めないです。

 あれですね。有名な少年ジャンプの打ち切り漫画『タカヤ-閃武学園激闘伝-』みたいな感じです。あれも、途中まで学園モノだったのに急に途中から異世界ファンタジーにジャンルが変わったじゃないですか。本作『チキン・リトル』もそれに近い唐突なジャンル変更なんですよね。急に、宇宙船が現れるSF展開ははっきり言って「超展開」と言われても仕方ないと思いますよ。支離滅裂でトンデモすぎる超展開に、悪い意味で唖然とします。

 正直言って、前半の野球のシーンのほうが後半の超展開SFよりも面白かったです。中盤だからこその展開の読めなさがあってそれがスリルになっていたんですよね。これが終盤の試合だったらどうせチキン・リトルがギリギリで勝つんだと邪推できなくもないですが、中盤の展開ゆえに、一回負けるという悲劇的展開を終盤のハッピーエンドでのカタルシスのために敢えて入れる可能性も普通にあり得たので、試合の結果がどうなるか予想つかなくてそこが面白かったんですよね。僕は野球に詳しくないので細かい描写は良く分かってないのですが、そんな僕が見てもちゃんと面白い試合に思えました。チキン・リトルがきちんと活躍できるのかできないのか分からずハラハラする展開を所々で入れてくれたのが良かったです。だから、最後にチキン・リトルの野球での活躍がはっきり分かった時にカタルシスもそれなりに感じさせてくれます。本作の数少ない長所ですね。

 でも、中盤のほうが終盤の山場よりも面白いっていうのは、一つの物語の作り方としてはダメじゃないのか?とも思いますね。後半からの超展開ストーリーに最後までついていけなかったので、後半の宇宙人襲来のアクションシーンは全然面白く感じなかったです。せっかくのクライマックスなんですから、前半の野球のシーンよりももっと惹き込まれるような展開を後半に持ってきてほしかったです。


音楽

 本作の数少ない良いところは音楽でしょう。本作の特徴として、ディズニー映画には珍しく「懐かしの洋楽ポップス」が劇中歌として至る所で使われている点が挙げられます。ディズニーのオリジナルの曲ではなく、すでにある有名な昔の曲を集めてそのカバーを流してるんですよね。『リロ・アンド・スティッチ』でもエルヴィス・プレスリー氏の既存曲が劇中で使われていましたが、『チキン・リトル』ではよりたくさんの歌手の曲が使われています。"Stir It Up"や"All I Know"や"Don't Go Breaking My Heart"や"We Are the Champions"……etcなどなど、そのどれもが「一昔前に流行った懐かしの曲」なので、僕みたいな洋楽好きの人間としては聴いてて懐かしい気分になります。その点だけは良かったです。

 でもこれって本作の作品としての魅力ではなく、単にその「懐かしの洋楽」それ自体の魅力にすぎないんですよね。そりゃ、こんな懐かしの名曲を流されたらどこで使われてようと洋楽好きとしてはそれなりに感動するわけで、映画としての良し悪しを語るならば問題はこれらの名曲の「使い方」にあるわけですよね。ようは、上手く映画全体の演出においてピッタリの選曲になってるかという点なんですが、本作はこの点もおおよそ良かったとは思います。ちゃんとそれぞれのシーンに合った音楽が採用されていました。

 なお、本作は既存の「懐かし洋楽ポップス」しか流れないわけではなく、一応この映画のために新しく作られたオリジナル・ソングも流れています。"One Little Slip"がそうです。本作のオープニングの部分で、ベアネイキッド・レディースというカナダの有名なバンドが歌っています。この曲だけは元からあった曲ではなくこの『チキン・リトル』のために新しく作った曲になるのですが、それなりに良い曲だと思います。まあ、そんな強く印象に残るほどの曲でもないんですが、オープニングの雰囲気に合う良い感じの正統派ロックって感じの曲だと思います。めちゃくちゃ好きな曲ってほどでもないですが、嫌いな曲ではないです。


文句なしの駄作

 以上、ここまで『チキン・リトル』の感想について述べていきましたが、まあ全体的には文句なしの駄作と言って差し支えないと思います。ストーリー展開に大きな矛盾や穴があるわけではないし、起伏がなくて眠くなるタイプの退屈な作品ってわけでもないのでその点ではマシですが、それでも『コルドロン』などと並ぶ文句なしの駄作であることには変わりないでしょう。というか、上でも述べたようにそのストーリーに関してはもはや不快ですらあります。

 コメディなのに笑えないリアルな悲痛さが垣間見える展開、パロディネタの安易な多用、テーマ描写の下手くそさ、支離滅裂な超展開ストーリーなど、とにかくダメな点が多すぎます。この作品がディズニーオタクからも批評家からも評判悪いのも納得の内容だと思います。もはや「嫌い」とすら言いたくなるレベルの作品ですね。2000年代暗黒期の作品の中では個人的に一番苦手な作品です。







 以上で、『チキン・リトル』の感想を終わりにします。次回は『ルイスと未来泥棒』の感想記事を書きたいと思います。それではまた。

*1:なお、原題は2005年公開の本作と同じく"Chicken Little"です。

*2:以下、WDASと略します。

*3:これについては前回の【ディズニー映画感想企画第45弾】『ホーム・オン・ザ・レンジ にぎやか農場を救え!』感想~懐古趣味に溢れた作品~ - tener’s diaryの記事でも述べたのでそちらもご参照ください。

*4:ただし、『チキン・リトル』公開後の作品でも『プリンセスと魔法のキス』『くまのプーさん』など手描き2Dアニメーション作品は一部例外として存在します。

*5:本作がアメリカで公開されたのは2005年10月のことです。

*6:詳しくは【ディズニー映画感想企画第25弾】『コルドロン』感想~最も有名な失敗作~ - tener’s diaryの記事をご参照ください。

*7:監督はマーク・ディンダル氏、脚本はランディ・フレマー氏です。

*8:一応、中盤で子育ての悩みをなき妻の写真に吐き出すシーンはありますがそれだけです。

*9:詳しくは【ディズニー映画感想企画第40弾】『ラマになった王様』感想~異色の完全ギャグアニメ~ - tener’s diaryの記事を参照してください。