tener’s diary

てねーるのブログ記事です

【ディズニー映画感想企画第41弾】『アトランティス 失われた帝国』感想~暗黒期の象徴的作品~

 ディズニー映画感想企画第41弾です。今回は『アトランティス 失われた帝国』の感想記事を書こうと思います。この作品も前作とはまた別方向での異色作でしょう。そんな『アトランティス 失われた帝国』について語っていきたいと思います。

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【基本情報】

暗黒期の継続

 『アトランティス 失われた帝国』は2001年に公開された41作目のディズニー長編アニメーション映画です。この2001年はウォルト・ディズニー氏の生誕100周年に当たる記念的な年なんですよね。ディズニー・アニメーションの偉大な生みの親に当たる彼が1901年に生まれてからちょうど100年目に当たるこの記念的な年に公開された本作品ですが、別にだからと言ってそれらしい要素が本作品に見られるわけではないです。あまり「ウォルト生誕100周年記念」っぽさは感じないです。

 前の記事で、前作『ラマになった王様』が従来の第二期黄金期のディズニー映画とは大きく異なる作風になったことを述べましたが、本作も『ラマになった王様』とはまた別方向ではありますが「異色の作風」の作品に仕上がりました。この映画は、ジュール・ヴェルヌの有名なSF小説海底二万里』をもとにした「冒険映画」として制作されたのです。しかも、前作『ラマになった王様』同様に本作品も非ミュージカル作品として作られました。1990年代の第二期黄金期のディズニー作品を特徴付けていたミュージカル路線は、2000年代に入ると徐々に消えかけていったのです。

 このように「非ミュージカル」の「SF遺跡アドベンチャー映画」というかなり異色の作風で作られた本作品は、前作『ラマになった王様』と同様にイマイチな興行成績を叩き出しました。主人公の声優にマイケル・J・フォックス*1を採用するなど、それなりに話題性のありそうな要素もあったのにもかかわらず、興行収入はまたまた2億ドルを切りました。2年連続でディズニーらしからぬ異色作が商業的に失敗したあたり、やはりディズニーは市場のニーズを読めてなかったんじゃないかなあと僕は推測します。恐らく、当時の観客の多くは『ラマになった王様』や『アトランティス 失われた帝国』のような「ディズニーらしからぬ異色作」をディズニーに求めてはいなかったんじゃないでしょうか。こうして、2年連続でウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオは興行収入の低迷を抱え、暗黒期が依然続いて行くことになるのでした。

 なお、前作『ラマになった王様』は興行収入こそ悪かったものの批評家や見た人一般からの評判は決して悪くなかったと前の記事で述べましたが、今作『アトランティス 失われた帝国』のほうは批評家や一般観客からの評判も良くなかったです。Rotten Tomatoesなどで本作の評判を検索しますとかなりイマイチな評価を受けていることがうかがえます。つまり、『アトランティス 失われた帝国』は商業的な意味のみならず批評的な意味でも「暗黒期」と言うべき作品なのです。


アニメーション界の勢力交代

 この『アトランティス 失われた帝国』の公開された2001年はアニメーション映画界においてかなり豊作の年でした。この2001年は、ピクサーが『モンスターズ・インク』を、ドリームワークスが『シュレック』をそれぞれ公開した年なのです。この2つの作品は『アトランティス 失われた帝国』の2倍以上の興行収入を叩き出して世界的に大ヒットしました。もはやアメリカのアニメーション映画界のトップはウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオではなく、ピクサーとドリームワークスという2つの新興スタジオに取って代わられたのです。

 ピクサーの『モンスターズ・インク』にしてもドリームワークスの『シュレック』にしても、どちらもフルCGアニメーションの映画です。そのような新しいタイプのアニメーション映画がディズニー以上の大ヒットを記録したことで、もはや従来のディズニー・アニメーションのような手描きスタイルの2Dアニメーションは時代遅れだと感じる人々が増えてきました。そのため、ディズニーもこの頃から徐々にフルCGアニメーションへの移行を図るようになりました。

 さらに、2001年は日本でもジブリの『千と千尋の神隠し』が公開され爆発的大ヒットを記録した年でもあります。この『千と千尋の神隠し』は翌2002年にはアメリカでも公開され大いにヒットしました。1990年代後半からすでにアメリカではいわゆる「ジャパニメーション*2ブームが盛り上がってきており、この『千と千尋の神隠し』の大ヒットはそんなジャパニメーション旋風の一つの絶頂期に当たる出来事でした。

 ピクサーやドリームワークスのようなフルCGアニメーションジブリのようなジャパニメーション……これら新興勢力の台頭によってアニメーション界の勢力図は大きく変化していったのです。もはやディズニーはアニメーションの王者の位置からは転落してしまったと言えます。

 この勢力交代をさらに裏付けた出来事が、この年に創設されたアカデミー賞長編アニメ映画賞です。今までのアカデミー賞では短編アニメーション部門は存在していたのですが、長編アニメーション部門は存在せず実写の長編映画と同じ括りで扱われるだけでした。この2001年から長編アニメーション映画は、従来通り実写長編映画と同じ作品賞などで審査されることもありつつも、それとは別に長編アニメーション部門でも審査されるようになったのです。そして、2001年の第1回アカデミー賞長編アニメ映画賞を受賞したのはドリームワークスの『シュレック』でした。ピクサーの『モンスターズ・インク』も受賞こそしなかったもののノミネート作品には入っていました。それにもかかわらず、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオの『アトランティス 失われた帝国』はノミネートすらされなかったのです。もはや2001年のディズニーには、ドリームワークスやピクサーと一緒にアニメーション映画界の覇権を競えるような作品は作れなかったのです。


盗作騒動

 以前、【ディズニー映画感想企画第32弾】『ライオン・キング』感想~最も売れた手描き2Dアニメーション映画~ - tener’s diaryの記事でも同じことを述べましたが、僕はこの程度の類似点や影響だけを根拠に『アトランティス 失われた帝国』を「盗作」扱いしてディズニーを非難するような人たちの考えに全くもって賛同できません。このような雑なディズニー・バッシングに僕も加担してるなんて思われたくないのであらかじめことわっておきます。そもそも創作なんていうのは相互の影響し合いですからね。既存の創作物から何も影響を受けていない完全オリジナルの創作物なんて皆無ですし、その影響の大小を比べてどうこう言っても仕方のないことです。そもそも『ふしぎの海のナディア』だって既存作品の影響を大いに受けてますからね。

 さて、先に僕の個人的見解を述べましたが、それはともかくこの『アトランティス 失われた帝国』は日本のアニメーション『ふしぎの海のナディア』や『天空の城ラピュタ』との類似性が世間ではしばしば指摘されており、一部の人からはパクリ・盗作だと騒がれてきました。特に、『ふしぎの海のナディア』との類似性はかなり強いものがあると指摘されており、そのことで本作品を非難する人がしばしば現れました。

 とは言え、そもそも『ふしぎの海のナディア』も『アトランティス 失われた帝国』もどちらも同じジュール・ヴェルヌの『海底二万里』をもとにしている作品である以上、似たような箇所が多少出てくるのは当然のことです。また、アトランティスでクリスタルのエネルギーが使われていたという設定も、『ふしぎの海のナディア』がオリジナルではなくそもそもエドガー・ケイシー*3の発言がもとになって広まったものです。なので、それだけをもってして『ふしぎの海のナディア』のパクリだと判断するのは早計でしょう。

 登場キャラの類似性も良く指摘されますが、それも盗作と言うほどのことではないでしょう。その程度の影響の受け合いなんて良くあることです。いわゆるテンプレ的なキャラ設定や配置の使い回しなんて世の中にありふれているわけで、そういうのをいちいち盗作扱いしちゃうのはナンセンスだと僕は思います。

 また、本作品は『天空の城ラピュタ』との類似性もしばしば指摘されていますが、そもそも『ふしぎの海のナディア』自体も『天空の城ラピュタ』と似てるんですよね。これは、『天空の城ラピュタ』と『ふしぎの海のナディア』の2作がもともと同じ企画からスタートしてたことに起因するんですが、だからこそ『ふしぎの海のナディア』と似ている本作品も『天空の城ラピュタ』との類似点が指摘されるのでしょう。でも、上で述べて来たことと同様に、この類似点についても「盗作」と騒いで非難するようなものではないと僕は思いますね。

 そもそも「滅んだ古代文明の謎を解き明かす冒険活劇」「不思議の石の力で高度な文明を築いていた社会の存在」など、この程度の設定は『ふしぎの海のナディア』や『天空の城ラピュタ』に限らず大昔から存在していた訳で、そういう同系統のジャンルの作品が多少の類似点を持つのは当然のことです。それこそ、この3作品全てに対してジュール・ヴェルヌの『海底二万里』のようなSF冒険小説のパクリだとも言えちゃうわけですからね。でも、だからと言って『天空の城ラピュタ』や『ふしぎの海のナディア』をジュール・ヴェルヌの盗作扱いして非難するのはナンセンス極まりないでしょう。『アトランティス 失われた帝国』についても同様のことが言えると思います。

 そんな訳で、この『アトランティス 失われた帝国』を盗作として非難する人たちの言い分には僕は全く賛同できないんですよね。こういう不当なディズニー・バッシングの風潮には僕は断固として反対していきたいと思っています。




【個人的感想】

総論

 はい、この『アトランティス 失われた帝国』なんですが、はっきり言ってかなりの「駄作」だと思います。本作に対する世間からの評判がイマイチだと上で述べましたが、僕もその評判通りのクオリティだと思っています。こんな低クオリティの作品じゃ、そりゃあ『シュレック』や『モンスターズ・インク』などの同年公開作品にボロ負けするのも当然だなあという気分になります。

 前作『ラマになった王様』は異色の作風ではありながらも「これはこれで面白い」と思わせくれる内容でしたが、本作品は「異色なだけで面白くないヘンテコな作品」としか言いようのない内容になっています。名実ともに「失敗作」と言って構わない作品でしょう。2000年代の暗黒期ディズニーの暗黒ぶりがうかがえるような作品になっていますね。

 以下、どのような点がダメだと思ったのか詳しく述べていきます。


全体的な尺不足

 本作品の一番の欠点はここだと思います。どう考えても90分ちょっとの尺で収まるような内容じゃないんですよね。アトランティス大陸に向かっての海洋冒険、古代文明の謎解き、仲間との友情形成、ヒロインとの恋愛、略奪者たちとの戦い……などなど色々と内容盛り沢山なのは分かるんですが、そのせいで1つ1つの展開が駆け足すぎる印象が拭えませんでした。90分という上映時間はディズニー映画においては一般的な長さであり、これと言って長すぎるようなものでもないので、どちらかというと問題はストーリーのほうなんでしょう。ディズニー映画の一般的な長さに合わないほどの量を詰め込み過ぎた。

 一つ一つの要素は丁寧に描けば面白くなりそうなのにもかかわらず、展開が駆け足なせいで物語についてこれないんですよね。例えば、本作品は冒険映画らしく古代文明の謎解明が一つのメインの要素でしたが、これがあまりにも説明不足で分かりにくすぎます。なんというか、『インディ・ジョーンズ』的な考古学ミステリーをやりたかったんだろうなというのは見ていて分かるんですけど、その謎解きの過程が全体的に急展開すぎて意味不明なんですよね。特に、クリスタル化したキーダが最後どうして助かったのかは僕はいまだに良く分かってないです。

 全体的に後半の展開が特に詰め込み過ぎなんですよね。クリスタルとアトランティス文明の謎、キーダとマイロの恋愛関係、突如悪役になる冒険家メンバーたちの葛藤と彼らとの戦闘……etcこれらの要素を全部後半に詰め込み過ぎたせいで、一つ一つの要素が逆に薄くなっています。古代文明の謎解きは駆け足すぎて観客置いてけ堀だし、キャラクターの心情描写も駆け足すぎて雑に見えるし……やっぱり根本的に90分でやる内容じゃなかったんじゃないですかね、この映画。


古代文明ミステリー

 本作品は、ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』がもとになっているだけあってSF冒険映画的な作品になっています。アトランティスという伝説上の古代文明の謎を調べるために数々の危険に合いながら冒険していくストーリーになっており、そのコンセプト自体はとても面白そうに感じられます。もともと僕は『インディ・ジョーンズ』シリーズとかが好きなタイプなので、本作品のコンセプトも面白くなりそうな気配は存分にあったんですよね。にもかかわらず、本作品はつまらない作品になっている。

 これは先述の通り展開が急すぎるせいで、肝心の「古代文明ミステリー」にちっとも好奇心がそそられないという点が大きいと思います。キーダがマイロに対してアトランティスが海に沈んだ悲劇について語ったり、大洪水で文字の知識が失われたことについて語ったりするんですが、ぶっちゃけその謎解きにあまり興味を引かれないんですよね。というのも、アトランティスの歴史や社会についての情報が次々とキーダの会話で説明されていくだけなので、退屈な歴史の授業を受けているような気分になり面白みに欠けるんですよね。しかも、その割には細かな点が説明不足なので全然分からないんですよ。

 なんでアトランティス人は大洪水で文字を忘れたのか、なんでキーダは歴史の謎の解明がアトランティス文明を衰退から救うと考えているのかとか、色々と説明不足なんですよね。抜けていたページを悪役のロークがマイロに見せず隠し持てていた理由も良く分かりません。恐らく制作裏では色々と詳細に設定を練ってあって整合性のある答えを用意してあるのかもしれないですけど、作中での説明が駆け足&雑すぎて観客がその答えを満足に得られていないんですよね。

 しかも、結局「アトランティスが海底に沈んだ謎」についてはアトランティスの王様が死ぬ間際に急に喋って全てを明かしちゃってるんですよね。そして、その解明された謎も「クリスタルは実は生きていて、危機を感じた時に王家から宿主を求めてきた」というものでそんなに衝撃も意外性もないので盛り上がりに欠けるんですよね。それまでの謎解きの段階での駆け足展開&説明不足のせいで本作品の古代文明ミステリー要素に興味をあまり持てなかったのに、その興味の薄いミステリーについて衝撃度の薄い種明かしをされても「ふーん、あっそ」という淡白な感想しか出てこないんですよね。

 なんというか、全体的に説明不足で興味の持てない歴史の授業を早口で説明されている感じです。ちっともワクワクしないし没頭できないんですよねえ。そういう点で、本作品は「感動が薄い」「退屈」としか言いようのない作品でした。多分、もう少し時間をかけてじっくりとアトランティス文明の歴史やクリスタルのパワーについて描写してくれれば、もう少し興味を持てる内容になれたんでしょうけど、いかんせん時間が短すぎるので理解や感動が追い付く前に次々と先に物語が進み過ぎなんですよね。観客がアトランティスという独特の古代文明の謎に興味を持ってのめり込めるようになるよりも先に、一気にクライマックスまで話が進んじゃった印象です。もう少しゆっくり丁寧にストーリーを進めるべきだったでしょう。


クライマックス

 さて、本作品も終盤に怒涛のアクションシーンがあるのですが、このアクションシーンはロークを倒すところまでは良かったです。マイロやその仲間たちがアトランティスの謎乗り物に乗ってロークたちと銃撃戦を繰り広げるシーンはなかなかに迫力満点のアクションになっていて楽しいです。アニメーション映像のクオリティも非常に高く、ハラハラドキドキさせる見ていて飽きないアクションシーンになっています。本作品の数少ない長所の一つでしょう。

 ロークを倒してから後のアクションもまあ悪くはないです。確かに、唐突に現れる石の巨人たちが既視感の塊ではあるんですけどね。多くの人が指摘しているように、『天空の城ラピュタ』のロボット兵を想起させます。また、デザイン的には前年に公開されたブラッド・バード監督の『アイアン・ジャイアント』にも似てるように感じます。まあでも、デザインが似てるのが別に悪いこととは僕は思わないのでそこはそんなに気にしないです。こんなのは、もともと昔からありがちなデザインですからね。

 ただ、ラストでキーダが復活した理由が良く分からなかった点は引っ掛かりを覚えました。母親と同じくクリスタル化しちゃったんじゃなかったの?どういう理屈で戻れたのか良く分からない。謎です。


ジャパニメーションっぽい

 先述の通り、僕は本作を『ふしぎの海のナディア』や『天空の城ラピュタ』の盗作扱いして非難する風潮には全く賛同しませんが、それはともかくとして確かに本作品は全体的にかなりジャパニメーションっぽく感じるんですよねえ。少なくともディズニー・アニメーションっぽくはないです。前作『ラマになった王様』も別の意味で異色だったのですが、あれはディズニーの‟長編”アニメーションっぽくはなかっただけで、長編ではないディズニーらしさはありました。『ミッキーマウス』シリーズ以来のディズニーの短編アニメーションを彷彿とさせるようなコメディにはなっていましたからね。それに対して、この『アトランティス 失われた帝国』はディズニー短編アニメーションともまた違う作風で、かなり異色作としか言いようがない雰囲気です。

 ディズニー・アニメーションじゃなくてジャパニメーションかな?と思ってしまう雰囲気が全体的に漂っています。それこそ、多くの人が指摘しているように『天空の城ラピュタ』っぽいんですよね、世界観やストーリーが。もちろん、繰り返し述べて来た通り僕はそういうふうに似た作風であることが盗作に当たると言うつもりはありません。しかし、その「ラピュタ劣化コピーっぽさ」が作品のクオリティ―を低いものにしているのも事実ではあります。

 例えば、本作品のスチームパンクなSFファンタジー描写は初期ジブリ・アニメーションを彷彿とさせます。とは言え、これはそもそも原作の『海底二万里』がそういう作品なので、必ずしもジブリ等のジャパニメーションだけの特徴ってわけではないでしょう。ただ、それにプラスしてストーリーやキャラ設定も『天空の城ラピュタ』っぽいので、ジブリっぽさがより強く出ているんですよね。

 古代文明の鍵となる王族のヒロインの存在もそうですし、古代文明の重要なエネルギー源となるクリスタルだって飛行石を彷彿とさせます。もちろん、だからと言ってパクリだと非難する気はないですが、「すでに『天空の城ラピュタ』で似たような展開を見たから目新しさがなくて面白みに欠ける」という感想はどうしても出てきてしまいます。ようは、散々ジブリ等のジャパニメーションで見たような世界観や設定やストーリーをディズニーで見せられても、「それはジブリで見たからもう良いよ」という感想になるんですよね。

 ジャパニメーションではなくディズニーらしい既視感の塊を見せられる方がはるかにマシです。仮に、本作が「今までのディズニー映画で散々見たような作風」の使い回しだったら、たとえ目新しさが一切なくても、僕みたいな保守的なディズニーオタクは「良かった、いつものディズニーだ」という安心感でホッとするんですよ。でも、この『アトランティス 失われた帝国』はちっともディズニーっぽくないんですよ。それにもかかわらず、ジャパニメーションっぽい既視感バリバリなので斬新さを感じて興奮することもない。

 しかも、これまで述べて来た通り、本作品は「詰め込み過ぎ&尺が足りない」というストーリー上の致命的欠点のせいで、『天空の城ラピュタ』のような初期ジブリの名作に比べて圧倒的にクオリティが低いんですよね。似た作風の作品同士だからこそ、比較した時にクオリティの差も分かりやすく表れており、本作品のクオリティの低さが余計に目立っちゃったように感じます。つまり、「ラピュタっぽいけどラピュタに比べるとこっちは駄作だなあ」という感想を抱きやすくなってるんですよね。似た作風にするなら、せめてもう少し『天空の城ラピュタ』に匹敵するぐらいの描写の丁寧さが必要だったでしょう。何度も言ってるように本作品は展開が駆け足過ぎましたね。


キャラクター

 尺の足りなさはキャラクター描写にも影響しています。本作品ではやたら個性的なキャラクターがたくさん出てくるわりには、どいつもこいつも「あと一歩」掘り下げが足りないんですよね。その原因は、作品の前半と後半とで目立つキャラクターが違っている点にあるんでしょう。

 前半では、主人公のマイロが冒険の過程を通して探検家の仲間たちと絆を育んでいく展開が描かれています。ここで目立っているキャラは、主人公マイロを含む探検隊メンバーの仲間たちです。特に、キャンプの夜にマイロがスウィート、オードリー、ヴィニーなどの探検隊仲間と一緒に食事して寝ながらお互いの生い立ちを語り合うシーンは象徴的です。そんな感じで、前半ではマイロと探検隊の仲間たちとの関係性の進展がメインテーマとして描かれています。

 しかし、アトランティス到着後の後半では彼ら探検隊仲間ではなくヒロインのキーダのほうに焦点が移ります。今度は、主人公マイロがキーダと徐々に交流を深めていき、恋愛感情が育まれていく展開が描写されています。マイロとキーダの二人きりのシーンが後半からは増えます。そして、前半で目立っていた探検隊仲間は後半では徐々に空気になっています。もちろん後半でも、ローク司令官のもとでマイロを裏切ったり、その後マイロの説得で再び仲間に戻るシーンなど探検隊仲間たちの描写が用意されてはいるのですが、いかんせん探検家キャラの数が多すぎるので一人一人のそうした心境の変化がちっとも丁寧に描写されておらず、それゆえに裏切りも改心も全てが唐突な急展開に感じるのです。

 これは、短い90分の尺の中に「マイロと探検家たちとの絆」「マイロとキーダの恋愛」の両方の要素を無理に詰め込もうとしたために、尺が足りなくなって不十分なキャラクター描写に終わってしまったということなんでしょう。ここでも尺の短さが問題点となっています。


無駄に重い展開

 本作品では、前半で怪物に襲われ探検隊のメンバーが大量に死ぬというなかなかに暗い展開があります。この点もディズニーらしからぬ要素の一因となっていますが、重い展開の割りにはこのシーンの必要性がイマイチ感じられないんですよね。はっきり言って、シリアスな作風を演出するためだけに乗組員を殺したんじゃないかと思わなくもないです。死んだメンバーはメタ的には名前すら分からないモブキャラばかりですし、それにもかからわず暗い演出で気が滅入るシーンになってるので、このシーンはカットしたほうが良かったんじゃないかなあと思います。

 しかも、ポスターとかにも描かれていた格好良いデザインの潜水艦がこの怪物の奇襲によって一瞬で退場するんですよね。この点もガッカリポイントです。潜水艦による海底探検のシーンは意外と一瞬で終わってしまい、それ以降は車での地底探検になるんですよね。それはそれでアドベンチャー感があって悪くないんですが*4、「えぇー、潜水艦は全然活躍しないのかよ……」というガッカリ感はどうしても拭えないですね。


アニメーションと音楽

 ここまで本作品の欠点を主に述べてきましたが、敢えて本作品の良いところを述べるならばアニメーション映像のクオリティの高さになるでしょう。ディズニーのこれまで培ってきた高いCG技術による迫力満点のアクション映像を本作品では見ることができます。潜水艦が怪物に襲われる前半のシーンやロークとの戦いのある後半のシーンなどでは、本作品のアニメーションのクオリティの高さがうかがえるアクションシーンが堪能できます。

 一方、本作品は前作『ラマになった王様』に引き続き非ミュージカル作品のため、音楽はあまり目立ってないです。そもそも劇中歌が1曲もないですからね。もちろん、ボーカルなしのインストだけのBGMは所々で流れてはいるんですが、そんなに耳に残るほど長時間流れて目立つようなテーマ音楽は特にないです。これまでのディズニー映画にあったような印象的な音楽が本作品には欠けており、そこが僕には物足りなく感じてしまいます。


詰め込み過ぎの駄作

 以上、『アトランティス 失われた帝国』がなぜ駄作だと感じるのかについて長々と述べてきましたが、やはり何度も繰り返し述べてきてるように本作品の一番ダメな点は「尺不足」の一点に尽きると思います。わずか90分程度の上映時間しかないのに、「アトランティス文明の謎の解明」「マイロと探検隊との絆」「マイロとキーダの恋愛」などのテーマを全部まとめて消化するのは無理があったと言わざるを得ません。明らかに詰め込み過ぎです。時間が足りず個々の展開が駆け足すぎたため、それぞれのテーマの描写がどれも不十分なまま終わってしまっているのです。

 しかも、それぞれのテーマが互いにあまり関連しておらず完全にバラバラだから、全体的に話がとっ散らかっているような印象を受けるんですよね。メインテーマを一つだけに絞って、そのテーマを90分の上映時間でじっくり丁寧に描写したほうが良かったと思いますね。複数のバラバラなテーマを無理やり一つの作品に詰め込んだせいで、どのテーマも雑な急展開でしか描けなくなり、結果的にどのテーマも心に響かなくなってるんですよね。そのせいで、「大作」感あふれる演出にもかかわらず感動の薄い淡白な作品に仕上がっている。完全にストーリーの作り方に失敗していると思いますね。

 本作品と似てると良く言われる『天空の城ラピュタ』の上映時間は120分ぐらいありますし、同じく類似点が指摘される『ふしぎの海のナディア』に至ってはテレビアニメのシリーズなので30分×39話もの長さがありますからね。『アトランティス 失われた帝国』もこれらの作品と同じぐらい長い尺をとったほうが良かったんじゃないかなあと思います。あれだけたくさんのテーマをきちんと描写するには90分の上映時間は短すぎますからね。テーマを一つに絞るか上映時間をもっと伸ばすかしたほうがはるかにマシになってたでしょう。

 そんな訳で、この『アトランティス 失われた帝国』は2000年代のディズニー長編アニメーションの暗黒期ぶりを象徴するにふさわしいレベルの駄作だと僕は思いましたね。特に、上述のストーリーについてはあの『コルドロン』*5よりはちょいマシというレベルの酷さだと思います。あまり好きな作品ではないですね。普通に、歴代ディズニー映画の中でもかなり駄作に近いほうの作品だと思います。










 以上で、『アトランティス 失われた帝国』の感想記事を終わりにします。次回は『リロ・アンド・スティッチ』についての感想記事を書く予定です。それではまた。

*1:有名映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主人公などを演じたことで知られる超有名な俳優です。

*2:日本製のアニメーションのことを当時のアメリカではこう呼んでいました。

*3:アメリカの有名な心霊診断家です。オカルト好きの人の間ではかなり有名な人物でしょう。余談ですが、ポケモンのケーシィはこの人物にちなんで名付けられたそうです。

*4:ひょっとしたら、この地底探検パートは『海底二万里』ではなく同じジュール・ヴェルヌ作品の『地底旅行』のほうからインスパイアを受けてるのかもしれません。

*5:ディズニー長編アニメーションの中でもしばしばワースト扱いされることで有名な作品です。僕の詳細な感想は【ディズニー映画感想企画第25弾】『コルドロン』感想~最も有名な失敗作~ - tener’s diaryの記事で書きました。