tener’s diary

てねーるのブログ記事です

【ディズニー映画感想企画第39弾】『ダイナソー』感想~WDAS初のフルCG作品~

 ディズニー映画感想企画第39弾は『ダイナソー』の感想記事を書こうと思います。ディズニー映画の中でもぶっちゃけかなりマイナーなほうの映画でしょう。結構な濃いディズニーマニアですら『ダイナソー』について語ってるところを見たことがほとんどないです。そんな『ダイナソー』について語っていきたいと思います。

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【基本情報】

WDAS初のフルCGアニメーション

 『ダイナソー』は2000年に39作目のディズニー長編アニメーションとして公開された作品です。白亜紀末期の絶滅の危機に瀕した恐竜たちのドラマを描いた作品です。原作はなく、『ライオン・キング』以来のディズニーの完全オリジナルの長編ストーリーとなっています。本作品の特徴としてまず挙げるべきはやはりフルCGアニメーションでしょう。フルCGアニメーションの映画自体はすでにピクサーによる1995年の『トイ・ストーリー』公開で始まっていましたが、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ(WDAS)のほうではいまだにフルCGの作品は作られていませんでした*1。そんなWDASが初めて作った長編のフルCGアニメーション映画がこの『ダイナソー』なのです。

 ウォルト・ディズニー・カンパニーは、Dream Quest Imagesというスタジオを買収し自社のCG部門と合併させThe Secret Labという組織を作りました。このThe Secret Labのもとで『ダイナソー』のCGアニメーションが制作されたのです。本作品のCGは主にキャラクターのアニメーションに用いられ、背景には実写映像を組み合わせました。このような「実写の背景とCGのキャラクターの融合」が本作品の映像の特徴でもあり、そういう意味では純粋なアニメーション映画というよりは「半分実写で半分アニメ」の映画と言う方がより正確かもしれまん。

 ちなみに、本作品はもともとCGではなくストップモーション・アニメーションの企画として構想されていました。この『ダイナソー』の企画は、有名な映画『ロボコップ』の制作に携わっていた映画監督ポール・ヴァーホーヴェンと特撮技術者フィル・ティペットのコンビによって持ち込まれたものなのですが、彼らの案では本作はフィル・ティペット氏の得意とするストップモーション・アニメーションの技術を生かした映画にする予定だったのです。しかし、紆余曲折の末に本作品はストップモーション・アニメーションではなく3DCGアニメーションを使って制作することに決まりました。ストーリーの内容も当初の2人の構想案からは大幅に変えられています。

 当時は恐竜映画の金字塔とも言うべき『ジュラシック・パーク』の記録的大ヒットの記憶がまだ新しく、ひょっとしたらその『ジュラシック・パーク』制作においても似たような動き*2が起きていたことをディズニー側も意識してたのかもしれません。まあ、これは僕の勝手の推測に過ぎないので断言はできないですけどね。


暗黒期の始まり

 この映画『ダイナソー』は商業的にはそれなりの成功を収めました。第二期黄金期の有終の美を飾った『ターザン』には負けるものの、『ムーラン』や『ヘラクレス』よりは高い興行収入を記録しました。そういう意味ではそこそこヒットした成功作と言えるでしょう。

 しかし、そのような商業的成功にもかかわらず、本作品からディズニーの第二の暗黒期がスタートするとしばしば言われています。そのぐらい、本作品は評判が悪いんですよねえ。実際、Rotten Tomatoesなどで本作品の評価を調べると、批評家からも一般視聴者からも本作品は「微妙」な評価に留まってることがうかがえると思います。

 この『ダイナソー』以降のウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオでは、しばらくこのように評判のあまり良くない作品が続き、そのため2000年代はしばしばディズニーにとって「暗黒期」「低迷期」とみなされるようになります。1989年の『リトル・マーメイド』公開で暗黒期から抜け出し「第二期黄金期(ディズニー・ルネサンス)」と呼ばれる奇跡の復活・繁栄を成し遂げたディズニー・アニメーションですが、2000年代からは再び暗黒期に逆戻りすることとなってしまったのです。『ダイナソー』はそんな暗黒期の始まりを象徴する作品として扱われてるんですよね。






【個人的感想】

総論

 さて、多くの人から評判の悪い本作品ですが、僕は「そこまで極端に悪くはなくない?」と思わなくもないんですよね。ディズニー長編アニメーション映画の有名な駄作としてこれまで『コルドロン』や『王様の剣』などを挙げてきましたが、これらよりは『ダイナソー』のほうがストーリーに関してはマシだと思います。

 とは言え、「良作か?」と言われたら僕も「いいえ」と答えますけどね。めちゃくちゃ酷い駄作ってほどではないけど、別に面白いわけではない。良くも悪くも「フツー」「微妙」としか言いようのない作品ですね。『バンビ』などと違ってそこまで眠くなるほど退屈なストーリーってわけでもないです。ちょいちょいダレるシーンはあるんですけどね。

 正直、極端に駄作すぎるわけでもないからこそ逆に本作品は「影が薄い」作品となったんじゃないかなあと思います。『コルドロン』みたいにネタにできるほどの駄作でもなく、かといって「隠れた名作」扱いするほどの高クオリティでもない。そういう「微妙」極まりな作品だからこそ、ディズニーオタクの間でも滅多に話題にならないんでしょう。

 以下、詳細な感想を述べます。


すごいけど合ってない映像

 先述の通り、本作品は「3DCGで描かれたキャラクター」と「実写による背景」が組み合わさっています。そのため、全体的にわりと実写寄りの映像に仕上がっています。同じフルCGアニメーションでもピクサー映画の『トイ・ストーリー』や『バグズ・ライフ』ってまだわりとデザインが「アニメ的」だと思うんですよね。実写っぽい写実的なリアリティを敢えて捨てたデザインになっています。それに対して、『ダイナソー』のキャラデザって結構写実的なんですよね。実写の背景に違和感なく合わせるためなんでしょうけど、その結果としてかなり実写っぽいデザインの恐竜たちが登場している。この映像美は確かにすごいと思います。その写実的なリアリティで映し出される太古の世界の映像には圧倒されます。

 でも、本作品の場合はその「実写的なデザイン」が逆にマイナス要素として働いてる気がするんですよねえ。ようは、ストーリーやキャラクターの雰囲気に対して、この写実的な映像がアンバランスに感じるんですよね。漫画的なディズニー映画のストーリーに映像が噛み合っていない。

 本作品って『ライオン・キング』や『バンビ』みたいに動物たちが人間のように喋る世界観じゃないですか。それってアニメーション的・マンガ的な設定なわけで、そういう設定の場合は動物たちのキャラデザはちょっとリアリティを落としてアニメーション的にデフォルメしたほうが雰囲気に合うと思うんですよね。リアルな顔の動物たちが喋ってても、表情とかが読み取りづらいので不気味なんですよね。しかも、その「リアルな動物が喋っている映像」に対する違和感もわりと強く感じてしまう。

 こういう感想は、2019年公開の超実写版『ライオン・キング』に対しても感じたことなんですよね。『ライオン・キング』のあのストーリーはあのアニメーションのようにデフォルメされたデザインの動物たちが喋るから観ていられるんであって、リアルのライオンやイボイノシシがそのまま喋ってても違和感と不気味さしか感じないんですよね。これはもはや根本的な映像演出のやり方の問題だと思います。

 本作『ダイナソー』もまさにこれでした。まあ、『ダイナソー』は2019年『ライオン・キング』よりも写実性の落ちるデザインなのでその点ではマシなのですが、それでも「リアルな恐竜がマンガみたいに喋る映像」には若干の違和感と不気味さを感じざるを得ませんでしたね。同じ恐竜を題材にしたフルCG映画としてピクサー『アーロと少年』が2015年にありましたが、あの映画に出てくる恐竜は『ダイナソー』と違ってかなりデフォルメされた「アニメーション的」なデザインじゃないですか。この『ダイナソー』もそういうデザインにしたほうが良かったと僕は思いましたね。*3


音楽とオープニング&エンディング

 僕が本作品を「そこまで極端に悪くもなくない?」と評価する理由の1つが、本作品のサントラなんですよね。特にオープニングとエンディングのそれぞれで流れるメインテーマの曲。この曲がめちゃくちゃ良いです。オーケストラ編成による非常に豪華で多様な楽器の音色の組み合わせが壮大さを引き立てています。非常に興奮を掻き立てるような曲だと思います。とにかく音の厚みと迫力がすごいです。

 本作品の音楽を手掛けたのはジェームズ・ニュートン・ハワード氏です。彼は数々の映画音楽の作曲を手掛けた有名な作曲家なんですけど、その彼が作っただけあって音楽のクオリティは本当に素晴らしいんですよね。何度聞いても飽きない迫力満点の名曲だと思います。

 この音楽に合わせて映し出されるオープニングとエンディングの映像も素晴らしいですね。迫力ある音楽に合わせて、写実的なリアリティある太古の世界の広大な映像が映し出されるわけです。その映像と音楽の組み合わせによって強められる圧倒的迫力に感動します。全体的に「微妙」な出来の本作品ですが、このオープニングとエンディングのシーンだけは一見の価値ありだと思います。


可もなく不可もなくなストーリー

 本作品はしばしば「ストーリーが陳腐でつまらない」という評価がされています。その点には僕もおおよそ同意します。とは言え、本作品は『バンビ』に比べるとまだ眠くならずに観ていられるし、『コルドロン』や『王様の剣』ほど脚本の粗や突っ込みどころが多いわけでもないです。だから、めちゃくちゃダメダメなストーリーって訳では決してないんですよ。良くも悪くも「フツー」なんですよねえ。

 絶滅の危機に瀕した恐竜たちが「命の大地」を目指して旅をする、という明確なゴールの設定されたストーリーラインが用意されているため、それなりに後の展開が気になりながら見続けられる内容にはなっています。その点で『バンビ』とかとは違います。眠くなるほどの退屈さはないです。

 しかも、ちゃんとストーリーの随所に緊迫感のある展開は用意しています。ちょっとずつ迫ってくるカルノタウルスの演出はその最たる例でしょう。ちょいちょい現れるカルノタウルスのシーンの描写は適度な緊張感を本作品にもたらしてくれます。主人公たちがいつカルノタウルスに襲われるか不安になってくるような展開を作ることに成功しています。だから、極端に単調すぎるストーリーってわけでもないです。

 でも、それぐらいと言えばそれぐらいなんですよねえ。そんなに大きく感動したり感心したりするような要素は特にないです。まさに「可もなく不可もなく」としか言いようのないストーリーですね。決して、「駄作」と呼ぶほど極端につまらなくはないですよ。強いて言えば「凡作」という程度の作品になるでしょうか。


キツネザルの存在意義

 本作品のストーリーの欠点の一つはこれでしょう。主人公アラダーの育ての親として出てくるキツネザルの一家が、中盤以降の移動シーンでは完全に空気になるんですよね。そのせいでプリオやヤーやジーニーと言ったキツネザルをわざわざ登場させる意味があるのか?という疑問がどうしても生じてしまいます。

 本作品の序盤では、恐竜の子のアラダーをキツネザルのプリオが育てようとしてヤーに反対されたりするシーンがあります。ここだけ見ると、1年前に公開されたばかりのディズニー映画『ターザン』と全く同じような設定なんですよね。なんで、つい最近『ターザン』で使ったばかりの設定をもう一度使うのか理解できません。

 まあ、制作陣も『ターザン』の設定の使い回しと思われるのを避けたのか、『ターザン』で見られたような「異なる集団で育てられたことによる迫害と葛藤」みたいな描写は本作品ではほとんどないです。キツネザルの長老的存在であるヤーも最初こそアラダーを育てることに反対していますが、すぐに彼を受け入れるようになったので、『ターザン』のカーチャックのようなキャラとは違います。そのため、主人公アラダーもターザンみたいに自身の本当のアイデンティティを巡って葛藤することはなく、至って平和にキツネザルの集団の中で育っています。

 でもそれじゃあ、「キツネザルに育てられた恐竜の子」っていう設定は果たして要るのか?って思っちゃいますよ。わざわざ主人公の出生をそういう特殊なものに設定したのにもかかわらず、それが物語の展開において全く生かされてないんですよね。このストーリーならば、アラダーの生い立ちを最初から恐竜に育てられた普通の生い立ちにしても成立するじゃないですか。

 アラダーたちの育ての親としてキツネザルを登場させた意義が正直僕には理解できなかったです。ぶっちゃけ、キツネザルの登場なしでも中盤以降のストーリーには何の影響もないでしょ。


地味な映像演出

 あと、やっぱり本作品って「映像がすごいのに演出としては微妙」なんですよねえ。先述の通り、一つの絵として見ればかなり迫力ある映像なんです。でも、作品のストーリーに合わせた演出としてはかなり失敗している。その原因の一つは先述した「リアルすぎる見た目のキャラデザ」です。このキャラデザが結果的にストーリーの雰囲気と噛み合っていないことについてはさっき述べました。

 それとは別にもう一つの原因として挙げられるのが「背景映像の代わり映えのなさ」だと思います。本作品って途中からずーっと背景が「荒れ地」なんですよね。まあ、そもそものプロットからして仕方のないことだと思うんですが、代わり映えの全くしない茶色く乾いた土しかない映像が延々と流れるとちょっと飽きてしまいます。これはもう根本のプロットや基本的な世界観設定の段階での問題点ですね。荒れ地ばかりが延々と映るようなストーリーラインや世界観を設定したのが良くないんだと思います。

 この映像の「視覚的なつまらなさ」のせいで、中盤の移動シーンがちょっとダレたものになっています。『バンビ』に比べると眠気は抑えられるとさっきは言いましたが、この中盤のシーンについては視覚的に飽きるので少し眠気を感じてしまいます。


意外と重い展開

 本作品の特徴として、「意外とキャラが死にまくる」という点も挙げられると思います。まず隕石落下のシーンでキツネザルの家族が大量に死にますし、終盤ではブルートンも自己犠牲で死んでいますし、助かりそうな気配のあったクローンも結局最後は死んでしまいます。結構、エグい死亡シーンが多いんですよね。

 今までのディズニー映画でも作中キャラの死亡シーンは何度か描かれてきたので、死亡シーンそれ自体は決して珍しくはないんですが、本作品はそういう死亡シーンの多さがちょっと際立っている気がします。主人公アラダーに助けられて改心しかけてたブルートンが、最期に自己犠牲の精神で死んじゃう展開なんて結構悲しかったよ。

 こういうちょっと重くてビターな展開は、『ポカホンタス』以降の第二期黄金期後期ディズニーの風潮を踏襲してるとも言えるかもしれません。見る人を少し選ぶようなこういうシリアスな重い展開の大量投入は、ディズニーの新しい試みとして評価できなくもないですが、本作品に関して言えば単なる「目新しさ」以上のものにはなってないかなあと感じます。

 ブルートンの死亡シーンとか結構悲しく感じたはずなんですが、かといって強く心が動かされるほどの印象はないんですよね。多分、これは演出とストーリー展開の問題だと思います。死亡シーンが多い割には、個々の死亡シーンの演出がめちゃくちゃあっさりしてるんですよね。すごーくあっさりした描写で死が描かれるのはある意味リアルっちゃリアルなんだけど、そのシーンの印象が薄くなって記憶に残りにくくなるのでその点でマイナスなんですよね。しかもその後のストーリー展開においてこのブルートンの死が振り返られることは一切ないので、その点でも印象を薄くしてしまっています。アラダーもその後ラストでブルートンの死に触れることは特になかったですからね。

 だから、そのシーン自体はわりと悲しい展開のはずなのに、演出やその後のストーリー展開のせいでシーンへの印象が薄れてしまい、あまり感動しなくなるんですよね。この点はラストのクローンの死についても同じことを感じましたね。

 序盤のキツネザルたちが死ぬシーンは良かったです。隕石という自然災害の怖さが、ディズニーの迫力ある映像技術で存分に緊張感をもって映し出されてたため、非常に緊張感のある悲劇性の強い死亡シーンになっていたと思います。演出面でマイナスに働くことの多い本作品の映像美がプラスに働いた数少ないシーンの1つでしょう。ただまあ、先述の通りこれ以降のシーンでキツネザルが完全に空気になってしまうので、そもそもこれまでのシーンでキツネザルを登場させる意味あるのか?という疑問は相変わらず生じてるんですけどね。


「駄目」ではないけど「微妙」な作品

 ということで『ダイナソー』についての詳細な感想をここまで述べてきましたが、やはり本作品は良くも悪くも「微妙」としか言いようのない作品だと思います。ここまで、本作品の欠点をいくつか述べてきましたが、ストーリーや音楽などは決して悪くはないんです。むしろ音楽はかなり素晴らしいし、ストーリーも(上述の通りいくつかの問題点はありますが)全くダメダメってほどではない。眠くならずに観れる程度の面白さはあります。

 じゃあ、本作品の一番の欠点は何かというと、僕はやはり「映像美の演出での生かし方」がダメだったことに集約されると思うんですよね。アニメーションにおいてビジュアルっていうのはやっぱり大事な要素ですからねえ。ここがちゃんとしてないと作品の第一印象がかなり悪くなっちゃう。

 上で述べて来た通り、本作品は単純に一枚絵として見るならば非常に写実的で壮大な映像美になっていると感じるのですが、そのすごすぎる映像美がむしろ演出において邪魔してるんですよね。恐竜たちの造形がリアルすぎることによる弊害。美しいけど代わり映えのしない荒れ地の風景が延々と続く退屈さ。そういったものが本作品の魅力を減らす要因になっていると感じます。

 この映画『ダイナソー』はディズニーオタクの間でもあまり話題になることが少ないという点で、めちゃくちゃ影の薄い作品だと思いますが、それはこういう映像演出の下手さに起因していると思います。退屈な背景ビジュアルに、魅力の少ないリアルすぎるキャラデザ、死亡シーンの淡白すぎる演出……これら全てが本作品の印象を薄くしてるんでしょう。もう少し、観客の心を強く揺さぶれるような演出やストーリー展開を用意してくれたら良かったのになあと感じます。

 何度も繰り返し言いますが「駄作」ってほどではないんです。でも良作では決してないんです。本当に「微妙」としか言えない、そんな作品だと思います。でも僕は、『バンビ』や『王様の剣』や『コルドロン』よりはまだ『ダイナソー』のほうがマシだと感じますねえ。ストーリーライン自体はそれなりに王道の展開としてはっきりしてるし、ストーリー展開上の粗も多くはないので、多少のわずかな満足感は抱いた状態で観終わることができます。まさに、「中途半端」なクオリティの作品だと言えるでしょう。








 以上で、『ダイナソー』の感想を終わりにしたいと思います。次回は『ラマになった王様』の感想記事を書く予定です。それではまた。

*1:もちろん、CGを一部に用いた手描きの2Dアニメーションならばこれまでのウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオも作っていましたが。

*2:映画『ジュラシック・パーク』の制作においても当初はストップモーション・アニメーションで恐竜の動きを作ることが予定されていました。しかし、CG技術の進歩を目の当たりにしたスティーヴン・スピルバーグ監督の意向で、ストップモーション・アニメーションではなくCGを使用することに予定を変更したのです。

*3:まあ、『アーロと少年』もあくまで『ダイナソー』よりキャラデザの面ではマシっていうだけで、決して評価の高い作品ではないんですけどね。