tener’s diary

てねーるのブログ記事です

【ディズニー映画感想企画第32弾】『ライオン・キング』感想~最も売れた手描き2Dアニメーション映画~

 ディズニー映画感想企画第32弾は『ライオン・キング』の感想記事を書こうと思います。これもつい最近になって超実写映画が公開されたばかりなので人々の記憶に新しいんじゃないでしょうか。まあ、それ以前からも元々かなり有名な映画でしたけどね。
 そんな『ライオン・キング』について語っていきたいと思います。

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【基本情報】

多数の有名人の採用

 『ライオン・キング』は32作目のディズニー長編アニメーション映画として1994年に公開されました。原作は存在せず、ディズニーにとっては久しぶりの完全オリジナル作品となります*1。この点で、『ライオン・キング』は今までの第二期黄金期の作品とは少し雰囲気の違う異色作です。*2

 『ライオン・キング』が個性的な点はもう一つあります。本作品でもそれまでのディズニー映画の伝統にのっとってミュージカル要素が取り入れられたのですが、今まで第二期黄金期のディズニー御用達の作曲家として活躍してたアラン・メンケン氏はこの作品の音楽を担当していません。この作品の音楽担当にはアラン・メンケン氏ではなく、ハンス・ジマー氏とエルトン・ジョン氏が選ばれました。ただし、作詞は前作『アラジン』と同じくティム・ライス氏が担当しています。

 ハンス・ジマー氏は、映画オタクなら(というか映画オタクじゃなくても)みんな知ってるであろう超有名な映画音楽の作曲家ですね。彼が作曲を手掛けた映画音楽はディズニーに限らず多数存在しその多くが有名でしょう。当時からすでに『レインマン』の音楽制作などで名を知られていた彼が、この『ライオン・キング』のBGMの作曲を担当したのです。余談ですが、彼は後に『パイレーツ・オブ・カリビアン』の音楽制作でもディズニーと関わることになります。

 また、ミュージカル要素のための劇中歌についてはエルトン・ジョン氏が作曲を行いました。こちらも当時すでに超大物ミュージシャンとして名を馳せていた有名人ですね*3。有名なミュージシャンをミュージカル要素のために抜擢したという点では、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』を彷彿とさせますね。あの時は、ビリー・ジョエル氏やベット・ミドラー氏が声優として起用されていましたが、この『ライオン・キング』ではエルトン・ジョン氏はミュージカル曲の作曲とエンディングでの歌い手として起用されています。

 このように、『ライオン・キング』はディズニーに限らない芸能界一般で名を馳せていた有名人2人を新しく音楽担当に採用したのです。『ライオン・キング』におけるこのような「有名タレント」の採用は音楽以外の点でも行われています。それが声優です。本作品は声優にもかなりの有名人を採用しています。

 例えば、ムファサの声を務めたジェームズ・アール・ジョーンズ氏は『スター・ウォーズ』シリーズのダース・ベイダーの声を担当したことなどで知られる有名な役者です。また、スカーの声を務めたジェレミー・アイアンズ氏も映画『運命の逆転』でアカデミー主演男優賞を受賞した有名俳優です。さらに、シェンジの声を務めたのは『天使にラブ・ソングを…』の主演を務めたことなどで有名なウーピー・ゴールドバーグ氏です。この他にも本作品のキャスト一覧を見ると多くの有名人が採用されてることが分かります。このように、『ライオン・キング』では当時アメリカのハリウッド映画界で有名だったスターを多く採用したのです。


史上最高の興行収入

 このような「ビッグ・ネーム」が制作に多数関わったことにより、『ライオン・キング』は前作『アラジン』の興行収入を超え歴代のディズニー映画の中では最高額の興行収入を稼ぎました。次作『ポカホンタス』から興行収入が下がったこともあって、『ライオン・キング』のこの「ディズニー史上最高の興行収入」という記録はしばらくの間続きました。2013年公開の『アナと雪の女王』に興行収入の記録が抜かされたことでその地位は終わりました。

 しかし、2019年9月現在においても『ライオン・キング』は手描き2Dアニメーション映画の中では依然として「世界で最も売れた映画」としての記録を維持しています。『アナと雪の女王』以外にも『ズートピア』や『トイ・ストーリー3』、非ディズニーアニメだと『ミニオンズ』などのアニメーション映画が、現在『ライオン・キング』よりも上位の興行成績を記録していますがこれらは全てフルCGアニメーションです。手描きアニメーションの映画としては依然として『ライオン・キング』が歴代トップの地位に君臨しています。そういう訳で『ライオン・キング』は「最も売れた手描き2Dアニメーション映画」と言うことができるわけです。

 このような歴史的な大ヒットを記録したためか『ライオン・キング』は舞台ミュージカルとしても大いに流行ることとなります。ディズニー映画がブロードウェイで舞台ミュージカル化になることは、『ライオン・キング』だけでなく『美女と野獣』や『アラジン』などでも経験していますが、『ライオン・キング』の舞台ミュージカルは特に記録的な大ヒットとなり、ブロードウェイ史上においても最高の興行収入を記録しました。それゆえにかなりのロングランを記録しています。日本でも劇団四季がこの舞台版の『ライオン・キング』を公演し、かなりの大人気作品となりましたね。


ジャングル大帝』盗作騒動

 最初に言っておきますが、僕はこの『ライオン・キング』を盗作と呼んでディズニーを非難する人たちの考えには全く賛同できません。こういうのを問題視してディズニーを叩くのは単なる言いがかりやイチャモンに近いと思っています。別に、『ライオン・キング』は非難に値するような盗作でもなんでもないと思っています。このような雑なディズニー・バッシングに僕も加担していると思われるのは甚だ遺憾なので、あらかじめことわっておきます。

 さて、先に僕個人の考えを述べてしまいましたが、それはともかくこの『ライオン・キング』は公開当時から「手塚治虫氏によるテレビアニメ『ジャングル大帝』の盗作ではないのか?」と世間で騒がれたのは事実です。ディズニー側は本作品を完全オリジナルだと主張し、2019年9月現在に至るまで『ジャングル大帝』の影響を認めていません。しかし、そのようなディズニー側の主張に納得いかない里中満智子氏ら漫画家がディズニーへ質問状を送るなどの騒ぎに発展し、アメリカでも日本でも当時大きな話題となりました。

 結局この騒動は手塚プロダクション手塚治虫の遺族たちがディズニーと事を構えないことを表明したことで沈静化します。このような手塚プロダクション側の態度は非常に賢明だと僕は思います。この件を根拠に安易なディズニー・バッシングに加担してる人たちのほうがよほど恥ずべき行為だと僕は考えています。

 そもそも『ジャングル大帝』と『ライオン・キング』は完全に「別作品」と言えるほどに中身のストーリーが異なっています。人間が登場し、それと動物たちとの関係が大きなテーマの一つとなっている『ジャングル大帝』は、人間が全く登場せず完全に動物たちの世界だけでの物語となっている『ライオン・キング』とは似ても似つかない作品になっています。確かに、キャラクター設定や個別のシーンなど細かな点での類似箇所はありますが、このレベルで根本的なストーリーが異なるものを「盗作」と呼ぶのは無理があるでしょう。せいぜい「一部に影響を受けた」という程度の話にすぎません。

 そもそも文化と言うのはお互いに影響をし合いながら発展していくものであり、そういった影響を全て「盗作だ!」と言って否定してしまえば、新しい作品はなかなか生まれなくなってしまいます。手塚治虫氏の開拓した漫画表現技法を現在日本の多くの漫画家が取り入れていますが、それだけをもって「今の日本の漫画家は全て手塚治虫のパクリだ」と非難するのはナンセンスでしょう。「現在のゾンビ映画は全てロメロ監督作品の盗作だ!」と主張するのは無理があるでしょう。それと同様に『ライオン・キング』も、アフリカの動物たちの物語ということで『ジャングル大帝』の影響は多少受けてるかもしれませんが、それだけをもって盗作だと騒ぎ立てるのはおかしいと思います。

 そもそも、良く言われてるように手塚治虫氏の『ジャングル大帝』自体がディズニー映画『バンビ』の影響を受けています。手塚治虫氏が『バンビ』や『ピノキオ』などのディズニー映画を自らコミカライズし直すほどのディズニー好きでしたからね。このように、手塚治虫自身もディズニー映画の文化的‟影響”を受けて漫画を描いてるんです。そのような「影響」レベルの話を片っ端から「盗作」扱いして否定していたら、あらゆるクリエイターは何も創作活動ができなくなります。

 「影響」と「盗作」はイコールではありません。創作物の間での影響なんてのは文化の発展の歴史においてずっと起きて来たことであり、それを「盗作」扱いするのはナンセンスでしょう。問題視すべき「盗作」というのは、過去の作品の完全なる「コピー」であり、作者なりのオリジナリティがそこに一切見出せない場合のみです。過去の作品の影響を多少受けていても、作者なりの新しいオリジナリティが付け加えられて、もはや「別物」と呼べるほどの作品になっていれば、盗作として非難すべきではないでしょう。

 例えば、現在のゾンビ映画の多くはほぼ全てロメロ監督の作品の影響を受けていると言えますが、そのうえで個々の映画監督がロメロのものとは別個の新しい要素を付け加えており、もはや別物の作品となっています。ミステリー小説の多くはポーやドイルやクリスティなどの古典の影響が多かれ少なかれありますが、その影響だけでなく作者なりの新しい設定やトリックなどを編み出すことでオリジナルのミステリー作品を作っています。『ライオン・キング』と『ジャングル大帝』の関係もこれらと同じでしょう。

 ライオンの王様の設定やいくつかのキャラクター設定などで『ライオン・キング』は『ジャングル大帝』の影響を恐らく受けている可能性は否定できませんが*4、人間との関係性を描かずに代わりに『ハムレット』的な要素を付け足した『ライオン・キング』と、人間が主要なテーマとなっている『ジャングル大帝』とではもはや別物と言えるほどの違いがあります。ディズニーはきっちりとオリジナルな要素を入れた別物の作品として『ライオン・キング』を作ってるのです。実際、どちらの作品も見たことある僕個人の感想としても、両者は大して似てないと感じます。

 ここまで僕が述べて来た意見については、手塚治虫氏の息子である手塚眞氏などもほぼ同じ見解を述べています。だからこそ、手塚治虫氏の遺族や手塚プロダクションもディズニーと争うことはしなかったのです。本当に賢明な判断だと思います。僕も彼らと完全に同意見です。この件でディズニーを非難する人は、僕が上で述べてきた点についてもう一度深く考えて欲しいものです。そして、できればこういう雑なディズニー・バッシングに加担することを恥じて欲しいものです。ディズニーも完璧な企業ではないので批判されるべき点が全くないとは僕も言いませんが、少なくとも『ジャングル大帝』盗作騒動の件での非難は不適当でしょう。こういうのでディズニーを非難する人の考えには僕は全くもって賛同できません。




【個人的感想】

総論

 ぶっちゃけ、僕は『ライオン・キング』については「音楽と映像はすごい。でも肝心のストーリーが好きじゃないしつまらない」って感想に落ち着くんですよね。この作品はディズニーには珍しくかなり保守的な内容の作品だと思います。僕個人も政治的には少々アメリカの保守派に寄ってるところがあるので、単に保守的ってだけでは嫌いになることもないのですが、『ライオン・キング』で描かれてるようなタイプの保守的なテーマは正直好かないんですよね。

 単にテーマが好かないってだけでなく、ストーリーラインそのものにもあんまり魅力を感じません。キャラクターの心情の動きにあまり共感できないからなんですよね。シンバの悩みにあまり深刻さを感じないので、物語に入り込めず作中のキャラとの間に温度差を感じるんですよね。

 以下、これらの点について詳述します。


素朴な君主制擁護

 『ライオン・キング』のストーリーってものすごく素朴な君主制擁護思想が全面的に出ていて、この点が自分には合わないんですよね。ようはこの話って、「正統な王が簒奪者から王位を取り戻す話」じゃないですか。僕はそもそも君主制の熱烈な支持者でもないので、「正統な血筋の者こそが王に即位すべきである」という本作品のテーマにちっとも賛同できないんですよね。僕は、こういうテーマを素直に全面賛同して受け入れられるようなレジティミスト*5ではないので……。

 後半で、死んで星となったムファサがシンバに対して「王としての責任を果たせ」みたいなことを言うセリフがあるのですが、こういう意見に自分はちっとも賛同できない。このシーンは本作品の物語において最も盛り上がって感動すべきシーンなんですけど、そのメッセージに僕が賛同できないせいであんまり感動できなかったんですよね。「王家に生まれた者には王として尽くす義務がある」なんていう、個人の自由を無視して血統を理由に人を縛るような規範意識を僕は全く受け入れられないです。

 前作『アラジン』では、ジャスミンの存在を通して「王家に生まれた者の不自由」を描き、そこからの「解放」をテーマの一つにしてたのに対して、今作『ライオン・キング』は「王家に生まれた者の義務」でシンバを縛り付ける内容になっています。前作とはかなり対照的すぎる内容です。正直言って、「自由」を愛する僕としてはシンバがあのままティモンやプンバァと一緒にオアシスで自由気ままな生活をしていても構わないと思います。もちろん、その後で義憤に駆られて「悪政を敷くスカーを倒さなきゃ」って展開になるのも構わないんですが、そこはあくまでも「スカーの悪政批判」を根拠にして欲しいんですよね。「王家に生まれた者の義務」みたいな保守的な価値観を根拠の全面に出されても共感できなくて困ります。

 こういう点での、あまりにも素朴な君主制擁護が受け付けなくて僕は『ライオン・キング』のテーマを好きになれないんですよね。


シンバの悩みの共感しにくさ

 もう一つの難点はここです。本作品はシンバの悩みが重要なテーマとして扱われているのですがその悩みにあまり共感できないんですよね。悩んでる理屈は理解できなくもないんですけど、ムファサの死に関してシンバに明確な瑕疵があるとは僕には思えないので、あそこまでシンバが悩むことが大袈裟に思えてあまり共感できないんですよね。

 もちろん、他人から見れば小さなことで悩む人はたくさんいますし、そのこと自体が悪いとまでは思えませんけど、単純に視聴者の僕には共感できないタイプの悩みだったというだけです。そのせいで主人公のドラマに入り込めないんですよね。確かにムファサはシンバを助ける過程で死んだけど、それだけで「ムファサの死はシンバのせいだ」って結論に達しちゃうのが納得いかないんですよね。シンバが危機に陥った過程も「スカーに呼ばれて待機してたら暴走したヌーが急にやってきた」だけなので、シンバの行動に何かしら原因があるわけでもありません。

 その少し前に、シンバが言いつけを破って勝手にゾウの墓場に行って危機に陥る展開がありましたが、仮にその過程でムファサが死んだならば、シンバが「僕のせいで父さんが死んだ」と悩むのも理解できます。それならば「シンバが勝手にゾウの墓に行った」という原因があるので、シンバが自責の念に駆られてもおかしくないなあと思います。しかし、本作品ではムファサの死のそもそもの発端は「スカーに呼ばれて谷底に来た」だけなので、「シンバのせいじゃなくない?」という思いがどうしても出てきてしまいます。

 それなのにあそこまで嘆いて自分を責めて逃げ出すシンバの気持ちに全然共感できないので、後半のドラマにもあまり感情移入できなかったんですよね。


ムファサの横暴さ

 あと、細かい点ですがスカーに対するムファサの態度がちょっと横暴に見えてしまい、ムファサを「良い王様」だとあまり思えないんですよね。冒頭のシーンで、スカーに対してムファサが「俺に背を向けるのか?」と言ってキレるシーンのムファサが傲慢な暴君にしか見えないんですよね。そのわりには、息子のシンバに対してだけはやたら甘いので*6、単に「身内には甘く他人に厳しい威張り散らしてるだけの王様」って感じに見えます。全然好きになれないです。

 それなのに、作品内ではムファサは「理想的な名君」みたいな感じの扱いを受けてるので、その点がどうも腑に落ちなくて昔からもやもやするんですよね。


謎に迫害されてるハイエナたち

 同じく本作品に違和感を抱いてる点として、ハイエナたちがプライド・ランドから迫害されてる理由が良く分からないんですよね。プライド・ランドの動物たちがハイエナを汚らわしい存在として扱う明確な理由が説明されてないんです。物語の展開的に、スカーがハイエナと手を組んだことも「スカーの悪政の一例」として断罪されてるんですけど、このナチュラルな「ハイエナ差別思想」に全く共感できない。むしろ、それまでプライド・ランドに住むことも許されずにライオンの食べ残しにしかありつけない状況に追いやられてたハイエナたちが可哀想……って思ってしまいます。

 正直言って、作中内で描かれてる主人公たちのハイエナへの敵意って、マイノリティに対する素朴な差別意識や排外主義的な移民排斥運動を彷彿とさせなくもないんですよね。まあ、そういう差別意識との関連にまで結びつけちゃうのはいささかこじつけがすぎる批判だと我ながら思うので、あまり強くは主張しないですけどね。見る人が見ればそう見えなくもないよなあ、と言いたくなる程度には、本作品でのハイエナ迫害に僕が全く共感できないのは事実です。


神話や英雄叙事詩みたいなストーリー

 『ライオン・キング』の物語って、なんかすごく神話みたいなんですよね。これは演出の雰囲気も大いに影響してるんだと思います。大昔の英雄叙事詩とかを見てるような気分になってくる。で、それが面白いのかというと、僕個人には面白く感じ取れないです。そういうタイプの物語って、テーマに共感できないと個人的に退屈でつらいんですけど、これまで述べて来たように僕は本作品のテーマにあまり共感できないんですよね。

 ひょっとしたら、共感できない点が多すぎるから、逆に神話のように感じるのかもしれません。マジで古い神話とか読むと、自分たちとあまりにも基本的な価値観や倫理規範が違う登場人物たちの物語についていけなくなることあるじゃないですか。『ライオン・キング』に対して僕が感じる違和感ってまさにそれなんですよ。作中で「良いこと」「正義」とされてる価値観にちっとも同意できないので物語に入り込めない。

 正統な王の帰還を「正しいことだ」と考え主張するムファサやナラやラフィキも、大して自身に瑕疵があるわけでもない父の死でいつまでも悩み続けるシンバの気持ちも、ハイエナは「当然迫害されてしかるべき動物」だと考えるプライド・ランドの動物たちの考えも、全て僕には分かりません。だからこそ、なんか自分とは根本的な価値観の違う異星人たちの物語に見えちゃうんですよね。だから物語に入り込めず退屈に感じてしまいます。

 壮大な雰囲気の演出は上手いし、個々の展開もちょうど良い按配のスピーディーさで、決してストーリー作りが下手な訳ではないんですけど(むしろエンタメ作品として上手いストーリー展開だと思います)、単純にそこで基本的価値観として前提視されてる考え方に僕はちっとも共感できないので好きになれないというだけです。本当に退屈なストーリーだなあ。


キャラクターの魅力

 上で述べた通り、『ライオン・キング』の登場人物は僕にはみな異星人みたいに感じてしまいあまり共感できないのですが、例外的に好きになれるキャラが悪役スカーと三枚目コンビのティモン&プンバァです。これらのキャラは好きです。

 特にスカーはすごいです。かなりの名悪役だと思います。いかにもな「捻くれた陰険な卑怯者」って感じのキャラクター設定が素晴らしいです。それでいながら、一つ一つの仕草が妙にセクシーなんですよね。ちょっとエロいっていう声を巷でよく聞くのも理解できます。腕力よりも知略を練るタイプの悪役なのに、終盤でその知略が全て尽きるとシンバと直接戦うという展開も好きです。「万策尽きた智将が最後の最後で暴力に頼らざるを得ない」っていう展開が良いんですよねえ。スカーの追い詰められた感がうかがえる良い展開だと思います。

 ティモンとプンバァは、この頃のディズニー作品にはありがちなギャグ担当のコメディ要員であり、あまりキャラクターに目新しさはないのですが。こういう漫才コンビは面白いので好きです。ティモンとプンバァの漫才のような掛け合いが面白いんですよね。一見するとより間抜けに見えるプンバァのほうが実はたまに的確なことを言うという定番ギャグも好きです。鉄板の面白さだと思います。こういうコミカルなキャラクターは好きだなあ。



映像と音楽による演出の凄さ

 ここまで『ライオン・キング』のストーリー上の難点を主に述べてきましたが、一方で演出はものすごく圧巻だと僕も思います。音楽と映像に関しては、他の第二期黄金期の作品同様に『ライオン・キング』もかなり素晴らしです。文句ないです。アフリカの大自然雄大な風景が映し出されたアニメーション映像とそれに合ったアフリカらしい音楽の組み合わせが好きですね。

 個人的には、後半でやる気を取り戻したシンバが砂漠の中を駆け巡るシーンが好きですね。アフリカっぽい独特な音色の音楽と雄大な砂漠の映像がマッチしてて、すごい興奮する演出だなあと思います。あとはヌーの大暴走のシーンもすごいです。このシーンは本当に迫力が段違いなんですよね。土煙を立てて暴走するヌーの迫力には大いに圧倒されて、終始ハラハラしながら見ることができます。

 もちろん、終盤のアクションシーンの迫力もすごいです。炎が燃え盛る中で、スカーやハイエナたちと戦うシーンは、ちゃんと緊迫感も迫力もある素晴らしいアクションだと思います。特に、最後のスカーとシンバの一騎打ちは今までのディズニー映画の中の戦闘シーンの中でも一番の出来ではないでしょう。少年ジャンプのバトル漫画とかにありそうな「正統派肉体バトルシーン」って感じの描写が素晴らしいです。お互いに猫パンチを繰り広げるスカーとシンバのアニメーションが良いです。ベストバウトです。

 それ以外にも、オープニングやエンディングで岩の周りにたくさんの動物が集まり王を祝福するシーンなど、いちいち全ての演出が豪華で壮大なんですよね。こういうところは本当に第二期黄金期らしいと思います。こういう演出の凄まじさは確かに感動しますし、本作品の優れた点だなあと思います。


ミュージカル要素

 上で述べた通り、本作品のミュージカル要素は大体がエルトン・ジョン氏による作曲です。そして、このエルトン・ジョン氏による曲の数々が本当に素晴らしいんですよねえ。まず、オープニングで流れる"Circle of Life"がとてつもなく素晴らしいです。ここのオープニングシーンは歴代ディズニー映画の中でも一二を争うレベルで最高のオープニングと言えるんじゃないでしょうか?アフリカ舞台らしくズールー語の歌声と日の出の映像で始まり、アフリカの壮大な自然に映る多数の動物たちのアニメーションが音楽に合わせて映し出される素晴らしいオープニングだと思います。ここは本当に感動的でエモい気分になります。エンディングでももう一度同じような映像と音楽が流れますが、そういう繰り返しの演出も良いですねえ。めっちゃ好きです。

 "I Just Can't Wait to Be King"も名曲だと思います。アフリカっぽい音楽のフレーズもある一方で、ボーカルはリズミカルなポップスっぽさも感じさせる良い曲です。メロディもキャッチーでとても耳に残ります。ここで周囲のアニメーションの絵の雰囲気が急に変わる演出も個人的に大好きですね。楽しいミュージカルシーンだと思います。このシーンが東京ディズニーランドのフィルハーマジックに取り入れられてるのも納得です。


 "Be Prepared"も良いです。ディズニーの歴代ヴィラン・ソングの中でもしばしば上位に入ることの多い定番のヴィラン・ソングなんですが、それも当然だと思います。スカーのキャラクターのセクシーさや卑劣さなどが存分に表現されており、しかもいかにもな「悪役の歌」って感じの曲想なんですよね。後半でハイエナが軍隊みたいな行進してスカーを讃えるシーンの演出も素晴らしいです。最後にハイエナとスカーたちが高笑いしてるシーンがものすごく印象的です。

 ティモンとプンバァの登場シーンで流れる"Hakuna Matata"も有名な曲でしょう。オアシスの楽しくなる雰囲気が存分に味わえる名曲だと思います。この気楽な歌詞と気楽なリズムが本当に心地よくて、「ああ、楽園だなあ」って気分になります。癒されて楽しくなる名曲です。ぶっちゃけ、王の義務とか果たさないで、このままずっとオアシスでティモンやプンバァと楽しくやってるシンバのままでも良かったのになあ、と思ってしまうぐらいです。このミュージカルシーンが好きだからこそ、上で述べたように僕は後半の「王家の義務」をシンバに果たさせる展開が好きじゃないのかも知れません。"Hakuna Matata"*7の精神のままで行って欲しかったです。

 "Can You Feel the Love Tonight"はアカデミー歌曲賞も受賞した本作品の主題歌ですね。アフリカっぽいバックコーラスとともに、現代風のゆったりとする感動的なメロディが流れる素晴らしいバラードだと思います。第二期黄金期らしいエモくて良い感じのラブソングで大好きです。エンドロールにてそのアレンジをエルトン・ジョン氏自ら歌ってますが、こっちのほうも好きですね。エルトン・ジョンの惚れ惚れとするような歌声が味わえます。めっちゃ感動します。


やっぱりストーリーは好きになれない

 ということで、僕の『ライオン・キング』に対する感想は冒頭で述べた通り「ストーリーは保守的で共感できないけど、一部キャラと演出だけはすごい」というものに尽きるんですよね。前作『アラジン』とは対照的に王家の不自由さを全面的に擁護するかのような素朴な君主制支持思想や、ハイエナたちへの迫害を正義とする論理などが、どうも僕には受け入れられないんですよね。逆に、君主制を支持するタイプの保守派ならば嫌悪感なく見れるタイプの作品だと思います。僕はそういうタイプの人ではないので、本作品から滲み出る保守的な君主制擁護思想を受け入れるのは無理でしたね。

 また、先述の通り、本当に「自分とは違う世界の違う価値観を持ってる人たちの物語」って感じがして退屈でした。神話みたいなストーリー展開で面白くないです。シンバの悩みにもあまり共感できませんしね。そんな訳で僕はやっぱりストーリーに関してはこの『ライオン・キング』を好きになれないです。

 ただし、第二期黄金期らしい壮大な映像と音楽の演出は本当に素晴らしいので、それを見れただけでも満足できる部分はあります。特に、「圧巻」としか言いようのないオープニングには本当に感心します。でも、それぐらいです。あとは悪役スカーのキャラ設定の素晴らしさぐらいしか褒めたい点が見当たらないですね。僕にとって『ライオン・キング』はそんな感じの作品ですね。







 以上で、『ライオン・キング』の感想記事を終わりにします。次回は『ポカホンタス』の感想記事を書くつもりです。それではまた。

*1:この前の原作なしオリジナルのディズニー映画は1970年公開の『おしゃれキャット』まで遡ります。

*2:なお、話は逸れますが本作品の制作中に当時のディズニーの社長だったフランク・ウェルズ氏が事故で亡くなっています。そのため本作品は彼に捧げられた映画でもありました。

*3:エルトン・ジョン氏を良く知らない人でも多分"Your Song"とかを調べて聞けば「あー、この曲を歌ってる人か」って分かると思います。

*4:実際、そう思える程度の類似点の存在は僕も認めざるを得ません

*5:王位な正統な継承順位を絶対視する思想の持ち主のことです。特に、フランス革命などを否定する王党派の一部に対して用いられることが多いです。

*6:シンバが勝手にゾウの墓場に行ったことでシンバを叱ろうとしたシーンも、結局お叱りはうやむやなままムファサはシンバとじゃれ始めますし。

*7:歌詞の中でも説明されてますが、スワヒリ語で「くよくよするな」の意味です。