tener’s diary

てねーるのブログ記事です

【ディズニー映画感想企画第24弾】『きつねと猟犬』感想~新世代へのバトンタッチ~

 ディズニー映画感想企画第24弾は『きつねと猟犬』の感想記事を書こうと思います。日本での一般的知名度は低いですがディズニーマニアの間ではやたら有名な作品なので、ちょっと渋めの顔で「『きつねと猟犬』良いよね」とか言えばマニアの間でも通ぶれること間違いなしの作品となっています(?)。
 そんな『きつねと猟犬』について語っていきたいと思います。

 f:id:president_tener:20190912091335j:plain f:id:president_tener:20190912091401j:plain

【基本情報】

ナイン・オールドメンの引退

 『きつねと猟犬』は1981年に24作目のディズニー長編アニメーション映画として公開された作品です。原作はアメリカの作家ダニエル・P・マニックスによる同タイトルの小説です。本作品の公開をもって、前作『ビアンカの大冒険』の頃から進んでいたウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ内での世代交代が完了しました。そのため、本作品は「旧世代から新世代へのバトンタッチ」となった作品としてディズニー史においては有名な作品となっています。

 前の記事でも述べた通り、前作『ビアンカの大冒険』制作の頃からすでにナイン・オールドメン*1のうち何人かがスタジオからいなくなっていました。そして、本作『きつねと猟犬』の制作をもってナイン・オールドメンは完全引退することになります。つまりこの『きつねと猟犬』が、ナイン・オールドメンが制作に携わった最後の作品となったわけです。

 例えば、ナイン・オールドメンの一人であり、ウォルト・ディズニー氏の晩年からずっと監督を務めて来たウォルフガング・ライザーマン氏は本作の制作中にスタジオを引退しています。彼は、『王様の剣』から『ビアンカの大冒険』までずっと監督を務めてきた重鎮で、ウォルト死後の低迷期のディズニーを支えて来た人物でした。彼以外にも、フランク・トーマスやオリー・ジョンストンなど、まだ残っていたナイン・オールドメンのメンバーも本作品の制作中に続々と退社しています。

 こうして、この『きつねと猟犬』の制作を最後にナイン・オールドメンは全て引退し、第一期黄金期の頃からディズニーを支えて来た旧世代の時代がここで終了したのです。


新世代へのバトンタッチ

 もちろん、旧世代のナイン・オールドメンが引退したのならば、それに代わる新しい世代のアニメーターが出て来なければなりません。本作品では、その後のディズニーを支えることになる新世代のアニメーターたちが多数制作に携わっています。彼らの多くは、ウォルト・ディズニー氏が晩年に設立したカリフォルニア芸術大学(通称カルアーツ)の出身であり、エリック・ラーソンたちナイン・オールドメンによるアニメーター教育プログラムを受けた人たちでした。

 例えば、グレン・キーンやジョン・マスカー、ロン・クレメンツなどがこの『きつねと猟犬』の制作に関わっています。彼らはみな後の第二期黄金期で活躍するアニメーターたちです*2。この『きつねと猟犬』の制作を通して、彼らのような新世代へのバトンタッチが行われていたのです。

 その他にも、ジョン・ラセター*3ブラッド・バード*4クリス・バック*5ヘンリー・セリック*6など、21世紀以降のディズニーやピクサーの繁栄を支える人たちも本作品の制作に関わっていました。さらに、後に有名な映画監督として活躍することになるティム・バートン氏も、この『きつねと猟犬』の制作にまだ無名のアニメーターとして携わっています。

 このように、『きつねと猟犬』には後のディズニーの繁栄を支える新世代のアニメーターが多数参加していたのです。それゆえに、本作は「旧世代から新世代へのバトンタッチ」を象徴する作品として知られています。

 とは言え、この「世代交代」は必ずしもスムーズに進んだ訳ではありませんでした。本作品の制作中に、ジョン・マスカーやロン・クレメンツなどと同様に新世代のディズニーを率いることになると思われていたドン・ブルース氏がディズニーを退社して新しい会社を設立してしまいます。彼は、当時のディズニーのドル箱作品重視のやり方に反発し、ゲイリー・ゴールドマンやジョン・ポメロイなど仲間のアニメーターを大量に引き連れてディズニーを去ったのです。ドン・ブルースと共に多くのアニメーターがディズニーを辞めていったため、当時の『きつねと猟犬』制作に大きな支障となってしまったそうです。*7

 このような困難に会いながらも『きつねと猟犬』は何とか完成し、ディズニーに残った新世代のアニメーターたちへの旧世代からの引き継ぎも無事に完了しました。ディズニーは世代交代によって新しい時代へと舵を切ることになったのです。


隠れた名作

 上述の通り、『きつねと猟犬』はディズニーの世代交代を象徴する作品としてかなり力を入れて制作されていました。その甲斐あってか、本作品は興行的には大成功を収めます。批評家たちからの評判も概ね絶賛となり、暗黒期にしては珍しい成功作となりました。

 その割りには現在日本での一般的な知名度はあまり高くありません。そのため、本作はディズニーオタクの間では「ディズニーの隠れた名作」としての扱いを受けることが多いです。一般的知名度は高くないのに、マニアの間では「ディズニーの隠れた名作と言えば『きつねと猟犬』だよねえ」みたいな感じで話題に上がることが多いです。そういう「マニアの間では有名」な作品になっている気がします。

 後で、個人的感想の項目でも述べますが、本作品はディズニー映画の中では比較的「重くて深い」テーマを扱った作品なんですよね。最近は少なくなったとは言えいまだに「ディズニーは子供向け」という偏見を向けられることの多い状況において、硬派を気取りたいディズニーオタクはしばしば「いや、ディズニーにも深いテーマを扱った大人向けの渋めの作品があるんだ!」という反論をしたくなりがちです。そんな時に彼ら硬派ディズニーオタクが「大人向けのディズニー映画」の例としてしばしば取り上げがちな作品の一つがこの『きつねと猟犬』なんですよね。*8

 そんな訳で、好きなディズニー映画を聞かれた時に『きつねと猟犬』を挙げると、硬派ディズニーオタクからは「おっ、こいつ分かってんじゃん」「君はなかなかの通ですねえ」みたいに思われることが多いです、多分、おそらく……。なので、硬派なディズニー通を気取りたい人はとりあえずこの『きつねと猟犬』を見ておくと良いと思います(?)。




【個人的感想】

総論

 先述の通り、『きつねと猟犬』はディズニーオタクの間で「隠れた名作」との評価を受けることの多い作品ですが、実際僕もその評価には概ね納得しています。この作品は本当に「隠れた名作」だと思います。世代交代となった作品だけあってか、それまでのディズニー映画とは明らかに作風が違う点があるんですが、その新しい作風が素晴らしいです。

 本作品は今までと違いちょっと「大人向け」なシリアスなテーマを扱った作品となっているのですが、その新しい試みがちゃんと良い効果を生み出しており、ラストの展開にしんみりと感動する傑作に仕上がってると思います。細かい難点は多少なくもないのですが、それでも僕は本作は十分に「隠れた名作」と言えると思っています。


オープニング

 本作品は、オープニングからして「いつものディズニー映画とは違うな」という雰囲気を漂わせています。ちょっとシリアスな雰囲気が全体的に漂ったオープニングになっています。怖くて緊張感のある素晴らしいオープニングだと思います。

 まず静寂な森の様子を見せ、そこにキツネの親子が現れたかと思えば、いきなり恐ろしいBGMが流れ始め、猟犬に追われるキツネの映像が流れる。そして銃声と共に母狐が亡くなったであろうことを仄めかすシーンへと移る。この辺りの展開は『バンビ』を彷彿とさせますね。逃げるキツネたちだけを映して追手の猟犬や猟師は映さない演出が『バンビ』での狩りのシーンと酷似してます。この演出がちゃんと効果的に働いているので、印象に残る緊迫感あるオープニングに仕上がってると思います。


シリアスなテーマ

 そして、そんなオープニングが象徴するように本作ではちょっとシリアスなテーマが描かれています。個人的に僕は「この作品は深いテーマが描かれてるんだよー」みたいなことをドヤ顔で語って作品を持ち上げるオタクをあんまり好まないのですが*9、実際この作品はそういう「ちょっと大人向けな渋いテーマ」を上手く扱えている作品だと思います。

 下手すると「今までのディズニー映画っぽくない」と批判も受けそうですが、そこはきちっと従来のディズニー映画らしい明るいシーンも出すことでバランスを維持しています。例えば、ディンキーとブーマーのコンビがイモムシを追いかけ回すシーンなどでコミカルさも演出しています。そういうシーンを入れることで本作品が過度に暗すぎる作品になることを防いでいます。それゆえに本作は、ちゃんとディズニーの伝統をある程度は守ったうえで新しい試みも忘れずに行うという非常に「ディズニーらしい」挑戦的な作品になってると思います。

 とは言え、やっぱり本作品もどことなく暗い雰囲気はあります。こういう暗さは『ロビン・フッド』や『ビアンカの大冒険』にも見られたので、この時期のディズニー映画の特徴なんでしょう。それにも関わらず『ロビン・フッド』や『ビアンカの大冒険』と違い、『きつねと猟犬』の暗さはあんまりマイナス要因になってないと感じます。それどころか僕は本作品の暗さはこの作品の魅力の一つだとすら思ってます。

 なぜなら、『ロビン・フッド』や『ビアンカの大冒険』の暗さと違って『きつねと猟犬』の暗さは「意味のある暗さ」だと思うんですよね。例えば、『ロビン・フッド』はあんまり感動要素のない軽いコメディとして描かれてるのにも関わらずところどころに陰惨なシーンがあったので、その点がアンバランスに感じて「なんでコメディなのにこんな暗いんだ?」と思っちゃったんですよね。それに対して、『きつねと猟犬』はそもそも作品で扱ってるテーマがわりとシリアスで重い内容なので、作品から漂う暗い雰囲気がそういうテーマときっちり合ってるんですよね。なので、暗い雰囲気にも違和感を抱くことはなく、むしろ「今回はそういう重いテーマを扱った少し暗めの作品なんだな」と思って見ることができるんですよね。だから、ちゃんとテーマに合った意味のある暗さになってる。


トッドとコッパーの関係性の変化

 本作品のテーマは「‟きつね”と‟猟犬”という対立する立場に属する者同士での友情」でしょう。『ロミオとジュリエット』や『あらしのよるに』を彷彿とさせるテーマであり、どうしても悲劇的な展開になりがちな題材でもあります。本作品でも、当然そのような悲劇的な展開が後半から起きています。子供時代は仲の良い親友同士だったトッドとコッパーが、大人になるにつれてきつねと猟犬というそれぞれの立場ゆえに敵対するようになっていく、その関係性の変化がしっかりと丁寧に描かれています。

 両者のこの関係性の変化の過程がすごく自然な展開として描かれているんですよね。そこに不自然な無理やりさはほとんど感じられないです。だからこそ、ちゃんと納得のできる悲劇として、視聴者の感情を揺さぶる展開になってるんですよね。仲の良かった親友同士が対立せざるを得ない状況に追い込まれていく展開には、胸が締め付けられるような悲しみを抱かざるを得ません。本作品のシリアスなテーマをきちんと観客に共感させる形で表現できてる上手いストーリー展開だと思います。

 エイモス・スレイドからは良く思われていないものの、幼少期はお互いに親友として仲の良かったトッドとコッパー。その後、猟犬として成長したコッパーは猟犬としての自分の立場を自覚しつつもトッドへの友情を捨てきれず、一度はトッドを見逃すもそのせいでチーフが負傷するとトッドを恨むようになり、ここで二匹の友情に亀裂が生じてしまいます。ここに至るまでの展開が本当に秀逸なんですよね。そして、禁猟区にて守るべき恋人が出来たトッドも、追ってくるコッパーと森で睨み合い戦う関係になってしまいます。この関係性の変化の過程が自然な展開として描かれてるから、終盤で睨み合って吠え合うトッドとコッパーの悲劇性がしっかりと際立っている。本当に「上手」なストーリー展開だと思います。


アクションの緊張感

 悲劇的な展開を演出する上でさらに「上手いな」と感じるのは、緊張感あるアクションの演出でしょう。本作品では動物同士の戦いが後半から至る所で見られますが、これらのシーンの迫力が凄まじいんですよね。特に、終盤でのトッドとコッパーの戦いやクマとの戦いなどは、かなり迫力や緊迫感のある戦闘シーンとなっています。結構リアリティーのある動物同士の戦いって感じがします。

 こういう迫力のあるアクションの描写も上手いんですよねえ、本作品は。カメラワークや動物の表情の描き方などによるアニメーション映像の魅せ方が秀逸なんだと思います。それ故に、禁猟区でトッドとコッパーが再び対峙してからの一連のシーンはかなり緊張感があってハラハラドキドキさせる展開になっています。エイモスやコッパーに追われながら、ビクシーと一緒に逃げるトッドのアクションにはかなり目を見張るものがあります。

 その後に出てくるクマもすごく恐ろしいです。実は、ディズニー映画でリアリティーのある「凶暴なクマ」が出て来たのってこの作品が初めてじゃないでしょうか?『ジャングル・ブック』に出て来たバルーとかは、コメディ風にデフォルメされたデザインのクマで、そのキャラクター設定も含めて大して怖くないクマでしたもんね。もちろん、そういうクマの描写もそれはそれで悪くないんですが、『きつねと猟犬』のクマはそれら過去作品のクマとは違い「リアルに恐ろしい野生のクマ」が描かれているんですよね。だからこそ、終盤の展開が途轍もなく迫力のあるものになっている。緊迫感のある素晴らしいアクションシーンだと思います。

 こういう「動物の凶暴さのリアリティー」を追求した演出を試みた点も、今までのディズニー映画とは違う本作の新しい点なのかなと思います。世代交代を象徴する作品だからこその、新しいスリルのあるアクションシーンだと言えるでしょう。


渋くてジーンとする終わり方

 この『きつねと猟犬』が今までのディズニー映画とは違って特に新しいと感じる点は、何といってもラストの展開ですね。ディズニーの長編アニメーション映画でいわゆる「大人向けの渋いビターエンド」が採用されたのも本作品が初だと思います。後に『ポカホンタス』や『ノートルダムの鐘』などでもディズニーはそういう渋いビターエンドを採用するようになりますが、その最初の例だと思います。

 結局、ラストでトッドとコッパーは別々の人生を歩むことになるんですよね。昔のように二匹が一緒に遊ぶような暮らしにはもう戻れず、トッドは森で恋人のビクシーと暮らし、コッパーはエイモスの下で猟犬として暮らす。そういう意味では一見するとバッドエンドのようにも感じる終わり方かもしれません。

 しかしその少し前の展開を見ると決してバッドエンドとは言えないことが視聴者には分かります。自分たちを守るためにクマと戦ったトッドを見たコッパーが心変わりしてトッドを守り、そのコッパーの訴えを聞いたエイモスもトッド狩りをやめます。そして、去り際にトッドとコッパーはお互いに笑い合っています。つまり、トッドとコッパーはもうお互いにいがみ合う関係ではなくなったのです。それを裏付けるかのように、エンディングでは「いつまでも友達でいようね」と言い合った子供の頃のトッドとコッパーのセリフが再び流れてきます。この演出が本当に渋くて格好良くて感動するんですよねえ。

 お互いに成長して「きつね」と「猟犬」というそれぞれの立場に応じた暮らしを歩むことになったためもう昔のように一緒に遊ぶこともないけれど、それでも二匹の間には子供時代からの友情が確かにまだ存在し続けている、そんなことがうかがえるエンディングだと思います。「離れ離れになっても繋がっている絆がある」ということを示唆してくれる終わり方が本当に渋くて感動しますね。僕はこのラストを見るたびに、何度も胸がジーンする感情を抱いています。

 クマにやられたトッドをコッパーが庇ってからエンディングに至るまでの間に、トッドとコッパーのどちらも一切セリフがない点も素晴らしいと思います。セリフなしで表情と音楽だけで二匹の友情がしっかり伝わるような演出になってるのも渋くて好きです。こういう「ちょっと大人向けの渋くて格好良い演出」が上手いんですよね、この作品は。それゆえに、味のあるエンディングになっていると思います。

 また、エンディングではエイモスは今まで敵対してたトゥイード夫人と仲睦まじくやっている様子も描かれています。トッドとコッパーだけでなく、エイモスとトゥイード夫人の二人も和解したことがうかがえて微笑ましく感じられます。そういう点でも、この『きつねと猟犬』のエンディングはちょっとビターなところもありつつもやっぱりハッピーエンドなんだと思います。

 誰が見ても分かりやすい単純なハッピーエンドではなく、少しビターエンドに感じる要素はありつつもそれでもやっぱり良く考えるとハッピーエンドなんだと感じるような渋い終わり方が、『きつねと猟犬』の一番の特徴であり魅力的な点だと思います。このエンディングの描写が本当に渋くて大人っぽくてジーンとする感動もあって、とにかく素晴らしいんですよね。だからこそ本作品は名作だと言われているのだと思います。大好きな終わり方です。


音楽

 『きつねと猟犬』もミュージカル映画になっていて、いくつかの劇中歌が流れています。特に、主題歌の"Best of Friends"はなかなかの名曲です。この曲に合わせて、幼少期のトッドとコッパーの無邪気な友情が良い感じに描かれています。カントリー風の癒されるメロディがとてもエモいんですよねえ。この音楽の良さが、本作品の感動要素を数倍に高めてると言っても過言ではないと思います。

 この曲はエンディングでもちょっとアレンジされた状態でBGMとして流れてくるんですが、その余韻が本当に素晴らしんですよねえ。この曲の余韻のお陰で、エンディングの渋さがより一層引き立ってると思います。大好きな曲です。

 ただ、それ以外の曲はちょっとカントリー風すぎてあんまり目立たない曲が多い気は少しします。"Goodbye May Seem Forever"や"Appreciate the Lady"などは、何度か聞けば十分に感動する良曲なんですけどね。耳には少し残りにくい音楽かも知れません。それでも、これらの曲もちゃんと映画内の展開に合った雰囲気を醸し出す良曲にはなっています。この『きつねと猟犬』も、ディズニーらしく音楽による演出がちゃんとしてる映画だと思います。耳には残りにくいけど演出としてはそれなりに効果的な役割を果たしている曲です。


数少ない難点

 ここまで『きつねと猟犬』を褒めちぎる感想ばかり述べてきましたが、本作品には多少の難点もあると思います。例えば、ディンキーとブーマーのコンビがイモムシを追い回すシーンは、作品内で数少ないコメディ要素として何度も登場しますが、このシーンは人によっては「邪魔」に感じるかも知れません。正直言って、本作のメインの展開にはほとんど関係ないので、「作品の暗さを緩和するために申し訳程度に入れた余計なギャグ展開」と感じるのも無理はないと思います。僕自身はそれなりに笑えたのでそこまで邪魔には感じなかったのですが、まあこうも何度もディンキーとブーマーのシーンを繰り返されるとちょっとくどいし邪魔らしく感じる人の気持ちも分からなくはないです。

 もう一つの難点は、トッドが禁猟区に入ってから野生での暮らしを身に着けるまでの展開が少し長すぎて中だるみしてる点でしょう。ここら辺のシーンは、なんか適当な劇中歌でも入れてダイジェストっぽく見せれば十分じゃないか?と思わなくもないです。アナグマとの確執やビクシーと恋に落ちるまでの過程がいちいち長くて、冗長に感じてしまいます。コッパーの猟犬としての成長を描いたから、次にトッドの野良ギツネとしての成長を描きたいという狙いは分からなくもないんですが、前者に比べてトッドの野生帰りパートは少し長すぎるように感じます。

 アナグマヤマアラシとのシーンにも物語の展開上の必要性をあまり感じませんし、ビクシーとトッドの恋愛シーンも少し長すぎるので、ここら辺の展開はもっとバッサリ省いた方が良かった気がします。そのほうが、余計な要素がない分トッドとコッパーの二匹だけの物語となってメインテーマがより一層はっきりすると思います。


新しい作風が光る「隠れた名作」

 まあ、上述のように多少の難点もなくはないですが、それでもやっぱり僕はこの『きつねと猟犬』は文句なしに「隠れた名作」だと思います。「シリアスな重いテーマ」を扱い「大人向けの渋いビターエンド」で終わらせるなど、この作品には今までのディズニー映画にはあまり見られなかった新しい要素がたくさん詰まってると思います。そういう新しい試みが見られたのは、最初に述べたように本作品がスタジオ内における「世代交代」を象徴する作品だからなのかも知れません。引退するナイン・オールドメンたちに代わり新しくディズニーを率いることになる新世代のアニメーターたちが、ディズニー映画に新しい風をもたらしたのかもしれません。

 そんな「新しい作風」が、決して単なる「目新しさ」や「斬新さ」を出すだけで終わってるのではなく、それ以上の「感動」を引き出す「上手なストーリー展開や演出」に繋がってると感じます。だからこそ、この『きつねと猟犬』は今でも「隠れた名作」としてディズニーマニアの間では高い評価を受けているのでしょう。日本での知名度は依然として低い作品ですが、一度は見ておいて損のない傑作だと思います。僕は大好きな作品です。





 以上で、『きつねと猟犬』の感想記事を終わりにします。次回は『コルドロン』の感想記事を書こうと思います。それではまた。

*1:第一期黄金期の頃からディズニーのアニメーション制作を支えていた9人の大御所アニメーターのことです。詳しくは1つ前の記事を参照してください。

*2:ジョン・マスカーとロン・クレメンツのコンビは『リトル・マーメイド』や『アラジン』などの監督を務めますし、グレン・キーンは『リトル・マーメイド』や『美女と野獣』の主人公の作画を担当しています

*3:ピクサーで『トイ・ストーリー』シリーズなどの監督を務め頭角を現したのち、WDASの制作リーダーとして第三期黄金期の立役者となった人です。

*4:ピクサーで『Mr.インクレディブル』シリーズや『レミーのおいしいレストラン』などの監督を務めた人です。

*5:アナと雪の女王』の監督を務めた人です。

*6:ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』や『ジャイアント・ピーチ』などの監督を務めた人です。

*7:なお、ディズニーを去った後のドン・ブルースたちは後に『アメリカ物語』などのアニメを制作してディズニーのライバル的存在となります。

*8:その他にも『ポカホンタス』だったり『ノートルダムの鐘』だったり『ブラザー・ベア』だったりを例に挙げるディズニーオタクも居ます。

*9:エヴァまどマギをやたら持ち上げて「このアニメは深いテーマを扱った大人向けの作品だから傑作なんだ」みたいなことを言いだすオタクが正直嫌いなんですよね、僕。「高尚なテーマを扱ってる作品=偉い」という単純化した考えを抱いてるような感想には賛同も共感もできない。