tener’s diary

てねーるのブログ記事です

【ディズニー映画感想企画第19弾】『ジャングル・ブック』感想~ウォルト・ディズニー氏の遺作~

 ディズニー映画感想企画第19弾です。今回は『ジャングル・ブック』の感想記事を書こうと思います。前作『王様の剣』よりはそこそこ一般的な知名度も高いほうの作品だと思います。東京ディズニーランドでもこの作品のキャラクターを結構良く見かけるし。
 そんな『ジャングル・ブック』について語っていきたいと思います。

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【基本情報】

ウォルト・ディズニー氏最期の作品

 『ジャングル・ブック』は1967年にディズニー19作目の長編アニメーション映画として公開された作品です。原作は、イギリスの有名な小説家ラドヤード・キップリング氏による同タイトルの小説です。そして、本作は‟ウォルト・ディズニー氏の遺作”だと言われています。『ジャングル・ブック』の公開は1967年でしたが、その前年の1966年にウォルト・ディズニー氏は亡くなってしまいました。ウォルト氏は本作の公開を見届けることなく亡くなってしまったのです。

 晩年のウォルト・ディズニー氏はあまりアニメーション制作に関わらなくなっていたことは前の記事で述べた通りですが、この『ジャングル・ブック』制作に関しては例外的にウォルト・ディズニー氏本人も大いに携わったらしく、ウォルトの指示でストーリーの大幅な変更が行われたりしています。*1

 そんな訳でウォルト・ディズニー氏の強い影響力の下で制作されたにも関わらず、ウォルトは本作の完成を見ることなく亡くなり、彼の死後1967年にこの映画は完成したのです。そのため、本作は「ウォルト・ディズニー氏の手掛けた最後の長編アニメーション映画」としてディズニーファンの間では有名な作品となっているのです。


晩年のウォルト・ディズニー

 『ジャングル・ブック』制作中のウォルト・ディズニー氏は他にも多くの仕事を抱えていました。前の記事で述べた通り、1964年には、ニューヨーク万博にも出展したり、『メリー・ポピンズ』の公開も行ってたりします。ニューヨーク万博では、リンカーン大統領のオーディオ・アニマトロニクス*2やイッツ・ア・スモール・ワールドのアトラクションなどが展示され人気を博しました。これらのアトラクションは万博後にディズニーのテーマパークに移され、現在でも楽しむことができます*3

 ニューヨーク万博と同じく1964年に公開された『メリー・ポピンズ』は爆発的な大ヒット作品となり、ウォルト念願のアカデミー作品賞にノミネートされるほどになりました。この作品は今でも実写ミュージカル映画の歴史に残る傑作として名高い評価を受けていますね。

 さらに、翌年の1965年にはフロリダ州で広大な広さの土地を購入し、ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート(略称はWDW)の建設計画を発表しました。WDWの開園はウォルト死後の1971年までかかりましたが、当時すでにカリフォルニア州で開園していたディズニーランドとはまた違うタイプの施設の建設を晩年のウォルト氏は計画していたのです。特に、実験的未来都市の建設計画であるEPCOT計画にウォルトは熱心だったそうです。*4

 このように、晩年のウォルトは『ジャングル・ブック』のような従来の長編アニメーション映画の制作以外にも多くの事業に携わっていたのです。これらの事業の少し前である1961年には、ウォルトはカリフォルニア芸術大学(通称カルアーツ)の設立にも携わっています。ウォルト・ディズニー氏は晩年になってもなお新しい業績を積み重ねていったのです。すでに、多くのアニメーション映画やテレビ番組、テーマパークの建設などを手掛け、十分すぎるほどの名声を得ていたにも関わらず、それでもなお彼は死ぬまで新しいプロジェクトへと挑戦し続けたのです。改めてウォルト・ディズニー氏の偉大さを実感できるエピソードですね。


人種差別論争

 そんなウォルト・ディズニー氏の遺作として有名な『ジャングル・ブック』ですが、ディズニーにありがちな人種差別論争は本作品にもついています。ただ、正直言って僕は、ディズニー版『ジャングル・ブック』に対する人種差別的だとの批判のいくつかはこじつけの邪推に近いと感じています。詳細は後の記事でも述べますが、無駄に深読みしまくって人種差別的な意図を無理やり見出して批判してるようにしか感じない意見がほとんどです。

 まあ、そもそもこの『ジャングル・ブック』の原作者であるラドヤード・キップリング氏自身が人種差別主義者だとの批判を多く受けていた人物であることも影響しているのかもしれません。とは言え、原作者の思想とディズニー版『ジャングル・ブック』はあくまでも別物なので*5、それだけでは批判の根拠にはならないでしょう。

 『ジャングル・ブック』が人種差別的だと一部で批判される根拠も一応それとは別のところにあります。それらの批判点とそれに対する僕の個人的意見(主に反論)については後でまた詳述しますが、『ジャングル・ブック』も『ダンボ』や『ピーター・パン』などと同様にそういう批判が一部で存在してしまっているという事実だけをここでは記しておきます。

 ちなみに、『ジャングル・ブック』はディズニー長編アニメーションとしては初の「非西洋圏(インド)を舞台にした物語」です。主人公が非白人であるディズニー長編アニメーションも本作品が初です。そういう意味では、『ジャングル・ブック』はむしろ「人種差別的な作品」とは程遠い作品だと言えると思います。もちろん、「非白人を出しさえすれば先進的な作品だ」と主張するのも、それはそれでおかしな話ではありますけどね。それでも、少なくとも「非白人をのけ者にしていない(≒人種差別をしていない)」と主張できる根拠の一つぐらいにはなるでしょう。僕は、そういう点も含めてやっぱり『ジャングル・ブック』は人種差別的な作品だとは到底言えないと思っています。




【個人的感想】

総論

 『ジャングル・ブック』に対する僕の感想は「ストーリーはイマイチだけどキャラクターと音楽は魅力的」というものですね。前作『王様の剣』は終わり方が唐突で酷かったと述べましたが、本作『ジャングル・ブック』も同じぐらい終わり方が唐突で酷いです。悪い意味でラストの展開には唖然とします。ラストに至るまでの展開も大して面白くないです。本来ならばもっと盛り上がったり感動したりするであろう場面でも、演出が淡々としてるからか全然心が動かない。全体的にすごくあっさりした作風なんですよね。大きな起伏もなく淡々と物語が進むから、下手すると眠くなります。

 そういう訳でストーリーそのものには難ありの作品なのですが、キャラクターと音楽は素晴らしいです。本作品ではジャングルの個性的な動物たちがたくさん出てきて、それぞれの動物の登場シーンに何かしら名曲が用意されています。それらのシーンを通して、キャラクター萌えと音楽を楽しむ作品として見るならば本作は良作なんですよね。ようは、‟良質”な「中身ない日常系萌えアニメ」とかに近いものを感じます。ストーリーは微妙だけど、個別のキャラクターのエピソードと音楽に萌えられるならば楽しい映画です。そういう「キャラクター萌えアニメ」として見る分にはわりと魅力的な作品なので僕はまあまあ好きですね。


ストーリー

 上述の通り、『ジャングル・ブック』のストーリー展開はあんまり面白くないです。大まかなストーリーラインはジャングルで育った人間の子供モーグリを人間界に何とかして帰そうとして色々なことに巻き込まれるというものなのですが、どの事件も盛り上がりに欠けるんですよね。トラのシア・カーンが出てくる辺りからようやく多少は緊張感のある展開になるのですが、そこに至る前のシーンのほとんどは本当に「中身のないキャラクター萌えを楽しむだけのコメディだなあ」という印象が強いです。ゾウやクマやサルやハゲタカなどのキャラクターが現れてはモーグリと何かしらするだけの取り止めのないエピソードがひたすら続きます。とは言え、それぞれのキャラクターは魅力的な個性の持ち主だし、流れてる音楽自体は名曲ばかりなので、それなりには面白く楽しんで見ることができるシーンでもあるのですが。

 一方で、トラのシア・カーンが現れてから終盤のバトルに至るまでの展開はそれなりに緊張感のある展開ではあるんですが、個人的にはそこも少しだけ盛り上がりに欠ける気がするんですよね。展開としては十分見ごたえのあるバトルであるはずなのになんでだろう?そう感じた理由は自分でもはっきりとは分からないのですが、それまでの展開があまりにもほのぼのとしすぎていたこと、どことなく映像に迫力が欠けることなどが恐らく理由として推測されます。絵柄や音楽がほのぼのとしてどことなくコミカルだった状態から急にバトルシーンに移っても、気持ちの切り替えができないからかあんまりのめり込めないのかも知れないです。絵柄がそこで大きく変わるわけでもないので、それまでの「ほのぼのキャラ萌えアニメの映像」という印象が強いまま同じ絵柄の映像でバトルシーンに移られたことによる影響もあるのでしょう。


雑すぎる終わり方

 この作品はラストがかなり雑です。この点が『ジャングル・ブック』の一番の欠点だと思います。本作におけるメインテーマは「モーグリはジャングルと人間の村のどちらにいるべきか」であり、この点を巡って主要キャラクター同士の対立があるのですが、そのテーマに対する物語の終着点があまりにも雑なんですよね。

 それまでジャングルにずっと居たいと主張し続けてバルーとの友情を深めていたモーグリが、唐突に現れた人間の娘に一目惚れしてそのまま人間の村に行ってしまうって……。あまりにも急展開すぎて、悪い意味で開いた口がふさがらないですよ。せめてバルーやバギーラに別れの挨拶の一言ぐらい言ってから去れよ、って気分になりましたね。「お前にとってバルーたちとの絆はその程度のものだったのか?」ってモーグリに文句言いたくなるぐらいには、モーグリのあまりの尻軽ぶりに落胆しました。あまりにも急な上にあっさりとしすぎていて何の感動も感慨もないような終わり方が衝撃的で、小さい頃から悪い意味で終わり方が記憶に残ってる作品なんですよね、これ。

 『ジャングル・ブック』のメインテーマは、30年以上後のディズニー映画『ターザン』のテーマとかなり似ているのですが、両者の終わり方はだいぶ対照的です。ターザンは途中で人間社会に行こうと思うも結局ラストではジャングルに残ることを選択します。一方で、『ジャングル・ブック』では主人公のモーグリはラストで人間社会に戻ることを選択します。どちらのラストが正しいのかみたいな論争もあるのでしょうが、僕自身は本人の選択ならばどちらのラストでも構わないと思っています。「人間ならば人間社会で暮らすべき」とも「故郷のジャングルにずっと留まるべき」とも僕は思わないので、その点はどっちでも良いのですが、だからこそ主人公の最終的な選択にはそれなりに説得力を持たしてほしいんですよね。『ターザン』のほうはちゃんと主人公が悩みぬいた末にジャングル残留を選択するので気持ちの良いラストとなっているのですが、『ジャングル・ブック』のモーグリは一目惚れした女に吸い寄せられるような感じでいきなり人間の村へと入ってしまうので、物語の終わり方としてちっともすっきりしません。なんかモーグリが薄情で移り気な少年にしか見えないんですよね。

 いやまあ、いきなり出会った女に惚れて人間社会に戻ることを選択するのが悪い訳じゃないです。『ターザン』だって途中まではそういう展開でした。でも、やっぱりそこに至る過程が、『ターザン』と比べると『ジャングル・ブック』は急展開すぎるんですよねえ。もう少し主人公モーグリの葛藤があったり、クマのバルーとの別れを惜しんで悩む描写などがあったりすれば話は違うのですが、そういうのがないので感動が薄すぎてあっさりとした終わりになってしまっています。僕は単純に『ターザン』のようなドラマの魅せ方のほうが好きです。


テーマへの違和感

 ところで、話は変わりますが、『ジャングル・ブック』のこのラストの描写については「人種差別的だ」との意見があります。ジャングルに住む動物たちとは異なる種族「人間」であるモーグリをジャングルから排除しようとする本作のストーリーは、異人種を排斥する人種差別心の表れだということらしいです。少々こじつけ臭い邪推のし過ぎにも感じなくはないですが、実はこの批判については僕も多少同意できる部分もなくはないです。

 いやまあ、「動物と人間との間の種の違い」と「同じ人間同士での人種の違い」とではだいぶ話が違うので*6、こういう安直なアナロジーによるこじつけは妥当性が低いとは思います。とは言え、本作においてクロヒョウのバギーラがモーグリを終始ジャングルから排除しようと躍起になってることは確かなんですよね。そのうえ、『ジャングル・ブック』においてバギーラは決して悪役として描かれていない。僕は、この点を「人種差別的だ」とまでは思わないまでも「ちょっとバギーラの言い分(ひいては作品全体の結論?)に賛同できないなあ」とは思うんですよね。

 バギーラがモーグリをジャングルに帰そうとする理由はあくまでもモーグリのためを思ってのことです。決して、モーグリを差別して迫害してる訳ではない。バギーラも基本的にはモーグリへの愛情があることが本作品では至る所で描写されています。でもまあ、個人的には、こういうのって現実にも良くある「余計なお世話」ってやつで、お節介なパターナリズム臭さを少し感じるんですよね。当のモーグリ自身がジャングルで暮らすことを望んでいるのに、「お前のためだ」と言ってモーグリを無理やり人間社会に帰そうとするバギーラの姿勢は、「お前のためだ」と言って子供に無理やり受験勉強を強いる毒親を想起させます。それゆえに僕はどうもバギーラが好きになれません。『ジャングル・ブック』では、モーグリをジャングルに帰すべきか否かを巡ってバギーラとバルーとが対立し途中で論争まで起きるのですが、僕はどちらかと言うと自由気ままなバルーのほうが好きです。

 バギーラはモーグリ自身の意思を無視して「人間の子供は人間の村で暮らすべきだ」と主張しますが、僕はこの規範的主張にも賛同できません。先述の通り、人間社会で暮らすのもジャングルに居続けるのもどちらを選ぶのも本人の選択次第であり、片方のみしか許されないなんてことはない、どっちを選んでも構わないはずだと僕は考えているからです。進路選択は当人の自由意思を尊重すべきだと考える僕にとって、片方の進路のみを強制するバギーラの考えは全く賛同できないんですよね。しかし、最終的なラストを見るに本作品は「バギーラのほうが正しい」というような結論に持って行ってる気がします。その点が僕は好きになれないのです。

 それでも、途中までは「シア・カーン」という具体的な脅威が存在していたため、この一点においてのみバギーラの主張にも一理ありました。しかし、終盤の展開を通してその脅威がなくなった以上、ラストではバルーたちと一緒にジャングルで暮らし続けるという選択肢も十分にあり得たはずです。実際、蘇生した後のバルーとモーグリはそのままジャングルで一緒に暮らし続ける気満々です。それにもかかわらず、モーグリは唐突な急展開で人間社会に戻り、バギーラは「これで良かったんだ」と言います。バギーラの主張が通ってしまった例でしょう。

 「人間は人間の社会で暮らすのが幸せである」というバギーラの考えを「人種隔離」的な主張の暗喩だとこじつけることまではしませんが、確かにバギーラのこの規範意識は「動物と人間の種の違い」を絶対視するあまり当人の自由意思を無視しすぎてる考えだなあとは思うので、僕もちょっと納得しかねる部分はあります。そういう意味で、『ジャングル・ブック』に対する人種差別的だとの批判のうち、この論点にだけは少し同意しちゃうんですよね、僕は。


魅力的なキャラクターと音楽

 ここまで長々と批判点ばかりを書いてきましたが、この作品はそういう小難しいこと考えないでぼんやりと「キャラクター萌え」を楽しむアニメとして見るのが一番な気がします。ストーリーはお粗末で突っ込みどころは多いけど「細けえことは良いんだよ」の精神で目を瞑り、ただただジャングルの動物たちの個性に癒されると楽しい作品です。本作品もディズニーらしくミュージカル映画なので色んな劇中歌があるんですが、それが各キャラクターの登場ごとに歌われてるんですよね。なので、個性的なキャラクターを音楽とともに楽しむことのできる作品となっています。以下、魅力的なキャラクターと音楽について一つずつ挙げていきます。

モーグリ

 まずは本作の主人公モーグリです。とても可愛らしい少年です。上述の通り、ラストでの行動はいささか軽率にも見えますが、それも含めて「子供らしい」なあと思います。無邪気で優しくて、子供らしく怖いもの知らずな勇敢さもあり……と、なかなかに魅力的な主人公だと思います。このモーグリとバルーの悪友のような関係性も微笑ましいです。まあ、だからこそ最後の最後でモーグリがバルーをあっさり見捨てるような行動をとった展開に強くがっかりした面もあるのですが……。

 なお、ジャングルの他の動物たちと違いモーグリの話す英語にだけ訛りがあることを問題視して、人種差別的だと非難する声が一部にありますが、個人的には全く賛同のできないこじつけに近い批判だと思います。ジャングルにおいてただ一人の人間であるモーグリの特異性を強調するために他の動物たちと言葉遣いを変えたんだろうと思いますが、そこに人種差別の意図を見出すのは論理が飛躍しすぎてるでしょう。単に、個性をつけるために特定のキャラクターの喋り方を訛らせるなんてのは古今東西良くあることであり(日本のアニメでも個性付けのために方言を話すキャラとかいるでしょう)、それを差別だと考えることの方が僕は逆に差別的だと思いますね。そういうのを「差別」だと問題視する考えって、言葉遣いの訛っている人を暗に見下してるからこそ出てくる考えだと思うので。

ゾウたち

 軍隊のようなやかましい行進をするゾウの集団です。このリーダーであるハティ大佐がなかなかに魅力的なキャラクター設定になています。ぶっちゃけハティ大佐は現実にいたら僕はかなり嫌うような性格なんですが、それゆえに「あー、こういうムカつくやつ現実にもいるよねえ、分かる―」って気持ちになるんですよ。そんなリアリティがハティ大佐にはあります。現実にも、こういう頑固で威張り散らす老人って一定数いるもんねえ。

 そして、ハティ大佐以外のゾウのキャラも素晴らしいです。ぶっちゃけハティ大佐だけならばただの嫌な奴なんですが、ウィニフレッドのようにハティ大佐の指揮にはっきりと抵抗するゾウもいるからバランスが取れてるんですよね。他のゾウも内心ではハティ大佐を嫌がってる描写があるので、そういうのを踏まえるとハティ大佐が偉そうに踏ん反り返ってるだけで実際は大したことのない「裸の王様」に見えてきて、良い感じのコメディに仕上がってます。視聴者も「おいおい、また過去の栄光を自慢してるよ、この老害は……」って呆れかえった気持ちでハティ大佐を眺めることができるんですよねえ。そういうダメダメさも含めて、ハティ大佐は非常にリアリティのある老害として描かれてると思います。とても魅力的。

 そんな偉そうなハティ大佐も子ゾウにだけは甘々なんですよね。そこもまた彼の欠点であり魅力なんですが、実際子ゾウも可愛らしいんですよ。バルーとはまた違った形でのモーグリの友達って感じの描写がされてて、非常に可愛らしい子ゾウとなっています。癒される。

 そんなゾウたちのテーマソングである"Colonel Hathi's March"もなかなかに楽しげな曲で好きです。リズミカルな行進曲って感じがして、耳に残る名曲だと思います。ついつい足踏みして行進したくなる軍隊のマーチって感じの曲調が素晴らしい。

バルー

 本作で僕が一番好きなキャラはやっぱりクマのバルーですね。気楽で能天気な楽観主義者なんですが、それゆえにモーグリの悪友として魅力的なキャラクターになってるんですよねえ。それでいながらモーグリのことをちゃんと思う愛情もあり、終盤ではモーグリを助けるためにシア・カーンと戦う勇敢さも見せています。本当に良いクマですよ、こいつは。

 このバルーがモーグリに歌う"The Bare Necessities"は、この作品の主題歌になっているだけあってかなりの名曲です。心地よく耳に響くリズミカルなジャズになっています。ちょいちょい入るトランペットの音が気持ち良いんですよねえ。特に、バルーとモーグリが背中をかきまくるシーンでのトランペットのソロと、その後の川に流されてる時ののんびりとしたアドリブ演奏は聞きごたえのあります。本当に楽しい名曲で、何度でも歌いたくなる。

 歌詞もまた良いんですよねえ。ジャングルでの暮らしの気ままさを教えてくれる歌詞になっていて、モーグリもこの気楽な気持ちのままジャングルで暮らしていくことに幸せを見出してたんだなあ、という気持ちになります。まあ、この歌詞とそれに魅かれるモーグリが好きだったからこそ、ラストで急に心変わりしたモーグリに戸惑いを覚えた面もあるのですが……。とにかく歌詞もとても良いです。ちなみに、タイトルの"The Bare Necessities"は、直訳である「必要最小限」っていう意味以外に、クマを意味する"Bear"との掛け言葉になっています。こういう洒落っ気は個人的に結構好きです。

サルたち

 バルーと並んで魅力的なキャラクターが、遺跡に住むサルたちの王であるキング・ルーイでしょう。火の起こし方を学んで人間になることを企むこのオランウータンは、なかなかにコミカルで個性的なキャラクターです。彼の歌う"I Wanna Be Like You"は"The Bare Necessities"と並ぶ『ジャングル・ブック』の名曲として知られています。バルーがついつい踊りだしたくなるのも無理はないと言いたくなるぐらいには、とても楽しくてノリノリな気分になるスウィング・ジャズです。

 個人的に、キング・ルーイが自分の長い腕で縄跳びみたいなことする踊りのシーンが好きです。なんとなく楽しい演出です。ちなみに、このキング・ルーイの声を演じてるのは"King of the swing"として有名なジャズミュージシャンのルイ・プリマ氏です。スウィングの歌い手として名高い彼が歌ってるだけあって、聞いていて本当に楽しい名曲になっています。僕もとても大好きな曲ですねえ。

 ちなみに、このサルたちに関しても人種差別だとの批判が存在します。批判者によると、このサルたちの描写は黒人の暗喩であり、サルたちが人間になろうとしている姿を通して「人間の一員であろうとする黒人」を「滑稽な存在」として蔑む意図が本作品にはあるとのことだそうです。ただ、まあこの批判ははっきり言っていくら何でもこじつけにも程があると思うので、個人的には全く同意できないです。サルたちが黒人の暗喩だとする根拠もほぼないですし、うがった見方による邪推でしかないと思います。

カー

 カーは、シア・カーンと並ぶ本作のヴィランであり、なかなかの名悪役です。ヘビらしい独特の動きと、催眠術師っぽい怪しげな喋り方がなかなかに個性的です。そういう陰気な邪悪さを持っていながら、シア・カーンの前ではビクビクしてる小物っぽさも高評価ポイントです。魅力的な悪役だと思います。

 彼の歌う"Trust in Me"は、良い意味で眠くなる名曲です。本当に催眠術にかかったような気分になるエキゾチックな曲調が特徴的で耳に残ります。この音楽に合わせてクネクネ動くカーの映像はなかなかに面白い演出になってると思います。特に、彼の歌で寝ぼけたモーグリが、階段状になっているカーの体を降りる場面は個人的に好きな映像ですね。ちょっと発想が新鮮で面白いです。ヘビならではの面白い個性的な動きだと思います。

ハゲタカたち

 落ち込んだモーグリを励ます4人組のハゲタカたちも個人的に愛おしいキャラクターたちです。バルーやキング・ルーイなどに比べると日本での知名度は少し低い気がしますが、彼らもなかなかに気の良いやつらですよ。どことなく『ダンボ』のカラスたちを彷彿とさせる役回りです。4人組内でのコミカルな掛け合いと、モーグリに掛ける優しい言葉などが魅力的な「良い奴ら」になっています。

 ちなみに、この4人のハゲタカは当初あの有名なロック・バンドであるビートルズに演じてもらう予定だったのが諸事情により断られてしまったという有名な逸話があります。だからなのか、このハゲタカの4人組のビジュアルはどことなくビートルズっぽさを感じる容姿になってる気がします。そんなハゲタカ4人組の歌う"That's What Friends Are For"もなかなかに聞きごたえのある良曲です。途中でちょっとギターが入る以外はほぼアカペラ合唱の曲なんですが、その点が珍しくて個人的に好きです。

My Own Home

 先述の通り、本作のラストシーンの展開自体は個人的にイマイチで好きでないのですが、このラストシーンで流れる曲"My Own Home"は結構好きです。エキゾチックな曲調が心地よく響いて耳に残ります。何度でも聞いていたくなる名曲だと思います。こういうエキゾチックな雰囲気の曲調が昔から好きなんですよね、自分。


キャラと音楽を楽しもう

 以上述べた通り、この『ジャングル・ブック』はキャラと音楽に関しては素晴らしい出来だと思います。その分ストーリーはダメダメなんですが、「中身のない日常系萌えアニメ」を鑑賞するような気分でキャラ萌えと音楽だけを楽しむ作品として見れば十分に満足できるクオリティの良作になっていると思います。

 個人的にこの作品に関しては特に音楽が好きなんですよね。『ジャングル・ブック』の音楽はディズニーオタクの間では有名な作曲家であるシャーマン兄弟によって作られています*7。前の記事でも述べましたが、彼らは他にも『メリー・ポピンズ』や『おしゃれキャット』の劇中歌やテーマパーク曲である"It's a Small World"などの作曲を手掛けており、当時のディズニー御用達の超有名な作曲家兄弟です。そんな彼らの作った数多の名曲がたくさん聴けるという点だけでも、本作品は十分にお得な作品だと言えると思います。

 そういう訳で、僕はラストなどに大きな不満点はありつつも、何だかんだでこの『ジャングル・ブック』という作品が好きですね。キャラ萌え音楽作品としてまあまあ良作だと思います。






 以上で『ジャングル・ブック』の感想記事を終わりにします。なんか気が付いたら随分長い記事になってしまった……。まあウォルト・ディズニー氏の遺作なんだし、たまにはこれぐらい長い記事になっても良いよね……。次回は『おしゃれキャット』の感想記事を書こうと思います。それではまた。

*1:ディズニーに長年勤めていた脚本家のビル・ピート氏は、このストーリー変更の件でウォルトと意見が対立しディズニーを退社したそうです。

*2:ディズニーがアトラクションなどで使っている特殊なロボットのことです。

*3:イッツ・ア・スモール・ワールドのアトラクションは日本の東京ディズニーランドにもありますね。

*4:結局、WDWに実験的な未来都市を作るというウォルトの夢は彼の死後に実現しませんでしたが、そんなウォルトの意思を汲んで現在WDW内にはEPCOTという名前のテーマパークが存在しています。

*5:そもそもディズニー版『ジャングル・ブック』は、ウォルト氏の指示によって原作とは大幅に違う内容に改変されています。

*6:と言うと、ヴィーガンの方から「それは種差別だ」との批判を食らいそうですが、とりあえず僕はヴィーガンではないのでその論点はこの際置いておきます。

*7:ただし、主題歌の"The Bare Necessities"だけはシャーマン兄弟の作曲ではないです。