tener’s diary

てねーるのブログ記事です

【ディズニー映画感想企画第37弾】『ターザン』感想~第二期黄金期最後の名作~

 ディズニー映画感想企画第37弾は『ターザン』の感想記事を書こうと思います。第二期黄金期後半のディズニー作品の中では恐らく一番知名度が高い作品ではないでしょうか。そんな『ターザン』について語っていきたいと思います。

 f:id:president_tener:20191025092446j:plain f:id:president_tener:20191025092508j:plain

【基本情報】

莫大な制作費と最新技術

 『ターザン』は1999年に37作目のディズニー長編アニメーション映画として公開された作品です。原作は、『火星』シリーズなどでも知られるアメリカの有名なSF作家エドガー・ライス・バローズ氏の小説『ターザン』シリーズです。バローズの『ターザン』シリーズはディズニーが映画化するよりも前からアメリカで何度も映画化されており、かなり知名度の高いシリーズでしょう。そんな『ターザン』シリーズを改めてアニメ化することをディズニーは企画したわけです。

 このような話題性のある題材のアニメ化を企画したディズニーはここで更なる賭けに出ます。それが「莫大な制作費」です。ディズニーは『ターザン』の制作のために1億3000万ドルという当時のディズニーアニメ史上最高額の制作費を費やしたのです。それだけディズニーは『ターザン』のヒットに賭けていたということなのでしょう。

 例えば、本作品ではディープ・キャンバスと呼ばれる最新のCG技術が背景に使用されています。僕も詳細は良く知らないのですが、大まかに言うと、3DCGで作られた背景の上にアニメーターが直接絵を描きこめるようにする技術だそうです。これによって、非常に立体感のあるリアルな背景を描くことに成功しています。後で、個人的感想の項でも述べますが、実際このような最新技術の導入により『ターザン』の映像はディズニー史上でも屈指のクオリティに仕上がっていると感じます。


フィル・コリンズ氏の参加

 今までのディズニー映画同様に『ターザン』でも有名人の採用が行われました。中でも特筆すべきはフィル・コリンズ氏の採用でしょう。前作『ムーラン』に引き続き、今作『ターザン』でもアラン・メンケン氏は音楽制作を担当せず、代わりにイギリスの有名な歌手フィル・コリンズ*1が本作品の音楽担当に選ばれました。かつて『ライオン・キング』でも有名ミュージシャンのエルトン・ジョン氏とのコラボが話題になりましたが、『ターザン』でも同様のことを企画し、今度はそのコラボ相手としてフィル・コリンズ氏をディズニーは選んだのです。

 とは言え、本作品でのフィル・コリンズ氏とのコラボは『ライオン・キング』でのエルトン・ジョン氏とのコラボとはだいぶ内容が異なります。というのも、本作では従来のブロードウェイ風ミュージカルの要素をなくし、代わりにフィル・コリンズ氏による歌を作品内で流すことにしたのです。『ライオン・キング』ではエルトン・ジョン作曲の歌が使われはしましたが、作品内でそれを歌うのはエルトン・ジョン氏ではなく各キャラクターたちでした。一方で、『ターザン』では基本的に作中内のキャラクターは歌わず、代わりにフィル・コリンズ氏の歌声がナレーション風に流れるのです。

 1988年の『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』以降、第二期黄金期のディズニー映画では基本的にずっとブロードウェイ風ミュージカルの方針がとられていたので、『ターザン』でのこの新しい試みは当時のディズニーにおける一つの大きな変化でした。ディズニーは莫大な制作費や最新技術だけでなく、音楽の取り入れ方においても新しい賭けに出たわけです。


第二期黄金期最後の成功作

 このように、『ターザン』制作においてディズニーは成功のための大きな賭けを多く重ねてきました。元々何度も映像化されるほど有名だったバローズの小説『ターザン』シリーズを敢えて題材に選び、1億3000万ドルもの莫大な制作費をかけて、ディープ・キャンバスと呼ばれる最先端の技術を駆使し、有名歌手のフィル・コリンズ氏と音楽面でコラボし、従来のブロードウェイ風ミュージカルをやめる……などと言った多くの「賭け」が行われたのです。では、実際にこれらの賭けは成功したのでしょうか?

 答は大きく「イエス」と言って差し支えないでしょう。『ターザン』は4億4800万ドルもの興行収入を叩きだします。この数字は、『ポカホンタス』以降の第二期黄金期後半の作品の中ではぶっちぎりのトップであり、『美女と野獣』や『アラジン』など第二期黄金期前半の作品と並べても遜色ないぐらいの興行収入となっています。前作『ムーラン』でディズニーの興行収入が一時的に復活したことは前の記事で述べましたが、本作『ターザン』ではその「復活」がより一層強調されて示されたのでした。

 『ターザン』は商業的な成功だけでなく、批評家からの好評も獲得しています。多くの批評家が本作品に対して肯定的な評価を下し、フィル・コリンズ氏の歌う本作品の主題歌"You'll Be in My Heart"はアカデミー歌曲賞を受賞したほどです。このように『ターザン』は、『ポカホンタス』以降衰退が目立ったディズニーにとっては久しぶりの、文句なしの「成功作」となったのです。

 そして、この『ターザン』の成功をもってしてディズニーの「第二期黄金期」(ディズニー・ルネサンス)は終了したと一般的には言われています。1989年の『リトル・マーメイド』公開以来10年続いていたディズニーの第二期黄金期はここで終了し、翌年の『ダイナソー』公開以降のディズニーは再び暗黒期に入ったのです。つまり『ターザン』は、暗黒期に入る前の、まだディズニーが第二期黄金期として繁栄していた時代の、その最後を飾った成功作なんですよね。そういう意味でも、非常に歴史的意義の大きい名作だと言えるでしょう。



【個人的感想】

総論

 はい、この作品は完全に文句なしの「名作」です。第二期黄金期後期の作品の中で一番売れたのも納得の出来でしょう。それまでの第二期黄金期後半の作品も確かにそれなりに良作ではありましたが、やはり第二期黄金期前半の圧倒的な名作群に比べると相対的に劣るという印象はありました。それに対して、『ターザン』は『リトル・マーメイド』や『美女と野獣』などの第二期黄金期前半の名作たちと比べても全く引けをとらない名作だと思います。第二期黄金期後半の作品を『ポカホンタス』から順に見ていくと、本作品でいきなりレベルが格段に上がっていてかなり驚きます。

 以下、具体的にこの『ターザン』のどこがそんなにもレベル高いと感じたのかを見ていきたいと思います。


圧倒的な映像美

 やはり『ターザン』の圧倒的魅力の一つは何といってもこれでしょう。先述の通り、『ターザン』ではディープ・キャンバスという最新のCG技術が使用されており、それゆえにかなりリアリティのある背景が違和感なく再現されています。この前2作が『ヘラクレス』と『ムーラン』という、どちらも平面的で少々カートゥーンっぽい絵柄のアニメーションだったので、それらを見た後に『ターザン』を見ると、背景映像のあまりのレベルの上がり方にビビります。

 オープニングからして映像美に圧倒されます。鬱蒼と生い茂るジャングルの木々の絵のリアルさに感動し、その後にタイトルが映し出される演出にも感動します。そのあとも、難破した船の炎や海の水の映像のリアルさにものすごく感動します。特に、CGの凄さを実感しやすいのはこの「水」の映像だと思うんですよね。本作品では、滝つぼや海など至る所で「水」の映像が見られるのですが、その水の光沢具合や質感などが本当にリアルで感心するんですよね。ここまでリアリティーのある水を描けたのはディズニーのアニメーション技術の賜物だと思います。

 もちろん「水」以外の映像も素晴らしいです。『ターザン』の舞台であるアフリカのジャングルの自然が途轍もない立体感で描かれています。ジャングルを構成する一つ一つの木々の質感や影の入り具合など、本当に本物のジャングルの中にいるかのようなリアルさがあります。それでいながら、完全なフルCGではないのでセル・アニメーションならではの味もしっかり出ています。セル・アニメーションとCGを上手く調和させてここまでリアルかつ立体感のある美しい映像を見ることができるのか!と大いに感動しますね。

 これまでの第二期黄金期後半の作品って『ポカホンタス』『ヘラクレス』『ムーラン』など平面的な絵柄が多かったじゃないですか。それはそれで味がある絵だと思わなくもないんですが、やっぱり「圧倒的な感動」は薄いんですよね。ディズニーの映像技術の豪華さを感じるのはやはり第二期黄金期前半の作品や『ノートルダムの鐘』のような立体感のある映像だと思います。そして、『ターザン』のアニメーション映像は、そのような豪華な立体感のある映像の中でも最高潮に達しています。『リトル・マーメイド』に始まり、『ライオン・キング』や『ノートルダムの鐘』で一度その頂点に達したCGとセルアニメの融合による豪華な映像美は、この『ターザン』で更なる進化を遂げています。本当に圧巻の映像美だと思います。


アクション映像の見ごたえ

 上述のような豪華な映像技術に裏打ちされてるだけであり、『ターザン』のアクションはかなり見ごたえのあるものになっています。第二期黄金期後半の作品の中ではアクション映像が一番迫力あると言っても過言ではありません。本作品のアクション映像に関して特筆すべきは、何といっても木々を滑って駆け巡る主人公ターザンの動きでしょう。ここのカメラワークが本当にすごいんですよね。

 中盤でターザンがジェーンを助けてヒヒの大群に追われるシーンがありますが、このシーンのアクションはかなりの迫力があって圧倒されます。ジャングルを縦横無尽に動き回るターザンをいわゆるカメラの「長回し」によって常に追い続ける映像が、ディズニーのアニメーション技術の優秀さを十分すぎるほどに実感させるクオリティに仕上がっています。本当に、この「長回し」が素晴らしいんですよね。ターザンのとても激しい動きをひたすらカメラが追いかけ、しかもレベル高い背景の映像もちゃんとそれに合わせて違和感なく映り続けている。実写でこのレベルのスピード感ある長回しアクションを撮影するのはほぼ不可能だと思うので、アニメーションならではの演出だと思います。

 ターザンと言えば蔦を持って移動しまくるアクションが昔から有名であり、本作品でもそのアクションは再現されていますが、本作品はそれとは別に新しいタイプのターザンのアクションとして木の枝を滑りまくるアクションを取り入れたんですよね。この新しいアクションを通してディズニーはアニメーション技術の限界に挑んだのだと感じます。先述のヒヒに追われるシーン以外にもターザンが木々の上を滑ってジャングル中を駆け巡るアクションシーンが本作品の至るところで出てきますが、そのどれもがかなり見応えのある映像に仕上がっています。こういうクオリティの高いアクション映像には本当に興奮しますね。

 ディープ・キャンバスという最新技術を使って背景のクオリティを上げ、そのうえでカメラの長回しによって木々を滑ったり蔦を持って移動するターザンの素早い動きを追いかけるという発想がまず素晴らしいですし、しかもその発想がちゃんと成功している点も素晴らしいです。本当に、狙い通りの臨場感あふれるアクション映像が凄すぎて圧倒されますなあ。


豊富なアクションシーン

 ジャングルを駆け回るターザンの華麗なアクションのみならず、本作品には多くのアクションシーンが存在ます。アクションシーンの量は恐らく歴代ディズニー映画の中でもこの『ターザン』がトップレベルなんじゃないでしょうか。それぐらい、本作には見応えのあるアクションシーンが多いです。

 まず序盤からしていきなり緊迫感のあるアクションシーンが出てきます。カーラが赤ん坊のターザンを助け出し彪のサボーから逃げるシーンですね。ここのサボーはかなりの怖さがあります。赤ん坊のターザンが今にもサボーに食われそうなこのシーンは非常にハラハラドキドキさせてくれて、良い緊張感のあるアクションに仕上がってると思います。

 そして、成長したターザンがこのサボーと戦うシーンが中盤で再び出てきます。このシーンは前半のクライマックスでしょう。先述したターザンの動きを長回しで映したアクション映像も見られ、非常に迫力ある戦闘シーンになっています。とにかくサボーが本当に怖いんですよね。頻繁にターザンをピンチに陥らせるので、見ていて本当にハラハラします。それゆえにスリル満点で動きも激しい最高のアクションになっているんですよねえ。サボーを見事に倒したターザンがお決まりの「アーアアーアアー」という掛け声を叫ぶシーンは本当に感動します。

 もう一つのクライマックスは、もちろん終盤のクレイトンたちとの戦いでしょう。ここは今までのディズニー映画でも見られたように、今までのキャラクターが総出でクレイトンたちと戦うドタバタ戦闘アクションになっています。中盤で出て来たヒヒ軍団まで登場するなど、なかなかに芸が細かくて素晴らしいです。ちょっと『ライオン・キング』や『ノートルダムの鐘』の終盤を彷彿とさせるような、迫力やスリルのある素晴らしい戦闘シーンになっていると思います。特に終盤のクレイトンとターザンの一騎打ちのシーンが良いですね。ターザンが銃声を真似するシーンなんか、初見だとちょっとビックリします。その後の蔦に絡まるクレイトンの倒し方もなかなかに見応えのあるアクションシーンになっています。終始画面に釘付けですね。

 その他にも、先述したヒヒの軍団にターザンが追われるシーンや序盤でタントーたち象の群れが大暴れするシーンなどアクションシーンが本作は本当に豊富です。個人的には、船の上でターザンがクレイトンの手下たちから逃げ回るシーンも素晴らしいと思いましたね。船の帆や煙突の上を上るターザンが多数のクレイトンの手下を見下ろすシーンの臨場感が半端ないです。短いシーンではありますがこれもとても見応えのあるアクションだと思います。

 また、ラストのアクション映像も素晴らしいですね。"Two Worlds"のrepriseに合わせて、ターザンとジェーンがジャングルを駆け巡るのをまたもカメラの長回しで映したこの映像はとても感動的です。カーラやタークやタントーなど、これまでのキャラが全員映っている点も良いですね。中盤のヒヒとの追いかけっこのシーン同様、そのスピード感に圧倒されます。

 当ブログではこれまでの記事で何度も「良いディズニー映画には良いアクションシーンが付き物である」と述べてきましたが、この『ターザン』のアクションシーンは、これまでの歴代ディズニー映画の中でもトップレベルの量です。しかも、映像のクオリティも高い。そういう意味で、質・量ともに歴代最高レベルの満足感を味わえるアクションシーンを『ターザン』では堪能できるんですよね。ディズニーがこれまで培ってきたアクション映像技術の一つの頂点を感じさせてくれます。とにかく凄すぎる。


音楽

 映像と並ぶ本作品のもう一つの見所はやはり「音楽」でしょう。先述の通り、『ターザン』では従来のディズニー映画に見られたブロードウェイ風のミュージカルをやめ、その代わりにフィル・コリンズ氏の歌が作品内の至るシーンで挿入されています。このフィル・コリンズの歌が本当に名曲揃いなんですよねえ。本作品はしばしば「フィル・コリンズのMV」と言われるのですが*2、実際その通りだと思います。そのMVとしての演出がかなり上手すぎて感動するんですよねえ。

 まず何といってもオープニングで流れる"Two Worlds"でしょう。フィル・コリンズ氏の感動的な歌声で、ターザンやカーラの境遇が説明されるシーンになります。ちゃんと歌詞が本作品のストーリー展開に合った内容になってるのはもちろんのこと、その音楽や映像の盛り上がりがしっかりとしているので、非常に感情を揺さぶられるMVになってるんですよね。曲の盛り上がる場面とアニメーション映像の盛り上がる場面が完全に一致していて演出の上手さを感じます。曲自体も、それ単体でもキャッチーで耳に残るエモい名曲になってます。この曲はラストでも再びrepriseされますが、先述した通りこのラストのシーンも素晴らしいです。ターザンの長回しアクションが光る感動的なエンディングになっています。

 本作品のもう一つの主題歌である"You'll Be in My Heart"も名曲でしょう。劇中では、幼いターザンをカーラが世話するシーンで流れています。カーラの歌声から始まりフィル・コリンズ氏の歌声に移るこの曲は、アカデミー歌曲賞に選ばれたのも納得の名曲だと思います。本当に感動的な歌声になっていて、ターザンに対するカーラの母性愛がうかがえる名シーンに仕上がっています。とにかくエモい曲なんですよねえ。"Two Worlds"と合わせて、何度でも聞きたくなる名曲でしょう。この2曲はともにエンドロールでも再びフィル・コリンズ氏の歌声で流れており、本作品を代表する名曲であることがうかがえます。感動的で大好きです。

 その他にも"Son of Man"や"Strangers Like Me"などのフィル・コリンズ氏の歌が流れるシーンがいくつかあります。どちらの曲もフィル・コリンズ氏の感動的な歌声が耳に残る爽やかな曲想になっています。フィル・コリンズ氏の素晴らしい歌声に沿って、ターザンの成長や心境の変化がダイジェスト形式で伝わる作りになっているんですよね。単にMVとしてエモいだけでなく、ちゃんとストーリーも進む形式になっているので、中だるみや退屈することもなく聞き入ることができます。"Son of Man"ではゴリラの家族の一員としてターザンが成長する過程が、"Strangers Like Me"ではターザンが人間たちの世界について知りジェーンに惹かれていく過程がそれぞれ描かれています。ちゃんと歌詞を通して主人公ターザンの変化を知ることができるのが良いんですよねえ。そのうえでしっかりと盛り上がるシーンや感動するシーンに合わせた音楽が流れる演出になっているので、感情を大いに揺さぶられます。

 また、本作品ではフィル・コリンズ氏の歌だけでなくタークやタントーたちによる"Trashin' the Camp"という歌も流れています。ブロードウェイ風のミュージカル要素の少ない本作品で数少ない「キャラクターたちが歌うミュージカルシーン」ですね。人間たちのキャンプにある色んな道具を楽器のように使ってタークたちが奏でるジャズ風の音楽はリズミカルでとても楽しいんですよね。フィル・コリンズ氏の歌とは違って、こっちは歌詞に特に意味のないいわゆる「スキャット」になってるんですけど、そのスキャットによるジャズ音楽がとても楽しくてキャッチーで、とにかく耳に残るんですよね。また、このシーンは『美女と野獣』のポット夫人がカメオ出演してたり、『シリー・シンフォニー』シリーズの1作目『骸骨の踊り』のオマージュと思われる骸骨のダンスシーンがあったりと、過去のディズニー作品のセルフパロディが楽しめるシーンにもなってるんですよね。こういうマニア向けの演出は嬉しくなりますね。


ターザンの心情描写の丁寧さ

 ここまで映像や音楽など演出面を主に褒めていましたが、もちろん本作品はストーリーも良く出来ています。基本的にこの『ターザン』はかつてのディズニー映画『ジャングル・ブック』とかなり似たような設定なのですが*3、ディズニー版『ジャングル・ブック』と違って今作『ターザン』はかなりヒューマンドラマの部分が丁寧に作られています。

 以前書いた『ジャングル・ブック』の感想記事【ディズニー映画感想企画第19弾】『ジャングル・ブック』感想~ウォルト・ディズニー氏の遺作~ - tener’s diaryでは、『ジャングル・ブック』において主人公モーグリの葛藤が十分に描かれていないためにラストがあまりにもあっさりしすぎた急展開になってる点が欠点だと述べました。『ターザン』ではこの欠点が完全に解消されています。最初から最後まで物語の全編に渡って主人公ターザンの苦悩に焦点を当てているんですよね。だからこそ、個々の場面でターザンが下す行動に説得力が増している。

 本作品では、ターザンはジャングルに残るべきか人間社会に行くべきかという自身のアイデンティティを巡る悩みで終始葛藤し続けてるんですよね。前半まででは、ゴリラの家族の一員として認められたいのに姿形の相違のせいでカーチャックに認められず苦悩するターザンの心情がこれでもかと言うぐらい丁寧に描写されています。本作品の長所はここだと思うんですよね。ターザンの生い立ちを巡る前半シーンの描写がとても長くて丁寧なんです。

 ジェーンたち人間が登場するのはオープニングから30分も経過してようやくなんですよね。最初の30分間はターザンが自身の異形さに悩みながらもゴリラの家族の一員としてアイデンティティを育んでいくまでの過程が丁寧に描写されており、それゆえにターザンの複雑な悩みに自然と共感できるようなストーリーになってる。カーラの母性愛に支えられ、タークやタントーという親友を得て、最終的には宿敵サボーを倒すことでカーチャック以外のゴリラのみんなからは家族のヒーローとして認められるまでの過程を十分に描いてるんですよね。このサボーを倒すシーンは完全に前半パートのクライマックスであり、短編アニメーションだったらここで話が一端終わってもおかしくないでしょう。姿形が異なるにも関わらずターザンがゴリラの家族のヒーローとして成長し成功していく過程を描いたそのドラマに感動します。

 そして、後半ではそんなターザンの心境がジェーンたち人間と出会うことで変化する過程が描かれています。"Strangers Like Me"の歌で描写されている通り、ターザンは初めて自分と似た容姿の「人間」たちを見たことで次第に彼らの社会にも惹かれていくようになるんですよね。『ジャングル・ブック』でも主人公モーグリがラストで急に会った人間の少女に一目惚れして人間社会に行ってしまう展開がありましたが、あっちはモーグリの心境の変化があまりにも唐突すぎて完全に視聴者置いてけぼりの急展開になっていました*4。しかし、今作『ターザン』では、前半30分を通してターザンが自分のアイデンティティに悩んでいたことが十分に描写されていたため、彼が自分と似た姿の人間に興味を抱く展開になっても十分納得できるんですよね。

 実際、カーチャックが家族を守るために人間との接触を禁じたことにターザンが反発するシーンがあります。ターザンは、カーチャックが自分や自分と同じ姿の人間たちを遠ざけようとしていることに対して不満を抱いていることがこのシーンからもうかがえます。前半30分を通してターザンとカーチャックとの間の確執が十分に描かれていたからこそ、このシーンにも説得力が増しているんですよねえ。「姿形の相違」ゆえにカーチャックから家族の一員として認められずに悩んでいたターザンが、自分と同じ姿形をするジェーンたち人間に惹かれるのは自然なことであり、そこには『ジャングル・ブック』のラストのような「唐突な急展開」感は全く見られません。丁寧に作られているストーリーだと思います。


ジャングル・ブック』の上位互換

 上述のような理由で人間世界に興味を持ちジェーンへの恋心まで抱きはじめたターザンは、カーチャックとの敵対がきっかけでとうとう人間界に行くことを選びます。この選択結果は『ジャングル・ブック』のラストでのモーグリの行動と同じですが、『ジャングル・ブック』と違ってターザンがその決断を下すに至るまでの心境変化の描写が丁寧なので唐突さは感じさせません。ジャングルのゴリラ家族の一員なのか人間なのかで悩むターザンのアイデンティティの葛藤が丁寧に描かれていたからでしょう。

 しかも、『ジャングル・ブック』のモーグリがバギーラやバルーにほとんど見向きもせずあっさりと人間社会に戻ったのとは違い、ターザンは人間社会に戻ることを決意した時に育ての母であるカーラにしっかりと別れの挨拶を述べ、涙しながら別れています。『ジャングル・ブック』のモーグリに見られたような薄情さはターザンからは感じられません。カーラのほうも、バギーラみたいなパターナリズム的な押し付けをするのではなく、あくまでもターザンの意思を尊重して「あなたが幸せならば構わないわ」と言ってターザンを送り出すんですよね。この親子愛は何度見ても本当に泣けます。

 途中までのターザンの行動は『ジャングル・ブック』とほぼ同じにもかかわらず、『ターザン』のほうが丁寧なストーリー作りゆえにちゃんと「魅せられる物語」になってるんですよね。完全に『ジャングル・ブック』と同じような展開にも関わらず、『ジャングル・ブック』よりも感動的なストーリーになってる点で、『ターザン』は『ジャングル・ブック』の上位互換と言えるでしょう。


真逆かつ感動的なラスト

 しかし、その直後にクレイトンの裏切りがあり、結局クレイトンとの戦いの後にターザンは人間社会に行かずゴリラの家族と共に暮らすことを選びます。つまり、最後の最後で『ジャングル・ブック』とは真逆の決断をターザンはするんですよね。でも、この展開も十分に納得できるものになっています。

 クレイトンから家族のゴリラを守るために戦ったターザンは、ここでようやくカーチャックからも家族の一員として認められるんですよね。カーチャックからの迫害が自身のアイデンティティに対する悩みとなっていたターザンは、最後の最後でカーチャックとも和解し、ゴリラたちのリーダーになるわけです。カーチャックが死ぬ間際にようやくターザンを認めるこのシーンは、ベタではありますがやはりとても感動します。それまでのカーチャックとターザンの確執やそれゆえのターザンの葛藤が丁寧に描写されていたからこそ、感動も一層大きいものになってるんですよねえ。音楽や映像などの演出による上手さもそれをさらに引き立ててくれています。

 この感動的な和解を通してカーチャックからゴリラの家族の一員として認められたターザンが、その大切な家族を守るためにジャングル残留を決意するのは自然なことであり、そこに不自然さはありません。似たような展開として『ポカホンタス』のラストでも主人公のポカホンタスは結局インディアンの集落に残ることを選んでましたが、こちらはポカホンタスがその決断を下すに足る十分な理由がちゃんと描写されていないという欠点がありました*5。それに対して、『ターザン』ではその直前にクレイトンによってゴリラの家族が危機に陥るという展開があり、さらにはカーチャックとの和解という決定的な要因もあったために、ターザンがジャングルに残ることを選んだ理由は十分に理解できるものになっています。『ターザン』のストーリー作りの上手さがうかがえる展開ですね。

 そして、『ポカホンタス』と違い『ターザン』ではジェーンとターザンも離れ離れになりません。結局ジェーンのほうが逆にジャングルで暮らすことを選ぶんですよね。『ポカホンタス』みたいな安易な「離れ離れビターエンド」にはせず、ジャングルでターザンは新しく愛する人とともに暮らし続けるという完全なハッピーエンドにした点も本作品の良かった点だと思います。ビターエンドも悪くはないけど、やっぱり王道のディズニー映画ならば視聴後の後味は良いほうが嬉しいですよね。先述した通り、ラストにフィル・コリンズ氏の"Two Worlds"がrepriseされるシーンは、それまでの登場キャラがみんなその後もジャングルで幸せに暮らしていることがうかがえる感動的で後味の良いエンディングになっています。まさに第二期黄金期前半のディズニー映画のおとぎ話にも通じる"Happy ever after"なラストだと思います。素晴らしいです。


魅力的なキャラクター

 本作品はキャラクターもみな魅力的で良いんですよね。先述の通り、本作品では主人公ターザンの心情描写が丁寧なので、自然とターザンに感情移入しながら見ることができるんですよね。魅力的な主人公です。そして、ヒロインのジェーンもかなり魅力的なヒロインなんですよね。今までのディズニーのヒロインとはまた少し違った個性的なキャラで、個人的に歴代ディズニーヒロインの中でもトップレベルに好きです。なんというか、適度な「等身大」感のあるヒロインなんですよねえ。良いキャラしてると思います。

 また、個人的にはターザンの親友であるタークとタントーのキャラがかなり好きなんですよね。特にタークのキャラがとても個性的で魅力的です。今どきのアメリカのティーンのギャル系若者っぽいキャラになっていて、ディズニーにしては珍しいキャラ設定だと思います。パンクなバンドメンバーとかにいそうなタイプの頼れる悪友って感じで面白いです。ちゃんとターザンの良き理解者になっており、とても魅力的な親友キャラでしょう。

 タントーのほうはディズニー映画でわりと良く見かけがちな神経質で臆病なひ弱キャラなんですが、後半では逆にタークを奮起させてターザンを勇敢に助けに行くという、ベタなギャップ萌えシーンもあって面白いです。ターク同様に魅力的な親友キャラだと思います。

 タークとタントーはともにディズニー映画で良くありがちな「三枚目」ポジションのキャラクターなんですが、単なるコメディ要員としてだけではなく、ターザンの‟親友”キャラとしての重要な役割も物語内で果たしてるんですよね。異形ゆえにゴリラの家族の中で疎外感を抱きカーチャックとの確執に悩んでいたターザンが、タークやタントーという親友を得たことで次第にゴリラの家族の一員として馴染んでいくようになるわけですからね。ジャングルにおけるターザンのアイデンティティ形成において、カーラと並んで重要な役割を果たしたキャラでしょう。親しみの持てる「悪友」って感じで良いキャラだと思います。

 カーラの愛情あふれる「母親」っぷりもとても素晴らしいです。彼女の母性愛がこの物語の感動要素になってるんですよねえ。特に、幼少期のターザンにカーラが自身の心臓の音を聞かせて慰めるシーンは何度見ても感動します。カーチャックから嫌われて落ち込んでいたターザンにとって、カーラのこうした愛情は本当に強い支えになってるんですよね。ベタではありますが普遍的な「親子愛」を感じさせる名シーンだと思います。先述した、人間社会に戻ることを決めたターザンをカーラが送り出すシーンも同様に感動的で大好きです。素晴らしく魅力的な母親キャラだと思います。


文句なしの名作

 はい、ということで、ここまで述べて来たようにこの『ターザン』は文句なしの名作としか言いようがないです。褒めるべきところしか出てきません。第二期黄金期後半の作品の中では一番の傑作ですし、『リトル・マーメイド』や『美女と野獣』や『アラジン』のような第二期黄金期前半の作品とも肩を並べられるほどの名作でしょう。アニメーション映像の圧倒的な美しさ、スピード感と迫力のあるアクション映像、フィル・コリンズ氏のエモい歌声による感動的な演出、心情描写が丁寧で泣かせるストーリー作り……etcとそのすべてが完璧としか言いようがないです。本当にレベルの高すぎる名作です。大好き。





 以上で、『ターザン』の感想を終わりにしたいと思います。次回は『ファンタジア2000』の感想記事を書く予定です。それではまた。

*1:フィル・コリンズ氏を良く知らない人でも"One More Night"とかの代表曲をいくつか適当に調べて聞けば多分「あー、この歌を歌ってる人か」って分かると思います。

*2:君の名は。』がRADWIMPSのMVと言われているのと似たような感じですね。

*3:この類似はディズニー版だけでなく原作にも当てはまります。

*4:詳細は【ディズニー映画感想企画第19弾】『ジャングル・ブック』感想~ウォルト・ディズニー氏の遺作~ - tener’s diaryの記事で述べた通りです。

*5:詳細は、【ディズニー映画感想企画第33弾】『ポカホンタス』感想~第二期黄金期後期の新たな挑戦~ - tener’s diaryの記事で述べた通りです。

【ディズニー映画感想企画第36弾】『ムーラン』感想~一時的な復活の始まり~

 また、久しぶりの更新となってしまいました。ディズニー映画感想企画第36弾です。今回は『ムーラン』の感想記事を書こうと思います。日本での一般的知名度は低めですが、最近はもうすぐ実写版が公開されるからか、たまに話題に上がることが増えた気がします。そんな『ムーラン』について語っていきたいと思います。

 f:id:president_tener:20191015151604j:plain f:id:president_tener:20191015151631j:plain


【基本情報】

新しいスタジオでの制作

 『ムーラン』は1998年に36作目のディズニー長編アニメーション映画として公開されました。原作は中国の伝説『花木蘭』です。日本では原作もあまり有名じゃない気がしますが、中国では京劇や映画の題材などにもなっているわりと有名な伝説だそうです。

 『ムーラン』の制作は色々な点で新しい変化が見られました。その一つがフロリダの新スタジオでの制作です。『ムーラン』は当時フロリダに新しく出来たアニメーションスタジオで制作された最初のアニメーションになります。この新スタジオは、フロリダのウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート内に作られたアニメーション制作スタジオ兼テーマパークです。2019年10月現在はここでのアニメーション制作はもう行っていませんが、テーマパークとしての機能は依然維持されています。僕も昔ここに遊びに行ったことがあるのですが、色々なハリウッド映画に関連したアトラクションが多数あり、とても楽しいところでした。

 余談ですが、現在は「ディズニー・ハリウッド・スタジオ」という名前のこのスタジオは、『ムーラン』制作当時「ディズニー・MGM・スタジオ」という名前でした。MGM(正式名称「メトロ・ゴールドウィン・メイヤー」)と言えば、あの有名な大手の映画製作会社です*1。フロリダのこの新スタジオは、そんなMGM社とディズニー社が提携して作られたものだったんですよね。しかし、その際の契約内容を巡ってMGMとディズニーの間で大いに揉めて訴訟騒ぎにまで発展しました。訴訟自体はおおむね引き分けに終わったっぽいのですが*2、結局ディズニー側もその後態度を軟化したのかMGMの名前をスタジオの名称から外したんですよね。こういう経緯で、今は「ディズニー・ハリウッド・スタジオ」という名前に変わっているのです。

 『ムーラン』はそんな「ディズニー・MGM・スタジオ」(現「ディズニー・ハリウッド・スタジオ」)で作られた最初のディズニー長編アニメーションだったんですよね。


紆余曲折の音楽制作

 『ムーラン』の制作では音楽においても新しい変化が見られました。本作品では、今まで第二期黄金期のディズニー音楽*3の作曲を手掛けていたアラン・メンケン氏が作曲を担当していません。代わりにジェリー・ゴールドスミス氏、マシュー・ワイルダー氏、デビッド・ジッペル氏の3人が『ムーラン』の音楽制作に携わっています。このうち、ジェリー・ゴールドスミス氏は、長い間多くの映画音楽の制作に携わり続けて来た大御所の音楽家です。『野のユリ』や『猿の惑星』などの古典的名作の時代から映画音楽に携わり続けて来た巨匠が、『ムーラン』の音楽制作にも携わったのです。

 『ムーラン』の音楽制作を巡ってはちょっとしたゴタゴタもありました。もともとの予定では、それまでアラン・メンケン氏とコンビを組んでディズニー音楽の作詞に携わっていたスティーヴン・シュワルツ氏が『ムーラン』の音楽にも携わることになっていました。しかし、シュワルツ氏がドリームワークスの新作アニメーション『プリンス・オブ・エジプト』の制作にも携わったことに対して、当時のディズニーCEOのマイケル・アイズナー氏が激怒したため、シュワルツ氏は『ムーラン』の音楽制作から外れてしまったのです。

 これまでの記事で書いた通り、ドリームワークスと言えば、かつてディズニー所属の映画プロデューサーだったジェフリー・カッツェンバーグ氏が、CEOのアイズナー氏との対立が原因でディズニーを去った後に設立した会社です。その設立経緯ゆえにドリームワークスは当初からアイズナー支配下のディズニーへの対抗意識が強く、だからこそそんなドリームワークスへのシュワルツ氏の協力はアイズナー氏を激怒させたのです。そのため、シュワルツ氏は『ムーラン』の音楽制作から外れ、代わりにマシュー・ワイルダー氏が採用され、後に加わったジェリー・ゴールドスミス氏やデビッド・ジッペル氏らと共に『ムーラン』の音楽制作に携わることになりました。


有名芸能人の参加と一時的復活

 『ムーラン』でも有名な芸能人が制作に携わりました。特に有名なのはクリスティーナ・アギレラ氏とエディ・マーフィ氏でしょう。クリスティーナ・アギレラ氏と言えば、今でこそ"Ain't No Other Man"などの歌で知られている有名な歌手ですが、『ムーラン』公開当時はまだあまり名前も知られていない若手の歌手でした。そんな彼女がこの『ムーラン』の主題歌"Reflection"の歌手に抜擢され、そこで抜群の歌唱力を見せつけたことで人気歌手へと駆け上がることになったのです。ようは、この『ムーラン』の主題歌"Reflection"こそがクリスティーナ・アギレラ氏の実質的なデビュー曲なんですよね。

 一方、エディ・マーフィ氏はすでに『ムーラン』公開時点でもかなり有名な俳優として名を馳せていました。有名な映画『ビバリーヒルズ・コップ』の主演などを務めたことで知られる超人気ハリウッド俳優です。そんな彼をディズニーは『ムーラン』の名脇役であるムーシューの声優に採用したんですよね。これまでの記事で述べて来た通り、有名な芸能人がディズニー映画の声優を務めたことは今までも何度かあり、本作でのエディ・マーフィ氏の出演もその一環でしょう。

 他にも、エンディングで流れる"True to Your Heart"という曲は、有名なスティーヴィー・ワンダー氏が「98°」という音楽グループと一緒に歌っています。スティーヴィー・ワンダー氏は日本でも超有名なミュージシャンなので知ってる人も多いでしょう*4。そんな有名人をディズニーはエンディングソングの歌手として呼んだんですよね。

 これらの宣伝要素のもとで公開された『ムーラン』は、それなりに良い興行成績を収めました。今までの記事で述べて来た通り、『ポカホンタス』の公開以降ディズニー映画の興行収入は右肩下がりだったのですが、この『ムーラン』は前作『ヘラクレス』を上回る興行収入を達成し、ディズニーが衰退期からわずかに回復したことを示したのです。このディズニーの一時的な復活傾向は次作『ターザン』でも続くこととなります。前年まで一時的に衰退していたとは言えディズニーはまだまだ「黄金期」の最中なのだということが、『ムーラン』の商業的成功によって証明されたのです。




【個人的感想】

総論

 この『ムーラン』って一般的知名度こそ少し低めなんですが、ディズニーオタクの間では「隠れた名作」の一つとしてわりと持ち上げられがちな作品なんですよね。実際、第二期黄金期後半の作品の中では興行収入が良かったほうであるという事実に示されるように、それなりに良く出来たクオリティの高い作品だと思います。ディズニーらしいテーマとアクションと音楽が上手く融合した傑作でしょう。以下、詳細な感想を述べます。


フェミニズム的なテーマ

 本作品はフェミニズム的なテーマを真正面から扱った初めてのディズニー映画でしょう。これまでも一部の要素としてフェミニズム的な話やキャラ設定を盛り込んだディズニー映画はありましたが*5、それを作品のメインテーマに据えたディズニー長編アニメーションは本作品が初めてでしょう。『ムーラン』では、‟理想の女性らしい”振る舞いが出来ない主人公ムーランの悩みがテーマの一つになっています。

 本作品のテーマは僕の嫌いなタイプのアイデンティティー・ポリティクス的なフェミニズムではなく、純粋に‟個人主義”的なフェミニズムだったので、その点が個人的に特に良かったと思っています。「男は男らしくあるべき」や「女は女らしくあるべき」という社会の風潮に違和感を抱くムーランが、あくまでも「‟私”という個人」の在り方を貫く物語になってるんですよねえ。こういうテーマならば個人主義者として僕も素直に賛同できるので、共感しながら見ることができます。


ムーランのキャラクター設定

 『ムーラン』のストーリーを要約すると、「戦争は男の仕事」という価値観が当たり前の時代に、女性のムーランが男装して性別を偽って兵士になり、戦争で大活躍するというものです。このあらすじだけを聞くと、いわゆるムーランのキャラクターを「マッチョな男らしい女性」と想像しちゃう人も中にはいるかもしれません。しかし、実際はむしろ逆なんですよね。ムーランってあまり自己主張が強くないタイプのヒロインなんですよね。このキャラクター設定は秀逸だと思います。

 第二期黄金期のこれまでのディズニーヒロインを振り返ってみると、ベルやジャスミンエスメラルダなどいわゆる「強い女性」的なキャラクターが目立っています。彼女たちは自分の考えを相手に臆さず述べ、それを貫き通そうとする意志の強さがはっきりと表れた性格になっています。これに対して、ムーランの性格はちょっと「気弱」なんですよね。いわゆる「キョロ充」っぽい態度が目立つキャラになっています。そして、そういう性格設定だからこそ本作品は「フェミニズム」的なテーマを扱うにふさわしい内容となってるんですよね。

 仮に、主人公のムーランが最初から周囲の目なんか気にせずに自由に自分のやりたいことをやれる性格だったら、彼女がそれで悩むこともなく物語はつまらないものになってたでしょう。ムーランは結構気弱で周囲の目もそれなりに気にする性格だからこそ、周囲の社会からの「ジェンダー規範の押し付け」に悩むキャラとなっているのです。いわゆる昨今の「フェミニズム」的なポリコレの風潮だと、何でもかんでも「強い女性」を主人公にしがちじゃないですか。でも、『ムーラン』は敢えてそういう安易なキャラ設定を採用しなかったことで、逆に「ジェンダー規範を押し付ける社会の圧力」というフェミニズム的に重要なテーマが際立ってるんですよねえ。独特で斬新な発想だし、上手い設定だなあと思います。


テーマに合った社会の描写

 『ムーラン』では、多くの人々が性差別的な考えを自然と持っている社会がそれとなく描写されています。それは善玉の人でもそうです。悪意なしに自然と「女は家にいて男は戦うべき」と登場人物みんなが思ってるんですよね。そういう描写が上手いからこそ、作品の「フェミニズム」的なテーマがわかりやすく伝わるようになっています。

 作品内に流れる音楽の歌詞にも、そのような社会の性差別的な風潮が表れています。一発目に流れる"Honor to Us All"からしてそうです。「女性は家の名誉のために良い縁談相手を見つける義務がある」みたいな価値観が全面に表れた歌詞に仕上がっています。そして、この歌詞で歌われているような「理想の女性像」らしい振る舞いができずに縁談が失敗したムーランが、その悩みを歌い上げたのが主題歌"Reflection"になってるんですよね。このように本作では「社会に流布しているジェンダー規範」と「それに上手く馴染めず悩む主人公」の対比が、序盤から音楽を通して分かりやすく描写されています。

 また、ジェンダー規範はムーランのような女性だけではなく男性に対しても向けられてることが分かる描写もあります。例えば、"I'll Make a Man Out of You"の歌詞がその典型でしょう。すごく格好良い曲想ではあるんですが、歌詞を見ると「勇敢で強い兵士こそが男の花道である」という性差別的な価値観が全面に表れています。そういう価値観をリー・シャンのような善玉の隊長までもが無意識に受け入れてることに、この作品のテーマ描写の上手さがあるんですよね。

 性差別的な考えはムーランの親友三人組(ヤオ、チェン・ポー、リン)にも表れていることが音楽を通して描写されています。"A Girl Worth Fighting For"の歌詞がそうです。三人がそれぞれの「理想の女性像」を歌い上げるこの曲は、彼らの少々ミソジニー染みた価値観までもが歌われています。ムーランの「頭の良い女性や思ったことをはっきり言う女性はどう?」という問いに「ないわー」と三人組が答えるシーンは象徴的でしょう。この音楽のシーンっていわゆる「ホモソーシャル」っぽさが描写されているんですよね。こういう描写が実に的確で上手いんです。「あー、実際にこういう人たちっているよなあ」って思える描写になっています。


ムーランの活躍による変化

 上で述べたような「ジェンダー規範」を内在していた隊長やヤオ、リン、チェン・ポーたちが、終盤ではムーランの策に乗って彼女と共闘します。前半で彼らの性差別的な価値観がちゃんと描写されてたからこそ、そんな彼らが女性のムーランの策に乗って、しかも女性の格好までする点に、本作のテーマが上手く表れてるんですよねえ。

 彼らがそれまで無意識に信奉していた好ましくないジェンダー規範的な価値観が、ムーランとの共闘を通して徐々に解消されてることがうかがえる素晴らしい展開だと思います。ラストでは、隊長もヤオ、リン、チェン・ポーもちゃんとムーランの活躍や功績を認め、そのことを皇帝に訴えるまでに改心しています。ムーランの「自分らしい活躍」が、周囲の人々の性差別的な価値観を変えるまでに至ったというハッピーエンドな展開が気持ち良くて素晴らしいです。

 個人的に、「理想の男らしさ」を歌ったジェンダー規範満載の曲である"I'll Make a Man Out of You"が終盤でもう一度流れる演出が好きです。しかも、この歌が終盤で流れるシーンではあのヤオ、リン、チェン・ポーの3人が女装してますからね。「男らしさを歌った曲に合わせて、女装した男性たちが戦う」というある種の倒錯的な状況こそが、「ジェンダー規範へのアンチテーゼ」という本作品のテーマに見事に合致しています。上手い演出だと思います。


アクション

 本作品はそもそものストーリーが「戦争もの」というだけあって、迫力あるアクションシーンがかなり多いです。これまでの記事で述べて来た通り、素晴らしいディズニー映画には素晴らしいアクションシーンが付き物ですが本作品もその点では例外ではないでしょう。本作品の戦闘シーンの中でも特に映像的な迫力がすごいのは、雪山でのフン族との戦いでしょう。雪の中を大量のフン族の兵士が駆け下りるシーンやその後の大雪崩の迫力は、「さすが!ディズニーの映像技術!」と言いたくなるすごい映像に仕上がっています。

 終盤での戦闘シーンも同様でしょう。宮殿内でのシャン・ユーとムーランの戦いはかなりスリル満点ですごいんですよね。たくさんの群衆が見守る中で、悪役のシャン・ユーを花火で殺すまでの一連の怒涛の展開は見ていて飽きさせないです。個人的には、花火の爆発の中で、ムーランが提灯を掴んでロープを下るシーンの映像が好きですね。面白いアクションだと思います。


アニメーション映像の絵柄

 上述のアクションシーンで特に感じられることなのですが、本作品のアニメーション映像は「群衆」の描き方が上手いんですよね。先述した「雪山を一気に駆け下りる大量のフン族の兵士」もそうですし、終盤の戦闘シーンにおける「宮殿での戦闘を見守るたくさんの民衆」もそうです。これらの「大量の群衆」の絵が非常に迫力ある感じに描けています。この迫力とリアリティがかなり傑出していて、こういうところにディズニーの映像技術の蓄積を感じられるんですよね。

 ただし、その一方で『ムーラン』の作画はちょっと「カートゥーン的」にも感じるんですよね。特に人物の描き方はあんまり立体感がない描き方になっていて、その点では前作『ヘラクレス』に近い系統の絵柄だと思います。第二期黄金期前半の作品や『ノートルダムの鐘』のような絵柄とはだいぶ違うタイプの絵柄でしょう。で、そんな絵柄にも関わらずものすごくシリアスな話とアクションの演出をやるので、その点がちょっとアンバランスに感じなくもないです。

 『ムーラン』は前作『ヘラクレス』ほどコメディに振り切れてる訳でもなく、むしろフェミニズムジェンダー論とかの少々真面目なテーマを扱ってるだけに、この「カートゥーンっぽい絵柄」が作品の雰囲気に微妙に合ってなくて、その点で違和感を抱いてしまうんですよね。この点は本作品の数少ない難点だと思います。それでも、背景は中国が舞台ってことで、水墨画っぽい絵柄が所々で目立ってて*6、良い味を出してるんですけどねえ。その一方で、人物の描き方はちょっと「カートゥーンっぽい」と感じます。

 上述の通り、アクションシーンの映像演出自体は迫力あるものになってるんですが、肝心の人物の画風はカートゥーン的なので、そのチグハグさが目立つ気がしなくもないんですよね。次作『ターザン』なんかは完全に第二期黄金期前半のようなリアリティーある絵柄に戻ってるのでアクションの迫力にも満足して見ることができるのですが、『ムーラン』はその点が中途半端だなあと感じます。「カートゥーン的なコメディ」にも「シリアスで立体的な映像」にも振り切れてない感じ。


音楽

 本作品は第二期黄金期の作品にしては若干ミュージカル要素が薄めです。劇中歌はたったの4曲しかありません*7。上述した通り、『ムーラン』は音楽の制作過程においてちょっとしたゴタゴタがあったので、それが曲の少なさの原因なのかも知れません。とは言え、本作品も今までのディズニー映画の例に漏れず、曲数は少ないですがちゃんとクオリティの高いミュージカル映画にはなっています。

 『ムーラン』は中国が舞台の作品なので、劇中歌にも「アジアン」な曲想のものが目立ちます。中華風の音色や旋律になっている名曲となっています。とは言え、その「アジアン」な曲想もそれぞれの曲ごとに雰囲気が違うので、同じような雰囲気の曲ばかりで飽きるってこともないです。

 例えば、一発目に流れる"Honor to Us All"は聞いていてものすごく「中華っぽい!」と思えるエキゾチックで楽しげな曲になっています。キャッチーで耳に残るリズムが心地よい名曲だと思います。そして、その次に流れる"Reflection"は同じく「中華っぽい」曲ではあるのですが、"Honor to Us All"とは違ってかなりしっとりとした感動的なバラードになってるんですよねえ。同じアジア風のエキゾチックな曲想でも、こうやって曲ごとに個性を出せてる点が素晴らしいです。

 次に流れる"I'll Make a Man Out of You"は少年漫画の修行シーンみたいな「格好良い」曲に仕上がっています。ドラムの音が力強く響いていて、すごく興奮できる曲になってるんですよね。この曲に合わせて、ムーランが一人前の兵士として成長する過程が描かれるこのシーンは非常に感動的で盛り上がります。耳にも強く残る名曲だと思います。

 その次に流れる"A Girl Worth Fighting For"も中華風の演出が目立つ良曲になっています。この曲は"Honor to Us All"と似たような曲想ですね。エキゾチックで楽しくなるリズムの曲だと思います。短いながらも何度も聞きたくなるような、耳に残る良曲ですね。

 一方、エンディングで98°とスティーヴィー・ワンダーの歌う"True to Your Heart"も好きな曲ですね。この曲はかなり現代風のポップスになっています。ブラスの音が目立ってめちゃくちゃ楽しくなる曲でしょう。途中でスティーヴィー・ワンダー氏によるハーモニカのソロ演奏が挟まるところも好きですね。

 "True to Your Hear"の後はクリスティーナ・アギレラ版の"Reflection"がクレジットと共に流れます。クリスティーナ・アギレラ氏の声量のすごさに圧倒されるシーンですね。良くこんな高い声が出るなあ、と強く感心してしまいます。素晴らしいバラードだと思います。ホント、『ムーラン』の主題歌にふさわしい名曲でしょう。中国らしいエキゾチックな美しいバラードが本当に心地よくて、何度でも聞いていたくなるエモい曲ですね。


ムーシューとクリキー

 本作品のコメディ担当です。とは言え、個人的にクリキーの存在意義はあまり良く分からなかったのですが*8エディ・マーフィ氏の演じるムーシューのキャラは良かったですね。『アラジン』における‟ジーニー”的な良い脇役キャラになっていると思います。少々シリアスになりがちな本作品の空気を適度に明るくしてくれる良い感じの「ギャグ要員」でしょう。

 ただ、ムーシューのキャラってもはや完全に「エディ・マーフィ」そのものじゃないのか?っていう疑問はあります。ムーシューに関してはもはやキャラクター設定が完全にコメディアンとしてのエディ・マーフィそのものになってた気がします。まあ僕は個人的にエディ・マーフィはかなり好きな俳優の一人なので、エディ・マーフィっぽさを存分に感じられるムーシューのキャラクターは楽しくて好きなんですけどね。普通にコメディ担当として笑えるキャラになってますし。

 とは言え、もう少し「中の人」に引っ張られないディズニー独特のキャラクターを生み出しても良かったんじゃないかなあという思いもなくはないです。ムーシューの性格や言動は完全にエディ・マーフィに引っ張られてる感があるので、セバスチャンやジーニーのような「この映画ならではの個性溢れる名脇役」って感じはしません。「ああ、エディ・マーフィが良く演じてるタイプの三枚目キャラね。ありきたりで没個性的だなあ」という感想はどうしても出てきてしまいます。


シリアスなヴィラン

 本作品は、第二期黄金期のディズニー映画にしては珍しく、悪役にコミカルな要素や人間臭さが全くありません。シャン・ユー率いるフン族は完全に極悪非道の侵略者として描かれています。『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』の悪役サイクスを彷彿とさせるシリアスさです。前作『ヘラクレス』の悪役ハデスがかなりコミカルなキャラとして描かれていた点とは対照的です。

 そのせいなのか、個人的には本作品はあんまり悪役には魅力を感じないんですよね。普通の「侵略者」以上の個性的なキャラ付けもされていないため、人間味溢れる魅力的な悪役からは程遠い存在となっています。とは言え、ここまでシリアスな存在としてヴィランズを描いたからこそ、作品全体に緊張感が大いに増してるので、物語全体のバランスとしては良い采配だと思います。

 悪役だけが突出して目立つばかりなのが良い作品とは限らないですからね。むしろ、敢えて悪役の魅力を下げることで物語全体のバランスをちょうど良くすることだってあり得ます。『ムーラン』はそういう映画でしょう。悪役のキャラをシリアスで残忍すぎるキャラとして描くことで、作品全体の緊張感を増幅させ、物語を面白くすることに成功していると思います。

 実際、シャン・ユーの残忍さはかなり怖くてなかなかに緊張感があります。直接的な死体の描写はないにもかかわらず、シャン・ユーが残虐な行為を繰り返してることを視聴者に仄めかす描写が多数あり、適度なスリルを味わわせてくれます。特に、中盤で「少女の人形」を小道具として出すことで、シャン・ユーが村で行った虐殺の残酷さを強調する演出が上手いですね。フン族によって荒らされた村の様子を見せることで、彼らの残忍さと怖さがしっかりと視聴者に伝わってきます。

 だからこそ、後半でフン族が雪崩の中から復活するシーンでの恐怖が引き立つんですよね。ここはゾンビの復活みたいな感じがして、非常にスリル満点のシーンだと思います。こういう「ゾッとする」見せ場の作り方が上手いですね。本作品において悪役の設定をシリアスに全振りしたのはその点でも良い判断だったと思います。


一時的な復活

 ということで、『ムーラン』はアニメーション映像やムーシューのキャラクター設定などに難点を多少感じながらも、全体としてはフェミニズム的なテーマをちゃんと描けている良作だと僕は思います。この作品を高く評価するディズニーオタクが多いのも納得の出来です。

 この作品と次作『ターザン』を通してディズニー映画は再び世間でもヒットするようになります。『ポカホンタス』以降の衰退からの一時的に復活したのです。まあ、その後すぐにまた暗黒期に入ってしまうんですが、とりあえず『ムーラン』に関してはディズニー復活の始まりを告げる良作に仕上がってると思います。ストーリーもしっかりとまとまってるし、アクションの迫力も素晴らしいし、アジア風のエキゾチックな音楽も心地よい。良作でしょう。






 以上で、『ムーラン』の感想記事を終わりにします。次回もまた更新間隔は空いてしまうと思いますが、次は『ターザン』の感想記事を書く予定です。それではまた。

*1:ライオンが吠えるオープニングで名前を覚えてる人も多いと思います。

*2:この辺りの法的論点の詳細については僕は知らないので間違ってたらごめんなさい。

*3:ただし『ライオン・キング』だけはアラン・メンケン氏ではなくエルトン・ジョン氏の作曲でしたが。

*4:彼を良く知らない人でも、多分"I Just Called to Say I Love You"とかを聞けば、多分「あー、この曲を歌ってる人か」って分かると思います。

*5:例えば、『メリー・ポピンズ』では女性参政権獲得運動に熱心なキャラが出ています。

*6:雪山の絵などは何となく中国の水墨画っぽいタッチになってると感じます。水墨画については詳細を知らないのであくまでも印象論ですが。

*7:一応、エンディングで流れる"True to Your Heart"も含めれば5曲になります。

*8:正直言うと、「あのコオロギいなくても作品のクオリティに関係なくない?」という疑問はあります。

【ディズニー映画感想企画第35弾】『ヘラクレス』感想~カートゥーン風のコメディ作品~

 すみません。だいぶ更新間隔が空いてしまいました。しばらく色々と忙しかったもので……。ということで、ディズニー映画感想企画第35弾です。今回は『ヘラクレス』の感想記事を書く予定です。前2作とはまただいぶ方向性が変わっている作品ですね。そんな『ヘラクレス』について語っていきたいと思います。

 f:id:president_tener:20191012092901j:plain f:id:president_tener:20191012095629j:plain

【基本情報】

新たな「異色作」

 『ヘラクレス』は1997年に35作目のディズニー長編アニメーション映画として公開されました。原作はギリシャ神話です。前々作『ポカホンタス』や前作『ノートルダムの鐘』で続いたディズニーの「大人向け路線」は本作品では消えています。この『ヘラクレス』では再び「大衆向けの単純エンタメ作品」としてのディズニーが復活しています。そういう意味で、ディズニーが第二期黄金期前半の路線に戻った作品だと言うこともできるでしょう。しかし、本作品も『ポカホンタス』や『ノートルダムの鐘』とはまた別の方向性で、第二期黄金期前半の作品群とも雰囲気の違う「異色作」となっています。

 監督は、『リトル・マーメイド』や『アラジン』でも監督を務めたジョン・マスカー&ロン・クレメンツのコンビです。久しぶりにこの2人のコンビが復活した本作品では、彼らの代表作である『アラジン』の作風を大いに真似た雰囲気になっています。ようは「チープなカートゥーンっぽい」作品になってるんですよね。しかも『アラジン』以上にコミカルなカートゥーンっぽさを強めています。

 というのも、絵柄がかなりカートゥーン的な雰囲気に変わってるんですよね。『アラジン』含む第二期黄金期前半の作品群に比べても「チープさ」を強く感じる絵柄になっています。この点で、本作品は『ポカホンタス』や『ノートルダムの鐘』のような「大人向け路線」とも、第二期黄金期前半の作品のような「王道ディズニーらしい豪華なファンタジー」とも少し違う独特な異色作となっています。商業的失敗のためなのか前作まで続いていた「大人向け路線」を本作品で完全にやめたディズニーは、その反動なのか『ヘラクレス』というかなり「カートゥーン」っぽい異色なディズニー作品を公開したのです。


衰退期の継続とタレント声優

 このように、新しいタイプの異色作として公開された『ヘラクレス』ですが、評論家からは前作『ノートルダムの鐘』同様にかなり高い評価を得ました。同じジョン・マスカー&ロン・クレメンツ監督の傑作『アラジン』のカートゥーンっぽいテイストを大いに増幅したディズニーの新しい試みは、評論家の間ではひとまず成功したと思われたのです。しかし、そのような好評はあくまでも評論家の間だけの話です。大人向けではない大衆向けを狙ったにも関わらず、大衆には受けなかったのです。

 『ヘラクレス』の興行成績は前作『ノートルダムの鐘』のそれをさらに下回る結果となってしまいました。『ポカホンタス』以降の右肩下がりの興行成績は今作でも継続したのです。実際、公開当時の日本のネットでの評判もすこぶる悪かったです。ただし、日本のネットでの不人気の原因には日本特有の理由もあります。というのも、本作品は日本語吹き替えを担当した声優がプロの声優ではなくタレントだったんですよね。

 具体的に言うと、主人公ヘラクレスの声はジャニーズのTOKIO松岡昌宏氏が、ヒロインのメグの声はアイドルの工藤静香氏が担当しました。宣伝目的でプロの声優ではない芸能人を採用するアニメ映画はディズニーに限らず日本では昔から良く見かけますが、ディズニージャパンもその風潮をとうとう取り入れてしまったのです。ネットにいる通気取りのアニオタってそういう「知名度目的で演技の上手くない素人タレントの声優起用」をめちゃくちゃ嫌うじゃないですか。それが日本のネットにおける評判の悪さの一因になってたんですよね。特に、ジャニーズ側の声優の演技が棒読みで酷かった点が、日本のネットでは大いに叩かれていました。

 そんな訳でネットでの評判は芳しくないうえ、興行的にも失敗作となってしまったこの『ヘラクレス』は、前2作同様にディズニーの衰退を象徴する作品となってしまったのです。




【個人的感想】

総論

 上述の通り、『ヘラクレス』は商業的には失敗し、日本のネットでも当初は叩かれていた印象の強い作品ですが、僕個人は普通にこの作品も好きなんですよね。公開当時も評論家の間だけでは好評でしたが、僕もそんな評論家たちとほぼ同意見です。普通に面白いエンタメ作品に仕上がってると思います。一昔前と違い、最近はネットでも本作品は再評価されてるようですが、僕もその風潮に完全に賛同しています。正直言って、この作品は普通に「面白い傑作」の部類に入りますよ。それにも関わらず不遇な扱いを受けすぎです。僕は結構好きな作品です。


アメコミヒーロー風の物語

 本作品はギリシャ神話が原作となっていますが、ディズニー伝統の原作改変によって、本来のギリシャ神話の内容とはだいぶ異なるストーリーに仕上がっています。本作『ヘラクレス』では、ギリシャ神話の有名な英雄(ヒーロー)であるヘラクレス伝説を現代風の「アメコミヒーロー物語」っぽくアレンジしてるんですよね。僕はアメコミヒーローが昔から好きなので、このアレンジがかなり好きなんですよね。

 この『ヘラクレス』はアメコミ作品にありがちな「ヒーローの苦悩と成長」をテーマの中心に据えた作品だと思います。単なる怪力だけでなく心の強さも兼ね備えた「真のヒーロー」として主人公ヘラクレスが成長するまでの過程を描いた王道ヒーロー物語になっており、それゆえに面白く見れるんですよね。

 良く言えば王道、悪く言えばぶっちゃけベタなヒーロー物語ではあるので、ものすごく面白いってほどでもないんですけど、テンポの良いストーリー展開に沿って主人公ヘラクレスの成長が説得力を持って描かれているので、安定感のあるクオリティには仕上がっています。普通に面白いアメコミヒーロー物語だと思います。


現代風の演出

 本作品の監督を務めたジョン・マスカー&ロン・クレメンツの2人は以前『アラジン』の監督も務めていました。そのせいなのか、この『ヘラクレス』でも『アラジン』と似たような演出がとられています。それは、「意図的に時代考証を無視した現代風の演出」です。『アラジン』ではジーニーというキャラクターに、舞台である中世アラビアらしからぬ現代風の格好や言動をさせてました。"Friend Like Me"のシーンがその典型例でしょう。『ヘラクレス』でもそのような「現代風の演出」が大いに採用されています。

 特に、それが分かりやすく表れてるのは"Zero to Hero"のシーンでしょう。ヘラクレスが人気者のヒーローに成り上がっていく過程を描いたこのシーンでは、古代ギリシャらしからぬ現代的な演出が至る所に表れています。その演出がコミカルで笑えるんですよねえ。ヘラクレスの人気者っぷりが完全に現代のハリウッドスターを彷彿とさせる描かれ方で笑えます。

 その後もヘラクレスはフィルのマネージメントの下で、古代ギリシャというよりは現代アメリカのショービジネスのような売りこみ方をしてますからね。こういう現代風の演出が本作品では『アラジン』以上に顕著なんですよね。そういう現代風の演出が「コミカルなカートゥーンっぽさ」に繋がってる。面白くて笑えます。


カートゥーン的な絵柄

 このようなコミカルな演出が本作品では至る所で見られるうえ、絵柄もかなりコミカルになっています。先述の通り、『ヘラクレス』の絵柄は第二期黄金期前半の作品と比べるとかなり雰囲気が違っています。本作のキャラクターのデザインは、第二期黄金期前半のディズニーらしいリアリティのある立体的な絵柄にはなっていません。どちらかというとカートゥーンっぽい絵柄になってます。

 本当にカートゥーンネットワークで放送されてそうなタイプの、デフォルメの激しい絵柄になっています。それゆえに、人によっては「チープな絵柄」に感じられ、その点も本作が批判される一因になってたと思います。しかし、絵柄こそ独特ではありますが今までのディズニー作品と比べて決して極端に「映像がショボい」訳ではないと僕は思います。

 例えば、中盤のメインであるヒドラヘラクレスの対決シーンや、ハデスの治める冥界の泉の様子など、CGなどを駆使した綺麗で見ごたえあるアニメーション映像がしっかりと本作品でも確認できます。確かに、前作『ノートルダムの鐘』ほどの感激するような映像美はないですが、今作『ヘラクレス』もディズニーのアニメーション技術の地力を見せつけるような映像にはなってると思います。

 まあ、そもそも僕はこういうカートゥーンらしいチープな絵柄も嫌いではないので、あまり気にならずに見ることがでたんですよね。ちゃんとこの絵柄でもアクションシーンは迫力あるものになってますしね。


テンポの良さ

 同じ監督による作品『アラジン』に見られたテンポの良いストーリー展開は『ヘラクレス』でも見受けられます。全体的に展開の進みが良い意味でスピーディーなんですよね。無駄に冗長に感じて中だるみするようなシーンは本作には見られないです。次から次へと新しい展開が起きるため、飽きずに見続けることができます。

 ヘラクレスの修行や彼が人気ヒーローになるまでの過程などがミュージカルソングを通してダイジェスト形式で飛ばされることで、スピーディーな展開が保たれてるんですよね。しかし、それでいながら決して駆け足にはなってないです。『アラジン』の時もそうでしたが、ジョン・マスカー&ロン・クレメンツ監督の作品はちょうど良いテンポで展開を進めてくれるストーリー作りが上手いんですよね。絶妙なさじ加減だと思います。


コミカルとシリアスのバランス

 『アラジン』と同じく『ヘラクレス』でも現代的なカートゥーンっぽいコミカルな演出が大いに目立つ作品です。しかし、それでいながらちゃんとシリアスなテーマも描いています。『アラジン』同様に「コミカルとシリアス」をともに上手くバランスよく両立させようとした作品だと言えるでしょう。ただし、『ヘラクレス』のシリアス要素は『アラジン』に比べると少々「薄い」気はします。シリアス度に対してコミカル度が占める割合は『アラジン』よりも上でしょう。それゆえに、確かに『アラジン』と比べると『ヘラクレス』は感動の薄い少々‟チープ”な作品になってると僕も思います。とは言え、決してシリアス要素が不十分な訳ではないです。あくまでも『アラジン』が凄すぎただけで、『ヘラクレス』もちゃんとそれなりに感動できる王道ストーリーに仕上がっています。

 先述の通り、本作品のシリアス要素(テーマ)は主人公ヘラクレスの「苦悩と成長」でしょう。生まれながらの怪力ゆえに周囲から邪険に扱われ自分のアイデンティティに疑問を感じたヘラクレスが、自身の本当の居場所を取り戻すために真のヒーローになることを目指す物語であり、そういう意味では王道のヒーロー物語になってると思います。メグとの恋愛を通して真のヒーローとしての心の強さをヘラクレスが獲得していく過程も、ベタではありますがちゃんと説得力のある描写になってます。

 終盤でヘラクレスとメグがそれぞれ自己犠牲でお互いの命を助け合ったシーンや、ヘラクレスがあれほど憧れた神の世界への移住をラストで拒否してメグと一緒に生きることを選ぶシーンなど、それなりに感動して没入できるようなドラマになっています。決してシリアス要素が不十分だとは僕は思わないです。

 それにもかかわらず、『アラジン』と比べるとやっぱり薄く感じちゃうのは、肝心のヘラクレスとメグの間に恋愛感情が芽生えるまでの描き方が不十分に感じるからだと思います。『アラジン』の"A Whole New World"や『美女と野獣』の"Beauty and the Beast"の歌のような、二人の間のロマンチックな恋愛感情を歌った曲が本作品にはないんですよね。"I Won't Say I'm in Love"が流れるシーンもあくまでもメグ視点での恋愛感情を歌っただけで、ヘラクレスのほうはいないですからね。ヘラクレスとメグのどちらもが恋に落ちる感情をロマンチックに歌い上げた曲やそのようなシーンがないことは、本作品のラブロマンスを物足りなくさせてると思います。

 ついでに言うと、本作品はヘラクレスがメグに惚れる理由が良く分からないんですよね。先ほど、ヘラクレスの成長が説得力を持って描かれてると言いましたが、それは恋愛感情が心の強さに繋がる終盤のシーンにおいてのことであり、そもそもそのきっかけである恋愛感情がヘラクレスに芽生えた経緯はいまいち良く分かりません。ぶっちゃけ、単なるヘラクレスの一目惚れに感じなくもないです。まあ、『白雪姫』や『シンデレラ』など大昔のディズニー映画でも恋愛感情が生じた理由は良く分からなくて一目惚れに近い描写がされていたので、その点では原点回帰なのかもしれませんけどね。

 とは言え、『美女と野獣』や『アラジン』などのように、男女それぞれがちゃんと恋愛感情を抱くまでの過程が丁寧に描かれていた第二期黄金期前半の作品と比べると、『ヘラクレス』のラブロマンス要素の描写は少々不十分だと思います。やっぱりちょっと「薄い」んですよね。恋愛要素が本作品の主要テーマである「ヘラクレスの成長」の重要な要因になってるにもかかわらず、その描写が『アラジン』と比べると薄い点は、本作品の大きな難点だと思います。


キャラクター

ヘラクレス

 主人公ですね。このヘラクレスのキャラに対してはしばしば「主人公にしては幼稚な若造にしか見えない」という批判を見かけます。確かに、中盤までのヘラクレスは持ち前の怪力だけを生かして人気者になって、少々調子に乗ってるように見えなくもありません(それでも決して悪い人ではないんですけどね)。彼がヒーローを志した動機も純粋に人助けしたいからというよりは、単に自分の居場所であるオリンポス山に戻りたかったからですしね。そういう点も含めて少し魅力に欠ける人物ではあります。

 でも、そういう描写がされるのもある意味当然で、そもそも本作品はヘラクレスの成長がテーマの一つですからね。中盤までは魅力に欠けていたヘラクレスがメグへの恋愛を経験したことで心の強さも獲得し、「真のヒーロー」として覚醒する物語がこの作品のメインストーリーです。だから、「真のヒーロー」になる前のヘラクレスのキャラが少々魅力に欠けるのは当然のことであり、その点を批判する気は僕にはないです。「真のヒーロー」となれたラストのヘラクレスは普通に魅力的なヒーローとして描かれていますしね。

メグ

 彼女のキャラクター設定はディズニーにしては色々と珍しいです。「過去に恋人のためにハデスに魂を売ったけど恋人に裏切られ男性不信になった」という設定のヒロインは今までのディズニー映画で見たことありません。(本人の意思ではないとは言え)悪役陣営に属するヒロインという設定もディズニーにしてはかなり珍しいでしょう。それゆえに、わりと新鮮で魅力的なヒロインになってるんですよね。

 そういう風に、ディズニーには珍しい陰気でネガティブないわゆる「ダウナー系」っぽいヒロインとして描写されているのですが、そんな彼女が次第にヘラクレスに心惹かれてピュアな恋心を育んでいく過程が微笑ましいんですよね。なかなかに魅力的なヒロインだと思います。ディズニーには今までいなかったタイプの新しいヒロインとしての魅力を十分に発揮させている良キャラでしょう。

フィル

 名前こそピロクテテス(愛称フィル)ですがどっちかというとケイロンですね、彼は。原作のギリシャ神話でヘラクレスのコーチを務める半獣半人のキャラクターはピロクテテスではなくケイロンのほうなのに、なんでこの映画では彼にピロクテテスという名前を当てたのでしょうか?僕もその理由は知らないです。

 まあ、とにかくフィルは主人公ヘラクレスの親友ポジションです。『アラジン』におけるジーニーの役回りに近いものがあります。時にヘラクレスに対し憎まれ口を叩くこともありながらも、なんだかんだでヘラクレスの親友として彼を支えるツンデレ的なおじさんですね。ディズニーには珍しく女に目がない好色家キャラでもあります。そういうところも含めて、どこかコミカルで面白いキャラになってるんですよねえ。

 ジーニーほどの強烈な個性はないのですが、十分に魅力的なキャラになってると思います。ラストでフィルの念願の夢が叶って、ヘラクレスの星座ができるのを喜ぶシーンは、見ててちょっと感動します。

ハデス

 この『ヘラクレス』において特に人気のあるキャラクターは、主人公サイドよりもどちらかというとヴィランズのほうでしょう。特に、ハデスのキャラに対するネットでの人気はかなり高い印象があります。ガストンやジャファーなどと並ぶ「コミカルな悪役」なんですよね、彼は。普段は温厚に振る舞おうとするも頻繁にすぐキレる素の性格が出てくる性格描写は『オリビアちゃんの大冒険』の悪役ラティガンを彷彿とさせます。そういう言動がコミカルでとても魅力的な悪役なんですよねえ。

 コミカルなキャラではありながらも決して間抜けキャラではなく、ヘラクレスを始末するためにあれこれと策略を張り巡らす狡猾さはあります。それにも関わらず、その企みの全てがヘラクレスによって阻止され毎回苦い思いをする不憫キャラでもあります。なんかバイキンマンみたいなやつです笑

 ハデスのそういうコミカルなキャラクター描写や言動が非常にツボにハマって笑えるので、この作品で一番の愛されキャラになってるんですよね。悪役ではあるけどどこか憎めない、そんなキャラになっています。僕も本作品ではハデスのキャラが一番好きですね。面白くて笑える良いギャグ要員の悪役です。

ペイン&パニック、運命の三女神

 ハデスの手下であるペインとパニックのコンビはディズニー・ヴィランズの手下に良くいるタイプの「間抜けなギャグ要員」になっています。ペインとパニックがハデスにしょっちゅう怒られるシーンは、漫才的な面白さがあって面白いです。本作品のヴィランズはハデスもペイン&パニックもどちらもコミカルなキャラクターとして描かれており、なかなかに魅力的なんですよね。

 また、端役ではありますが運命の三女神も個人的には好きなんですよね。一つの目玉を三人で共有してる設定が、子供の頃の僕には何となく魅力的に思えたんですよね。ギリシャ神話の原作に沿った設定ではあるんですが、彼女たちが糸を切って人の死を司る描写も好きですね。なんとなく記憶に残るインパクトの強いキャラです。

ミューズ

 個人的には、本作品でハデスと並んで好きなキャラクターたちですね。本作品の狂言回し的な役割を担っています。5人組でジーニーのような演出を見せる彼女たちの姿は面白くて、画面に釘付けになります。古代ギリシャらしからぬゴスペル歌手っぽいキャラクター描写がなされている点が良いんですよね。後述するように、彼女たちが歌うゴスペルが本作品の大きな魅力の一つになっていると僕は思います。


音楽

 本作品もディズニーの伝統にのっとりミュージカルになっています。第二期黄金期の常連作曲家であるアラン・メンケン氏が本作品でも作曲を務めてるだけあり、なかなかに聞き応えのある名曲が本作品でもたくさん登場します。中でも特に有名なのは主題歌の"Go the Distance"でしょう。『ポカホンタス』以降の第二期黄金期後半のディズニーソングの中では恐らく一番有名な曲だと言っても過言ではないと思います。とてもエモくて感動的で聞きごたえのある名曲なんですよね。特にサビでの盛り上がりが凄まじいんです。僕は小さい頃から何度もこの曲を聞いてはサビで大いに感動したものです。文句なしに、名曲中の名曲だと思います。音が本当に豪華で圧倒されるんですよねえ。

 また、本作は先述のミューズたちによるゴスペル曲が至る所で流れる点も特徴的なんですよね。ギリシャ神話の語りにゴスペル音楽を組み合わせるという発想がまず面白いです。これも上述した『アラジン』同様の「現代風な演出」の一環だと思うんですが、それが良い味を出してるんですよね。この作品のストーリーに対して感じるスピーディーなテンポのリズム感は、このミューズたちによるゴスペル風のミュージカルシーンの存在も一因になってると思います。

 オープニングの"Gospel Truth"がいきなりそのパターンですからね。ミューズたちが"Gospel Truth"の曲に合わせて、物語の背景説明をするシーンは面白いです。歌い手たちの声量のすごさにも圧倒されます。また、同じくミューズたちによる"Zero to Hero"もアップテンポでかなり楽しい曲だと思います。ヘラクレスが人気スター的なヒーローへと成り上がっていくシーンに見事に合った「現代的な演出」になってると思います。大好きです。

 エンディングで流れる"A Star Is Born"も良い曲です。"Zero to Hero"同様にミューズたちによるアップテンポな曲になっており、エンディングの「大団円」っぽさを演出するにふさわしい名曲だと思います。単に聞いてて楽しくなるだけでなく、ハッピーエンドが嬉しくなりちょっぴり感動する曲に仕上がっています。

 "Go the Distance"と並んで有名な曲は何といっても"I Won't Say I'm in Love"でしょう。メグの歌声に合わせてミューズたちが合いの手を入れるこの曲は、男性不信のメグに恋心が芽生えるまでの過程を歌った名曲です。メグの声を務めてるスーザン・イーガン氏の声量にも魅了されます。ロマンチックで耳に残る素晴らしいラブソングになってると思います。大好きです。

 その他の曲としては、"One Last Hope"もありますね。ヘラクレスをトレーニングするフィルのテーマソングです。若干耳に残りにくい曲ではありますが、何度か聞いてると楽しくなってくる良曲だと思います。どことなくちょっとレトロな雰囲気を感じる曲なんですよね。初期ディズニーの短編アニメーション時代を彷彿とさせるような曲想が良い味を出しています。


日本語吹き替え声優

 基本的に僕は字幕派なので、日本語吹き替え声優についての感想を書くことはないのですが、この作品については先述の通り日本語吹き替え声優が当時の日本のネットでの悪評の一因になってるので、軽く個人的感想を書こうと思います。やはり、しばしば言われてるように、TOKIO松岡昌宏氏の演技は酷いと僕も思います。主役ヘラクレスを演じているにも関わらずわりと棒読み的な演技なんですよね。感情が全く伝わってこないです。主役の棒読みセリフが終始気になるせいで、日本語吹き替え版はまともに見ていられないんですよね。ネットで叩かれてるのも当然だと思います。

 ただし、ヒロインのメグを演じる工藤静香氏の演技のほうはネットでの評判も悪くないです。同じくプロの声優ではない芸能人アイドルの採用にも関わらず、メグのネガティブな性格にふさわしい魅力的な声になってると思います。なかなかに可愛らしいヒロインに仕上がってます。その点で、日本語吹き替え版でのゲスト声優枠も必ずしもダメな点ばかりではないと思いました。

 まあ、それでもやはりヘラクレスの声がひどいことには変わりないんですけどね。よりにもよって肝心の主役のセリフが棒読みなのは、致命的な欠点でしょう。なので、僕は基本的にこの『ヘラクレス』を日本語吹き替えで見ることはオススメしないです。普通に、字幕版で見たほうが良いでしょう。英語版の声優さんは全然酷い演技じゃないので、普通に楽しんで見ることができるはずです。


『アラジン』の下位互換ではあるけど良作

 ここまで述べて来た通り、この『ヘラクレス』という映画は同じ監督による『アラジン』とかなり似ている部分がたくさんあります。コミカルな現代風演出の仕方やキャラクター配置やスピーディーなストーリー展開などなど、『アラジン』にも見られた特徴が本作品でも確認できます。しかし、先述の通り『アラジン』と比べるとコミカルとシリアスの割合のバランスが悪いため、『アラジン』よりも少々チープで感動の薄い作品になってしまっていると思います。そういう意味で、この『ヘラクレス』は『アラジン』の「下位互換」とも言うべき作品でしょう。

 また、映像面でもカートゥーン的な絵柄が目立ちすぎて、それまでのディズニー映画に見られたような見ごたえのある映像美はあまり感じられず、人によってはチープに見えるアニメーションにもなっています。それらの点が公開当時に本作品が不人気だった原因だと思います。

 しかし、あくまでも『アラジン』に比べると下位互換になってるというだけの話であって、決して駄作と断言できるほどつまらないとは僕は思えないです。コメディとしてはわりと良く出来ていて普通に面白いんですよね。『アラジン』同様に『ヘラクレス』もストーリー展開がスピーディーで上手いので最初から最後まで飽きずに見続けることができます。また、ヒドラやタイタン族との戦いなどアクションシーンも豊富で、その点でも第二期黄金期の他の作品に引けをとらないと思います。主人公ヘラクレスがしっかりと活躍しており、見応えのあるアクションシーンに仕上がってるんですよね。また、先述の通りアラン・メンケン氏作曲の音楽も名曲揃いでクオリティ高いです。

 これらの点を踏まえて、やはり僕は『ヘラクレス』も十分に良作だと思うんですよね。ものすごく感動するような作品ではないけれど、肩の力を抜いて楽しみながら視聴することのできる良質なコメディに仕上がってると思います。普通に面白くて好きな作品です。







 以上で、『ヘラクレス』の感想記事を終わりにします。前回よりも更新間隔がだいぶ空いてしまいましたが、しばらくはこれぐらい遅い更新ペースになってしまうと思います。申し訳ありません。
 次回は『ムーラン』の感想記事を書く予定です。それではまた。

【ディズニー映画感想企画第34弾】『ノートルダムの鐘』感想~大人向け路線の成功と失敗~

 諸事情で更新間隔がしばらく空いてしまいましたが、ディズニー映画感想企画第34弾です。今回は『ノートルダムの鐘』の感想記事を書こうと思います。これも第二期黄金期前半の作品に比べればやや知名度が劣るとは言え、それなりに有名なほうの作品の一つでしょう。最近は舞台となったノートルダム大聖堂の大火災という痛ましい事件が起きたために再び話題に上ることが多くなった気がします。
 そんな『ノートルダムの鐘』について語っていきたいと思います。

 f:id:president_tener:20190928061229j:plain f:id:president_tener:20190928061256j:plain


【基本情報~大人向け路線再び~】

 『ノートルダムの鐘』は34作目のディズニー長編アニメーション映画として1996年に公開されました。原作は、フランスの有名な文豪ヴィクトル・ユーゴー氏の小説『ノートルダム・ド・パリ』です。日本だとヴィクトル・ユーゴーの小説は『レ・ミゼラブル』が取り立てて有名な印象がありますが、『ノートルダム・ド・パリ』もユーゴーの作品の中ではわりと有名なほうです。

 本作品は前作『ポカホンタス』に引き続き「大人向け路線」に走ったディズニー映画として知られています。第二期黄金期の立役者であったプロデューサーのジェフリー・カッツェンバーグ氏は、前作『ポカホンタス』や今作『ノートルダムの鐘』を通して、完全な「大人向け」の作風をディズニーで新しく試すことを狙ったのです。なお、前の記事で述べた通り、その指導者のカッツェンバーグ氏自体は、本作品の完成前の1994年にCEOのマイケル・アイズナー氏との対立がきっかけでディズニーを退社しています。

 前作『ポカホンタス』同様に本作品も「大人向けの新しい作風」と「伝統的なディズニーらしさ」を上手く折衷させ、「ディズニーの新しい挑戦」を見せつける作品となりました*1。しかし、前作『ポカホンタス』同様に、いやそれ以上に、本作品は興行的に失敗してしまいました。観客の多くはディズニーの新しい大人向け路線な作風を望まなかったのです。前作『ポカホンタス』で落ち込んだ興行収入は、今作『ノートルダムの鐘』でさらに下がってしまい、ディズニーの商業的衰退が続いてることを証明する残念な結果となってしまったのです。

 しかし、前作『ポカホンタス』が評論家の間でも賛否両論だったのとは対照的に、今作『ノートルダムの鐘』は評論家の間ではかなり高く評価されました。商業的には失敗してしまいましたが、評論家などの玄人受けは非常に良い作品となったのです。その高い評価は現在まで続いています。そのため、この『ノートルダムの鐘』は当時の商業的には「失敗作」ではありますが、今ではそれなりに再評価され「ディズニー第二期黄金期の名作の一つ」として扱われている印象があります。ようは、ディズニーオタクの間ではいわゆる「隠れた名作」扱いされがちな作品としてかなり有名なんですよね、これ。最近はもはや「隠れた」とは言えないぐらいには知名度上がったと思えるほどですし。





【個人的感想】

総論

 はい、ということで上述の通りこの作品は玄人受けが非常に良い作品なのですが、僕もかなりの名作だと思いますね。別に、玄人ぶるつもりは毛頭ないですが、『ノートルダムの鐘』は前作『ポカホンタス』に見られたいくつかの難点を克服したうえで、大人向けのシリアスなテーマとディズニーらしいハッピーエンドとを上手に融合させた、ものすごくクオリティの高い名作に仕上がっています。しかも、映像や音楽のクオリティもものすごく高いです。『リトル・マーメイド』や『美女と野獣』などの第二期黄金期前半の名作と比べても遜色ない作品だと思います。かなり好きです。以下、詳細な感想を述べます。


良い意味で「暗い」

 これは原作のヴィクトル・ユーゴー氏の作風がそもそもそうなのですが、本作品はどこか「暗い」雰囲気の強いディズニー映画となっています。原作『ノートルダム・ド・パリ』に限らず『レ・ミゼラブル』とかもそうですけど、ユーゴー氏の小説って暗くて重い内容を扱ってる部分が大きいじゃないですか。それをアニメ化したディズニー版のこの『ノートルダムの鐘』も原作のそういう重くて暗い雰囲気を継承してるんですよね。

 15世紀フランスにおける、異形への迫害とか拷問とか差別みたいな重い話題を本作品でもしっかり扱っています。しかも、それらの内容と一緒に流れる絵や音楽の雰囲気も厳かでわりと暗めな感じです。でも、暗黒期の作品とは違ってこの暗さがマイナス要因にはなっていないんですよね。というのも、この暗さはちゃんと意味のある暗さだからでしょう。本作品のシリアスで重いテーマを説得力をもって描くために必要な暗さになっています。

 この良い意味で「暗い」雰囲気が、本作品の物語に重厚感を増してるんですよねえ。これは演出の上手さによる面も大きいと思います。重厚感あるシリアスな骨太ミュージカルって感じの魅せ方がとても上手いです。


息を呑むオープニング

 その演出の上手さが特に際立っているのがオープニングだと思います。ここは本当に厳そかで重苦しくて、それでいながら重厚感のある名シーンだと思います。「これからものすごいミュージカル映画が始まるんだ」と期待させてくれます。まず、"The Bells of Notre Dame"の 曲からして素晴らしいです。第二期黄金期の音楽はかなり豪華なものが多いですけど、この曲の豪華さはその中でもずば抜けています。オープニングの「圧巻」さでは『ライオン・キング』と並んでディズニーの双璧を成すと思いますね。

 盛大な音楽とともに、ノートルダム大聖堂をバックに1482年のパリの街並みを映し、クロパンの狂言回し的な語りへと入る。その一連の流れが無駄なくて引き込まれるんですよね。そして主人公カジモドの生い立ちを語る回想シーンへと移るんですけど、ここの引き込まれ具合も凄まじいですね。こういう序盤の「背景説明」のシーンって、例えば今までのプリンセスものだと「フェアリーテイル風」のナレーションになってたりするんですけど、本作品ではしっかりとアニメーションによるミュージカル映像でそれが展開している。このミュージカルシーンが素晴らしく良く出来てるので、自然と内容も頭に入って来るんですよね。

 特に、悪役フロローが登場してからの怒涛の展開は息をつく暇もありません。終始、画面に釘付けになります。フロローが馬に乗ってカジモドの母親を追いかけるシーンの映像はものすごく迫力満点でハラハラします。その後のノートルダム大聖堂の石像たちに怯えるフロローの演出も上手いんですよね。アニメーション特有の、石像たちが比喩的に表情を見せる演出もできたはずなのに*2、あえてそれをやらずに一切動かない石像の目だけを映す演出が本当に上手だと思います。フロローが恐れる「ノートルダムの目」らしい恐怖感あふれる映像になっています。

 そして、オープニングのクライマックスにあたる、ノートルダムの鐘が一斉に鳴り響くシーンの迫力もすごいです。前々作『ライオン・キング』で動物たちが一斉に王を祝福するオープニングを彷彿とさせる豪華さです。何度でも繰り返し見たくなるような圧倒的な迫力の名オープニングだと思います。大好き。


盛り上がりの多いストーリー展開

 同じく大人向けを意識した前作『ポカホンタス』では中盤まで少々盛り上がりに欠ける展開が続き、そこがちょっと難点であることを指摘しました。しかし、本作品はそのような前作の欠点を完全に克服しています。序盤から盛り上がる展開が次々と立て続けに起こるので、見ていて退屈することはほとんどないんですよね。

 楽しげな祭りのシーンや、フロローに抗議してその結果彼から逃げ回るエスメラルダのシーンなど、なかなかに動きの激しいアクションシーンが前半の時点から用意されています。しかも、ただ単にアクションが続くだけでなくちゃんと起伏のある展開にしてくれてるんですよね。例えば、カジモドが外の世界へ憧れて祭りへ参加し、実際に祭りではしゃぐ前半の楽しいシーンから、急に町中の人々によって虐められるシーンへの落差の描き方が素晴らしいです。こういう緩急のある飽きさせない展開の描き方には感心させられます。その後エスメラルダがフロローから逃げ回った末にノートルダム大聖堂に籠城するまで追い込まれるなど、すでに中盤の時点でハラハラさせる展開は用意されてるんですよね。

 フロローがパリ中を火の海にしてエスメラルダを探し出すシーンも素晴らしいです。ものすごく緊張感のある「ピンチ」って感じがします。こういうハラハラと手に汗を握るようなピンチのシーンを描き出す上手さが本作品では際立っているんですよね。このシーンはフロローの残虐さも良く表現されていて、ユーゴー原作らしい「怖さ」や「暗さ」が良く表れたシーンなんですよね。


ノートルダム大聖堂らしいアクション

 そして、この『ノートルダムの鐘』が前作と比べてもう一つ素晴らしい点は、第二期黄金期前半の作品に勝るとも劣らない名アクションシーンがたくさんあることなんですよね。前作『ポカホンタス』では盛り上がるアクションの不足という欠点がありましたが、本作品はその欠点も克服してます。

 ノートルダム大聖堂という実在するパリの名所を舞台にしたアクションシーンの数々は本当に感心します。ちゃんと「ノートルダム大聖堂」が舞台であることに意味のあるアクションになってるんですよね。このアクションシーンは上手いです。かなり序盤の段階から、カジモドがノートルダム大聖堂の壁や屋根などを身軽に動き回るアクションを見せてくれてます。カジモドによるこの「パルクール」風のアクションの映像的面白さも本作品の魅力の一つだと思うんですよね。見ていて飽きない面白いアクション映像になっています。

 そして、本作品ではこの「ノートルダム大聖堂」を熟知したカジモドだからこそ出来る独特のアクションやバトルが至る所で現れます。"Out There"の曲とともにそのアクション技術を見せつけた主人公カジモドは、その後フロローの包囲網を掻い潜りノートルダム大聖堂からエスメラルダを逃がしたり、終盤でフロローに捕まって処刑されかけるエスメラルダを助けたりする際にも、そのアクション技術を生かしています。この「主人公ゆえの活躍」の魅せ方が本当に上手いです。素晴らしいアクションだと思います。

 特に、終盤での「ノートルダム大聖堂」を舞台にしたカジモドの戦いは圧巻です。終盤に全くアクションがなかった『ポカホンタス』とは違い、本作品では第二期黄金期前半のディズニー映画の伝統に乗っ取り終盤の迫力満点のバトルシーンが描かれています。この点が素晴らしいんですよねえ。ノートルダム大聖堂の鎖を引きちぎるカジモドの迫力にはかなり圧倒されます。その後、カジモドがエスメラルダを颯爽と助け出し「聖域」を大声で主張するシーンもかなり好きですね。印象に残る名シーンです。

 そして、その後ノートルダム大聖堂を知り尽くしたカジモドならではの籠城戦の魅せ方も良いです。フィーバスやパリ市民の活躍もしっかり描きながらも、あくまでも主人公カジモドがノートルダム大聖堂ならではの戦い方を生かして大いに活躍しています。だからこそ、最後にカジモドが英雄としてパリの人々から称えられる展開も自然な流れとなっているんですよね。ちゃんとカジモドの活躍が説得力をもって描けている。


迫害されし者へのエール

 上記のような盛り上がる展開とともに本作品は「大人向け路線」らしい重いテーマもきっちり描いています。本作品のテーマはかつての『ダンボ』と同じく「異端者への迫害」でしょう。異形ゆえにフロローによって長い間ノートルダム大聖堂に閉じ込められ、たまに外に出たものの人々から恐れられ迫害されてしまうカジモド。そんなカジモドが幸せをつかむまでの物語となっています。僕はこういうテーマにめちゃくちゃ弱くて『ダンボ』でも何度も泣いたので、当然この『ノートルダムの鐘』でも大いに感動させられましたね。

 この作品のヒロインであるエスメラルダは、そのような「差別」や「迫害」に断固として抗議する優しくて正義感の強いヒロインであり、だからこそ魅力的なキャラになってるんですよね。また、フィーバスもカジモドとちょっと仲悪くなりながらも、一緒にエスメラルダ救出のためにカジモドと共闘するなど、あくまでもカジモドを「怪物」ではなく対等な「人間」として見ていることが伝わるキャラとなっています。

 このように、主人公を「怪物」として恐れ迫害するのではなく、対等な「人間」として接するエスメラルダやフィーバスのような正義感に溢れた人間も本作品にはたくさん登場します。そして、そういう人達の存在にも助けられながらも、「迫害されし者」だったカジモドは最終的に「自分の力で」活躍したことで、最後にはパリの人々からも迫害されずに認められるようになるんですよね。そのカジモドの活躍を見せるために、終盤の目を見張る怒涛の戦闘シーンが描かれてる面もあるんですよね。ちゃんと王道を踏まえた上手いストーリー展開になっています。なので感動する。


好きな人と結ばれなくても良い

 個人的に、『ノートルダムの鐘』が画期的な点はこの点だと思うんですよね。しばしば「恋愛物語」「ラブロマンス」を描くことが多いディズニー映画において、本作品は初めて主人公に決定的な失恋を味わわせた作品だと言えるでしょう。主人公カジモドはヒロインのエスメラルダに恋するんですが、このエスメラルダはカジモドではなくフィーバスを恋愛相手として選ぶんですよね。主人公が明確に失恋してる。この点で、本作品は今までの「好きな人と結ばれてハッピーエンド」なディズニー映画とは違う少しビターな展開になってると言えるでしょう。

 しかも、主人公は報われない恋だと分かっていながらも愛するエスメラルダのために終始奮闘するんですよねえ。この健気さが泣けます。途中で、フィーバスやガーゴイルたちと喧嘩して彼女を助けるのを拒んで拗ねるシーンもあるんですが、結局はエスメラルダ救出のために動くことを決意するんですよね。なかなかに魅力的な主人公だと思います。

  それにもかかわらず主人公は最後までエスメラルダとは結ばれないので、人によっては悲しい終わり方に見えるかもしれません。しかし、それでも本作品はあくまでも「ハッピーエンド」で終わってるんですよね。カジモドはエスメラルダとの恋こそ成就しませんでしたが、それでも終盤ではエスメラルダやフィーバスだけでなくパリ中の市民からも「英雄」として歓迎されることで、きっちりとカジモドにとっては「ハッピーエンド」となっている。今までノートルダム大聖堂の中に閉じこもり人々から「怪物」として恐れられていたカジモドがようやくみんなから「人間」として認められた、とても感動的な終わり方です。このエンディングは後述する演出の上手さも相まって本当に感動的なんですよねえ。失恋をするなど悲しいこともありながらもようやくカジモドが人並みの幸せを掴んだラストの展開には涙せずにはいられません。

 「好きな人と結ばれること」以外の「ハッピーエンド」のあり方をディズニーが意識的に描いた点で、本作品はかなり画期的だと思いますし、ディズニーのそのような新しい試みは十分に成功していると僕は感じました。ちゃんとカジモドに感情移入したうえで「あー、本当に良かったねえ。めでたしめでたし」って言いたくなるような幸せな終わり方に描けています。それまでのカジモドの健気な心優しい行動がきっちりと報われてるからこそ、「想い人と結ばれないビターエンド」でも決して「バッドエンド」にはなってない。かなり好きな終わり方ですねえ。


育ての父との決別

 本作品の悪役はカジモドの育ての父フロローです。実は、ディズニー映画では昔から「親子の対立」特に父子の確執を描いたことが何度かあったのですが*3、どの作品でも最終的に父子は和解しています。それに対して、『ノートルダムの鐘』ではカジモドの育ちの父であるフロローを明確に「悪役」として描いています。この点も新しいです。

 ただし、フロローはあくまでもカジモドの「実の父親」ではなくて「育ての父」なので、その点では従来の父子対立とも違うと言えます。それでも本作品は、それまで育ての父フロローの言いなりになっていたカジモドがエスメラルダとの出会いを通してフロローに明確に反抗するように至るまでの過程を描いた物語になっています。その点で「子の自立と反抗」も本作品のもう一つのテーマであると言うことができると思います。

 実際、この作品では至る所でカジモドがフロローの言いつけに従うべきかどうか悩み葛藤するシーンが描かれています。序盤の「祭りに出かけるか否か」で悩むシーンもそうですし、後半の「エスメラルダを助けに行くべきか否か」で悩むシーンもそうです。終盤、ノートルダム大聖堂に鎖でつながれた時もカジモドは悩み落ち込みます。しかし、いずれのシーンにおいても結局カジモドはフロローの命令に背くことを選んでるんですよね。このように、本作品では「カジモドを縛り付ける毒親」としてフロローを描くことで、そこからの子の自立を描いた作品になっています。特に、処刑寸前のエスメラルダを見てやる気を出したカジモドが鎖を引きちぎるクライマックスが僕は好きです。カジモドがフロローへの反抗を決めた最後の名シーンです。

 その後、カジモドがフロローに対して「外の世界は残酷だと言ったが本当に残酷なのはあんただ!」と啖呵を切ったシーンも印象的ですね。カジモドがフロローと決定的に決別したことを示す名シーンです。こういう「親の支配からの子供の自立」というテーマも僕は好きなので、かなり好感を持って見れましたねえ。

 最終的に、「本当の‟怪物”はカジモドではなくフロローだった」という結論に物語が落ち着いてるのも良いですね*4。人と怪物を分けるのは見た目ではなく心の在り方なんだという第二期黄金期らしいテーマを、カジモドとフロローの対決を通して良く描いてるんですよね。こういうテーマは『美女と野獣』にも通じるところがあり、本作品はその点でも第二期黄金期前半の流れを汲んだ作品だと言えると思います。


キャラクター

カジモド

 本作品の主人公です。「見た目は怪物だけど優しい心の持ち主」であるという、王道の「魅力的な主人公」として描写されています。この『ノートルダムの鐘』も基本的にはカジモドを中心的な主人公として描く物語であり、だからこそ視聴者は常にカジモドに感情移入しながら見られるようになります。上述の通り、この作品は、内気でフロローには面と向かって逆らえない性格だったカジモドがフロローと決別して反抗するまでの成長を描いた物語でもあるんですよね。

 それゆえに彼の性格は、非常に人間味溢れる描き方がされています。単に「優しい」というだけでなく、フロローに逆らえない「気弱さ」などの欠点も描いている。また、恋敵のフィーバスとちょっと喧嘩するなどお茶目な面も持ち合わせている。そういう魅力的な主人公として設定されてるんですよね。そんなカジモドが終盤の戦いでは文句なしの「英雄」としての活躍を見せるから格好良いんですよね。良い展開です。

エスメラルダ

 本作品のヒロインです。かなり正義感と慈悲の強いキャラクターとして描かれています。自分もジプシーとしてフロローに追われ迫害される身でありながら、自分以外の「迫害されし者」を思いやり彼らを救おうとする優しさを持っています。かなり強かで逞しいタイプのヒロインですね。フロローになかなか逆らえないカジモドと違い、登場時からフロローに面と向かって喧嘩を売るなど威勢の良いキャラとして描いています。こういうふうに、主人公とは対照的な部分もあるヒロインとして描かれてる点が良いんですよね。

 そんなエスメラルダに惚れたからこそカジモドは、やがてエスメラルダ同様にフロローに反抗するようになったんだと思います。カジモドの自立を促すキャラとして良く描けています。また、冒頭で述べたようにエスメラルダ自身はあくまでもカジモドを恋愛対象としていないところも良いんですよね。エスメラルダが祭りの際にカジモドを助けたのも決して恋愛対象だったからではなく、あくまでも彼女の「正義感」に基づくものだったんですよね。そういう「博愛主義的な聖人」としての魅力を持ち合わせたヒロインなんですよね、エスメラルダは。良いキャラだと思います。

フィーバス

 カジモドの恋敵であり、実は原作では「不誠実な男」だったんですけど、本作品ではエスメラルダと並ぶ「良心」として描かれています。ちょっと軟派なところもあるけど、あくまでもエスメラルダや市井の人々を救うために勇敢な行動をとるなど、エスメラルダ同様に正義感溢れる人物として描かれています。だからこそ、エスメラルダとフィーバスはお互いに惹かれ合う訳で、二人の間の恋愛の芽生えも自然な展開になっています。ちゃんとフィーバスとエスメラルダが恋に落ちる理由が描写されてるからこそ、カジモドの失恋も不自然な流れではなくなってるんですよね。丁寧に物語を作れていると感じます。

 また、カジモドと一緒にエスメラルダ救出に向かう道中でカジモドとちょっと喧嘩するなど、カジモドとの関係は「喧嘩しつつも最終的には仲の良い」微笑ましいものになっています。二人のこの微笑ましい関係性も僕は好きですね。

クロパン

 実は一部界隈にやたらファンの多いキャラクターです。二次創作系のファンアートなどでやたらクロパンが取り上げられているのを良く見る気がします。正直言うと、僕はクロパンにそういう方面での魅力を感じる気持ちにはあまり共感できないのですが、確かになかなかに魅力的で印象的な「狂言回し」キャラになっています。

 作品内の至る所で流れるクロパンの歌が良い味を出してるんですよねえ。その歌によるナレーションはものすごく臨場感をそそります。そのため、『ノートルダムの鐘』の何とも言えない良さを感じる「文学的風味」を演出する必要不可欠なキャラクターに仕上がってると思います。

ガーゴイル

 本作品のコメディ担当です。下手すると作品全体の雰囲気が暗すぎてしまいがちなこの作品において、その暗さを緩和し、第二期黄金期前半のディズニー作品らしい明るさを加味する役割を果たしているキャラクターだと思います。「このガーゴイルたちのせいで作品のシリアスな雰囲気が損なわれた」と不満に思う人も中にはいるようですが、僕はこのぐらいの「コメディ要員」を入れるのは全然ありだと思います。

 ガーゴイルたちは基本的にカジモドとしか話さないので、エスメラルダやフロローなど他のキャラもいる重要シーンでのシリアスな雰囲気はきっちり保たれてますしね。下手に作品が暗くなりすぎるのを防ぎ、適度に笑いと明るさをもたらしてくれる素晴らしいギャグキャラだと思います。本作品はこういう「シリアスの暗さとコメディの明るさ」のバランスの取り方がわりと上手いほうだと思います。ガーゴイル3体ともそれぞれに個性的なキャラ設定がなされてるので、しっかりと観客の印象にも残ります。

フロロー

 本作品の悪役です。「神の名の下に正義を実行する」系の悪役であり、今までのディズニー映画には見られないやや新しいタイプの悪役だと思います。良く言われるように、フロローは自身の行いをあくまでも正義だと思い、その考えの下でジプシーたちを汚らわしい悪魔だと思い迫害したんですよね。「あくまでも自分は清い存在だと思いこむ真っ黒な悪人」としての描写の仕方がとてもリアルで上手なんですよね。フロローはかなり魅力的なキャラに仕上がっています。だからこそ、今でもフロローをディズニー・ヴィランズの中でも特に好きなキャラとして挙げる人が多いんでしょう。実際、フロローはその人気ゆえか、わりとディズニーのテーマパークで見かけることの多い「ディズニー・ヴィランズ」の一人だと思います。

 そんなフロローの持ち歌"Hellfire"は、ジプシーを汚らわしい存在として嫌いながらも、なぜかそんなジプシーの女であるエスメラルダに心を奪われている自分の中の矛盾に葛藤する心情が描かれている名曲です。フロローの行動動機が良く分かる歌詞なんですよね。結局フロローは自分の歪んだ性的欲望を正当化するために、エスメラルダを悪魔認定して彼女を退治することこそが正義だと思いこもうとしたんだということが良く分かる名シーンです。本当に、独特で個性的な名悪役だと思います。


キリスト教要素

 この『ノートルダムの鐘』はキリスト教的な要素を隠すことなく全面に出した点でも新しい作品だと思います。ディズニー映画において昔のヨーロッパを舞台にした作品は数あれど、当時のヨーロッパ社会における重要な要素であるキリスト教を描いた作品は今までなかったんですよね。まあ、この作品はそもそもユーゴーの原作からしキリスト教要素が存分に描かれているので、ディズニー版でもキリスト教的な考えが存分に描かれるのは当然ではあるんですよね。

 オープニングで司祭がフロローの罪を糾弾し「ノートルダム大聖堂の聖人の目」をフロローが恐れるシーン、エスメラルダがノートルダム大聖堂で"God Help the Outcasts"を歌って神に祈るシーン、フロローが"Hellfire"を歌い神の前で罪を恐れるシーン……などなど、登場人物の多くがキリスト教的な価値観の下で様々な感情を抱いてることがうかがえるシーンが本作品にはたくさんあります。それらのシーンが、本作品の舞台である「15世紀後半のフランス」らしさを非常に強く実感させてくれるとともに、作品全体の重厚な雰囲気を強める効果も担ってるんですよね。

 こうやって、各々のキャラクターが抱える悩みを「信仰上の問題」と絡めて描いてるからこそ、演出も自然と宗教的なものになるんですよね。先述した、オープニングでフロローを見下ろす「ノートルダム大聖堂の聖像の目」の演出はその最たる例でしょう。"God Help the Outcasts"のミュージカルシーンでも似たような演出が使用されています。「動かない聖像やステンドグラスの宗教画」の前で怯えたり祈ったりする人々のアニメーションを描くことで、キリスト教信仰に生きる人々の様子をすごくエモい感じに描いています。素晴らしい演出だと思います。


映像技術のすごさ

 これらの演出を支えてるのが映像美でしょう。この『ノートルダムの鐘』はディズニー第二期黄金期前半の映像美の一つの頂点に達したと言っても過言ではないと思います。特に、この作品の中心的舞台であり中心キャラクターでもあるノートルダム大聖堂の映像はとにかく「圧倒的」としか言いようがないです。ノートルダム大聖堂の外観も内装もとにかく全てが異様なまでに迫力のある「存在感」を放っています。まずオープニングの時点で、パリの街並みの中で堂々と聳え立つノートルダム大聖堂の外観に圧倒されます。終盤の戦闘シーンで炎を吐き出すノートルダム大聖堂の外観も同じく「圧巻」です。そして、エンディングでは再びパリの街並みに聳え立つノートルダム大聖堂の映像が映し出されて圧倒されるんですよねえ。すごい好きな映像です。

 ノートルダム大聖堂の内部や個々の外壁等の映像も素晴らしいです。特に"Out There"の歌に合わせてカジモドがノートルダム大聖堂内のあちこちを巡る映像は何度でも繰り返し見たくなる美しさがあります。ガーゴイルの雨樋や光の差し込む美しい鐘など、とにかくエモい気分になります。そのノートルダム大聖堂から見えるパリの景色もまた美しいんですよね。

 その他にも、本作品は炎や光などの上手な映像演出なんかも至る所で見られ、「まさにディズニーの映像技術の結晶だ」という感想を抱きます。前作『ポカホンタス』では、見る人を選ぶ抽象アートっぽい絵柄が採用されていましたが、本作品では第二期黄金期前半の作品の絵柄を正統な方向で進化させた「CGを駆使したリアリティのある立体的かつ写実的なアニメーション映像」が採用されています。この点でも前作『ポカホンタス』の難点を克服してると思います。それゆえに、ものすごくエモい映像美を味わえる作品となっています。


音楽

 前作『ポカホンタス』に引き続き、今作『ノートルダムの鐘』でも毎度お馴染みアラン・メンケン氏が作曲を担当しています。それ故に、どの曲もかなり聴きごたえのある名曲になってると思います。特に、圧倒されるのはオープニングの"The Bells of Notre Dame"でしょう。先述した通り、豪華なオープニング映像と演出にふさわしい、厳かで聴きごたえのある音楽が流れます。本当に何度でも耳に残るような惚れ惚れとする曲です。この曲はエンディングでも再びrepriseされますが、その演出もまた感動的で圧倒されるんですよね。オープニングとエンディングで似た映像と音楽を使う演出は前々作『ライオン・キング』でも行われてましたが、この『ノートルダムの鐘』でもその演出はかなり上手く成功してたと思います。おかげでエンディングの感動をより一層高めてくれました。

 "Out There"はカジモドの外へ出たいという願いを歌った爽やかな曲想が印象的な曲です。この爽やかな曲想とともにノートルダム大聖堂の上からパリを見下ろすカジモドの映像は本当に爽快感あふれるシーンだと思います。この曲もめちゃく好きです。メロディがはっきりと耳に残る曲になってるのが良いんですよね。

 "Topsy Turvy"はカオスなパリの祭りをそのまま体現したかのような、カオスで愉快な曲になっています。『ふしぎの国のアリス』を彷彿とさせるカオスな祭りの様子は何度か見てると癖になります。曲もとても楽しげでコミカルな曲に仕上がってるんですよね。良曲だと思います。

 "God Help the Outcasts"はエンドロールでも流れるとても感動的な歌です。キリスト教的なテーマがかなり前面に出た歌詞であり、曲想も少し教会音楽っぽいです*5エスメラルダの「聖人」っぷりや慈悲の心が良く表れた良い曲だと思います。透き通るような歌声がかなり聴き心地良いんですよねえ。癒されるしエモい気分に浸れる名曲です。エンドロールでこの曲が流れるシーンではボーカルが消え、代わりにオーケストラの豪華な演奏が味わえます。こちらもとてもエモくて、エンドロールの余韻に浸れる良い音楽だと思います。

 "Heaven's Light" もかなりエモくて、ちょっとロマンティックな気分になれる曲です。エスメラルダに対するカジモドの恋心がうかがえる良い曲です。終盤で鐘の音がなるところも良いです。なお、この曲はカジモドの失恋シーンでもrepriseされていますが、こっちは失恋に沈むカジモドの悲哀が描かれており、同じ曲でもとても悲壮感にあふれる印象を与えます。ロマンティックにも聞こえるし、悲しくも聞こえる曲になってる点が上手いんですよね。良い曲です。

 その"Heaven's Light"から続けて流れるのがフロローのヴィラン・ソングである"Hellfire"でしょう。ここもキリスト教的な内容が大いに含まれた歌詞になっており、暖炉の炎のアニメーション映像の演出が上手いんですよね。燃え盛る暖炉の火が地獄の業火に見えてくる映像の魅せ方が素晴らしいです。音楽も、その映像に合わせた豪華で力強い曲になってるんですよね。この曲のサビは、オープニングで流れた"The Bells of Notre Dame"の冒頭のフレーズでも使われており、本作品のシリアスで暗く重い雰囲気を強めてくれる厳かなサビだと思います。とても聞きごたえのある名曲です。"Be prepared"などと並んでこの曲を歴代のディズニー・ヴィランズ・ソングの中で上位に選ぶ人が多いのも納得のクオリティです。聞いてるだけでフロローの罪の意識に引き込まれるマジの名曲です。

 "A Guy Like You"は本作の「明るさ要素」を担当する曲になっています。ちょっとモダンなフランス音楽っぽさを感じさせるイントロから始まるこの曲は、ガーゴイルたちのコミカルで現代的な演出も相まって、楽しげでちょっとロマンティックな曲に仕上がっています。メロディーもなかなかにキャッチーなものに仕上がってるので、何度か口ずさみたくなる良曲だと思います。

 "The Court of Miracle"はまたもクロパンによる曲で、カオスでちょっと恐ろしげな曲となっています。こういう髑髏とか縛り首みたいな中世ヨーロッパならではの「暗さを感じさせる小道具」が出てくる点にも本作品の特徴があると思います。リズムは楽しげでコミカルなんだけど、どこか緊張感を抱かせる曲想になっていて、その点が作品内のこのシーンの雰囲気にも合ってるんですよね。

 エンドロールのみで流れる"Someday"も聞きごたえのある声量が特徴的な素晴らしいバラードに仕上がっています。エンドロールの余韻に浸ることのできる名曲だと思います。こういう感動的でエモい曲をエンドロールに持っていく手法はディズニーでもすっかり定着し、素晴らしい名曲が毎回ちゃんと選ばれるようになりましたね。真剣に聞きほれてしまう好きな曲です。


「大人向け」路線の完成形

 ということで、本作品はここまで語ってきたように、ストーリーもテーマもキャラクターも映像も音楽も演出も全てが良く出来ていて完璧なんですよねえ。前作『ポカホンタス』で見られた欠点も今作品ではほぼ克服し、大人向け路線のディズニー映画としては完全に前作の上位互換に仕上がってると思います。興行的にはいまいちな結果に終わってしまいましたが、決して第二期黄金期前半の作品と比べても見劣りすることのない、かなりクオリティの高い作品だと思います。少なくとも僕はかなり大好きな作品ですね。







 以上で『ノートルダムの鐘』の感想を終えます。久しぶりの更新となってしまいましたが、しばらくはこんな感じで更新間隔がちょっと空くかもしれません。申し訳ありません。次回は『ヘラクレス』の感想記事を書く予定です。それではまた。

*1:ノートルダムの鐘』における伝統的なディズニー要素としては、前作『ポカホンタス』同様に「ミュージカル路線」と「有名タレントの採用」の二点が挙げられます。ミュージカル要素においては今作でもアラン・メンケン氏が作曲を担当しています。有名タレントの採用という点では、『ゴースト/ニューヨークの幻』などで主演を務めた有名な女優デミ・ムーアなどが声優を務めています。また、映像についても第二期黄金期前半の作品のような立体感のある絵柄に戻っており、前作『ポカホンタス』で見られた独特な絵柄は姿を消しています。

*2:それこそ終盤のフロローの死亡シーンではそういう演出をしていました。

*3:例えば『ピーター・パン』や『メリー・ポピンズ』はその典型例ですし、第二期黄金期だと『リトル・マーメイド』や『アラジン』でもそういう描写がありました。

*4:直接的にその結論を語らず、オープニングとエンディングでそれぞれ仄めかすようなナレーションをクロパンにさせてる点も上手い演出です。

*5:実際の教会音楽には詳しくないのであくまでもイメージですけど……。

【ディズニー映画感想企画第33弾】『ポカホンタス』感想~第二期黄金期後期の新たな挑戦~

 ディズニー映画感想企画第33弾です。今回は『ポカホンタス』の感想記事です。これ以降、また少し知名度の劣る作品が続きます。まあ、あくまでも第二期黄金期前半の作品群と比べると少しマイナーになるってだけで、『ポカホンタス』も十分に有名なほうの作品だとは思いますが……。
 そんな『ポカホンタス』について語っていきたいと思います。

 f:id:president_tener:20190926143729p:plain f:id:president_tener:20190926143754j:plain


【基本情報】

ディズニー初の歴史映画

 『ポカホンタス』は1995年に33作目のディズニー長編アニメーション映画として公開されました。原作は「史実」です。そう、史実が原作なんです。今までのディズニー長編アニメーション映画と言えば、小説や童話などを原作とするものかオリジナル作品かのいずれかであり、どちらにせよ完全なるフィクションでした。例外として、1973年公開の『ロビン・フッド』は史実も少し混じった話でしたが*1、あくまでも主人公ロビン・フッドやその仲間たちは伝説上の架空の人物です。『ロビン・フッド』伝説自体は史実ではなく、架空の伝説に過ぎません。

 それに対して、本作の主人公ポカホンタスは実際に歴史上存在した人物です。もう一人の主人公ジョン・スミスも史実の人物です。このように史実の人物を主人公とし、実際の歴史上の出来事を描いたアニメーションをディズニーが作ったのは初めてのことです。つまり、本作品はディズニー初の「歴史映画」なのです。その点で、この『ポカホンタス』は今までに例を見ない異色作となっています。

 とは言え、そこは原作改変が伝統芸のディズニーなので、本作品でも原作改変ならぬ史実改変は多く見られます。この点で本作品を批判する人もいますが、個人的には時代劇や歴史小説の細かな時代考証になんかいちいち拘る必要はないと思ってるので、この程度の史実改変は気にならないです。エンタメとして面白ければ時代考証なんて多少雑でも良いんですよ、別に。実際、考証がおかしくてもヒットした面白い時代劇の例なんて世の中にたくさんありますしね。

 この映画『ポカホンタス』は、アメリカの植民地時代初期の歴史における有名な逸話をモチーフにしています。それが、本作品のクライマックスにもなっている「先住民に捕まり処刑されそうになる白人入植者ジョン・スミスを、先住民のポカホンタスが救った」というエピソードです。ただし、そもそもこのエピソードについては本当に史実だったのかを疑問視する声も一部であがっているらしく、ちょっと僕にはその論争の正否を判断できません。まあ、史実かどうかの論争は専門の歴史学者に任せて、ここでその詳細に立ち入ることはしませんが、とにもかくにもこのエピソードはアメリカ人ならほぼ誰でも知ってるような有名な逸話なんですよね。アメリカの歴史教科書とかに載ってることもあるぐらいです。

 そういう有名なアメリカ史の逸話をディズニーはアニメ化したのです。この点からも、ディズニーの新しい挑戦がうかがえると思います。


新しい挑戦

 初の歴史映画という点以外にも、『ポカホンタス』はそれまでの第二期黄金期前半のディズニー映画とは少し違う新しい試みが多く見られます。何といっても特に大きいのが、作風の大幅な変更でしょう。今までの「子供も大人も楽しめる」「ハッピーエンドな王道エンターテインメント」としてのディズニー映画とはちょっと変わって、本作品は「少し大人向け」で「ビターエンドな社会派歴史映画」になっています。こういうちょっと大人向けのシリアスなビターエンドを特徴とする点では、かつての『きつねと猟犬』に近い部分があります。

 このようなちょっと大人向けな作風への変更は次作『ノートルダムの鐘』でも見受けられます。この頃のディズニーが新しい路線を模索していた証だと言えるでしょう。そのため、「ディズニー映画なんて毒気のないハッピーエンドしかない子供向けでしょ」と言ってディズニーを馬鹿にしたがる硬派気取りのオタクに対して、しばしばディズニーオタクが「いや、ディズニー映画にも大人の鑑賞に耐えうる深いテーマを扱った作品はあるんだ(キリッ」と反論する際にこの『ポカホンタス』が例に挙げられることは多いです。*2

 また、絵柄もだいぶ変わっています。今までの第二期黄金期前半のディズニー作品に見られた立体的でリアリティのある絵ではなくて、少し平面的でリアリティに欠ける絵柄になっているんですよね。色使いも独特で、どことなく抽象的なモダンアートっぽさがあります。この点で『眠れる森の美女』の絵柄に少し近いかも知れません。

 このように、本作品は今までとは異なる新しい挑戦が数多く試みられています。この頃からディズニーは従来の「典型的なディズニー映画」のイメージからの脱却を図り、「ちょっとディズニーらしくない」作品を公開し続けるようになります。第二期黄金期後期のディズニーの路線を大きく変える転換点となった作品がこの『ポカホンタス』なのです。


伝統との折衷

 とは言え、『ポカホンタス』ではそれまでのディズニー映画の伝統を踏襲してる部分もあります。完全に新しい作品となった訳ではありません。特に、重要な伝統は「ミュージカル映画路線」の維持でしょう。それまでのディズニーの成功を支えて来たこの伝統的な路線を変えることまではできず、ディズニーは本作品でもミュージカル要素を大いに取り入れました。

 音楽担当には、再びアラン・メンケン氏が選ばれました。『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン』の名曲たちを作り続けたディズニー御用達の作曲家です。この映画『ポカホンタス』でもアラン・メンケン氏の活躍により、数々の素晴らしいミュージカル・ソングが作られました。

 また、本作でも前作『ライオン・キング』や前々作『アラジン』などと同様に有名芸能人の声優起用が再び行われました。ジョン・スミスの声を務めたメル・ギブソン氏がその例です。『マッドマックス』シリーズの主演を務めたことなどで知られる、言わずと知れた超有名俳優ですね。そんなメル・ギブソン氏をディズニーは声優に採用したのです。

 このような「ビッグネームの採用」もそれまでの第二期黄金期のディズニーの流れに沿ったものです。このように、本作『ポカホンタス』は単に新しい挑戦的な作風を取り入れただけでなく、従来のディズニーの伝統もしっかり維持した作品となったのです。まさに「新しい試みと伝統の折衷」と言えるでしょう。


繁栄の陰りと新興勢力の台頭

 ディズニー第二期黄金期の立役者であるジェフリー・カッツェンバーグ氏は、この『ポカホンタス』がアカデミー作品賞にノミネートされる歴史的な大ヒット作品になることを夢見てました。新しい「大人向け」の作風が流行ることを期待していたのです。しかし、残念なことに『ポカホンタス』の興行収入は前作『ライオン・キング』のそれを下回る結果となってしまいました。これまで右肩上がりだったディズニーの興行収入は、この『ポカホンタス』を境にして逆に右肩下がりとなってしまうのです。次作『ノートルダムの鐘』や次々作『ヘラクレス』でも興行収入は下がり続けています。

 時期的にはまだ「第二期黄金期」ではありますが、この第二期黄金期後半からのウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ(以下、WDASと略します)は実際には衰退し始めていたと言うことができます。しかも、この頃になるとWDAS以外の新興アニメーション・スタジオが台頭してくるようになり、それまでのWDAS一強状態を脅かし始めたのです。

 その一つがピクサー・アニメーション・スタジオ(以下、ピクサーと略します)です。『ポカホンタス』公開と同年の1995年にピクサーは世界初のフルCGの長編アニメーション映画『トイ・ストーリー』を、ディズニー協力の下で公開しました。この『トイ・ストーリー』はかなりの大ヒット作品となり、これ以後ピクサーは『バグズ・ライフ』や『トイ・ストーリー2』などのヒット作を立て続けに公開し、興行収入が右肩下がりのWDASとは対照的に右肩上がりの成長を遂げました。その結果、2000年以降の暗黒期に入ると、ウォルト・ディズニー・カンパニーの業績は本家筋とも言えるWDASの作品ではなくピクサー作品の収入に支えられてると言われるような状態になってしまいました。そのような状態に繋がるピクサーの台頭がすでにこの頃から起きていたのです。

 もう一つの新興勢力はドリームワークス・アニメーションSKG(以下、ドリームワークスと略します)です。『ポカホンタス』公開の前年の1994年に設立されたこの新しいアニメーションスタジオは、超有名な映画監督であるスティーヴン・スピルバーグ氏、有名なレコード会社経営者のデヴィッド・ゲフィン氏、そして‟元ディズニー幹部”のジェフリー・カッツェンバーグ氏の三人によって立ち上げられました。そう、「元ディズニー幹部」のジェフリー・カッツェンバーグ氏も加わってるのです。これまでの記事で述べて来た通り、彼はウォルト・ディズニー・カンパニーに入社して以来、ディズニー第二期黄金期復活の立役者の一人として多大な功績を残してきました。

 しかし、当時のディズニーのCEOで彼と同じく第二期黄金期の立役者でもあったマイケル・アイズナー氏と次第に対立するようになり、とうとう1994年に彼はディズニーを退社してしまったのです。こうしてディズニーを退社した彼が、スピルバーグ氏らと共同して立ち上げたのがドリームワークスだったのです。かつて、暗黒期の最中にディズニーの経営方針に反発して退社したドン・ブルース氏も、スピルバーグ氏と協力してディズニーのライバルとなるアニメーション映画を公開してきました。それと同じようなことが再び起こったのです。かつてのディズニー繁栄の立役者だったカッツェンバーグ氏は、今やディズニーのライバルであるドリームワークスの指導者としてディズニーの覇権に挑み始めたのです。*3

 このように、『ポカホンタス』公開以降、本家ディズニーのアニメーション・スタジオが衰退し始める一方で、ピクサーやドリームワークスのような新興アニメーション・スタジオが台頭していたのです。ディズニーだけが天下をとっていた時代は徐々に終わりへと向かっていったのでした。


人種差別論争

 本作品は「人種差別論争」をアメリカで巻き起こしたことでも知られています。実在のインディアンと白人の恋愛を描いた『ポカホンタス』は、一部のインディアン団体などから「インディアンに対する人種差別を助長する作品だ」という批判を受けてしまいました。ただ、これまでのいくつかのディズニー作品に寄せられて来た「人種差別的だとの批判」と同様に、本作品に対する批判も僕に言わせればはっきり言って「言いがかり」「難癖」に近いと思っています。昔から、ディズニーはこういう「行き過ぎたポリコレ」の攻撃対象にされてきましたが、特に『ポカホンタス』に対するポリコレ的観点からの批判のおかしさは余りにもひどすぎます。こんな批判をいちいち真に受けてディズニーへのバッシングを繰り返すような人たちの考えにこそ僕は強く抗議したいです。

 『ポカホンタス』を見てもこの作品がインディアンへの差別意識を助長してるとは僕には全く思えません。アメリカの保守派に近い考えの僕からすると、むしろ本作品はポリコレにかなり配慮して「現代リベラル」(ソーシャル・リベラル)的な価値観が少し強く出すぎていると思えるぐらいです。それにも関わらず、本作品を「まだまだ十分にポリティカルにコレクトではない」と批判する声にははっきり言って全く賛同できないです。僕は彼らの考えに真っ向から反論したいと思っています。個別具体的な論点ごとの反論は後の「個人的感想」の項目でも詳述しますが、とにかく僕はこの手の雑なディズニー叩きには真っ向から反対します。





【個人的感想】

総論

 上で述べた通り、『ポカホンタス』は少し大人向けのテーマを扱った歴史映画であり、その試みはかなり成功していると思います。どうも自分は政治思想がいささか保守的な人間なので、テーマの一部の描き方には賛同しかねる部分もあるのですが、「異なる民族同士の対立と和解」という非常に扱いにくいテーマを上手に絶妙なバランスでちゃんと描けてる良作だと思います。ちょっと中盤までストーリーがダレてる気もしなくはないですが、後半からはきちんと盛り上がりのある展開が用意されてますし十分に面白いです。

社会派テーマの上手な描き方

 本作品のテーマはディズニーには珍しくかなり社会派です。「民族対立」という現代の政治においてもしばしば問題になるようなテーマを扱っています。こういう政治的なテーマをアニメできちんと上手に描くのってかなり難しくて、下手すると戯画化されすぎて単純化された雑な政治観や歴史観を露呈するだけになりかねないんですけど(そういう作品はこの世にごまんとあります)、『ポカホンタス』はそういう失敗もあまりなくかなり上手く描けてるほうだと思いますね。

 白人とインディアンという二つの民族が対立に至るまでの過程の描き方が上手いんですよね。さすがに1995年の作品なので、いわゆるポリコレ的な風潮に配慮せざるを得なかったのか、白人のほうをインディアンよりも「悪い」存在として一応描いてはいます。しかしそれでも本作品は決して白人を「純粋悪」として描いてないところが素晴らしいんですよね。主人公の一人ジョン・スミスが善玉なのはもちろんのこと、トーマスやロンやベンなど他の白人入植者も完全な悪人としては描かれていません。仲間のジョン・スミスを思いやる気の良い親友として描かれています。唯一「完全な悪役」扱いなのはラトクリフ総督だけでしょう。

 とは言え、もちろん白人たちを一切非のない存在として描いてるわけでもありません。「根っからの悪人ではない」白人たちは、前半のシーンで偵察してるインディアンの存在に気付いた瞬間すぐに自分たちの方から先にインディアンへ攻撃を仕掛けてるんですよね。あくまでも対立の最初のきっかけは白人サイドにあるように描かれている。このバランス加減は絶妙だと思いますね。だからこそ、繰り広げられるドラマにそれなりのリアリティが生じている。上手いです。

 それでも、対立が決定的になったココアムの死はあくまでもスミスを守ろうとしたトーマスの正当防衛に近いものでしたし、その後のインディアン襲撃も捕まった仲間のジョン・スミス救出のためでした。だからこそ、インディアンたちがジョン・スミスを解放して武器を下ろした時、ラトクリフ総督以外の白人は攻撃をやめたんですよね。このように、白人側も全員を完全な悪人として描いていないどころか、わりと「善玉」の人間として描いてる点が本作品の素晴らしい点だと思います。

 まあ、この点を批判して「白人が一方的な加害者として描かれていなきゃ嫌だ」みたいな批判を言う人もたまに見られますが、僕はその批判には全く賛同できません。そういう考えはインディアン側を擁護しすぎる余り逆に白人への逆差別を助長する考えだと思います。僕には到底受け入れられません。現実問題として、白人入植者たちも根っからの悪者ばかりではなかったでしょうし、だからこそこの手の「民族対立」ってのは難しい問題なのです。そこから目を背けて、白人全員を純度100%の悪役にしてしまうほうが、こういうテーマを描くうえでは良くないと思います。安易な「白人悪玉論」は害悪ですし、映画『ポカホンタス』はそういう描き方をしなかった点で高く評価するに値すると思っています。


インディアン側の描写

 本作品が人種差別的だと批判する人の論拠の一つがこれです。しかし、僕はこのような批判には明確に反対します。本作品におけるインディアンの描写は全くもって人種差別的ではないです。過度なポリコレを押し付ける人たちによる言いがかりに近い批判だと思います。彼らの言い分によると、まず、本作品におけるポウハタン族の習俗の描き方が実際のポウハタン族のそれとは異なっていることが問題の一点だそうです。まあ、僕も専門家ではないのでアメリカのインディアンの各部族の服装や住居などの文化の詳細は知りませんし、その点でディズニーがどこまで正確に当時のポウハタン族の人々を描けているのかは判断できません。

 しかし、考証が雑であることを「人種差別」に結び付けるのはおかしいでしょう。別に、ディズニーの考察が適当なのは非白人のインディアンに限ったことではなく、ヨーロッパを舞台にしたプリンセスものの作品とかでも同様でしょう。『美女と野獣』でのフランスの描写だって、まともなフランス史の専門家から見ればおかしなところはあります。決して、非白人の文化圏だけを特別に雑に扱ってるわけでありません。そもそも歴史もののフィクションにおいて考証が不十分であることを問題視するのは一部の狭量な歴史オタクだけであり、大多数の人はそんなことと作品のクオリティとを関連付けません。一つの物語として面白いものに仕上がってさえいるのならば、多少の学術的な考証の不十分さなんて大したことないです。

 例えば日本でも考証が雑な時代劇なんてたくさんありますが、それを見て「日本人差別だ!」と考える人はいないでしょう。確かに、ディズニーはしばしば時代考証を雑に済ませることはありますが、それは学術的な正確性なんかよりもクリエイターにとってははるかに重要な要素である「物語自体の質の高さ」を優先したからにすぎません。学術的な正確性なんてのは、専門家の書く学術書や論文に対して求めるべきものであって、エンタメ映画などに対して求めるものではないでしょう。そして、そのことと人種差別を関連付けるのも不適当な考えです。


英語問題

 また、本作品でインディアンが英語を話す点を「人種差別的だ」として問題視する人もたまに見られます。しかし、これも的外れな難癖でしょう。そんなのはただの演出上の表現にすぎず、実際のインディアンたちは英語ではなくちゃんと彼らの独自の言語を使ってることは作品から読み取れます。だから、最初会った時にジョン・スミスとポカホンタスは言葉が通じなかったんでしょう。

 別に、本作品に限らず『アラジン』でも登場人物はアラビア語ではなく英語を喋ってますし、『美女と野獣』でも登場人物たちはフランス語ではなく英語を喋ってます。アメリカで制作されてる映画なんですからそんなのは当然のことで、いちいちアラビア語やフランス語を声優に話させて英語字幕でもつけろって言う方が無茶でしょう。だからと言って、ディズニーがアラブ人やフランス人を差別しているという理屈にはならないはずです。例えば、海外が舞台となっている日本の漫画は多数ありますが、それでもセリフは面倒なので日本語で表記していることは普通にあります。それを「差別だ」と糾弾するのはおかしな話です。

 『ポカホンタス』で主人公やパウアタン酋長やナコマなどが英語を話してるのもそれと同じことで、差別でもなんでもありません。こういう難癖に近い言いがかりが、『ポカホンタス』に対してはポリコレの名の下でたくさん言われているんですよねえ。嘆かわしいことです。

 なお、本作品では、それまで言葉の通じていなかったポカホンタスとジョン・スミスが急に英語でお互いに意思疎通できるようになるシーンがあります。良く見れば、前後の文脈などから、柳のおばあさんの言っていた「心の声を聴く」というファンタジー現象で意思疎通ができるようになったのだと分かる展開にはなってるのですが、初見だと分かりにくいのか「急にポカホンタスが英語ペラペラになりやがった」って誤解して違和感を抱く人が出てきてもおかしくないです。その点が上述の批判にも繋がってるのかなあと思わなくもないです。もっとジョン・スミスとポカホンタスに言葉が通じたことを驚かせるセリフでも言わせるなりして、ディズニーあるあるな「ファンタジー現象」なんだということを理解しやすい展開にしても良かった気がします。そうすれば、ポリコレ勢の言いがかりに近い批判もひょっとしたら幾分弱まったかも知れません。あくまでも個人的な勝手な想像に過ぎませんけどね。


異民族との和解

 本作品は、民族対立を描いた上で最終的にその和解を説いてるんですよね。終盤で、ジョン・スミスの処刑を止めたポカホンタスのセリフは、そのメッセージを全面に押し出すものでした。まあ、ちょっと厳しいことを言うと、ここまで拗れてしまった関係性が彼女の演説一つで収まっちゃうのはご都合主義が過ぎるかなとも思わなくもないです……。とは言え、これぐらいのご都合主義のハッピーエンドならば僕は全然気にならないですしノープロブレムです。普通に好きな終わり方です。そもそも、このシーンは元々のポカホンタスの逸話の一番有名なところなので変えようがないでしょうしね笑

 パウアタン酋長がポカホンタスの説得に応じてジョン・スミスを解放するシーンはやっぱり何度見てもそれなりに感動しますね。それまでの「一触即発」な緊張状態が緩和されたことでほっとする展開になっています。そしてそのままエンディングで、傷ついたジョン・スミスを見舞いにポウハタン族一同がトウモロコシを持ってやって来るシーンに繋がるんですよね。両者の和解がエンディングでも描写されています。

 こういう美しいハッピーエンドの要素もきっちりエンディングに入れる点は、今までのディズニー映画らしい点だと思います。『ポカホンタス』はディズニーの中ではやや異色作ではありますが、ちゃんとこうして感動的なハッピーエンドも用意しています。決してバッドエンドではない。ちゃんと「インディアンと白人の和解」という王道ハッピーエンドで締める点は良かったと思います。


スピリチュアルの素朴な称賛

 こういう作品だから仕方ないのかもしれませんけど、本作品は西洋文明に対するアンチテーゼとしてインディアンの宗教や思想を少し素朴に持ち上げてるところがあって、そこが個人的にはあまり賛同できなかったです。特に、それが顕著なのは"Colors of the Wind"の歌詞でしょう。ポカホンタスたちインディアンを「野蛮人」(Savages)と呼ぶジョン・スミスに対するポカホンタスの反論として歌われていますが、インディアンたちの多神教的な自然崇拝っぽいスピリチュアルな宗教観を無邪気に褒めたたえる内容になっていて、そこが自分にはいまいち合わないんですよね。

 まあ最近はジョン・スミスが唱えてるような「未開なインディアンに西洋文明の光を授ける」みたいな啓蒙主義思想は評判が悪いので*4、これをポカホンタスに否定させる展開になるのは仕方ないかなと思って諦められますが、そこで反論としてインディアンの文化を無邪気に称揚するのは違うんじゃないんですか?と思ってしまいます。

 それって、単なる逆転現象しかもたらしてないし、インディアンのそういう多神教的な価値観が必ずしも優れてるとも思えないんですよね。その手の多神教優位論って、西洋文明に対するアンチテーゼとして生まれた多神教文化圏の狭量なナショナリズムだとしか思えないので、ちっとも賛同できないんですよね。なので、その点で"Colors of the Wind"の歌詞は僕にはイマイチでした。


独特で味のある映像

 とは言え、そういうスピリチュアルな要素を出すための映像演出自体は良かったです。風の色を葉っぱで表現するなど、この映画独特の芸術的な映像表現は面白いと思いましたね。先述の通り、本作の絵柄は今までの第二期黄金期のディズニー映画と比べるとかなり独特なんですよね。色使いも妙に鮮明だし、そのうえ全体的に平面的な人間の絵なんですよね。『眠れる森の美女』の絵柄を彷彿させます。これを良いと思うかどうかは人それぞれでしょうが、僕は味のある絵だと思うのでわりと好きですね。

 葉っぱで表現する風の絵とコンパスの映像は特に好きですね。少々リアリティに欠ける抽象絵画的な人物の描き方も嫌いではないです。好き。


音楽

 本作品もアラン・メンケン氏作曲の多数のミュージカル曲が入っています。以下、各曲についての感想です。

The Virginia Company

 オープニングソングです。めっちゃ好きです。イントロのドラムからしてもう期待を大きく膨らませてくれる音だと思います。歌詞も、新大陸に夢をみた大航海時代のイギリス人の気持ちがうかがえ、とてもワクワクさせてくれます。こういう行進曲っぽさのある曲が僕は大好きなんですよねえ。

Steady as the Beating Drum

 イギリス人サイドの曲"Virginia Company"のrepriseから、先住民サイドの曲"Steady as the Beating Drum"に繋がる演出が素晴らしいですね。繋ぎのドラムがかなり良い感じのリズムを刻んでいて大好きです。"Virginia Company"とはちょっと違い、インディアンっぽい少し独特な音楽になってるのが素晴らしいですね。耳に残る素晴らしいオープニングソングだと思います。期待させてくる音楽になってる。

Just Around the Riverbend

 この映画の曲の中では一番好きですね。映像も合わせてめっちゃ素晴らしいです。ポカホンタスがカヌーに乗って川下りをする激しいアクションの映像はとても楽しいです。ポカホンタス自身の歌声も心地良いです。全体的に楽しくて爽やかな雰囲気の曲想だと思います。一時期何度も繰り返し聞いてたぐらいには好きな曲ですね。

Listen with Your Heart

 神秘的な雰囲気のする曲です。作品内で二回流れますが、どっちも何となくミステリアスで神秘的でスピリチュアルって感じの曲です。良いです。

Mine Mine Mine

 この曲もこの映画の中で一番好きな曲の一つです。ヴィラン・ソングとヒーロー・ソングがくっ付いてる曲って地味にディズニー映画ではこれだけな気がします。悪役ラトクリフ総督の溢れ出る俗物っぷりと、主人公ジョン・スミスの溢れ出る冒険家っぽさが対比的に描かれた良曲だと思います。

 そして、単純に音楽が豪華で好き。楽器の編成がすごく豪華に感じるんですよね。一緒に流れてる映像も豪華なんですよ。「土を掘るだけ」という、色だけみると地味になりがちな映像をとても豪華に表現しています。特にラスサビの壮大さは本当に興奮します。ラトクリフの周りをたくさんの土が舞うアニメーション映像と、音楽の盛り上がりが見事に合っています。何度でも繰り返し見たくなる映像です。

Colors of the Wind

 先述の通り、歌詞はそんなに好きじゃないのですが音楽自体は文句のつけようのない名曲です。サビの盛り上がりが感動的だと思います。それまでの第二期黄金期前半のメインソングに比べても遜色ない主題歌だと思います。美しくて快いメロディです。映像の演出も良く出来てて、特に風の色でポカホンタスの絵を描くアニメーション映像は本当に「上手く表現したなあ」と感心させられる絵になっています。なんだかんだで好きな曲です。

Savages

 白人入植者とインディアンという二つの民族が対立に至る過程をうまく表現した名曲です。集団心理の暴走を描いた点では、『美女と野獣』の"The Mob Song"を彷彿とさせる良曲です。インディアンと白人がお互いに憎しみに染まる過程を緊張感たっぷりに表現できてると思います。ドラムとブラスの音が特に緊張感を煽ってくれますねえ。

 アニメーション映像も本当に素晴らしくて、特に後半の赤色の使い方が僕は大好きですね。日の出の赤が良い感じに視聴者をハラハラさせてくれます。それに合わせて走るポカホンタスの映像の興奮も相まって、「盛り上がるクライマックス」って感じの名シーンに仕上がってると思います。

 なお、この曲の歌詞が差別的だから良くないと批判する声も一部にありますが、この批判もまた余りにも的外れすぎる批判だと思います。だってこのインディアン差別的な歌詞を歌っているのって悪役のラトクリフですからね。「悪役の歌詞が差別的で悪い内容」なのはある意味当たり前のことで、だから「悪役」なんでしょう。つまり"Savages"の差別的な歌詞は、最終的に作品内でも否定すべき「悪玉」的内容として扱われてるってことです。この差別的な歌詞が仮に善玉のセリフとして言われて作品内で最後まで肯定されたままだったら、「この映画は差別という悪行を助長してる」と言われても仕方ないですが、悪役のセリフに対して文句を言うのは筋違いでしょう。

 『白雪姫』で悪役の行動を見て「嫉妬が原因で殺人することを推奨してる」なんて文句言う人はいないでしょう。それなのに、『ポカホンタス』での悪役ラトクリフのセリフに対してはそれと似たような文句を言う人が出てきちゃうんですよね。こういうおかしな批判が蔓延ってるから、アメリカの少なくない人たちが「ポリコレ疲れ」を訴えることになるんだよと思わずにはいられませんね。まあとにかく的外れな言いがかりに近い批判でしょう。僕は全く賛同できないです。

If I Never Knew You

 本当はインディアンに捕まったジョン・スミスにポカホンタスが面会するシーンで歌われる予定だったのですがカットされ、エンドロールだけで流れることになった名曲です*5。エンドロールのエモさを感じさせる名曲だと思います。すごく良い感じの余韻に浸れます。こういう感動的なタイプのバラードは大好きなんですよねえ。


離れ離れのビターエンド

 本作品はポカホンタスとジョン・スミスが結局離れ離れになるというビターエンドが採用されました。ポカホンタスは、傷の療養のためにイングランドに帰らなきゃいけないジョン・スミスについて行くことを選ばずに、ポウハタン族の集落に残ることを決意します。離れ離れになってもポカホンタスとジョン・スミスの二人は愛し合ってるということを表現した終わりになっており、なかなかに感動的なビターエンドだと思います。この点では『きつねと猟犬』を彷彿とさせます。

 ただ、『きつねと猟犬』と違って、ポカホンタスがジョン・スミスについて行く選択をしなかった理由が、正直言って僕にはあんまり良く分からなかったです。もちろん家族や村を離れるのも嫌だったという理由ぐらいは分かるのですが、「ポウハタン族」と「ジョン・スミス」を天秤にかけたうえで前者に傾いた決定的な要因が描かれていないので良く分からないんですよね。もちろん、その辺りをわざとボカして描くことで、観客に色々と答えを想像させる効果も狙ったのかもしれませんが、正直その必要性はあんまり感じないです。そういう「ミステリアス」さを楽しむようなタイプの作品でもないですし……。

 正直言って、『きつねと猟犬』のようなビターエンドにすれば「大人向け」で渋い雰囲気出るかなと安易に考えた結果、大した理由も用意せずにポカホンタスとジョン・スミスを引き離す展開にしただけに見えなくもないです。ビターエンドで渋い味を出そうという意欲自体は悪くないので、そこに至る理由をもう少しちゃんと掘り下げて納得しやすい終わり方にして欲しかったです。本作品の描き方だとちょっと無理やりなビターエンドに見えてしまいます。


少し盛り上がりには欠ける?

 本作品の難点をもう一つ挙げるならば、ぶっちゃけ盛り上がりに少し欠ける点でしょうか。テーマがテーマだから仕方ないと思うんですが、本作品はそれまでの第二期黄金期の作品と違い盛り上がるアクションシーンがほぼ皆無なんですよね。ココアムが死んでから"Savages"の歌に入るまでの展開はかなり盛り上がるのですが、そこでも直接的な戦闘は結局起こらずに物語が終わるので、今までの作品のようなバトル満載のアクションシーンは本作品にはないです。せいぜい前半で白人とインディアンがちょっと銃撃戦を繰り広げるぐらいです。そこが物足りないと言えば物足りないかも知れません。

 特に、前半は画面の動きが静的な展開が続くので、ちょっとココアムの死のシーンまではいまいち盛り上がらずに淡々としすぎてる印象があります。ポカホンタスとジョン・スミスが何度も逢瀬を重ねる中盤の展開はワンパターンで人によっては眠くなるかもしれません。

 その退屈さを紛らわせるためのコメディ要素なのか、本作品ではアライグマのミーコと犬のパーシーの追いかけっこシーンが頻繁に出てきます。ここはまあまあ笑えなくもないのですが、ストーリーの本筋とはあまり関係ない上ちょっと冗長なので要らないかなあと思わなくもないです。『トムとジェリー』風のワンパターンな追いかけっこばかりで途中で飽きてきます。


ちょっと惜しいけど良作

 以上、ざっと『ポカホンタス』の感想を述べましたが、最初に述べた通り概ね良作だと思います。大人向けにしたいと思って入れた社会派テーマはかなり上手く扱えてます。「異なる民族同士の対立と融和」というテーマに沿って非常に感動的な物語が作れてると思います。

 しかし、その一方でいくらか欠点もあるんですよね。上で述べた通り、ビターエンドの無理やりさや中盤までの盛り上がらないダレた展開など、微妙な点もこの作品では結構目立ちます。そういう意味で非常に「惜しい作品」になってると思います。本作品が第二期黄金期前半の作品ほどの大ヒットとならなかったのも納得できます。絵柄も、『眠れる森の美女』同様にわりと人を選ぶタイプですしね……(僕はこういう絵も好きですが)。

 しかし、それでも本作品は初めて史実を原作として社会派なテーマを盛り込むなど、当時のディズニーにとって色々と新しい試みが見られた意欲作であり、その挑戦の心は僕も高く評価します。そして、その社会派テーマの描き方など新しい試みのいくつかは実際に成功してると思います。ココアムが死んでからの盛り上がりは普通に面白いですし、そこからのラストに至るまでの展開もそれなりに感動します。そういう意味で、「惜しい箇所」はありますけどもそれでも良作には違いないと感じます。







 以上で、『ポカホンタス』の感想記事を終わりにします。次回は『ノートルダムの鐘』の感想記事を書く予定です。それではまた。

*1:具体的に言うと、リチャード1世獅子心王やプリンス・ジョンなどのキャラクターが史実の人物でした。

*2:『きつねと猟犬』や『ノートルダムの鐘』を例に挙げる人もいます。

*3:ドリームワークスは後に『シュレック』シリーズを制作していますが、この作品には明らかにディズニーへの対抗意識が見受けられます。その背景には恐らくカッツェンバーグ氏のディズニーへの複雑な感情があるのでしょう。

*4:でも僕個人はこの思想も100%間違ってる思想だとは思っていないんですけどね。「西洋文明」の指す内容次第では現在でも一理ある考えだとは思っています。

*5:終盤のクライマックスでもBGMとして流れています。

【ディズニー映画感想企画第32弾】『ライオン・キング』感想~最も売れたセル・アニメーション映画~

 ディズニー映画感想企画第32弾は『ライオン・キング』の感想記事を書こうと思います。これもつい最近になって超実写映画が公開されたばかりなので人々の記憶に新しいんじゃないでしょうか。まあ、それ以前からも元々かなり有名な映画でしたけどね。
 そんな『ライオン・キング』について語っていきたいと思います。

 f:id:president_tener:20190924165816j:plain f:id:president_tener:20190924165840j:plain

【基本情報】

多数の有名人の採用

 『ライオン・キング』は32作目のディズニー長編アニメーション映画として1994年に公開されました。原作は存在せず、ディズニーにとっては久しぶりの完全オリジナル作品となります*1。この点で、『ライオン・キング』は今までの第二期黄金期の作品とは少し雰囲気の違う異色作です。*2

 『ライオン・キング』が個性的な点はもう一つあります。本作品でもそれまでのディズニー映画の伝統にのっとってミュージカル要素が取り入れられたのですが、今まで第二期黄金期のディズニー御用達の作曲家として活躍してたアラン・メンケン氏はこの作品の音楽を担当していません。この作品の音楽担当にはアラン・メンケン氏ではなく、ハンス・ジマー氏とエルトン・ジョン氏が選ばれました。ただし、作詞は前作『アラジン』と同じくティム・ライス氏が担当しています。

 ハンス・ジマー氏は、映画オタクなら(というか映画オタクじゃなくても)みんな知ってるであろう超有名な映画音楽の作曲家ですね。彼が作曲を手掛けた映画音楽はディズニーに限らず多数存在しその多くが有名でしょう。当時からすでに『レインマン』の音楽制作などで名を知られていた彼が、この『ライオン・キング』のBGMの作曲を担当したのです。余談ですが、彼は後に『パイレーツ・オブ・カリビアン』の音楽制作でもディズニーと関わることになります。

 また、ミュージカル要素のための劇中歌についてはエルトン・ジョン氏が作曲を行いました。こちらも当時すでに超大物ミュージシャンとして名を馳せていた有名人ですね*3。有名なミュージシャンをミュージカル要素のために抜擢したという点では、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』を彷彿とさせますね。あの時は、ビリー・ジョエル氏やベット・ミドラー氏が声優として起用されていましたが、この『ライオン・キング』ではエルトン・ジョン氏はミュージカル曲の作曲とエンディングでの歌い手として起用されています。

 このように、『ライオン・キング』はディズニーに限らない芸能界一般で名を馳せていた有名人2人を新しく音楽担当に採用したのです。『ライオン・キング』におけるこのような「有名タレント」の採用は音楽以外の点でも行われています。それが声優です。本作品は声優にもかなりの有名人を採用しています。

 例えば、ムファサの声を務めたジェームズ・アール・ジョーンズ氏は『スター・ウォーズ』シリーズのダース・ベイダーの声を担当したことなどで知られる有名な役者です。また、スカーの声を務めたジェレミー・アイアンズ氏も映画『運命の逆転』でアカデミー主演男優賞を受賞した有名俳優です。さらに、シェンジの声を務めたのは『天使にラブ・ソングを…』の主演を務めたことなどで有名なウーピー・ゴールドバーグ氏です。この他にも本作品のキャスト一覧を見ると多くの有名人が採用されてることが分かります。このように、『ライオン・キング』では当時アメリカのハリウッド映画界で有名だったスターを多く採用したのです。


史上最高の興行収入

 このような「ビッグ・ネーム」が制作に多数関わったことにより、『ライオン・キング』は前作『アラジン』の興行収入を超え歴代のディズニー映画の中では最高額の興行収入を稼ぎました。次作『ポカホンタス』から興行収入が下がったこともあって、『ライオン・キング』のこの「ディズニー史上最高の興行収入」という記録はしばらくの間続きました。2013年公開の『アナと雪の女王』に興行収入の記録が抜かされたことでその地位は終わりました。

 しかし、2019年9月現在においても『ライオン・キング』はセル・アニメーション映画の中では依然として「世界で最も売れた映画」としての記録を維持しています。『アナと雪の女王』以外にも『ズートピア』や『トイ・ストーリー3』、非ディズニーアニメだと『ミニオンズ』などのアニメーション映画が、現在『ライオン・キング』よりも上位の興行成績を記録していますがこれらは全てフルCGアニメーションです。セル・アニメーションの映画としては依然として『ライオン・キング』が歴代トップの地位に君臨しています。そういう訳で『ライオン・キング』は「最も売れたセル・アニメーション映画」と言うことができるわけです。

 このような歴史的な大ヒットを記録したためか『ライオン・キング』は舞台ミュージカルとしても大いに流行ることとなります。ディズニー映画がブロードウェイで舞台ミュージカル化になることは、『ライオン・キング』だけでなく『美女と野獣』や『アラジン』などでも経験していますが、『ライオン・キング』の舞台ミュージカルは特に記録的な大ヒットとなり、ブロードウェイ史上においても最高の興行収入を記録しました。それゆえにかなりのロングランを記録しています。日本でも劇団四季がこの舞台版の『ライオン・キング』を公演し、かなりの大人気作品となりましたね。


ジャングル大帝』盗作騒動

 最初に言っておきますが、僕はこの『ライオン・キング』を盗作と呼んでディズニーを非難する人たちの考えには全く賛同できません。こういうのを問題視してディズニーを叩くのは単なる言いがかりやイチャモンに近いと思っています。別に、『ライオン・キング』は非難に値するような盗作でもなんでもないと思っています。このような雑なディズニー・バッシングに僕も加担していると思われるのは甚だ遺憾なので、あらかじめことわっておきます。

 さて、先に僕個人の考えを述べてしまいましたが、それはともかくこの『ライオン・キング』は公開当時から「手塚治虫氏によるテレビアニメ『ジャングル大帝』の盗作ではないのか?」と世間で騒がれたのは事実です。ディズニー側は本作品を完全オリジナルだと主張し、2019年9月現在に至るまで『ジャングル大帝』の影響を認めていません。しかし、そのようなディズニー側の主張に納得いかない里中満智子氏ら漫画家がディズニーへ質問状を送るなどの騒ぎに発展し、アメリカでも日本でも当時大きな話題となりました。

 結局この騒動は手塚プロダクション手塚治虫の遺族たちがディズニーと事を構えないことを表明したことで沈静化します。このような手塚プロダクション側の態度は非常に賢明だと僕は思います。この件を根拠に安易なディズニー・バッシングに加担してる人たちのほうがよほど恥ずべき行為だと僕は考えています。

 そもそも『ジャングル大帝』と『ライオン・キング』は完全に「別作品」と言えるほどに中身のストーリーが異なっています。人間が登場し、それと動物たちとの関係が大きなテーマの一つとなっている『ジャングル大帝』は、人間が全く登場せず完全に動物たちの世界だけでの物語となっている『ライオン・キング』とは似ても似つかない作品になっています。確かに、キャラクター設定や個別のシーンなど細かな点での類似箇所はありますが、このレベルで根本的なストーリーが異なるものを「盗作」と呼ぶのは無理があるでしょう。せいぜい「一部に影響を受けた」という程度の話にすぎません。

 そもそも文化と言うのはお互いに影響をし合いながら発展していくものであり、そういった影響を全て「盗作だ!」と言って否定してしまえば、新しい作品はなかなか生まれなくなってしまいます。手塚治虫氏の開拓した漫画表現技法を現在日本の多くの漫画家が取り入れていますが、それだけをもって「今の日本の漫画家は全て手塚治虫のパクリだ」と非難するのはナンセンスでしょう。「現在のゾンビ映画は全てロメロ監督作品の盗作だ!」と主張するのは無理があるでしょう。それと同様に『ライオン・キング』も、アフリカの動物たちの物語ということで『ジャングル大帝』の影響は多少受けてるかもしれませんが、それだけをもって盗作だと騒ぎ立てるのはおかしいと思います。

 そもそも、良く言われてるように手塚治虫氏の『ジャングル大帝』自体がディズニー映画『バンビ』の影響を受けています。手塚治虫氏が『バンビ』や『ピノキオ』などのディズニー映画を自らコミカライズし直すほどのディズニー好きでしたからね。このように、手塚治虫自身もディズニー映画の文化的‟影響”を受けて漫画を描いてるんです。そのような「影響」レベルの話を片っ端から「盗作」扱いして否定していたら、あらゆるクリエイターは何も創作活動ができなくなります。

 「影響」と「盗作」はイコールではありません。創作物の間での影響なんてのは文化の発展の歴史においてずっと起きて来たことであり、それを「盗作」扱いするのはナンセンスでしょう。問題視すべき「盗作」というのは、過去の作品の完全なる「コピー」であり、作者なりのオリジナリティがそこに一切見出せない場合のみです。過去の作品の影響を多少受けていても、作者なりの新しいオリジナリティが付け加えられて、もはや「別物」と呼べるほどの作品になっていれば、盗作として非難すべきではないでしょう。

 例えば、現在のゾンビ映画の多くはほぼ全てロメロ監督の作品の影響を受けていると言えますが、そのうえで個々の映画監督がロメロのものとは別個の新しい要素を付け加えており、もはや別物の作品となっています。ミステリー小説の多くはポーやドイルやクリスティなどの古典の影響が多かれ少なかれありますが、その影響だけでなく作者なりの新しい設定やトリックなどを編み出すことでオリジナルのミステリー作品を作っています。『ライオン・キング』と『ジャングル大帝』の関係もこれらと同じでしょう。

 ライオンの王様の設定やいくつかのキャラクター設定などで『ライオン・キング』は『ジャングル大帝』の影響を恐らく受けている可能性は否定できませんが*4、人間との関係性を描かずに代わりに『ハムレット』的な要素を付け足した『ライオン・キング』と、人間が主要なテーマとなっている『ジャングル大帝』とではもはや別物と言えるほどの違いがあります。ディズニーはきっちりとオリジナルな要素を入れた別物の作品として『ライオン・キング』を作ってるのです。実際、どちらの作品も見たことある僕個人の感想としても、両者は大して似てないと感じます。

 ここまで僕が述べて来た意見については、手塚治虫氏の息子である手塚眞氏などもほぼ同じ見解を述べています。だからこそ、手塚治虫氏の遺族や手塚プロダクションもディズニーと争うことはしなかったのです。本当に賢明な判断だと思います。僕も彼らと完全に同意見です。この件でディズニーを非難する人は、僕が上で述べてきた点についてもう一度深く考えて欲しいものです。そして、できればこういう雑なディズニー・バッシングに加担することを恥じて欲しいものです。ディズニーも完璧な企業ではないので批判されるべき点が全くないとは僕も言いませんが、少なくとも『ジャングル大帝』盗作騒動の件での非難は不適当でしょう。こういうのでディズニーを非難する人の考えには僕は全くもって賛同できません。




【個人的感想】

総論

 ぶっちゃけ、僕は『ライオン・キング』については「音楽と映像はすごい。でも肝心のストーリーが好きじゃないしつまらない」って感想に落ち着くんですよね。この作品はディズニーには珍しくかなり保守的な内容の作品だと思います。僕個人も政治的には少々アメリカの保守派に寄ってるところがあるので、単に保守的ってだけでは嫌いになることもないのですが、『ライオン・キング』で描かれてるようなタイプの保守的なテーマは正直好かないんですよね。

 単にテーマが好かないってだけでなく、ストーリーラインそのものにもあんまり魅力を感じません。キャラクターの心情の動きにあまり共感できないからなんですよね。シンバの悩みにあまり深刻さを感じないので、物語に入り込めず作中のキャラとの間に温度差を感じるんですよね。

 以下、これらの点について詳述します。


素朴な君主制擁護

 『ライオン・キング』のストーリーってものすごく素朴な君主制擁護思想が全面的に出ていて、この点が自分には合わないんですよね。ようはこの話って、「正統な王が簒奪者から王位を取り戻す話」じゃないですか。僕はそもそもが君主制廃止論者なので、「正統な血筋の者こそが王に即位すべきである」という本作品のテーマにちっとも賛同できないんですよね。僕は、こういうテーマを素直に全面賛同して受け入れられるようなレジティミスト*5ではないので……。

 後半で、死んで星となったムファサがシンバに対して「王としての責任を果たせ」みたいなことを言うセリフがあるのですが、こういう意見に自分はちっとも賛同できない。このシーンは本作品の物語において最も盛り上がって感動すべきシーンなんですけど、そのメッセージに僕が賛同できないせいであんまり感動できなかったんですよね。「王家に生まれた者には王として尽くす義務がある」なんていう、個人の自由を無視して血統を理由に人を縛るような規範意識を僕は全く受け入れられないです。

 前作『アラジン』では、ジャスミンの存在を通して「王家に生まれた者の不自由」を描き、そこからの「解放」をテーマの一つにしてたのに対して、今作『ライオン・キング』は「王家に生まれた者の義務」でシンバを縛り付ける内容になっています。前作とはかなり対照的すぎる内容です。正直言って、「自由」を愛する僕としてはシンバがあのままティモンやプンバァと一緒にオアシスで自由気ままな生活をしていても構わないと思います。もちろん、その後で義憤に駆られて「悪政を敷くスカーを倒さなきゃ」って展開になるのも構わないんですが、そこはあくまでも「スカーの悪政批判」を根拠にして欲しいんですよね。「王家に生まれた者の義務」みたいな保守的な価値観を根拠の全面に出されても共感できなくて困ります。

 こういう点での、あまりにも素朴な君主制擁護が受け付けなくて僕は『ライオン・キング』のテーマを好きになれないんですよね。


シンバの悩みの共感しにくさ

 もう一つの難点はここです。本作品はシンバの悩みが重要なテーマとして扱われているのですがその悩みにあまり共感できないんですよね。悩んでる理屈は理解できなくもないんですけど、ムファサの死に関してシンバに明確な瑕疵があるとは僕には思えないので、あそこまでシンバが悩むことが大袈裟に思えてあまり共感できないんですよね。

 もちろん、他人から見れば小さなことで悩む人はたくさんいますし、そのこと自体が悪いとまでは思えませんけど、単純に視聴者の僕には共感できないタイプの悩みだったというだけです。そのせいで主人公のドラマに入り込めないんですよね。確かにムファサはシンバを助ける過程で死んだけど、それだけで「ムファサの死はシンバのせいだ」って結論に達しちゃうのが納得いかないんですよね。シンバが危機に陥った過程も「スカーに呼ばれて待機してたら暴走したヌーが急にやってきた」だけなので、シンバの行動に何かしら原因があるわけでもありません。

 その少し前に、シンバが言いつけを破って勝手にゾウの墓場に行って危機に陥る展開がありましたが、仮にその過程でムファサが死んだならば、シンバが「僕のせいで父さんが死んだ」と悩むのも理解できます。それならば「シンバが勝手にゾウの墓に行った」という原因があるので、シンバが自責の念に駆られてもおかしくないなあと思います。しかし、本作品ではムファサの死のそもそもの発端は「スカーに呼ばれて谷底に来た」だけなので、「シンバのせいじゃなくない?」という思いがどうしても出てきてしまいます。

 それなのにあそこまで嘆いて自分を責めて逃げ出すシンバの気持ちに全然共感できないので、後半のドラマにもあまり感情移入できなかったんですよね。


ムファサの横暴さ

 あと、細かい点ですがスカーに対するムファサの態度がちょっと横暴に見えてしまい、ムファサを「良い王様」だとあまり思えないんですよね。冒頭のシーンで、スカーに対してムファサが「俺に背を向けるのか?」と言ってキレるシーンのムファサが傲慢な暴君にしか見えないんですよね。そのわりには、息子のシンバに対してだけはやたら甘いので*6、単に「身内には甘く他人に厳しい威張り散らしてるだけの王様」って感じに見えます。全然好きになれないです。

 それなのに、作品内ではムファサは「理想的な名君」みたいな感じの扱いを受けてるので、その点がどうも腑に落ちなくて昔からもやもやするんですよね。


謎に迫害されてるハイエナたち

 同じく本作品に違和感を抱いてる点として、ハイエナたちがプライド・ランドから迫害されてる理由が良く分からないんですよね。プライド・ランドの動物たちがハイエナを汚らわしい存在として扱う明確な理由が説明されてないんです。物語の展開的に、スカーがハイエナと手を組んだことも「スカーの悪政の一例」として断罪されてるんですけど、このナチュラルな「ハイエナ差別思想」に全く共感できない。むしろ、それまでプライド・ランドに住むことも許されずにライオンの食べ残しにしかありつけない状況に追いやられてたハイエナたちが可哀想……って思ってしまいます。

 正直言って、作中内で描かれてる主人公たちのハイエナへの敵意って、マイノリティに対する素朴な差別意識や排外主義的な移民排斥運動を彷彿とさせなくもないんですよね。まあ、そういう差別意識との関連にまで結びつけちゃうのはいささかこじつけがすぎる批判だと我ながら思うので、あまり強くは主張しないですけどね。見る人が見ればそう見えなくもないよなあ、と言いたくなる程度には、本作品でのハイエナ迫害に僕が全く共感できないのは事実です。


神話や英雄叙事詩みたいなストーリー

 『ライオン・キング』の物語って、なんかすごく神話みたいなんですよね。これは演出の雰囲気も大いに影響してるんだと思います。大昔の英雄叙事詩とかを見てるような気分になってくる。で、それが面白いのかというと、僕個人には面白く感じ取れないです。そういうタイプの物語って、テーマに共感できないと個人的に退屈でつらいんですけど、これまで述べて来たように僕は本作品のテーマにあまり共感できないんですよね。

 ひょっとしたら、共感できない点が多すぎるから、逆に神話のように感じるのかもしれません。マジで古い神話とか読むと、自分たちとあまりにも基本的な価値観や倫理規範が違う登場人物たちの物語についていけなくなることあるじゃないですか。『ライオン・キング』に対して僕が感じる違和感ってまさにそれなんですよ。作中で「良いこと」「正義」とされてる価値観にちっとも同意できないので物語に入り込めない。

 正統な王の帰還を「正しいことだ」と考え主張するムファサやナラやラフィキも、大して自身に瑕疵があるわけでもない父の死でいつまでも悩み続けるシンバの気持ちも、ハイエナは「当然迫害されてしかるべき動物」だと考えるプライド・ランドの動物たちの考えも、全て僕には分かりません。だからこそ、なんか自分とは根本的な価値観の違う異星人たちの物語に見えちゃうんですよね。だから物語に入り込めず退屈に感じてしまいます。

 壮大な雰囲気の演出は上手いし、個々の展開もちょうど良い按配のスピーディーさで、決してストーリー作りが下手な訳ではないんですけど(むしろエンタメ作品として上手いストーリー展開だと思います)、単純にそこで基本的価値観として前提視されてる考え方に僕はちっとも共感できないので好きになれないというだけです。本当に退屈なストーリーだなあ。


キャラクターの魅力

 上で述べた通り、『ライオン・キング』の登場人物は僕にはみな異星人みたいに感じてしまいあまり共感できないのですが、例外的に好きになれるキャラが悪役スカーと三枚目コンビのティモン&プンバァです。これらのキャラは好きです。

 特にスカーはすごいです。かなりの名悪役だと思います。いかにもな「捻くれた陰険な卑怯者」って感じのキャラクター設定が素晴らしいです。それでいながら、一つ一つの仕草が妙にセクシーなんですよね。ちょっとエロいっていう声を巷でよく聞くのも理解できます。腕力よりも知略を練るタイプの悪役なのに、終盤でその知略が全て尽きるとシンバと直接戦うという展開も好きです。「万策尽きた智将が最後の最後で暴力に頼らざるを得ない」っていう展開が良いんですよねえ。スカーの追い詰められた感がうかがえる良い展開だと思います。

 ティモンとプンバァは、この頃のディズニー作品にはありがちなギャグ担当のコメディ要員であり、あまりキャラクターに目新しさはないのですが。こういう漫才コンビは面白いので好きです。ティモンとプンバァの漫才のような掛け合いが面白いんですよね。一見するとより間抜けに見えるプンバァのほうが実はたまに的確なことを言うという定番ギャグも好きです。鉄板の面白さだと思います。こういうコミカルなキャラクターは好きだなあ。



映像と音楽による演出の凄さ

 ここまで『ライオン・キング』のストーリー上の難点を主に述べてきましたが、一方で演出はものすごく圧巻だと僕も思います。音楽と映像に関しては、他の第二期黄金期の作品同様に『ライオン・キング』もかなり素晴らしです。文句ないです。アフリカの大自然雄大な風景が映し出されたアニメーション映像とそれに合ったアフリカらしい音楽の組み合わせが好きですね。

 個人的には、後半でやる気を取り戻したシンバが砂漠の中を駆け巡るシーンが好きですね。アフリカっぽい独特な音色の音楽と雄大な砂漠の映像がマッチしてて、すごい興奮する演出だなあと思います。あとはヌーの大暴走のシーンもすごいです。このシーンは本当に迫力が段違いなんですよね。土煙を立てて暴走するヌーの迫力には大いに圧倒されて、終始ハラハラしながら見ることができます。

 もちろん、終盤のアクションシーンの迫力もすごいです。炎が燃え盛る中で、スカーやハイエナたちと戦うシーンは、ちゃんと緊迫感も迫力もある素晴らしいアクションだと思います。特に、最後のスカーとシンバの一騎打ちは今までのディズニー映画の中の戦闘シーンの中でも一番の出来ではないでしょう。少年ジャンプのバトル漫画とかにありそうな「正統派肉体バトルシーン」って感じの描写が素晴らしいです。お互いに猫パンチを繰り広げるスカーとシンバのアニメーションが良いです。ベストバウトです。

 それ以外にも、オープニングやエンディングで岩の周りにたくさんの動物が集まり王を祝福するシーンなど、いちいち全ての演出が豪華で壮大なんですよね。こういうところは本当に第二期黄金期らしいと思います。こういう演出の凄まじさは確かに感動しますし、本作品の優れた点だなあと思います。


ミュージカル要素

 上で述べた通り、本作品のミュージカル要素は大体がエルトン・ジョン氏による作曲です。そして、このエルトン・ジョン氏による曲の数々が本当に素晴らしいんですよねえ。まず、オープニングで流れる"Circle of Life"がとてつもなく素晴らしいです。ここのオープニングシーンは歴代ディズニー映画の中でも一二を争うレベルで最高のオープニングと言えるんじゃないでしょうか?アフリカ舞台らしくズールー語の歌声と日の出の映像で始まり、アフリカの壮大な自然に映る多数の動物たちのアニメーションが音楽に合わせて映し出される素晴らしいオープニングだと思います。ここは本当に感動的でエモい気分になります。エンディングでももう一度同じような映像と音楽が流れますが、そういう繰り返しの演出も良いですねえ。めっちゃ好きです。

 "I Just Can't Wait to Be King"も名曲だと思います。アフリカっぽい音楽のフレーズもある一方で、ボーカルはリズミカルなポップスっぽさも感じさせる良い曲です。メロディもキャッチーでとても耳に残ります。ここで周囲のアニメーションの絵の雰囲気が急に変わる演出も個人的に大好きですね。楽しいミュージカルシーンだと思います。このシーンが東京ディズニーランドのフィルハーマジックに取り入れられてるのも納得です。


 "Be Prepared"も良いです。ディズニーの歴代ヴィラン・ソングの中でもしばしば上位に入ることの多い定番のヴィラン・ソングなんですが、それも当然だと思います。スカーのキャラクターのセクシーさや卑劣さなどが存分に表現されており、しかもいかにもな「悪役の歌」って感じの曲想なんですよね。後半でハイエナが軍隊みたいな行進してスカーを讃えるシーンの演出も素晴らしいです。最後にハイエナとスカーたちが高笑いしてるシーンがものすごく印象的です。

 ティモンとプンバァの登場シーンで流れる"Hakuna Matata"も有名な曲でしょう。オアシスの楽しくなる雰囲気が存分に味わえる名曲だと思います。この気楽な歌詞と気楽なリズムが本当に心地よくて、「ああ、楽園だなあ」って気分になります。癒されて楽しくなる名曲です。ぶっちゃけ、王の義務とか果たさないで、このままずっとオアシスでティモンやプンバァと楽しくやってるシンバのままでも良かったのになあ、と思ってしまうぐらいです。このミュージカルシーンが好きだからこそ、上で述べたように僕は後半の「王家の義務」をシンバに果たさせる展開が好きじゃないのかも知れません。"Hakuna Matata"*7の精神のままで行って欲しかったです。

 "Can You Feel the Love Tonight"はアカデミー歌曲賞も受賞した本作品の主題歌ですね。アフリカっぽいバックコーラスとともに、現代風のゆったりとする感動的なメロディが流れる素晴らしいバラードだと思います。第二期黄金期らしいエモくて良い感じのラブソングで大好きです。エンドロールにてそのアレンジをエルトン・ジョン氏自ら歌ってますが、こっちのほうも好きですね。エルトン・ジョンの惚れ惚れとするような歌声が味わえます。めっちゃ感動します。


やっぱりストーリーは好きになれない

 ということで、僕の『ライオン・キング』に対する感想は冒頭で述べた通り「ストーリーは保守的で共感できないけど、一部キャラと演出だけはすごい」というものに尽きるんですよね。前作『アラジン』とは対照的に王家の不自由さを全面的に擁護するかのような素朴な君主制支持思想や、ハイエナたちへの迫害を正義とする論理などが、どうも僕には受け入れられないんですよね。逆に、君主制を支持するタイプの保守派ならば嫌悪感なく見れるタイプの作品だと思います。僕はそういうタイプの人ではないので、本作品から滲み出る保守的な君主制擁護思想を受け入れるのは無理でしたね。

 また、先述の通り、本当に「自分とは違う世界の違う価値観を持ってる人たちの物語」って感じがして退屈でした。神話みたいなストーリー展開で面白くないです。シンバの悩みにもあまり共感できませんしね。そんな訳で僕はやっぱりストーリーに関してはこの『ライオン・キング』を好きになれないです。

 ただし、第二期黄金期らしい壮大な映像と音楽の演出は本当に素晴らしいので、それを見れただけでも満足できる部分はあります。特に、「圧巻」としか言いようのないオープニングには本当に感心します。でも、それぐらいです。あとは悪役スカーのキャラ設定の素晴らしさぐらいしか褒めたい点が見当たらないですね。僕にとって『ライオン・キング』はそんな感じの作品ですね。







 以上で、『ライオン・キング』の感想記事を終わりにします。次回は『ポカホンタス』の感想記事を書くつもりです。それではまた。

*1:この前の原作なしオリジナルのディズニー映画は1970年公開の『おしゃれキャット』まで遡ります。

*2:なお、話は逸れますが本作品の制作中に当時のディズニーの社長だったフランク・ウェルズ氏が事故で亡くなっています。そのため本作品は彼に捧げられた映画でもありました。

*3:エルトン・ジョン氏を良く知らない人でも多分"Your Song"とかを調べて聞けば「あー、この曲を歌ってる人か」って分かると思います。

*4:実際、そう思える程度の類似点の存在は僕も認めざるを得ません

*5:王位な正統な継承順位を絶対視する思想の持ち主のことです。特に、フランス革命などを否定する王党派の一部に対して用いられることが多いです。

*6:シンバが勝手にゾウの墓場に行ったことでシンバを叱ろうとしたシーンも、結局お叱りはうやむやなままムファサはシンバとじゃれ始めますし。

*7:歌詞の中でも説明されてますが、スワヒリ語で「くよくよするな」の意味です。

【ディズニー映画感想企画第31弾】『アラジン』感想~僕の一番好きなディズニー作品~

 ディズニー映画感想企画第31弾は『アラジン』の感想記事を書こうと思います。これも超有名な作品でしょう。日本でもつい最近実写版が公開されたことで再び話題に上ることが多くなった印象があります。そして、僕はこの映画が歴代ディズニー映画の中で一番好きと言っても過言ではありません。それゆえに、今回の記事は少々熱が入ったものになるかも知れません。
 そんな『アラジン』について語っていきたいと思います。

 f:id:president_tener:20190923082544j:plain f:id:president_tener:20190923082638j:plain

【基本情報】

非西洋舞台のディズニー映画

『アラジン』は1992年に31作目のディズニー長編アニメーション映画として公開されました。原作は、イスラム圏における有名な説話集である『千夜一夜物語』の一節『アラジンと魔法のランプ』です。この『千夜一夜物語』は主に中東を舞台にした話が多く収録されている話であり、これをディズニーが映画化したことから本作品はディズニーの歴史において一つの転換点になったと言われています。

 すなわち、この『アラジン』の公開以降、ディズニーは「西洋以外の地域」を舞台にした作品を多く作るようになるのです。実は、いわゆる「アジア」を舞台にしたディズニー長編アニメーション映画はこの『アラジン』が初めてではなく、この作品以前にも『ジャングル・ブック』の例があります。しかし、逆に言えば、この『ジャングル・ブック』の一例しかそれまではありませんでした。他は、基本的に西洋が舞台の作品ばかりであり、登場人物も西洋人ばかりでした。『ジャングル・ブック』公開の1967年から『アラジン』が公開される1992年までの25年の間のディズニー映画も基本的に西洋世界が舞台のものしかありませんでした。

 しかし、この『アラジン』の公開以降のディズニーはヨーロッパやアメリカ大陸などの西洋に限らず、非西洋の文化圏も大きく扱う話を多く作るようになりました。次作『ライオン・キング』はアフリカが舞台ですし、その後も『ポカホンタス』や『ムーラン』など非白人のヒロインが登場する話を作ってたりします。こうして、ディズニーは西洋のみならず「古今東西、世界中の色んな地域・時代」を舞台にするようになっていったのです。そのような流れは明らかに『アラジン』から始まってると言えるでしょう。

 そういう意味で、『アラジン』はディズニーの新しい傾向をまた一つ作った作品だと言えるのです。一つの転換点となった作品だとも言えるでしょう。


ディズニー・ルネサンスの継続

 本作品もディズニーの第二期黄金期(ディズニー・ルネサンス)が依然として継続中であることを示す作品となりました。監督は、『リトル・マーメイド』をヒットに導いたあのジョン・マスカー&ロン・クレメンツのコンビです。第二期黄金期の繁栄を象徴する二人が再び監督に選ばれたことからも、本作品が第二期黄金期のヒット継続を目指して作られていたことがうかがえます。

 また、それまでの第二期黄金期の方針に基づいて本作品でもブロードウェイ風のミュージカルが取り入れられることが決定し、アラン・メンケン&ハワード・アシュマンの黄金コンビがまたもや音楽を担当しました。『リトル・マーメイド』や『美女と野獣』で数々の名曲を作り上げたコンビが本作品も担当したのです。しかし、前の記事で述べた通り、ハワード・アシュマン氏は本作品の制作中にエイズで亡くなってしまったため、ティム・ライス氏が彼の作詞を引き継ぎました。

 ティム・ライス氏は当時『エビータ』や『チェス』など多数のミュージカル作品の音楽制作を手掛けたことで有名な作詞家です。すでにミュージカル界で十分な実力を示していた彼は、その実力をディズニーでも発揮し『アラジン』の数々の名曲を手掛けたのです。このため、『アラジン』の劇中歌にはハワード・アシュマン作詞のものとティム・ライス作詞のものとが混在しています*1。なお、作曲のほうは全てアラン・メンケン氏が担当しています。これまでの記事で述べて来た通り、この頃までにはアラン・メンケン氏はすでにディズニー御用達の偉大な作曲家としての地位を確かなものにしていました。

 また、キャストの面でも『アラジン』では有名人が抜擢されました。魔神ジーニーの声を担当したロビン・ウィリアムズ氏です。言わずと知れたハリウッドの有名俳優であり、当時すでに『グッドモーニング, ベトナム』や『いまを生きる』や『フィッシャー・キング』などの映画に出演し、アカデミー賞に名を連ねていた大物俳優でした。この映画『アラジン』公開の後には『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』などにも出演したことで知られてますね。そんな超大物俳優をディズニーは声優に採用したのです。*2

 このように監督や音楽や声優に多くの有名人や実力者を採用した『アラジン』は、興行的にも大きな成功を収め、『リトル・マーメイド』以来の第二期黄金期は依然として継続中であることを世間に示したのでした。評論家からも高く評価され、『リトル・マーメイド』や『美女と野獣』同様に『アラジン』もアカデミー歌曲賞アカデミー作曲賞を受賞しました。ディズニー・ルネサンスの繁栄はまだまだ続きます。





【個人的感想】

総論

 最初に言っておきますと、僕はこの『アラジン』が、めちゃくちゃ、超絶、とてつもないほど大好きです!冒頭で述べた通り、歴代ディズニー映画の中でも『アラジン』が一番好きと言っても過言ではありません。そのため、この作品に対しては基本的に褒めまくることしかできません。ストーリーも音楽もキャラクターも映像も全てが完璧としか言いようがない作品なんですよね。それらのバランスがものすごく完璧なんです。秀逸すぎます。

 とにかく「すごい!」「上手すぎる!」としか言いようがないんです、この作品は。王道ディズニー映画の一つの完成形だと思います。単純に一つのエンタメ作品としてとても綺麗にまとまっていて「良く出来てる」んですよね。その無駄のない洗練された出来栄えに心の底から惚れ惚れします。とにかく「面白い」し「感動する」し、また洗練された映画作りの技術に「感心」します。以下、そんな『アラジン』の魅力について詳細に語っていきたいと思います。


無駄のないストーリー

 『アラジン』の魅力の一つは何といってもストーリーの上手さだと思います。とても良く出来てるとしか言いようがないです。脚本の上手さでは第二期黄金期の中でダントツではないでしょうか?ものすごくスピーディーに次から次へと新しい展開が起きるので、最初から最後まで飽きずに見続けることができるんですよね。このテンポの速さは後の『トイ・ストーリー』シリーズや第三期黄金期の作品群を彷彿とさせます。

 無駄に冗長だと感じるシーンが全くないんですよね。それでいながら急展開すぎず、全ての展開が物語のエンディングに向けて「必要不可欠」なシーンとなっています。「この展開は要らなくない?」「このシーンは長いし退屈だからカットしてくれないかなあ」と思うシーンが全くないってのは本当にすごいことだと思います。

 これは後述する「テーマの一貫性」によるところも大きいと思います。ちゃんと分かりやすい物語のテーマが用意されていて、作品内の全ての出来事はそのテーマを伝える物語に必要不可欠な存在になってるんですよね。序盤でのアラジンの境遇説明パート、市場でのジャスミンとの出会い、ジーニーに出会ってアリ王子に成り済ますアラジン……etcと展開が目まぐるしく動く一方で、その全てが本作品のテーマにしっかりと関連している。上手いストーリーの組み立て方だと思います。本当に無駄がないです。

 無駄なくスピーディーに展開が進む点で、本作品は非常にテンポの良い作品だと言えると思います。だからこそ、素直に「面白い!」と思えるんですよね。


「自由」というテーマ

 本作品のテーマの一つは「自由」でしょう。このテーマの描き方が上手いんですよね。ドブネズミと蔑まれ貧困に囚われているアラジン、王宮の中で縛られた生活をしているジャスミン、ランプをこすった主人の奴隷として生きることを運命づけられてるジーニー。主要キャラクターの全てが何かしらの不自由を抱え、そこから「解放」されることを望んでいることが分かります。だからこそ、物語内できっちりとテーマに一貫性が生じている。

 この物語は貧しいアラジンが王女ジャスミンと結ばれるまでの過程を描いてる点で、男版『シンデレラ』と言うべき作品になっているのですが、単に主人公アラジン自身の成り上がりを描いてるだけでなくジャスミンジーニーといった他の主要キャラクターの「解放」をも描いてる点で、『シンデレラ』の上位互換とも言える作品になってるんですよね。『シンデレラ』では主人公のシンデレラが夢を叶える点にのみ焦点を当ててましたが、『アラジン』では主人公のアラジンだけでなくジャスミンジーニーまでもが夢を叶えてる点が素晴らしいんですよね。

 アラジンは自分の夢を叶えただけではなく、ジャスミンジーニーの夢を叶えさせた存在でもあるのです。むしろ、ジャスミンジーニーの「自由になりたい」と願いを尊重し叶えてあげるような優しさのあるアラジンだからこそ、本人もジャスミンと結ばれるという夢を見事に叶えることができたのです。この展開が非常に説得力のあるものになってるんですよね。


説得力のある恋愛と友情

 本作品では、アラジンとジャスミンの恋愛及びアラジンとジーニーの友情という二つの絆が描かれています。このどちらもが説得力のある展開になっています。特に、恋愛感情についてはそれが顕著です。前の記事で述べた通り、前作『美女と野獣』では、それまでのプリンセスもののディズニー映画と違い、主要登場人物二人の間に恋愛感情が芽生えた理由がちゃんと説得力をもって描かれていました。本作品もその流れは汲んでおり、ジャスミンがアラジンに惚れた理由はちゃんと説得力のあるものになっています。

 ジーニーの魔法の力でアラジンはアリ王子に扮しますが、ジャスミンがアラジンに惚れた理由は決して「アリ王子」ではないんですよね。ジャスミンはアリ王子の地位や財産なんかには興味がなく、そうではなく「ダイヤの原石」と言われたアラジンの人柄や彼のしてくれたことに惚れたのだということが分かります。そもそも、ジーニーが登場する前に市場で会った時から、すでにジャスミンはアラジンに魅力を抱いていたことが分かりますからね。貧しい暮らしをしてるにも関わらず、ジャスミンを助け、彼女の境遇に同情する優しさを持つアラジン。そんなところにジャスミンは魅かれていたのだと分かる描写がなされています。

 そして、極めつけは有名な名曲"A Whole New World"が流れる辺りのシーンでしょう。ジャスミンがそれまで振って来た数多の王子とは違い、アラジンは「ジャスミンは戦利品じゃない。君にも相手を選ぶ権利がある」と言い、彼女の自由意思を尊重する姿勢を見せます。そして、「王宮に捕らわれの身」であるジャスミンを魔法の絨毯で王宮から連れ出し、外の世界を彼女に見せてあげるのです。

 このように、アラジンは「ジャスミンに自由を与える存在」として描かれてるんですよね。王宮に縛り付けられているジャスミンの「自由に外の世界を見て回りたい」という夢を叶えてあげる存在がアラジンであり、だからこそジャスミンもアラジンに惚れたのです。このように、本作品では主要登場人物二人の恋愛模様においても「自由」というテーマが鍵となっていることが分かりやすく描写されてるんですよね。そこに「テーマの一貫性」が生じてる。

 この点はアラジンとジーニーの友情に関しても同じです。アラジンは、ジーニーと出会ってすぐに彼の「自由になりたい」という夢を最後に叶えることを約束します。ジーニー自身も「今までの主人と違う」と言ってアラジンのそんな優しさを嬉しく思っています。こういうシーンが描かれているからこそ、ジーニーとアラジンの間に友情が芽生えることに説得力が生じてるんですよね。そして、ここにもジーニーの「自由」というテーマが一貫して描かれている。


主人公の魅力

 本作品はジャスミンジーニーにも自由を与える物語ではありますが、それでもあくまでも主役はタイトルの通りアラジンただ一人です。本作品の監督ジョン・マスカー&ロン・クレメンツは前作『リトル・マーメイド』でも、あくまでも主役をアリエルに据えて彼女を中心に物語を描いてましたが、この点は『アラジン』にも共通しています。中心人物をあくまでも主人公一人に設定するのはこの監督たちの特徴なのかもしれません*3。それゆえに、下手な群像劇のように複数視点が入り混じって物語が複雑になりすぎることもなく、一本筋の通った分かりやすくて面白い物語に仕上がってるんですよね。

 この作品はあくまでも「アラジンの成り上がりと成長」の物語として描かれています。それゆえに、アラジンのキャラ設定は非常に良く練られてるんですよね。上のほうで、ジャスミンジーニーの「自由になりたい」という夢を叶えてくれる存在としてアラジンが描かれていることを述べましたが、彼についてはそのような「ダイヤの原石」としての魅力だけでなく欠点もしっかりと描かれてるんですよね。

 その欠点とは「自分に対する自信のなさ」とそれに起因する「虚栄心」でしょう。本作品では、アラジンが自身の本当の魅力に気付き、ありのままの自分を見せることももう一つの主要テーマとして描かれています。これまで述べて来たように、アラジンには「ダイヤの原石」として扱われるだけの魅力がしっかりあり、その点にジャスミンジーニーも魅かれたのです。しかし、不思議なことに肝心のアラジン自身はそんな自分の魅力に自信を持てず、ドブネズミではない「アリ王子」の振りをあくまでもし続け、ジャスミンとの結婚が認められた後も「国王としてやっていく自信がない」と弱音を吐きます。

 挙句の果てには「今まで上手く行ったのはみんなジーニーのお陰だ」と言い、彼を解放する約束すら反故にしようとしてしまいます。上述の通り、ジャスミンがアラジンに惚れたのは決してジーニーの魔力なんかのお陰ではないことを視聴者は知ってるので、このシーンでのアラジンのセリフは少し滑稽に見えてしまうんですよね。

 しかし、結局アラジンはジーニーの助言に従い、ジャスミンに本当の自分の正体を告げることを決意します。いつまでも虚栄心に縋ってるだけなのは良くないと気付くわけです。こういうふうに、アラジンの「欠点」とそこからの「脱却」「成長」が描かれている点も本作品の魅力なんですよね。この作品はジーニーでもジャスミンでもなくあくまでもアラジンを主人公とする物語なのだということを改めて実感させてくれる話になっていると思います。

 この作品は、『リトル・マーメイド』『美女と野獣』に続く第二期黄金期のディズニー・プリンセス登場作品でもあります。しかし、本作品の主人公はプリンセスのジャスミンではなくプリンスのアラジンのほうです。これまでの記事で述べて来た通り、当初のディズニー映画のプリンセスものでは王子のキャラクターはそこまで掘り下げられていませんでした。『白雪姫』や『シンデレラ』では王子が完全な空気と化してました。『眠れる森の美女』や『リトル・マーメイド』では王子が空気キャラを脱却し活躍を見せるようになりましたが、それゆえに王子が「普通の格好良い人」として描かれ過ぎてて逆に特徴がないようにも思えます。この傾向を変えたのが前作『美女と野獣』であり、王子であるビーストを欠点だらけのキャラクターとして描くことで彼に強烈な個性を与え、ベルと並ぶもう一人の主人公にまで仕立て上げました。

 そして、今作『アラジン』ではその流れを継承&発展させます。本作品はとうとうプリンスのアラジンンのみを主人公にして、プリンセスはあくまでも脇役となったのです。つまりプリンスとプリンセスの間の主役交代が起きたのです。あくまでもプリンセスが主人公だった『リトル・マーメイド』から、プリンセスとプリンスのダブル主人公体制の『美女と野獣』を経て、プリンスのみが主人公の『アラジン』へと変化したのです。この点で、映画『アラジン』は新しいタイプのプリンセスもののディズニー映画だと言うことができそうです。*4


アラジン自身の活躍

 素晴らしいディズニー映画には素晴らしいアクションが付き物であり、本作品も終盤のアクションはとても目を見張る出来になっています。しかも、本作品のアクションシーンが素晴らしいのはその迫力もさることながら、何と言っても「アラジンが自分の力で活躍した」という点なんですよね。ここに「アラジンを主人公とする物語」であるがゆえの本作品の素晴らしさが反映されています。

 今までジーニーの力に頼って来ただけだと思っていたアラジンが*5、悪役のジャファーにジーニーを奪われたことで、「ドブネズミ」としての自分の力のみでジャスミンを助けざるを得なくなったのが終盤のアクションシーンなんですよね。そして、見事アラジンはジーニーの力に頼らずに、持ち前の「ドブネズミ」らしい機転でジャファーを倒すことに成功します。このように、ちゃんと「主人公アラジンの活躍」が説得力をもって描かれ、その活躍によって「悪役を倒す」という分かりやすいカタルシスを生まれているんですよね。この点も映画『アラジン』の最大の魅力の一つだと思います。

 実は、これまでのディズニー映画においてディズニー・ヴィランズの倒し方というのはわりと雑なものが多いです。しかも、主人公たちの活躍によるものではなく悪役自身の自爆や偶然の不運によって悪役が倒されるというパターンもかなり多いです*6。主人公やその仲間自身の活躍によって悪役を倒したパターンもいくつかありますが、その場合もストレートな武力によるものが目立ち、そういうパターンだと今まで強そうだった悪役があっけない傷で死んでしまうので「えっ、そんなあっさり死んじゃうの?」と拍子抜けする感想も出てきちゃいます*7。もちろん、武力ではなく主人公自身が知恵を働かせて倒したディズニー映画の例も『アラジン』以前にいくつか存在していますが*8、その「機転」が一番「上手いな」と思ったのが『アラジン』なんですよね。

 単に変装して忍び込んだだけのロビン・フッドなどと違って、アラジンの活躍はしっかりと上手く知恵を働かせてジャファーを騙す方法であり、幼い頃の僕はこれを見て「アラジン、めちゃくちゃ頭良いな!」って大いに感心したものです。しかも、前半でジーニーが言っていた「魔神には自由がない」というセリフがしっかりと伏線になってる倒し方なんですよね。前半での何気ない展開がラストで悪役を倒す際の伏線として上手く機能してると言う点は、後の『シュガー・ラッシュ』や『ズートピア』などを彷彿とさせる上手さだと思います。まさに「伏線が秀逸」な作品なんですよね、『アラジン』は。だからこそ、最後のアラジンの活躍に対して素直に「頭良いな!」と感心することができる。

 この伏線の上手さによってアラジンの頭の良さや機転がしっかりと描写されているからこそ、アラジンの魅力がまた一段と高まるんですよね。まさに「理想的な主人公」になっています。ジーニーの力ではなく「ドブネズミ」としての自分だけの力でジャファーを倒したことをアラジン自身も実感できる素晴らしいアクションシーンだと思います。


映像の凄さ

 もちろんアクションシーンそれ自体の映像的な迫力も素晴らしいです。特に、大きなヘビに変身したジャファーの迫力は凄まじいものがあります。砂時計の中に閉じ込められたジャスミンの存在が緊迫感を上手く演出しており、非常にスリル満点の戦いとなっています。彼とアラジンのバトルシーンはディズニー映画のベストバウトに入ると思います。目を見張る映像でしょう。

 本作品はそれ以外にも美しい映像が多数見られます。オープニングの"Arabian Night"や有名な"A Whole New World"のシーンで映し出される夜のアグラバーの街並みはめちゃくちゃ美しいです。綺麗でロマンティックな異国情緒あふれる夜景だと思います。夜にも関わらず色使いが暗すぎず美しい雰囲気を醸し出していて素敵なんですよねえ。

 また、CGを駆使したトラ型の魔法の洞窟のアニメーション映像も圧巻です。このトラが喋るシーンはすごく迫力があって恐ろしいアニメーションに仕上がっています。崩壊する洞窟の中をアラジンたちが魔法の絨毯に乗って逃げ回るアクションシーンも迫力満点で素晴らしいです。溶岩の映像がとても綺麗でリアルなんですよねえ。ディズニーの映像技術の巧みさが存分に発揮されてます。


コメディ要素

 本作品が今までの第二期黄金期のディズニー作品と少し違う点は、かなりコミカルな演出が目立つ点だと思います。もちろん、『リトル・マーメイド』や『美女と野獣』でもギャグシーンは存在しましたが、本作品は「ジーニー」という「なんでもあり」なキャラクターの存在により、それまでの作品とは違いかなり「カートゥーン」的なギャグが目立っています。この点は人によっては敬遠される要素になるかも知れません。あまりにもギャグ演出が漫画的すぎるせいで、『美女と野獣』などと比べるとチープに感じるという意見は確かに一理あるかも知れません。

 しかし、だからこそ僕はこの『アラジン』という作品がめちゃくちゃ好きなんですよね。この何とも言えないチープさが本作品を庶民にも手の届く「大衆娯楽」って感じの作品にしてると思っています。僕はそんな大衆娯楽映画にこそ愛着が湧きますし、大好きになれます。『美女と野獣』なんかは文字通り「最高傑作」って感じがして、ある種の「高尚な芸術作品」のような美しさがあるのですが、『アラジン』にはそういう敷居の高さはありません。ジーニーのコミカルなキャラクター性によるカートゥーンっぽさが、本作品に対する親近感を出してるんですよね。それでいながら、ストーリーはとても上手に作られているのでしっかりと「面白い」大衆娯楽作品に仕上がっています。その点が『アラジン』の魅力の一つだと思います。


感動要素

 上で述べた通り、『アラジン』は大袈裟なコメディ要素のせいで多少のチープさが出ていますが、それでも他の第二期黄金期のディズニー作品に負けず劣らずしっかりと視聴者を感動させるだけの展開が用意されています。決して、単に安っぽくて笑えるだけのギャグアニメでは終わっていません。その点で、単にコミカルなだけで感動が薄かった暗黒期の作品群とは違います。『リトル・マーメイド』や『美女と野獣』に匹敵するだけの十分なエモさがラストシーンにはあります。

 先述の通り、「自由」や「アラジンの成長」という一貫したテーマに基づいて無駄なくストーリーが描かれてるから、コメディ要素が強く入っていてもきちんと終盤では感動できるんですよねえ。エンディングで、アラジンが「もう自分を偽るのをやめる」ことを決意し、最初の約束通りジーニーを解放するシーンではとても目頭が熱くなります。僕は一時期このシーンを見て何度も泣きました。とても感動する素晴らしいラストなんですよねえ。この感動要素は、それまでの『リトル・マーメイド』や『美女と野獣』などと比べても決して劣っていないと思いますね。素晴らしいです。


緊張感もちゃんとある

 コメディ要素が強めの『アラジン』ではありますが、それでも作品全体から漂うシリアスさは決して損なわれてない点が本作品の魅力でしょう。上述の通り、しっかりとエンディングでは感動させてくれますし、アクションシーンもスリルがあってハラハラさせられるもになっています。本作品の悪役であるジャファーとイアーゴのコンビはどちらも少々コミカルなキャラクターとして描かれているのですが、それにも関わらず終盤のアクションシーンではかなり絶望感のある敵として描かれてるんですよね。

 これは、ジャファーが終盤でジーニーというチートキャラを手に入れたからなんですが、この展開ゆえに終盤のアクションシーンでは「ジーニーに頼らないアラジンの活躍」を見せる効果のみならず、絶望感のある敵を演出させる効果も出している。非常に上手い展開だと思います。だからこそ、終盤のアクションシーンにおける緊迫感がかなり強いものとなっているんですよね。

 ジャファーが二つ目の願いを「世界一の魔法使いにする」という自己強化に使ったのも頭が良い展開だと思います。これゆえに、ジャファーが完全なチートキャラと化し、それに立ち向かわなきゃいけないアラジンの絶望感をより強く際立たせている。


洗練されたキャラクター設定

 本作品は、キャラクターの数が意外と少ないように見える点にも特徴があると思います。主要キャラは、アラジンとジャスミンジーニーの3人だけです。これに悪役のジャファーやその手下イアーゴ、ジャスミンの父サルタンなどが加わり、言葉を喋るキャラクターで出番が多いのはこの6人だけとなっています。あとは、言葉を喋らないアブーやラジャー、魔法の絨毯などのマスコット的な脇役がいる程度です。

 よくよく数えると主要キャラの数は他のディズニー作品と比べても大差ないんですが、エンディングでは上記のキャラクターしか画面に映らないため、『リトル・マーメイド』や『美女と野獣』のような「たくさんの人が総出で主人公たちを祝う」大団円っぽいエンディングに比べると、少しエンディングの画面が寂しく見えるのかもしれません。

 しかし、そのことが決してマイナス要因としては働いてないんですよね。むしろ少ないように見えるキャラだからこそ、それぞれのキャラクターの個性が強烈に印象づけられています。見た後に記憶に残りにくい「空気なキャラクター」はこの作品には皆無です。つまり、本当に魅力的なキャラクターのみを集めた「少数精鋭」っぽさをこの映画のキャラクター設定には感じるのです。そういう意味で「洗練されたキャラクター設定」だと言うことが出来ると思います。


各キャラクターたちの魅力

 以下、そんな各キャラクターについて語っていきます。と言っても、主人公アラジンの魅力については上で散々語りつくしたので、アラジン以外のキャラについて語ります。

ジャスミン

 本作品のヒロインです。ヨーロッパ外の地域出身のディズニー・プリンセスは彼女が初めてだと言われています。王宮での不自由な生活に不満を抱き政略結婚にも反発するキャラクター設定は、「自由」をテーマとする本作品のストーリーにも見事に合っています。自由恋愛を強く志向したり、王宮の外の世界の暮らしに憧れたりする点では、『リトル・マーメイド』のアリエルを彷彿とさせます。『リトル・マーメイド』も『アラジン』も監督は同じジョン・マスカー&ロン・クレメンツのコンビなので、実際多少は影響し合ってるのかも知れません。

 しかし、似てる点も多少あるとは言え、アリエルとジャスミンはそれぞれ全く違う性格のキャラクターとして描かれているので、「二番煎じ感」は全くないです。ジャスミンはアリエル以上に気が強いキャラクターとして描かれており、父サルタンやアリ王子や悪役ジャファーに対しても強い口調で自分の意思を主張するシーンが何度か描写されています。また、終盤でのジャファーとの戦いのシーンではアラジンに協力するためにジャファーを誘惑するなど、なかなかの強かさを見せています。こういうかなり「逞しいキャラクター」として描かれてることで、ジャスミンはなかなかに魅力的なヒロインになっていると思います。

 特に、終盤でジャスミンがジャファーを誘惑するシーンは、彼女のそういった逞しさが良く反映されているので個人的に大好きなシーンですね。主人公のアラジンだけでなく、ジャスミンもかなり機転の利くキャラであることが描かれている。しかも、アラジンとジャスミンが協力して上手く機転を利かせてトラブルを解決するシーンは前半でも描かれてるんですよね。市場で二人が初めて出会ったシーンがそれです。このシーンでアラジンに合わせて狂人のふりをするジャスミンの咄嗟の機転が描かれてるからこそ、終盤のアクションシーンでアラジンを助けるためにジャファーを誘惑するのも自然な展開になっている。この点も本作品の「伏線の上手さ」が良く現れたシーンだと思います。

ジーニー

  本作品の感動要素でもありコメディ要素でもある名脇役です。ここまで完璧な名脇役はなかなかいませんよ。彼の声を担当してるロビン・ウィリアムズ氏の演技力も素晴らしいですね。時に笑わせ時に泣かせてくれる、アラジンの良い友人キャラとして描かれています。これまでのプリンセスもののディズニー映画でも主人公の恋の成就を支えてくれる名脇役はたくさんいました。『シンデレラ』のジャックとガス、『眠れる森の美女』の三人の妖精たち、『リトル・マーメイド』のセバスチャンやフランダ―などがそうです。しかし、ジーニーはこれらの脇役以上の存在感を放っていると僕は思います。と言うのも、彼は単に主人公の恋の成就を支えるだけでなく、主人公との明確な友情関係を強調して描写されてるからです。主人公との絆に焦点が強く置かれているという点で、ジーニーのキャラは『白雪姫』の7人の小人を彷彿とさせる部分もあります。

 先述の通り、この『アラジン』という映画では、主人公アラジンとジャスミンとの間の恋愛だけでなく、アラジンとジーニーとの間の友情もかなり丁寧に描かれてるんですよね。異性間のラブロマンスだけでなく同性同士の友情も重要な要素として描かれているディズニー映画は当時としてはとても珍しかったと思います。かつてのディズニー映画だと例えば『きつねと猟犬』なども友情と恋愛の両方が描かれていましたが、あれはどちらかという「友情」のほうが中心的テーマでありトッドの恋愛にはそこまで重点が置かれていませんでした。それに対し『アラジン』では、アラジンとジャスミンの間の恋愛も、アラジンとジーニーの間の友情も、どちらも本作品のテーマに関わる重要な要素としてかなり強調して描かれています。

 このバランス感覚の良さが素晴らしいんですよね。それゆえに、ジーニーはジャスミン同様に本作品にとって欠かせないキャラクターとなっています。アラジンの大親友という重要な役割を担ってるんですよねえ。彼らの間にそのような美しい友情があるからこそ、アラジンは最後にジーニーを解放してあげるのです。この点が、「自由」という本作品のテーマにも繋がってるんですよねえ。本当に上手いです。

 また、コメディ要素としてもジーニーは面白いキャラクターとして描かれています。明らかに中世のアラビアらしからぬ恰好や仕草を頻繁に披露するジーニーのキャラはとても笑えます。ジーニーのこの「世界観にそぐわない演出」が、本作品をシリアスにさせすぎずに、気軽な気持ちで見させてくれるちょうど良いギャグ要素として機能してるんですよねえ。そして、こういう面白い魅力的なキャラクターとしてジーニーが描かれてるからこそ、観客もジーニーを自然と好きになるんですよね。

 だからこそ、ジーニーがラストでついに自由を手にするシーンで一緒に喜び、アラジンとの友情についつい涙を流してしまうんですよねえ。本当に感動的なラストです。僕は何度見てもこのシーンで泣いてしまいます。

ヴィラン

 ジャファーとイアーゴの漫才コンビも、本作品におけるコメディ要素と緊張要素の両方を担う名悪役でしょう。ジャファーとイアーゴのコミカルな掛け合いは、ジーニーのジョークと並んで本作品のコメディ要素として働いています。特にジャファーのイアーゴに対する扱いが面白いんですよね。結構ジャファーから酷い目に合わされているイアーゴが普通に可愛らしいし、そのカートゥーン的な動きも笑えます。本当にこの二人の漫才コンビっぷりが良い味を出してるんですよね。とても笑える面白いヴィランズだと思います。

 しかも、本作の悪役描写が上手いのは、コミカルでありながらジャファーもイアーゴも決して「間抜け」なキャラとしては描かれていない点なんですよね。『おしゃれキャット』の悪役エドガーはあまりにも間抜けな悪役だったためコミカルではあったものの緊迫感にも欠ける物語となってしまっていましたが、そういうのとは違ってジャファーもイアーゴもそれなりに悪知恵の働く狡猾なヴィランズとして描かれています。だからこそ、コミカルなキャラではありつつも決して作品内の緊張感を損ねてないんですよね。特に、先述した通り、終盤でジャファーがジーニーを支配下に置いてからの絶望感はなかなかのものです。誰も敵いそうにない絶望感のある敵としてジャファーが君臨してるので、ハラハラドキドキしながら物語を視聴することができます。本当に名悪役だと思います。

サルタン

 しばしば言われますように、本作品はサルタンが国王にしては少々無能に描かれている印象があります。まあ、国王としては確かに少々無能で威厳には欠けますが、お茶目で人柄の良い性格として描かれてるので親しみの持てるキャラクターにはなっています。僕はなんだかんだでサルタンのキャラも好きですね。ラストで、サルタンがジャスミンのことを思って法律を改正するシーンも好きです。なんだかんだで娘思いの良い父親として描かれているんですよね。

 中盤でジャファーに対して、「ジャスミンの嫌がる相手と結婚させるわけにもいかないじゃろ」と言ったり、なんだかんだでサルタンも娘の自由意思をそれなりに尊重してるところは描かれてるんですよね。国王としてはジャファーの傀儡になりがちな無能ですが、ジャスミンの父親としては普通に素晴らしい魅力的なキャラだと思います。僕は好きです。*9

アブー&魔法の絨毯

 個人的に、アブーのクソガキ感があまり好きになれないんですが、一方で魔法の絨毯のキャラはわりと好きですね。というか、このキャラクターのアニメーションによる表現は素晴らしいと思います。アブーと同じくアラジンの友達キャラとして登場するのですが、アブーとは違ってセリフだけでなく表情すらない状態で感情を表現できてるのがすごいです。

 アブーのような喋らない動物キャラクターの感情をその表情や身振りだけで的確に表現する技術は、ディズニーが今までのアニメーション制作を通して培ってきた技術であり、それゆえに新しさはあまりありません。しかし、魔法の絨毯のようなセリフだけでなく顔すらもないキャラクターの存在はディズニーでも珍しいです。言葉も喋らなければ顔すらもないキャラクターの感情をここまで巧みに表現できてるのは、ディズニーのアニメーション映像の実力の凄さだと思います。お陰で、魔法の絨毯がとても魅力的で可愛らしいキャラクターになっています。大好きなキャラクターです。


音楽

 先述の通り、本作品もミュージカル映画だけあってたくさんの劇中歌が登場します。中でも特に有名なのが、"A Whole New World"でしょう。映画『アラジン』のみならず全ディズニー映画の音楽の中でもトップレベルに有名な曲であり、僕も"When You Wish Upon a Star"と並んで歴代で最も大好きなディズニーソングの一つです。本当に感動的でとても美しいバラードなんですよねえ。とにかく名曲としか言いようがないです。この曲に合わせてアラジンとジャスミンが魔法の絨毯で世界中を飛び回る映像演出も素晴らしいんですよねえ。「自由に外の世界を見たい」と言うジャスミンの夢をアラジンが叶えてあげる素晴らしいシーンです。上述の通り、映像もめちゃくちゃ綺麗です。心の底からエモい気分に浸れる名曲中の名曲だと思います。とにかく大好きすぎる。

 本作品でもう一つ有名な曲がジーニーの持ち歌"Friend Like Me"でしょう。ロビン・ウィリアムズ(英語版)の歌声もやまちゃん(日本語版)の歌声もどっちも素晴らしいです。アップテンポでとても楽しくなる曲です。何度でも口ずさみたくなるようなとてもキャッチーなリズムと派手なブラスの音が特徴的な名曲でしょう。一緒に映るジーニーの「なんでもあり」な映像演出も視覚的に楽しくて大好きです。音楽と映像が見事に合ってる素晴らしいミュージカルシーンだと思います。

 また、本作品は『千夜一夜物語』が原作なだけあって、アラビア風のエキゾチックな曲想の劇中歌もいくつかあります。"Arabian Nights"と"Prince Ali"です。"Arabian Nights"はオープニングで流れる名曲です。タイトル通り「アラビアン・ナイト!!」って感じのものすごくエキゾチックな曲想が特徴的です。オープニングで少し流れるだけの短い曲ですが、それでもサビの盛り上がりにはとても興奮しますし、何度でも歌いたくなる曲だと思います。ちょっとミステリアスで神秘的な雰囲気なのが素晴らしいんですよねえ。

 "Prince Ali"のほうもエキゾチックな曲想ですが、こちらは"Arabian Nights"と違って豪華で華やかな雰囲気の曲想になっています。まさに、「アラビアの大金持ちのパレード!!」って雰囲気が全面に出た名曲だと思います。後半の全員でコーラスするフレーズが個人的に特に大好きですね。エキゾチックなメロディでありながらしっかりと耳に残るフレーズにはなっています。とても良い曲だと思います。

 この"Prince Ali"は終盤でジャファーのヴィラン・ソングとしてもrepriseされます。このrepriseのほうではジャファーの嫌らしい歌い方がこれまた良い味を出してるんですよねえ。ジーニーの力で世界一の魔法使いとなったジャファーの無双っぷりが見れるシーンでもあり、とても絶望感のあるシーンなんですよね。その絶望感をより強く演出する音楽として上手く機能しています。特に、曲の終わりでジャファーが高笑いするシーンでの音楽の盛り上がりが素晴らしいです。お手本のようなヴィラン・ソングだと思います。

 他にも、主人公アラジンの初登場シーンで流れる"One Jump Ahead"のような名曲もあります。衛兵から逃げ回るアラジンの面白いアクション映像とともに、流れる爽やかで楽しげなメロディの曲です。途中で"A Whole New World"の一部と同じフレーズが使われているのも印象的な曲ですね。耳に残る楽しげな曲だと思います。この曲もそのすぐ後にrepriseされるシーンがあるのですが、reprise後はちょっとバラード風の悲しげな雰囲気にアレンジされています。こっちはこっちでとてもエモい感じの歌い方で好きです。人々からドブネズミと蔑まれているアラジンの悲しい境遇が良く歌われた名曲だと思います。


とにかく全てが大好きな名作

 ここまで『アラジン』の魅力を延々と語ってきましたが、ぶっちゃけまだ語り足りません、本当は、作中で何度も繰り返される"Trust Me"というアラジンのセリフのエモさや、クラッカーに恨みを持つイアーゴの面白さとか……etc細かい魅力をいくらでも語りたいんですがキリがないのでこの辺で終えます。

 とにかく全てが完璧な作品がこの映画『アラジン』だと思うんですよねえ。音楽も映像もキャラクターもストーリーも全てが良く出来ていて、文句のつけようが全くないです。秀逸な伏線が目立ち、一貫したテーマに基づき進むストーリーも素晴らしいし、洗練されたキャラクターたちの魅力も素晴らしいし、CGを駆使した綺麗すぎる色使いの映像も素晴らしいし、アラン・メンケンやハワード・アシュマンやティム・ライスという豪華アーティストによる名曲の数々も素晴らしいです。

 本当に、僕は全ディズニー映画の中でも間違いなく『アラジン』が一番好きな作品であると断言できます。それぐらい大好きな作品なんですよね。幼少期から何度も繰り返し見てきました。本当に素晴らしい名作です。大好きすぎる。








 以上で、『アラジン』の感想記事を終わりにします。案の定、めちゃくちゃ長い記事になってしまいましたね……。まあそれだけ好きな作品なので仕方ないです(苦笑)。次回は『ライオン・キング』の感想記事を書く予定です。それではまた。

*1:具体的には、"Arabian Nights"と"Friend Like Me"と"Prince Ali"がハワード・アシュマン氏の作詞で、"One Jump Ahead"と"A Whole New World"と"Prince Ali (reprise)"がティム・ライス氏の作詞です。

*2:なお、ジーニーの声優は日本語吹き替え版のほうも有名人を採用しています。「やまちゃん」の愛称で知られている山寺宏一氏です。

*3:後に彼らが監督を務めた『ヘラクレス』や『モアナと伝説の海』などでもその傾向が見られます。

*4:もはやプリンセスではなくプリンスが主人公なので、「プリンセスもの」と呼ぶべきではないかも知れませんが……。

*5:もちろん実際のアラジンの成功は決してジーニーだけの力によるものじゃないことは視聴者には明らかなんですけどね。アラジンはこの時点ではそうは思えていなかったということです。

*6:例えば、『白雪姫』や『101匹わんちゃん』、『美女と野獣』などでの悪役の倒し方がそうです。

*7:『眠れる森の美女』や『リトル・マーメイド』などがその例です。

*8:ロビン・フッド』や『王様の剣』などがその例です。

*9:なお、完全な余談ですけど「サルタン」ってのは固有名詞じゃなくてイスラム圏でよく使われる君主の称号のことです。世界史の教科書とかでは良く「スルタン」って書かれてるあれです。英語発音だと「サルタン」になります。ついでに言うと、「ジーニー」も固有名詞ではなくイスラム圏で「精霊」を意味する一般名詞です。