tener’s diary

てねーるのブログ記事です

【ディズニー映画感想企画第28弾】『リトル・マーメイド』感想~本格的な第二期黄金期の始まり~

 ディズニー映画感想企画第28弾は『リトル・マーメイド』の感想記事を書こうと思っています。しばらく暗黒期のマイナーな作品が続いていましたが、この作品は非ディズニーオタクでも知ってる超有名作品でしょう。これ以降、しばらくは有名なディズニー作品が続くはずです。
 そんな『リトル・マーメイド』について語っていきたいと思います。

 f:id:president_tener:20190918181746j:plain f:id:president_tener:20190918181812j:plain

【基本情報】

久しぶりのプリンセスもの

 『リトル・マーメイド』は1989年に28作目のディズニー長編アニメーション映画として公開された作品です。原作は有名なアンデルセンによる童話『人魚姫』です。ディズニーがプリンセスもののヨーロッパ童話をアニメ化したのは実に30年ぶりのことです。一般的にディズニーと言えば「ヨーロッパの童話を原作としたプリンセスもの」というイメージが強いかもしれませんが、実は30年もの間ディズニーではそのようなアニメは制作されていなかったのです。『リトル・マーメイド』の前のプリンセスもののディズニー映画は、1959年公開の『眠れる森の美女』まで遡ります。

 そもそも、ウォルト・ディズニー存命時代には「ヨーロッパの童話を原作としたプリンセスもの」のディズニー映画はわずか3作しか作られていません。『白雪姫』『シンデレラ』『眠れる森の美女』の3作だけです。ウォルト存命時代に19作もの長編アニメーション映画が作られたにも関わらずそのうちわずか3作しかないのです。そして、ウォルト死後の暗黒期にはプリンセスものディズニー映画は一作たりとも作られていません。そう考えると、現在の我々が抱く「ディズニーと言えばプリンセスもの」というイメージは決してこの時代までのディズニーには当てはまらないことが分かるでしょう。

 決してプリンセスものばかりでなかったそれまでのディズニーの方針を転換して、プリンセスもののディズニー映画を全面に推したのが第二期黄金期の特徴の一つです。この『リトル・マーメイド』以降、『美女と野獣』『アラジン』とディズニーは立て続けにプリンセスの登場する物語を映画化してきました。そういうディズニーの新しい流れの契機となった作品が『リトル・マーメイド』だったのです。


アラン・メンケン氏の参加

 前の記事で述べた通り、前作『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』では第二期黄金期に繋がる様々な新しい試みが行われました。それらの試みはこの『リトル・マーメイド』でももちろん行われています。その中でも特に重要なのが「ミュージカル路線の拡充」です。『リトル・マーメイド』でもたくさんのミュージカルシーンが取り入れられ、「ミュージカル映画」としてのディズニー映画のイメージが確固たるものになったのです。

 『リトル・マーメイド』ではこのミュージカル要素を充実化させるために、当時ブロードウェイで名を馳せていた作曲家アラン・メンケン氏を作曲担当として採用しました。彼はすでに前作『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』からディズニー映画制作に携わっていたハワード・アシュマン氏とコンビを組み、たくさんの劇中歌を『リトル・マーメイド』のために作曲しました。この「作曲:アラン・メンケン&作詞:ハワード・アシュマン」という黄金コンビは、ディズニー第二期黄金期の初期の名曲たちを作ったコンビとして知られています。

 このコンビは当時すでに『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』というミュージカル映画*1の作詞作曲を手掛け成功に導いたことで名が知られていました。そんなハワード・アシュマンとアラン・メンケンのコンビをディズニーがこの『リトル・マーメイド』の音楽制作に採用したことで、ミュージカル映画としてのディズニーの復活がここに確定したのです。なお、ハワード・アシュマン氏はその後HIVにかかってしまいこの数年後に亡くなってしまうのですが、アラン・メンケン氏は2019年9月現在もまだ存命で、現在に至るまでたくさんのディズニー音楽の作曲を手掛けています。


第二期黄金期を支えた人たち

 これまでの記事で述べた通り、『きつねと猟犬』以降のディズニー・スタジオでは新世代のアニメーターが台頭していました。その中でも特に有名なのはジョン・マスカー氏とロン・クレメンツ氏のコンビでしょう。この二人は前々作『オリビアちゃんの大冒険』でも初めてタッグを組んで監督を務めましたが、この時はこの二人以外にもバーニー・マッティンソン氏やデイヴ・ミッチェナー氏も監督を務めていました。ジョン・マスカー&ロン・クレメンツの二人だけで監督を務めたのはこの『リトル・マーメイド』が初となります。

 つまり『リトル・マーメイド』は、ジョン・マスカー&ロン・クレメンツやアラン・メンケン&ハワード・アシュマンという二つの新しいコンビができたディズニー映画でもあるんですね。このコンビはどちらもディズニー第二期黄金期の繁栄を支えた存在として、今でも多くのディズニーオタクの間で尊敬されています。

 もちろん、彼らだけでなくマイケル・アイズナー氏やジェフリー・カッツェンバーグ氏のような指導者として第二期黄金期を率いた人もいますし、グレン・キーン氏のように作画の面で貢献した人もいます。そのような多くのクリエイターたちに支えられる形で、『リトル・マーメイド』以降のディズニーは第二期黄金期を迎えることになるのです。


ディズニー・ルネサンスの成功

 『リトル・マーメイド』は1989年に公開されると爆発的な大ヒットを記録しました。前作『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』も興行的には大成功でしたが、『リトル・マーメイド』の興行的成功はそれ以上のものでした。当時のライバルであるドン・ブルース氏の新作アニメーション映画『天国から来たわんちゃん』の興行収入も大きく上回る歴史的な大ヒット作品となりました。

 批評家からの評判もかなり好調で、特に音楽に関しては、主題歌の一つ"Under the Sea"がアカデミー歌曲賞を、作曲担当のアラン・メンケン氏がアカデミー作曲賞を受賞するなど、ものすごく高い評価を受けました。このように、『リトル・マーメイド』はアカデミー賞を受賞するぐらいの歴史的大ヒット作品となったのです。

 この『リトル・マーメイド』の大ヒットをきっかけに、それまでの長きに渡る暗黒期からディズニーは完全に抜け出し再びアニメーション業界の王者に君臨したため、これ以降の時期は俗に「第二期黄金期」または「ディズニー・ルネサンス」と呼ばれています。「ルネサンス」とはヨーロッパが暗黒の中世から抜け出し古代ギリシャやローマの栄光を取り戻した文化運動を指す歴史用語ですが*2、それと同様にディズニーも長い暗黒時代から抜け出して第一期黄金期の頃のような繁栄を再び謳歌することとなったのです。まさに「ディズニーの完全復活」と言えるでしょう。

 前々作『オリビアちゃんの大冒険』や前作『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』で徐々に回復の兆しが見えていたディズニーは、この『リトル・マーメイド』の記録的大ヒットを通してようやく誰の目から見ても明らかに「完全復活したな」と言える状態になったのです。そういう意味で『リトル・マーメイド』はディズニーの歴史において大きな節目となる非常に重要な作品だと言えるでしょう。





【個人的感想】

総論

 ということで、第二期黄金期の本格的な到来を告げる『リトル・マーメイド』ですけどね、はい、もう文句なしの名作です。傑作です。あまりにも完璧な傑作すぎて、わざわざ何か感想を書くことがあるのかと悩んでしまうぐらいの名作です。この作品から第二期黄金期が本格的にスタートすると言われているのも納得のクオリティです。ストーリーもキャラクターも映像も音楽も全てのクオリティが非常に高くてめちゃくちゃ感動します。マジで欠点が何もない完璧すぎる作品だと思っています。

 という訳で、以下僕が『リトル・マーメイド』で素晴らしいと思ってるところを片っ端から書いてきます。


完璧なストーリー

 『リトル・マーメイド』の素晴らしさの一つは何といってもストーリーの面白さでしょう。最初から最後まで終始飽きることなく画面に釘付けになりながら物語に入り込めるようなストーリー構成になっています。無駄に冗長なシーンが一つもないんですよね。かといって、展開がスピーディーすぎる訳でもない。このちょうど良いスピードで物語が展開していく点は本当に上手いなあと思います。

 人間界に興味を持つアリエルのキャラ紹介、父トリトンとの確執、王子エリックとの出会い、魔女アースラとの取引……etcと童話の王道展開が完全に無駄なく進んでいってます。その一つ一つのシーンではきちんと丁寧に各キャラクターの心情や考えが描写されているので、視聴者はそれに感情移入しながら見ることができる。

 また、本作品では最初から最後まで一貫してアリエルを主人公として描いており、それゆえに一本筋の通った分かりやすい物語になってると思います。この点は第二期黄金期の特徴だと思います。例えば『白雪姫』では小人が、『シンデレラ』ではジャックとガスなどの動物たちが、『眠れる森の美女』では妖精たちが、それぞれ準主役級のキャラクターとして動いており、終盤では彼らの活躍シーンもかなり多いです。それに対し、『リトル・マーメイド』ではフランダーやセバスチャン、スカットルなどの味方キャラはいるものの、あくまでも物語を動かす中心人物はアリエルとして描かれているように感じます。

 彼女が自らの意志で人間と積極的に関わることを選び、エリックを助け出し、魔女アースラと取引するんですよね。終盤は周りに助けられた感も強いですが、それでも巨大化したアースラの登場以降はエリックとアリエルの二人がアクションの中心にいます。このように、『リトル・マーメイド』はきっちりと「プリンセスが主人公の物語」として描かれてるから、僕らは最後まで主人公のアリエルに感情移入しながら鑑賞することができるんだと思います。この点は本当に素晴らしいです。


演出の上手さ

 本作品は面白い王道ストーリーに応じた演出の仕方もかなり上手なんですよね。盛り上がるべきシーンではきっちり盛り上がり、感動すべきシーンではしっかりと感動させるような豪華で壮大な演出がなされています。その演出の仕方一つ一つにものすごく手間をかけているのが伝わります。

 例えば、エリックが嵐に会うシーンやトリトンがアリエルのコレクションを全て破壊するシーンでは、かなり動きの激しい映像と危機感を煽る音楽が流れます。終盤で巨大化したアースラが海を操るシーンもそうです。特にこの終盤のアクションシーンの迫力は本当に圧巻だと思いますね。面白いディズニー映画には迫力あるアクションが必ずあるものです。本作品では、その迫力が今までのディズニー映画とは桁違いです。巨大化するアースラが海を荒らす映像はあまりにもすさまじくて、終始ハラハラした気持ちで見ることができます。

 このような迫力あるシーンもある一方で、感動的なエモいシーンの盛り上げ方も上手いんですよね。嵐から助かったばかりのエリックがアリエルを見つめるシーンや終盤の結婚式のエンディングなど、後述する"Part of Your World"の音楽の素晴らしさもあってとても感動してしまいます。特に僕はこのエンディングシーンでの豪華な音楽と「大団円」って感じの結婚式の雰囲気が大好きですね。

 緩急の付け方がとても上手なんですよね。盛り上がるべきシーン、感傷的な気分になるべきシーン、ハラハラすべきシーンなどが定期的に交互に現れるストーリー構成になっており、それぞれのシーンにおいて効果的な音楽や映像演出を使うことで視聴者が心から感情を動かされるようになっています。本当に上手な演出ですねえ。



魅力的なキャラクターたち

 『リトル・マーメイド』には数々の魅力的なキャラクターが登場します。こういう魅力的なキャラクターをしっかり用意してるのも名作の証ですね。以下、各キャラクターの魅力について語っていきたいです。

アリエル

 言わずと知れた主人公です。先述の通り、過去のディズニー映画のぷりんせすものと違い、『リトル・マーメイド』では明確のアリエルを主人公として目立たせるストーリーになっています。それゆえに、僕らはこのアリエルに大いに感情移入し同情しながら見ることができるんですよね。だからこそ、最後に彼女が念願かなってエリックと永久に結ばれるエンディングを僕は心から感動して見ることができるんですよねえ。

 なお、しばしばフェミニズム的な観点から、このアリエル以降ディズニーでは新しいタイプのヒロイン像が模索されるようになったと言われています。それはウォルト・ディズニー存命時代のディズニー・プリンセスを問題視するフェミニストの意見を受けての変化だとも言われています。過去のブログ記事で述べた通り、僕個人はフェミニズム的な観点でのかつてのディズニー・プリンセス批判にあまり賛同してないのですが、それを抜きにしてもアリエル以降ディズニーのヒロイン像が大きく変化したとはあまり思えません。プリンセスが気丈に自身の主張を述べるシーンは『シンデレラ』にも見られますし、いわゆる「強い女性」的なディズニーヒロインは『わんわん物語』のレディーや『ビアンカの大冒険』のビアンカ、『コルドロン』のエロウィー姫にも見受けられます。*3

 確かに、アリエルも父トリトンと対立したり、愛するエリックと結ばれるために自ら積極的に動くなどの姿勢が見られますが、これを今までのディズニー映画の流れとは大きく違う革新的なキャラ設定として捉えちゃうのは、むしろそれ以前のディズニー映画を馬鹿にしてると感じます。別に、アリエルの登場前からすでにディズニー映画はフェミニズムの批判にも耐えうるようなヒロインを描いてきてるし、世間が思ってるほど昔のディズニーは「ジェンダー観に問題がある」訳でもないです。昔のディズニー作品に対して「ジェンダー観に問題がある」という偏見が蔓延ってるのは、世間のディズニーに対する蔑視感情や敵対感情によるところもあるのでしょう。僕は、世間のディズニーに対するこういう誤った偏見を積極的に是正していきたいと思っています。

 とは言え、アリエルのキャラクター設定がとても魅力的なことには変わりないです。人間界への憧れと夢を抱き、好きな人のために努力するアリエルのキャラは、まさに「王道ディズニー作品の主人公に相応しい」キャラクターだと思います。そんな彼女の夢が最後に報われるからこそ、『リトル・マーメイド』はディズニーらしい素晴らしい王道作品に仕上がってるんですよね。

セバスチャン&フランダー&スカットル

 『リトル・マーメイド』が素晴らしい点は、脇役がきっちり脇役としての分をわきまえたうえで魅力的なキャラクターになってる点だと思うんですよね。先述した通り、ウォルト・ディズニー存命時代のぷりんせすものでは、『白雪姫』の小人たちや『シンデレラ』のジャックとガス、『眠れる森の美女』の妖精たちは、プリンセス以上の活躍を見せておりほぼ主役に近いとすら言えます。それに対して、『リトル・マーメイド』の脇役であるセバスチャンやフランダーやスカットルは終始アリエルのそばについていながらも決してアリエルより出しゃばらないんです。ちゃんと物語の中心人物はアリエルのままになってます。

 かといって、『コルドロン』のパーティメンバーのように全く活躍しない訳でもないです。むしろ、セバスチャンなどは物語の展開において欠かせない役割を果たしています。アリエルの秘密をトリトンに話しちゃったり、ミュージカルシーンでの音楽を担ったり、ルイとの追いかけっこコメディを披露したりするなど、ちゃんと「存在意義」の感じられる魅力的な脇役となっていることがうかがえます。終始アリエルの味方となるフランダーや、ギャグ担当のスカットルなども脇役として良い味を出してます。これらの魅力的な「名脇役」の存在が『リトル・マーメイド』をさらに面白くしてくれてるんだと感じます。

トリトン

 『リトル・マーメイド』ではアリエルと父トリトンとの確執が描かれている点も魅力の一つでしょう。こういう「親子の対立」はディズニー映画では何度か描かれているテーマであり、本作品でもそれが上手に描かれていると思います。アリエルの身を心配する余りに娘を縛り付けてしまうトリトンが最後に改心し、アリエルを人間にしてあげるシーンは本当に感動します。

 束縛の強い親が子供の自立と自由を認めるように変わるシーンが僕は本当に好きなんですよねえ。トリトンの父親としての立派さとダメさがどちらもしっかりと描かれてるからこそ、アリエルとの確執がリアリティのある親子対立に見えるんですよね。そういう点でキャラクターの描き方が上手いと思います。

ヴィラン

 本作品のアースラも名悪役ですね。アリエルに取引を持ち掛ける際の動きがいちいち嫌らしくて魅力的です。本当に、「主人公を誘惑して騙す悪い魔女」って感じの言動なんですよね。「怪しい誘惑的な口調でおかしな壺とかを買わせる詐欺師」って感じのキャラクター設定がされています。普通に狡猾で抜け目ない性格で、綿密な計画を練って王位簒奪を企むタイプの悪役なのも良いですね。頭の良い悪役って好きです。

 アースラだけでなく手下のフロットサムとジェットサムもなかなかに優秀な働きを見せています。この点は、「ディズニー・ヴィランズの手下は間抜け」というディズニーの伝統には合わない珍しいキャラ設定だと思います。しかも、アースラもわりとこの手下のことは大事に思ってるらしいんですよね。だからこそ、終盤でアースラはこの手下のウツボ二匹が死んだことに怒って巨大化したわけですし。

 こういうディズニー映画にしては珍しいキャラ設定がヴィランズに対して為されており、その点に新鮮味を感じたりもします。そういう点も含めて、魅力的な名悪役に仕上がってると思います。

エリック

 エリック王子もしっかりと魅力的なキャラクターに仕上がってますね。特に、終盤でアースラを倒す活躍を見せるなど、なかなかに格好良いプリンスキャラとして描かれています。自分を助けた女性を探し求めるロマンティックさも個人的に萌えポイントですね。嵐の中、飼い犬のマックスを助けに行くなど、序盤から格好良いシーンが描かれているので、終盤の活躍も決して違和感のない展開になってるんですよね。格好良いです。


海の映像の綺麗さ

 僕は、海中世界の映像が昔から大好きなんですが、そんな僕にとって『リトル・マーメイド』の世界観はとてつもなく魅力的です。かなり綺麗で神秘的な海の映像が本作品では見れるんですよね。特に"Part of Your World"をアリエルが歌うシーンでの海の映像の綺麗さは異常だと思います。光の入り具合とかがめちゃくちゃエモいです。こんなにも綺麗な海の映像を見せてくれるディズニーの技術に感心します。

 前の記事で述べた通り、この頃からディズニーでは映像にCGを活用するようになってましたが、『リトル・マーメイド』の海の映像の綺麗さはそのようなCG技術の賜物だと思います。水の独特な揺らぎや光の見え方などがとても綺麗に描かれています。こういう美しい海の映像の綺麗さを何度でも眺められる点も、『リトル・マーメイド』の魅力の一つだと思います。


偉大な名曲たち

 先述した通り、『リトル・マーメイド』ではアラン・メンケン&ハワード・アシュマンという黄金コンビの力によってたくさんの名曲が生まれています。最初から最後まで存分にミュージカル要素を味わうことのできるミュージカル映画の傑作となっています。特に有名なのは"Under the Sea"と"Part of Your World"の2曲でしょう。カリブ海風のアップテンポで楽しくなるメロディが特徴的な"Under the Sea"も、とにかくエモくて感動的な豪華なバラードとなっている"Part of Your World"もどちらも文句なしの名曲でしょう。何度でも聞いていたくなる曲だと思います。

 個人的に、"Under the Sea"は中盤以降の韻を踏んだ歌詞(英語版)が特に好きですね。この韻の楽しさゆえに僕はカラオケで何度でもこの曲を歌ってしまうんですよねえ。ハワード・アシュマン氏のセンスの良さが光る歌詞だと思います。この曲をセバスチャンが歌うシーンでたくさんの魚が集まって踊るカラフルな海の映像もめっちゃ好きです。音楽もとにかく楽しい名曲です。アカデミー歌曲賞を受賞するのも納得のクオリティでしょう。

 "Part of Your World"はこの『リトル・マーメイド』の主題歌とも言うべき曲ですね。作品内では何度もこの曲が流れてきます。序盤でアリエルが歌うシーンは海の映像の綺麗さも相まって、感傷的な気分に浸れる名シーンだと思います。そして、アリエルが「アーアーアアー」と発声練習っぽくこの曲を歌うシーンも良いですね。エモい歌のメロディが『人魚姫』の世界観に合っています。個人的には、ラストの結婚式のシーンでこの曲が流れるところも大好きです。本当に大団円って感じのハッピーエンドで幸せな気持ちになります。そんな幸せな気持ちを存分に盛り上げてくれる名曲でしょう。

 また、受賞こそ逃したもののアカデミー歌曲賞にノミネートされた"Kiss the Girl"もかなりの名曲でしょう。セバスチャンの作り出す良い感じの「ムード」が本当に好きです。この曲に合わせてエリックとアリエルがキスしそうになるシーンは本当にワクワクしながら見ていられます。ボキャ貧なので「エモい」としか表現できないのですが、とにかくエモい名曲だと思います。

 本作品には名ヴィランズ・ソングである"Poor Unfortunate Souls"も流れています。アースラの怪しさや気味の悪さが秀逸に表現された名曲だと思います。聞いていてゾクゾクするような怪しさが全面に漂っています。こういうヴィランズ・ソングは魅力的だなあ。余談ですが、アースラがこの歌を歌い終わった後でアリエルが人間に変身するシーンの緊張感ある演出が僕は好きです。BGMで流れるこの曲の緊迫感と、動きの激しいアニメーション映像のおどろおどろしい雰囲気が良い味を出してるんですよね。

 その他にも、本作品では"Daughters of Triton"や"Les Poissons"などの良曲がいくつも流れてきます。こういう劇中歌が大量に盛り込まれてることで、「ミュージカル映画としてのディズニー映画が完全復活したなあ」と実感することができます。また、本作品では劇中歌以外のBGMによる演出も上手いです。先述の通り、物語の展開に合わせて上手く緩急のあるBGMを付けられてると思います。


とにかく文句なしの名作

 ここまで、『リトル・マーメイド』の魅力を語ってきましたが、とにもかくにも本作品は文句なしの名作だと思います。マイナスポイントが見当たらないで、終始一貫して褒めまくる感想記事しか書けません。誰の目から見ても明らかな「ディズニー・ルネサンス」の完全なる到来を告げる作品にふさわしい傑作でしょう。歴史に残る名作として扱われるのも当然だと思います。僕もめちゃくちゃ大好きな作品です。とにかく素晴らしいとしか言いようがないです。








 以上で、『リトル・マーメイド』の感想記事を終わりにします。今回も長くなってしまいましたね……。次回は『ビアンカの大冒険 ゴールデン・イーグルを救え!』の感想記事を書く予定です。それではまた。

*1:ディズニーの映画ではないです。

*2:まあ最近の歴史研究では、こういう中世暗黒史観は古い見方として廃れてるらしいですけど。

*3:脇役キャラや子供キャラまで含めればもっとたくさんいます。

【ディズニー映画感想企画第27弾】『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』感想~実質的な第二期黄金期の始まり~

 ディズニー映画感想企画第27弾です。今回は『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』の感想を書こうと思います。これも日本での一般的知名度は低いですが、前作と並んで第二期黄金期の兆しを感じさせる「隠れた名作」としてディズニーオタクの間で扱われることも多い作品です。
 そんな『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』について語っていきたいと思います。

 f:id:president_tener:20190918013128j:plain f:id:president_tener:20190918013152j:plain

【基本情報】

黄金期復活に向けて

 『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』はディズニー27作目の長編アニメーション映画として1988年に公開されました。原作はイギリスの有名な文豪チャールズ・ディケンズ作の『オリバー・ツイスト』ですが、舞台や登場キャラクターを大幅に変更しています。なお、余談ですが本作品公開と同年にディズニーは他社とも協力して、実写とアニメの合成映画である『ロジャー・ラビット』も公開しています。

 これまでの記事で述べた通り、1984年以降のウォルト・ディズニー・カンパニーはマイケル・アイズナー氏やジェフリー・カッツェンバーグ氏のもとで新体制を迎えました。『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』はそんな新体制の指導者ジェフリー・カッツェンバーグ氏の提案によって企画された作品です。前作『オリビアちゃんの大冒険』の企画構想は旧体制下でのことだったので、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』は「企画の構想から制作まで全て新体制下で行われた最初の作品」になります。だからこそ、新体制の純粋な実力を初めて測れる作品だとも言えるでしょう。実際、この作品を「新体制の船出」にふさわしい作品とするために、いくつかの新しい試みが行われました。

 これらの新しい試みは翌年以降の第二期黄金期にも通じる試みであり、それゆえに『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』は「第二期黄金期の実質的な始まり」となる作品だと言えます。


ミュージカル路線

 そのような新しい試みの一つがブロードウェイ風のミュージカル路線の拡大でしょう。それまでのディズニー映画でもミュージカル要素はありましたが、暗黒期のディズニー映画では一部例外を除いてミュージカル要素は少なめだったんですよね。前々作『コルドロン』ではミュージカル要素は皆無でしたし、前作『オリビアちゃんの大冒険』ではミュージカル要素が復活したとはいえ劇中歌は3曲しかありませんでした。それに対して、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』では劇中歌が5曲に増えたうえ、ミュージカルシーンにたくさんの尺がとられました。

 このような「ミュージカル要素の充実」は戦前の初期ディズニーや1950年代以降の第一期黄金期のディズニー映画を彷彿とさせ、「ミュージカル映画としてのディズニーの復活」を印象付けることになりました。この傾向は翌年の第二期黄金期にも引き継がれ、「ディズニー映画と言えばミュージカル」というイメージを再び人々の間に根付かせることになります。

 本作品ではミュージカル要素を充実させるために、すでに音楽家として名を馳せていたハワード・アシュマン氏が作詞担当に任命されました。後に作曲家アラン・メンケンと組んで『リトル・マーメイド』や『美女と野獣』で多くの作詞を手掛けることになるハワード・アシュマン氏が初めて携わったディズニー映画がこの『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』だったのです。ミュージカル要素の面でディズニー第二期黄金期の繁栄を支えることになる作詞家の力量は、この作品でも存分に発揮されています。

 さらに、本作品は舞台が現代のニューヨークのマンハッタンということもあって、当時のアメリカで流行っていたポップス歌手を声優に採用しました。それがビリー・ジョエル氏とベット・ミドラー氏の二人でした。洋楽好きならば、というか洋楽好きでなくても恐らくみんな知ってるであろう超有名なこの二人の歌手*1を、ディズニーは声優に抜擢したのです。そして、本作品内ではこの二人がミュージカル・ソングを歌うシーンが流れています。

 また、声優こそ務めていませんが劇中歌の歌い手として、これまた超有名なミュージシャンであるヒューイ・ルイス氏やルース・ポインター氏などを採用しています*2。このようにビッグネームのミュージシャンを多数採用したことからも、当時のディズニーがミュージカル要素の充実にだいぶ力を入れていたことがうかがえるでしょう。


CGの本格的な多用

 もう一つの新しい試みがCGの本格的な多用です。前々作『コルドロン』や前作『オリビアちゃんの大冒険』でも一部シーンにCGが使われていましたが、この『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』からは作品内の至る所でCGが多用されるようになります。とうとうディズニーがコンピュータ・グラフィックス(CG)という新しい技術を本格的に使うようになったのです。

 このようなCGの積極的な活用はその後の第二期黄金期作品でも共通しています。そのような意味で、本作品はアニメーションの技術史上においても意義の大きな作品であると言えるでしょう。新しい技術の積極的な使用はウォルト・ディズニー存命時代からのディズニーの伝統であり、そのようなディズニーの伝統が本作品から復活したとも言えるかも知れません。


制作ペースの向上

 これも『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』における新しい試みの一つです。本作品は前作『オリビアちゃんの大冒険』のわずか2年後の1988年に公開されています。前作『オリビアちゃんの大冒険』がわずか1年で公開されたのは、『コルドロン』の興行的失敗による制作期間の短縮という消極的な理由によるものでしたが、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』以降の公開ペースのアップは黄金期復活に向けた積極的な理由によるものです。

 すなわち、再びディズニー・アニメーションの黄金期を決定づけるために、カッツェンバーグ氏たちが今後は約1年に1本のペースで新作の長編アニメーション映画を公開することを決めたのです。実際、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』が公開した1988年以降はほぼ毎年ディズニー映画の新作が公開されています。毎年クオリティの高い新作のディズニー・アニメーションが公開されていたからこそ、これ以降の時代は第二期黄金期と呼ばれるようになったのです。そんな第二期黄金期特有の早い公開ペースの始まりも本作品からだったのです。


第二期黄金期の実質的な始まり

 このように、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』は新体制下での新しい試みが多く行われ、その結果として興行的にも成功を収めることとなりました。これまでの記事で述べた通り、当時ディズニーにはドン・ブルース氏がライバルとして立ちはだかっていました。そんなドン・ブルース氏の新作アニメーション映画『リトルフット』も、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』の公開とほぼ同時期に公開されていましたが、ディズニーはこのドン・ブルース氏の新作を上回る興行収入を本作品を通じてアメリカで稼いだのです。こうして、ディズニーはドン・ブルースという強力なライバルにようやく勝てたのでした。*3

 一般に、ディズニー第二期黄金期は次作『リトル・マーメイド』の公開から始まるとされていますが、僕は『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』も「第二期黄金期の実質的な始まり」と言っても過言ではないだろうと思っています。上で述べて来た通り、この作品では第二期黄金期に通じる様々な新しい試みが行われた結果、興行的にも成功してライバルのドン・ブルース氏にも勝てました。まさに、ディズニー・アニメーションの栄光が再び復活しているということがうかがえる作品だと言えるんじゃないでしょうか。それゆえに本作品は「第二期黄金期」の‟公式”な始まりでこそないですが、‟実質的な”始まりと言うことは出来ると思います。




【個人的感想】

総論

 上で述べた通り、この『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』は第二期黄金期の実質的な始まりだと僕は思っています。つまり、第二期黄金期の名作たちの中に一緒に並べても見劣りしないんじゃないかと思えるぐらいには、めちゃくちゃ面白い名作だと思ってます。「隠れた名作」って言葉をこうも連発するのは気が引けるのですが、前作『オリビアちゃんの大冒険』と同じく本作品も十分に「隠れた名作」だと言えると思います。素直に「めっちゃ面白いわ、これ!」って言える作品に仕上がってるんですよね。

 第二期黄金期らしい豪華で楽しくなる演出、目まぐるしく変わるストーリー展開などなどが上手く作用しており、普通に名作と言って差支えのないクオリティに仕上がってるんですよね。エンタメとして盛り上がる場面があり、起伏のある展開もあり、感動要素もそれなりにあり、最後は大団円のハッピーエンドで終わる、という「黄金期のディズニーらしい王道」を十分に踏まえた作りになっています。

 ただ、ちょっと個人的にストーリーに対しては倫理的な違和感を覚える面もあります。このちょっとした倫理的嫌悪感が若干のマイナス要因として働いてはいますね。この倫理的嫌悪感は、主に原作の『オリバー・ツイスト』では完全な悪役として描かれていたフェイギンを善玉に改変してしまったことに起因するものです。この点への違和感についても後で詳しく述べたいとは思います。

 とは言え、基本的には本作品は第二期黄金期の実質的な船出を告げる名作と言っても過言ではない出来だと思います。とにかく純粋に面白いです。


音楽

 先述の通り、本作品ではミュージカル要素が大幅に拡充されており、その点が大きな魅力の一つになっています。「ディズニー第二期黄金期のミュージカル路線」はこの作品から始まったと言っても過言ではないでしょう。僕はこの頃のディズニーのミュージカル要素が大好きな人間なので、その点で『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』も非常に満足できる作品だと思っています。

Once Upon a Time in New York City

 まず、オープニングからしてこれまでの暗黒期ディズニー映画とは違います。冒頭からがっつりミュージカル風のオープニング・ソングである"Once Upon a Time in New York City"がいきなり流れ出し、ニューヨークの街並みが映し出されるオープニングとなっています。冒頭で音楽と共に舞台となる世界をいきなり見せる演出は、『アラジン』や『ノートルダムの鐘』を彷彿とさせます。視聴者を序盤から一気に作品舞台へと引き込ませてくれる素晴らしいオープニング演出だと思います。

 そんな素晴らしいオープニング演出を際立たせている"Once Upon a Time in New York City"もこれまた名曲でしょう。先述の通り、この曲は有名なミュージシャンのヒューイ・ルイス氏が歌っています。さわやかな曲想が心地よい名曲だと思います。その爽やかな雰囲気が、ニューヨークの街並みの映像に合っています。この音楽の映像に合わせて、主人公オリバーの境遇を表すアニメーションが流れてくるんですよね。具体的な説明セリフは一切ないにも関わらず、歌詞と映像だけでオリバーの背景が察せられる上手な演出に仕上がっています。この歌詞は先述したハワード・アシュマン氏が作詞に携わってるらしいので、そんな彼の力量が良く現れてるんでしょうね。だからこそ、歌詞と音楽と映像だけでしっかりと状況が伝わってるんだと思います。個人的にとても好きなシーンですねえ。

Why Should I Worry?

 そして、本作品の主題歌とも言える曲が、ドジャー演じるビリー・ジョエル氏の歌う"Why Should I Worry?"でしょう。この映画で流れる曲の中では僕はこの曲が一番好きです。というか、僕はもともとビリー・ジョエルの歌がめちゃくちゃ好きなんですよね。彼の力強い声量で歌われるこのアップテンポな曲は、聞いてるだけでとても楽しくなる屈指の名曲でしょう。かなり現代風のアップテンポなポップ・ミュージックなんですが、その曲想が大都会ニューヨークを駆け回るドジャーのアニメーション映像に見事に合ってるんですよね。

 この曲が流れてくるシーンのアニメーションの映像もめちゃくちゃ楽しい映像に仕上がってます。現代風のニューヨークの街並みが次々と映し出されてドジャーとオリバーがそこを駆け回り、終盤では街中の犬たちが大勢で交差点のど真ん中を闊歩するシーンが映し出されます。こういうミュージカル映画らしい大袈裟かつ豪華な演出は見ていて楽しくなりますね。大好きです。*4

 この曲はエンディングでも再び流れ、ドジャーやティトたちがニューヨークを走るたくさんの車の上に乗りながら別れを告げるという、これまた楽しい映像に仕上がっています。パトカーのランプを叩くティトが良い味を出してます。本当に、ノリノリで何度でも歌いたくなる名曲だと思います。やっぱりビリー・ジョエルの歌声は良いですねえ。

Streets of Gold

 この曲も"Why Should I Worry?"と同じくアップテンポな曲想がニューヨークの街並みにマッチする良曲ですね。主に歌ってるのは有名なポインター・シスターズの一人ルース・ポインター氏です。他の曲に比べると少々短めな曲ではあるんですが、ルース・ポインター氏の歌声のすごさがうかがえる素晴らしい曲だと思います。

 バックで流れるリズミカルなドラムの音とちょいちょい入るシンセの音が個人的に好きな曲でもあります。しっかりと耳に残る音楽になっています。

Perfect Isn't Easy

 ジョルジェット演じるベット・ミドラー氏が歌う名曲です。典型的な「我が儘で高慢な金持ちのお嬢様」って感じのジョルジェットのキャラが良く分かる名曲だと思います。今までのロックっぽい曲とは打って変わって、豪華なお金持ちのための曲って感じの曲想になっており、これはこれでとても印象深く耳に残る曲になっています。

 ベット・ミドラー氏の声量すごいですね。良くこんなに声が出るなあ、と感心してしまいます。個人的には"Why Should I Worry?"と並んでこの映画の中で一番好きな曲です。今でもたまに何度かリピートして聞いてしまうぐらいには好きですね。

 音楽とともに流れるアニメーション映像も素晴らしいです。今までの歌のシーンとは打って変わって、ニューヨークの屋外ではなく豪華な大邸宅の屋内で歌われてるんですが、ちょいちょい窓の外からニューヨークの景色も一望できるシーンがあります。このシーンのあるお陰で、ジョルジェットの箱入りお嬢様っぷりが存分に強調されてて、なかなかに魅力的なミュージカルシーンになってると思います。

Good Company

 恐らく"Why Should I Worry?"と並んで本作品の主題歌扱いされてる曲でしょう。終盤の感動シーンでも流れてくるぐらいですからね。これまでの曲とは違って、ここはとても感動的でほっこり癒される音楽となっています。ぶっちゃけ、この曲が一番「第二期黄金期のディズニー・ソングらしい」です。『リトル・マーメイド』で言えば"Part of Your World"、『美女と野獣』で言えば"Beauty and The Beast"、『アラジン』で言えば"A Whole New World"に相当する曲でしょう。

 爽やかなピアノの音と共に始まるこの曲に合わせて、ジェニファーとオリバーの心温まる交流の様子が描かれた映像が流れ、思わず心が癒されます。最初はピアノとボーカルの音だけだったのに、途中からオーケストラのたくさんの楽器の音が流れてくるのが個人的に好きなポイントですねえ。特にストリングスとブラスの音がめちゃくちゃ良いです。「とても豪華で感動的な曲だなあ」って感じがします。本当に第二期黄金期の到来を告げるような名曲だと思います。


ストーリー

 本作品の原作はイギリスの有名な文学作品『オリバー・ツイスト』です。実はそもそも僕はチャールズ・ディケンズの小説がわりと好きで、原作の『オリバー・ツイスト』もディケンズ作品の中ではかなり好きなほうなんですよね。『オリバー・ツイスト』ってストーリーが普通に面白くて、良くできたエンタメ作品になってるんですよね。だから、そんな『オリバー・ツイスト』をモデルにしてるこの『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』のストーリーもわりと面白く仕上がってると感じます。

 とは言え、ディズニー映画ゆえに『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』は原作の『オリバー・ツイスト』からは大幅に内容が改変されています。そもそも舞台やキャラクターからして原作から大幅に変更させられています。この映画の舞台は19世紀のイギリスではなく現代のニューヨークですし、オリバーやドジャーなど主要キャラクターのいくつかは犬猫に変えられています。また、フェイギンが善玉になるなど、ストーリーも大きく変えられています。

 それでも、大まかなプロットは『オリバー・ツイスト』と同じであり、だからこそ飽きずに見られるストーリー展開になってるんですよね。暗黒期に見られた中だるみするシーンは一切なく、次から次へとオリバーを取り巻く状況が移り変わりスピーディーな展開が繰り広げられているため、素直に「面白い」と思って見ることができる作品になっています。

 本当に展開がスピーディーなんですよねえ。前作『オリビアちゃんの大冒険』もだいぶテンポが良かったんですけど、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』のテンポの良さはそれ以上だと思います。かなり目まぐるしく次から次へと新しいイベントが起こっています。それでいながら、各キャラクターの行動動機にも説明不足や描写不足な点はあまり見られないので、前々作『コルドロン』のような「悪い意味での急展開」にもなっていません。しっかりと飽きずに面白く見続けられるテンポの良い作品に仕上がっています。こういうスピーディーで飽きない展開が次々と起こる点も黄金期のディズニー映画の特色なので、それゆえに本作品はストーリーの面でも非常に「第二期黄金期らしい面白さ」を醸し出してると思います。


キャラクター

オリバー

 本作品の数少ない欠点を挙げるとしたら、いくつかのキャラクターの魅力が薄い点でしょうか。例えば、主人公のオリバーですが、彼にはあまり主体性が見られません。移り変わる周囲の状況になんとなく身を任せてるだけのキャラクターに見えてしまいます。とは言え、この欠点は原作『オリバー・ツイスト』にも当てはまる欠点なんですよね。原作のオリバーも周囲の環境に流されるだけの主体性のない人物として描写されてるので、ある意味この点は原作に忠実だと言えるのかもしれません。

 主人公のオリバーが受動的すぎてほとんど活躍しないという点では、前々作『コルドロン』を彷彿とさせなくもないのですが、『コルドロン』と違ってオリバー以外の主要キャラ(ドジャーやフェイギンなど)は終盤でしっかりと活躍してくれてるので、主人公の影の薄さによるマイナスを十分に補っています。

ドジャーたち

 主人公のオリバーがあまり活躍してなかった一方で、ドジャーやティトなどフェイギンの飼い犬たちはしっかりと終盤のアクションシーンでも活躍しており、なかなかに魅力的なキャラになってると思います。みんなのリーダー格であり機転の利くドジャー、少々口調が乱暴だけど女好きな一面もあるティト、頼れる姉御肌のリタなど、それぞれにしっかりと個性的な性格が与えられています。それゆえに、各々がちゃんと魅力的なキャラに仕上がってるんですよねえ。彼らのキャラ設定は成功してると思います。

 とは言え、あくまでも彼らは後述するフェイギンのペットであり、それ故にフェイギンの命令で窃盗行為を働いてるんですよね。このことに対する倫理的嫌悪感は多少感じなくもないです。まあ、直接それを指示してるのはあくまでもフェイギンのほうなので、彼に比べると相対的に嫌悪感は小さめですが……。

ジョルジェット

 本作品において特に魅力的なキャラはジョルジェットでしょう。我が儘で高慢でオリバーに嫉妬するなど基本的に典型的な「嫌らしいお嬢様キャラ」なんですが、それゆえに本作品のギャグ要員としてなかなかにコミカルで面白いキャラクターに仕上がってると思います。

 彼女の歌う"Perfect Isn't Easy"も彼女のキャラクターが良く分かる名曲になってますしね。彼女とティトとの恋愛模様は、少々エグさのある後半の展開を緩和させるギャグ要素として上手く働いてると思います。終盤のアクションシーンで慌てふためく彼女の様子もギャグ要素としてなかなかに面白く働いてます。わりと好きなキャラですね。

 ドジャーたちを上手く騙してオリバーを家から追い出す企みを働くなど、普通にあくどいシーンも描かれているんですけどね。その後オリバーがいないのを悲しむジェニーに連れられてオリバー探しに駆り出されるなど苦労してるからか、いまいち憎めないお嬢様キャラになっています。

フェイギン

 逆に、僕はこのフェイギンと言うやつのクズさが好きになれません。先述した通り、このフェイギンというキャラクターに対して僕が抱く倫理的嫌悪感は、本作品の数少ない欠点として働いてると思います。ペットの動物たちを利用して窃盗行為を働いてるのは普通にクズでしょって思ってしまう。しかも、自身の貧困さやサイクスの強硬な取り立てをその免罪符にしているように見えるから余計にタチが悪く感じます。なんというか『カイジ』とかに出てきそうな「弱者しぐさを免罪符にゲスな行為を働くクズキャラ」に近いものを感じます。

 後年の作品だと例えばアラジンなんかも「生きるため食うために」仕方なく盗みを働いてる描写がありますが、あれはまあ大昔のアラブが舞台なので「貧困層は本当に盗みでもしないと生きていけない過酷な世界なのかな」と納得できなくもないんですが、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』の舞台は現代のニューヨークですからねえ。貧困が盗みや恐喝の免罪符として機能するような社会状況じゃないでしょ、と思ってしまいます。真面目に働き口を探すなり、仕事がないなら政府の福祉に頼るなりすれば良いのに……とどうしても思ってしまい、フェイギンに同情できないんですよね。これは舞台を現代のニューヨークにしたことが悪く働いちゃった例だと思います。*5

 このように個人的には許容できないクズな人間としてフェイギンが描写されてるにも関わらず、この映画はフェイギンを善玉のキャラとして描いちゃったため、本作品には倫理的嫌悪感を少し抱いちゃうんですよね、僕は。とは言え、原作では完全な悪党であるはずのフェイギンをディズニーが善玉キャラクターに変えた理由は仕方ない面もあるんですよね。なぜなら、原作ではユダヤ人であるフェイギンを悪党として描くと「反ユダヤ主義の人種差別だ」と非難されかねないからなんですよね。実際、原作の『オリバー・ツイスト』に対してはそのような批判がたまに聞かれます。

 ただでさえ、ウォルト・ディズニー氏に対して生前から「反ユダヤ主義者」「レイシスト」との批判が投げかけられていたこともあったからか*6、これ以上そのような批判を食らいたくなかったディズニーがフェイギンを完全なる悪党として描くことはできなかったという事情があったのかもしれません。個人的には、ユダヤ人の悪役が出て来ただけで「反ユダヤ主義だ」と認定するのは短絡的な考えすぎて全く賛同できないのですが*7、当時のディズニーはそのような批判にもある程度対応していったのです。いわゆる「ポリティカル・コレクトネス」を意識せざるを得なくなったと言うこともできるでしょう。このようなポリコレの導入もその後の第二期黄金期のディズニー映画に繋がる傾向ですね。

 とは言え、そのポリコレ的な改変が少し下手だったために、「原作同様のクズな悪党であるにもかかわらずなぜか善玉扱いされる」という歪なキャラクター設定がフェイギンに対して為されることになったのでしょう。まあ、それでもディズニー版のフェイギンは、悲しむジェニーの姿を見て改心し、誘拐したオリバーをジェニーに返してあげるシーンなどを通して根は良い奴として描かれているので、原作のフェイギンと比べれば相対的にマシなやつには見えますけどね。それでも彼を善玉に据えた本作のストーリーにはやっぱり少し倫理的嫌悪感を抱かざるを得ないです。

 オリバーをジェニーに返してあげるシーンだって、自分が誘拐犯だとジェニーにばれないようにわざわざ一芝居打つ辺り、卑怯者の極みって感じがして好きになれないですもん。こういう妙にズルくて卑怯で弱者ぶったクズを僕は好きになれないです。マジで『カイジ』に出てきたら「クズだ!」と非難されそうなタイプのキャラだと思います。

サイクス

 フェイギンと違って、サイクスは原作同様にディズニー版でも完全な悪役として描かれています。ただ、サイクスの悪役ぶりは少々シリアスすぎてちょっと魅力に欠けます。キャラクターにコミカルな要素が一切なく、普通にひたすらエグイことをしまくる純度100%の悪人なので、悪役としても好きになれないです。あんまり性格にも個性がなく、単にヤミ金融や少女誘拐を行うリアルなギャングって感じです。舞台が現代のニューヨークってこともあって、サイクスの悪行がわりとリアリティある犯罪なんですよね。サイクス自身のキャラも、普通にリアルにもいそうな「怖いギャング」って感じなので、個性もなければ悪役特有の魅力もないです。魅力的な名悪役が多いディズニー映画には珍しく、あまりにもシリアスすぎてエグすぎるので、逆に魅力に欠ける珍しいタイプの悪役だと思います。

 手下の飼い犬ロスコーとデソートはまだ多少間抜けな描写もあるのでマシですが、それでもやっぱり彼らもわりとシリアス寄りな悪役には違いないです。飼い主のサイクス同様にリアルな悪役すぎて少々魅力に欠けます。

ジェニーとウィンストン

 この二人のキャラは魅力的ですね。特にジェニーは「育ちの良い優しいお嬢様」として可愛らしいキャラに仕上がってると思います。欠点がなさすぎて逆に無個性な気が少々しなくもないですが、オリバーが彼女に懐くのも納得なキャラだと思います。そんな愛おしいキャラだからこそ、後半でジェニーが誘拐された時にみんなで一致団結して救出しようと自然に思える流れになるんですよね。

 ウィンストンも面倒見の良いお茶目な執事って感じのキャラでなかなかに面白いです。プロレス好きというギャップ萌えもきっちり抑えており、それなりに魅力的なキャラになっていますね。この二人は「お金持ちサイド」のキャラクターとしてなかなかに魅力的な描写ができていると思います。


アクション

 この頃の面白いディズニー映画にはほぼ必ず面白いアクションシーンがついていますが、それは『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』も例外ではないです。サイクスに誘拐されたジェニーを助けるためにドジャーたちが繰り広げる終盤のアクションシーンは本作品で一番盛り上がる山場でしょう。感電しながらワイヤーを操作するティト、その後滑り台のように滑り落ちるドジャーたちなど激しい動きのアクションが盛りだくさんで楽しいです。サイクスがリアルな悪人ゆえにとても緊張感ある展開になっています。

 そして、極めつけは終盤のサイクスとフェイギンによるカーチェイスシーンでしょう。地下鉄の中で繰り広げるカーチェイスアクションはとてつもないスピード感のあるアクションになっており、終始ハラハラしながら見ることができます。とても面白いアクションシーンだと思います。


感動的なエンディング

 怒涛のアクションが終わった後、気絶するオリバーがジェニーに見守られる中で復活するシーンは「第二期黄金期らしい」感動シーンだと思います。『美女と野獣』でラストにビーストが復活するシーンや『塔の上のラプンツェル』でラストにフリンが蘇生するシーンとかの感動に近いものがあります。ここで本作品の主題歌の一つである"Good Company"が再び流れる演出になっているのも良いですねえ。

 感動的なラストの後に、ギャグ要員のジョルジェットがボロボロになってるシーンが映る作りになってるのも素晴らしいです。大団円後のちょっとしたコメディ要素って感じで微笑ましくなります。その後のジェニーの家でのひと段落、そしてドジャーたちとのお別れシーンに至るまで、「あー、本当にディズニー映画らしいハッピーエンドだなあ」と感じさせるエンディングになっています。

 先述した通り、このエンディングで再び"Why Should I Worry?"が流れる点も僕は好きですね。ほっこりして幸せな気分になれるうえに楽しくもなる良エンディングだと思います。その後のエンドロールでは、それまでのミュージカル・シーンで流れた曲が順番に流れる仕様になってるので、「エンドロールで余韻に浸りたい」という人にはうってつけのエンドロールなんじゃないでしょうか。実際、僕はここのエンドロールで良い感じの気分に浸ることができます。



第二期黄金期の実質的な始まり

 ここまで述べて来たとおり、フェイギンを善玉にしたことによる多少の倫理的嫌悪感はありますが、それでもやっぱりこの『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』はとても面白い名作だと思います。その面白いと感じれる要素は、その後の第二期黄金期のディズニー作品にも共通する要素であり、だからこそ僕は本作品を第二期黄金期の実質的な始まりと呼んでも差し支えないと思っています。

 実際、黄金期の到来を告げていると思えるぐらい高いクオリティの作品になっています。ストーリーも面白いし、ミュージカル要素は充実してるし、エンディングはハッピーエンドで良い気分になれるし、アクションも見ごたえある。いくらかのキャラクターに倫理的嫌悪感を覚えるという欠点こそありますが、そこには目を瞑っても構わないと思える程度には他の要素が良く出来ています。なんだかんだで、この『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』は僕にとってかなり大好きなディズニー作品の一つになっています。







 いつもよりもかなり長い記事となってしまいましたが、以上で『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』の感想記事を終えたいと思います。次回は『リトル・マーメイド』の感想記事を書く予定です。それではまた。

*1:二人の名前を聞いたことない人も、多分"Piano Man"や"The Rose"で曲を検索して聞いてみれば「あー!この曲を歌ってる人か!」って分かると思います。

*2:ヒューイ・ルイスは日本だと映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主題歌"The Power of Love"を歌ったことで有名なミュージシャンでしょうか。ルース・ポインターは有名な音楽グループ「ポインター・シスターズ」のメンバーの一人です。

*3:ただし、これはあくまでもアメリカ国内での興行収入に限った話であり、世界全体での興行収入はドン・ブルース氏の『リトルフット』のほうが『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』を上回っています。

*4:余談ですが、このシーンでは同じく犬映画ということで『わんわん物語』や『101匹わんちゃん』のキャラクターがこっそりカメオ出演しています。こういうファンサービスが上手いのも、ディズニーオタクにとっては嬉しい演出ですね。

*5:と、ここまで書いた時点で『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』公開時の1988年のアメリカは小さな政府をモットーにしてたレーガン政権期であることに思い至った。『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』の舞台である「現代のニューヨーク」とは当然1988年の人にとって「現代」なので、当時のレーガン政権による社会保障の切り詰めという背景を考えればフェイギンに同情できるようになる可能性もあるかも知れない……?いやまあ、それでもやっぱり僕は現代風の世界観においてフェイギンのクズさを擁護するのは難しいと感じるので、彼を好きになれないですけど。

*6:なお、僕個人はウォルト・ディズニー氏は決して反ユダヤ主義者ではなかったと思ってます。彼に対するこのような批判の多くは基本的には不確かな根拠に基づく言いがかりに近いです。ウォルトはその生涯において決してユダヤ人を差別するようなことはありませんでした。

*7:例えば、白人の悪役が出て来たところで、それだけでその作品が「白人はみんな悪人だ」という差別的な考えを主張してると読み取る人はほぼいないでしょう。たまたまその白人が悪人だったと考えるだけです。同じようにユダヤ人の悪人が作品内に出てくるからと言ってユダヤ人への差別意識の表れだとは必ずしも言えないと僕は思います。数あるユダヤ人のうちたまたまその一人が悪人だっただけだと僕は考えます。

【ディズニー映画感想企画第26弾】『オリビアちゃんの大冒険』感想~黄金期への復活の兆し~

 ディズニー映画感想企画第26弾は『オリビアちゃんの大冒険』の感想記事を書こうと思います。この作品も一般的な知名度はわりと低いのですが、この頃から第二期黄金期に向けた復活の兆しが徐々に見え始めています。そんな『オリビアちゃんの大冒険』について語っていきたいと思います。

f:id:president_tener:20190917092210j:plain  f:id:president_tener:20190917092244j:plain

【基本情報】

厳しい環境下での制作

 『オリビアちゃんの大冒険』はディズニー26作目の長編アニメーション映画として1986年に公開された作品です。原作はイヴ・タイタスによる児童書『ねずみの国のシャーロック・ホームズ』シリーズです。ディズニー史上最大の失敗作と言われた前作『コルドロン』公開の1985年からわずか1年後の公開となっています。『王様の剣』の公開以降、ディズニーの新作長編アニメーション映画はおおよそ3~4年に一度のペースで公開されていたにも関わらず、本作品から公開ペースが一気に早まることになりました。これは数年後の第二期黄金期への復活の兆しととらえることができそうです。*1

 とは言え、『オリビアちゃんの大冒険』の公開ペースが早まったのは、そのような「黄金期復活に向けて」という明るい要因によるものではなく、「前作『コルドロン』の興行的失敗ゆえの制作規模の縮小」という暗い要因によるものです。前の記事で述べた通り、前作『コルドロン』は興行的に大失敗し大幅な赤字を出してしまいます。そのため、次作『オリビアちゃんの大冒険』は制作費の予算を半分に減らされ、制作期間も大幅に短縮させられたのです。前作『コルドロン』公開のわずか1年後の公開となったのは、そのような制作期間の短縮が原因でした。このように、『オリビアちゃんの大冒険』は制作費・制作期間ともに非常に厳しい環境下での制作となったのでした。


第二期黄金期復活の兆し

 厳しい環境下での制作ではありましたが、『オリビアちゃんの大冒険』制作には後年の第二期黄金期の兆しとなる要素がいくつかありました。前の記事で述べた通り、『コルドロン』制作中にマイケル・アイズナー氏がディズニーの新しいCEOに就任し、彼が映画部門に抜擢したジェフリー・カッツェンバーグ氏の下でディズニーは新体制へと変化しました。前作『コルドロン』はこの新体制移行前にほぼ完成していたため旧体制の名残がまだある作品ではありましたが、この『オリビアちゃんの大冒険』の制作は新体制の指導下で大いに進められていました。*2

 さらに、本作品はジョン・マスカー氏とロン・クレメンツ氏のコンビが初めて監督を務めた作品でもあります。このコンビは後に第二期黄金期で『リトル・マーメイド』や『アラジン』など多くの有名なディズニー作品の監督を務めることになります。そんな「黄金コンビ」とも言えるジョン・マスカー&ロン・クレメンツが初めて監督を務めたのが本作品であるため、この作品も後の第二期黄金期の兆しを感じさせてくれる作品となっているのです。*3

 このように、第二期黄金期の兆しを大いに感じさせた『オリビアちゃんの大冒険』は、公開後に十分な成功を収めディズニー復活の救世主となりました。厳しい環境下での制作だったにも関わらず興行的にも大ヒットし、批評家からも比較的高い評価を受けたのです。こうしてディズニーはそれまでの暗黒期から徐々に回復し始めたのですが、それでもまだこの段階では「完全回復」とまではいきませんでした。同年に公開された非ディズニーのアニメーション映画『アメリカ物語』が『オリビアちゃんの大冒険』の興行成績を上回る大ヒット作品となったからです。

 この『アメリカ物語』は、1979年にディズニーの経営方針に反発してディズニーを退社したドン・ブルース監督*4が、超有名な映画監督スティーヴン・スピルバーグ氏の協力なども受けながら制作したアニメーション映画です。この『アメリカ物語』は、当時のアメリカにおいて歴代のアニメーション映画史上最高の興行成績を叩きだすほどの大ヒット作品になりました。ディズニーに不満を抱いた元ディズニーアニメーターが今やディズニー映画のライバルとなって立ちはだかって来たのでした。興行的には成功を収めたはずの『オリビアちゃんの大冒険』もこの『アメリカ物語』の歴史的大ヒットには勝つことができず、ディズニーアニメーションの完全復活はまだしばらく先のこととなってしまったのです。




【個人的感想】

総論

 上述の通り、『オリビアちゃんの大冒険』は第二期黄金期復活の兆しとなった作品だけあってわりと面白い作品です。今までの暗黒期の作品と違い比較的クオリティの高い名作になってると思います。暗黒期特有の「暗さ」は本作品でも健在とは言え、ストーリーのまとまりの良さがそれらの難点を十分に補って余りあるほどなので、鑑賞後の満足度はかなり高い作品になっています。一般的知名度こそ『リトル・マーメイド』以降の第二期黄金期の作品群に劣るとは言え、この作品も『きつねと猟犬』とはまた別方向で「隠れた名作」だと言えるでしょう。当時、興行的に成功を収めたのも納得の出来です。純粋なミステリー風エンタメ作品としてかなり面白くてクオリティの高いものに仕上がっています。


邦題はダメ

 これは『オリビアちゃんの大冒険』という映画の中身そのものの出来とは全く関係なく、アメリカの制作陣営ではなく日本の広報担当の責任なので、本作品の欠点と言うべきではないのですが、『オリビアちゃんの大冒険』という邦題はかなりクソな邦題だと思います。原題とかけ離れた邦題を付けるのはそれまでのディズニー映画(というか洋画一般)にも良くあることですし、別に問題はないと思います。しかし、よりにもよって『オリビアちゃんの大冒険』という邦題を付けたのは大きくマイナスでしょう。

 この邦題の欠点は主に二つあります。一つは「邦題が作品の内容と全くかみ合ってないこと」です。『オリビアちゃんの大冒険』というタイトルだけを聞けば多くの人は「オリビアちゃんがこの映画の主人公で、彼女の冒険物語を描いた映画なんだな」と予想することでしょう。しかし、この作品の主人公は明らかにオリビアちゃんではなくバジルですし、オリビアちゃんは中盤で敵に捕まるので全く冒険しません。『オリビアちゃんの大冒険』は、あくまでもオリビアの依頼を受けた名探偵バジルが活躍する物語なのに、なんでこんな邦題を付けたんですかね?『名探偵コナン』のタイトルを『毛利蘭の大冒険』というタイトルに変えちゃうぐらいの詐欺ですよ。タイトル詐欺にも程がある邦題です。なお、原題は"The Great Mouse Detective"(直訳すると「偉大なネズミの探偵」)なので、しっかりと探偵のバジルが主人公であることが想起できるまともなタイトルになっています。

 二つ目の欠点は「他のディズニー作品と紛らわしいこと」でしょう。すでに、本作品の少し前にディズニーは『ビアンカの大冒険』という作品を公開しています。全然別の作品にも関わらず(続編とかですらないです)、『ビアンカの大冒険』と『オリビアちゃんの大冒険』という紛らわしいことこの上ない邦題を二つの作品につけた当時のディズニーの日本広報担当の考えが僕には理解できません。そのせいで今でも両作品を混同する人がたまに現れています。作品の内容自体も「ネズミたちが主人公」って点でちょっとかぶってるので、そのうえで邦題までこんなに類似していたら混同する人が現れるのも当然でしょう。なお、それぞれ原題は"The Rescuers"と"The Great Mouse Detective"で全然違うので、混同する恐れは日本より少ないと言えるでしょう。

 以上の二点から、『オリビアちゃんの大冒険』はかなりクソな邦題の付け方だと僕は思います。原題の"The Great Mouse Detective"の直訳タイトルでも良かったんじゃないかな?と思ってしまいます。まあ、この原題も制作陣の間では不評だったそうなんですが*5、それでも僕個人は『オリビアちゃんの大冒険』とかいうクソ邦題よりはまだ原題の"The Great Mouse Detective"のほうが内容ともかみ合ってるだけマシだとは思います。『ビアンカの大冒険』と混同することもないですしね。


ミステリー風エンタメ作品

 この作品は、ミステリー風エンタメ作品としてストレートに面白いんですよね。ネズミたちによる『シャーロック・ホームズ』風の物語展開がいちいち面白くて感心します。主人公バジルが探偵ホームズに、相棒のドーソンが助手ワトソンに、ラティガン教授が悪役モリアーティ教授にそれぞれ対応しており、『シャーロック・ホームズ』シリーズのパロディであることが明らかに見て分かる作りになっています。それゆえに、『シャーロック・ホームズ』シリーズのようなミステリー風の単純エンタメ作品としてストレートに面白いなと思える作品に仕上がってるんですよね。

 「オリビアの依頼を受けた探偵バジルが宿敵の犯罪王ラティガン教授の陰謀を食い止めるために捜査していく」というシンプルで分かりやすい王道なストーリーラインに沿って、次から次へと物語が展開していくため飽きずに見続けることができます。暗黒期のディズニー作品にありがちなダラダラと長ったらしくて冗長なシーンは本作品には見られないんですよね。そこがこの作品の魅力の一つだと思います。ともすれば中だるみしやすい中盤までの捜査パートも、次から次へと新しい手がかりが見つかり徐々に謎が解明していく展開となっているので、全く飽きずに面白く見ることができます。『ビアンカの大冒険』などよりも捜査パートの展開が面白いです。捜査パート中でもちょいちょいアクションシーンが挟まることで、画面が静的になりすぎることを防いでる点が良い効果をもたらしてるのかもしれません。おもちゃ屋でのフィジットとの格闘シーンや酒場での乱闘シーンなど、序盤から動きのあるアクションが本作品には多いんですよね。だからこそ、捜査パートもしっかりと面白く見ることができる。


アクションの面白さ

 『オリビアちゃんの大冒険』では緊迫感のある面白いアクションシーンが作品内の至る所で見られます。序盤でフィジットがオリビアの父を誘拐する場面からしてそうです。いきなり画面に‟どアップ”で映し出されるフィジットの映像には思わずビビってしまいます。序盤からいきなりスリルある展開を見せてくれて素晴らしいです。また、先述の通り中盤でもちょいちょいアクションが挟まってます。

 後半でのラティガン一味との戦いは、どたばたコメディとシリアスな要素が適度なバランスで混ざった素晴らしいアクションシーンでしょう。バッキンガム宮殿でのどたばたアクションから、空中でのラティガン教授との追いかけっこ、そして終盤での時計台での戦いに至るまで、面白いアクションが次から次へと続くので終始飽きずに見続けられるんですよね。本当に面白い。

 特に、終盤の時計塔でのアクションシーンは本作品の一番の見どころと言っても過言ではないでしょう。このシーンは宮崎駿監督の『ルパン三世 カリオストロの城』のシーンのオマージュとなっていて、有名なビッグ・ベンでバジルとラティガンの宿敵同士が戦うシーンは圧巻の迫力となっています。なお、このシーンのアニメーション作成ではディズニー初のCGが使われたそうです。*6

 あと、いわゆるアクションとはちょっと違うかもですが、バジルが良く分からん計算をした結果「ピタゴラスイッチ風の殺人装置」から脱出するシーンも個人的に結構気に入っています。こういうピタゴラスイッチっぽいアニメーション映像は見てるだけで楽しいし、成功するかがギリギリな感じの綱渡りっぽさが適度なスリルを味わわせてくれます。面白いシーンだと思います。


暗いけど面白い世界観

 『オリビアちゃんの大冒険』も暗黒期の例に漏れず少々暗い雰囲気が漂う作品になってます。そもそも『シャーロック・ホームズ』シリーズのパロディゆえ、舞台が1897年の夜のロンドンになっていて、画面が絵的に暗いんですよね。基本的に物語はずっと夜中の出来事になってるし、あの時代のロンドンって「霧の街」としての薄暗いイメージが強いですからね。しかも、そのロンドンに住まうネズミたちの物語ってことで、下水道の中を移動したりするので、舞台の暗い絵面にさらに拍車がかかってる。

 しかし、そんな暗い雰囲気の漂う世界観ではありますが、僕はこの『オリビアちゃんの大冒険』の世界観が結構好きなんですよね。そもそも『シャーロック・ホームズ』の舞台でもある19世紀末のロンドンの雰囲気が僕は大好きってのもあるんですが、『ビアンカの大冒険』同様に人間たちに隣接した社会でネズミたちが似たような文明を築いてるという世界観の発想も面白くて好きなんですよね。

 この作品は徹頭徹尾『シャーロック・ホームズ』シリーズのパロディとして描かれてるので、例えばバジルの住む家はベーカー街のホームズの家の下になっており、ホームズの捜査犬トビー*7をバジルも捜査に使ってたりします。また、バッキンガム宮殿のすぐ下にはネズミたちの女王の宮殿も存在していました。こういう風に、『シャーロック・ホームズ』シリーズの実際の舞台に隣接した形で、ネズミたちが類似した社会を築いてるという設定が面白くて好きなんですよね。

 『ビアンカの大冒険』とは違い、『オリビアちゃんの大冒険』はあくまでもネズミたちの国の中での物語として完結しており、ストーリーそのものに人間との関わりはほとんどありませんが、それでもこのように人間たちと隣接した世界観を設定したことでそれを利用した面白い発想のアクションが見られるようになっています。終盤でのビッグ・ベンでのラティガン教授との戦いはその最たる例でしょう。ビッグ・ベンというロンドンの有名な名所をアクションの舞台に採用する発想が面白くて好きです。その少し前にバジルとラティガンが空中で追いかけっこするアクションシーンでも、ロンドンの様々な名所が画面に映し出されており面白い映像に仕上がっています。


音楽

 『オリビアちゃんの大冒険』にもディズニーらしいミュージカル要素がいくつかあります。特に、個人的に名曲だと思うのが"The World's Greatest Criminal Mind"でしょう。本作品の悪役ラティガンが歌うこの曲は、ディズニーでも屈指の名ヴィラン・ソングだと思います。ラティガンのキャラがはっきりと分かる素晴らしい歌詞だと思います。そのうえ、ちゃんと耳に残って何度でも口ずさみたくなるメロディにもなってる。良い曲ですねえ。

 他にも、"Let Me Good to You"や"Goodbye So Soon"などの良曲がこの作品では流れています。劇中歌の数自体は少なめではありますが、どの曲もわりと印象深く耳に残る曲なので音楽のクオリティは高いと思います。あと、歌ではないけどBGMもわりと耳に残るメロディになっています。結構同じBGMが何度か繰り返されるシーンが多いので、音楽の良さがはっきりと実感できる作りになっています。


魅力的なキャラクター

 この作品では魅力的なキャラクターが多数出てきます。まず主人公のバジルです。彼のホームズを彷彿とさせる変人ぶりはなかなかに面白いキャラ設定だと思います。初対面の人(ネズミ)の経歴をいきなり推理して当てたり、急に周りを見ずにパイプをふかして考え込んだりするなど、ホームズを彷彿とさせるようなキャラクターとして描写されています。自信家のくせに妙にメンタルが弱かったりするのもチャームポイントだと思います。ピタゴラスイッチ風の殺人装置から脱出した瞬間にみんなで記念撮影し始めるバジルが可愛いです。その他にも、バジルはドーソンの話をまともに聞かず、急に思いついたかのように良く分からん実験を始めたりするなど、王道な「変人探偵キャラ」として描写されています。その描写がコミカルで魅力的なんですよねえ。

 そのバジルの宿敵であるラティガン教授のキャラも素晴らしいです。かなりの名悪役だと思います。まず、「悪党であることを誇りとする悪党」っていうキャラ設定になってるのが良いんですよねえ。ありとあらゆる犯罪を行うことで悪名を高めることに喜びを見出す悪役っていうのが、分かりやすい「絶対悪」って感じの設定に感じて好きです。そのうえ、「ドブネズミ」と呼ばれることにコンプレックスを感じており、普段は冷静な紳士っぽい態度を装ってるもののちょいちょい怒りっぽい凶暴な性格を垣間見せるっていうのがまた素晴らしいんですよね。ラティガンが普段必死に怒りを抑え込むシーンが何度も描写されてるからこそ、終盤のビッグ・ベンでの戦いのシーンでラティガンがついに怒り狂って暴れ出す描写が光るんですよね。この変化の過程は秀逸だと思います。それゆえに、終盤のビッグ・ベンでのラティガンとバジルのバトルが迫力あるシーンに仕上がっています。本当にラティガンは魅力的な名悪役ですね。

 その他にも、バジルの性格的な欠点を補佐する助手役のドーソンや、ラティガンの手下で苦労しまくるコウモリのフィジットなどなど、本作品には魅力的なキャラクターがたくさん出てきます。個人的には、地味ですがネズミの女王のキャラが好きだったりします。明らかにヴィクトリア女王のパロディキャラなんですが、妙に高慢に見える態度などがどことなくヴィクトリア女王を彷彿とさせ、上手いキャラクター描写だなあと感心しますね。これら魅力的なキャラクターがそれぞれの役割に応じてしっかりと活躍してくれるので、この作品は非常に興味深く見れる作品に仕上がってるんですよね。だから面白いんです。


これもまた「隠れた名作」

 ということで、この『オリビアちゃんの大冒険』はミステリー風の王道エンタメ映画として非常にクオリティの高い作品に仕上がってると僕は思います。普通に「面白い」という感想しか出てこないです。『きつねと猟犬』のようなジーンとする感動要素は本作品にはないのですが、単純な勧善懲悪のエンターテインメントとして素直に「面白い」作品に仕上がっています。それゆえに『きつねと猟犬』とはまた別方向で、本作品も十分に「隠れた名作」と言えるでしょう。とにかく単純に「面白い」エンタメ作品です。僕は結構好きですね。







 以上で、『オリビアちゃんの大冒険』の感想記事を終わりにします。次回は『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』の感想記事を書く予定です。それではまた。

*1:第二期黄金期にはおおよそ1~2年のペースで新作の長編アニメーション映画が公開されています。

*2:ただし、企画自体は新体制へ移行する前から構想されており、制作も新体制移行前から進められてはいました。

*3:ただし、『オリビアちゃんの大冒険』ではジョン・マスカー&ロン・クレメンツだけでなくバーニー・マッティンソン氏とデイヴ・ミッチェナー氏も監督を務めています。このうちバーニー・マッティンソン氏は後の第二期黄金期の作品も含め多数のディズニー作品の脚本制作に関わっている人です。

*4:詳しくは【ディズニー映画感想企画第24弾】『きつねと猟犬』感想~新世代へのバトンタッチ~ - tener’s diaryの記事を参照してください。

*5:当初は原作のタイトルでもある"Basil of Baker Street"をタイトルにする予定だったのですが、マイケル・アイズナー氏の指示で"The Great Mouse Detective"に変えられたそうです。主人公の名前を明示せずに変にぼかしたタイトルに変えられたことに不満を抱いた人も当時の制作陣の中にはいたそうです。

*6:本当はその前作『コルドロン』でも一部にCGが使われていたという話もちらっと聞きますが、ちょっとこの件については僕も良く分からないので何とも言えません。

*7:シャーロック・ホームズ』シリーズの1つ『四つの署名』にてホームズが捜査のために警察から借りた犬のことです。

【ディズニー映画感想企画第25弾】『コルドロン』感想~最も有名な失敗作~

 ディズニー映画感想企画第25弾は『コルドロン』について書こうと思います。一般的知名度こそ低いですが、ディズニーオタクの間では「ディズニー史上最大の駄作」「暗黒期における一番の黒歴史」としてものすごく有名な作品となっています。そんな不名誉極まりない知名度の高さを誇る『コルドロン』について語っていこうと思います。

f:id:president_tener:20190913142605j:plain f:id:president_tener:20190913142627j:plain



【基本情報】

新体制の発足

 『コルドロン』はディズニー25作目の長編アニメーション映画として1985年に公開された作品です。原作はアメリカのファンタジー作家ロイド・アリグザンダー氏による長編ファンタジー小説プリデイン物語』シリーズです。前の記事で述べた通り、前作『きつねと猟犬』の制作をもってナイン・オールドメンがみな引退し新世代のアニメーターへと制作が引き継がれました。そのため、『コルドロン』でも新世代のアニメーターたちが制作に携わっています。ディズニー・スタジオは新しい時代へと徐々に変わっていってるのです。

 しかも、『コルドロン』の制作中にはスタジオ内だけでなくウォルト・ディズニー・カンパニー全体においても大きな事件が起きていました。ちょっとした「政変」とも呼べるこの事件によって、ウォルト・ディズニー・カンパニー自身も新体制へと舵を切ることになるのです。以下、その政変について簡単に述べます。

 事態は、1983年にロン・ミラー氏がウォルト・ディズニー・カンパニー*1のCEOに就任した頃から始まります。ロン・ミラー氏はウォルト・ディズニー氏の娘ダイアンの夫でしたが、彼の経営方針に反対したロイ・E・ディズニー氏*2の働きかけによってわずか1年でCEOの座から追い落とされました。そして、彼に代わって1984年にウォルト・ディズニー・カンパニーのCEOに就任したのがマイケル・アイズナー氏でした。

 当時マイケル・アイズナーはすでにパラマウント映画*3の会長として名が知られており、ディズニーのCEOに就任したのもその実績が買われたからだと思われます。このアイズナー氏はその後2005年までずっとCEOを務め、良くも悪くもディズニー史において絶大な存在感を放っていくことになります。彼の評価については今でもディズニーオタクの間で大きく割れていますが、とにもかくにもその後のディズニーはこのアイズナー氏の指導下で大きく変わることになりました。アイズナー就任により、ディズニーはアニメーション・スタジオだけでなく会社全体でも新体制を迎えることになったのです。

 このアイズナー氏のCEO就任と同年の1984年にフランク・ウェルズ氏もウォルト・ディズニー・カンパニーの社長に就任します。このアイズナーとウェルズの二頭体制下で、後のディズニー第二期黄金期が始まることになるのです。その第二期黄金期の立役者として知られているもう一人の重要人物がジェフリー・カッツェンバーグ氏です。カッツェンバーグ氏はアイズナー氏と同じくパラマウント映画に所属していた経歴を持ち、アイズナー氏の誘いでディズニーの映画部門の最高責任者に就任しました。

 つまり、『コルドロン』制作中の1984年に、マイケル・アイズナー、フランク・ウェルズ、ジェフリー・カッツェンバーグの3人の重要人物がまとめてディズニーの主要ポストに就いた訳です。この3人の指導による新体制下で、ディズニーは第二期黄金期を迎えることになるのです。前作『きつねと猟犬』の制作期間ではアニメーション・スタジオ内での世代交代が起き、今作『コルドロン』の制作期間ではディズニー社内での指導部の入れ替わりが起こりました。こうして、ディズニーは新しい体制へと舵を切ることになります。


史上最大の失敗作

 さて、そんな新体制下のディズニーで最初に公開されたのが本作『コルドロン』でした。とは言え、『コルドロン』の制作自体は1984年の「体制変化」の前からかなり進められていたので、この『コルドロン』という作品自体はあくまでも旧体制下の名残も感じられる作品と言えるものでした。そして、そんな旧体制下の名残もある映画『コルドロン』は興行的には大失敗した作品となってしまいました。

 『コルドロン』は1985年に公開されるとかなりの不人気作品となり、ただでさえ暗黒期と言われていた当時のディズニーにおいてもとんでもないレベルの大赤字を生み出した作品になってしまいました。批評家からもボロクソに批判され、現在でも「ディズニー史上最大の失敗作」「全ディズニー映画の中で歴代ワースト作品」としばしば言われるほどです。そのあまりにも酷い悪評ゆえに、ディズニーオタクの間では逆に「最大の駄作」として悪い意味でものすごく有名な作品になっています。ディズニーオタクに「ディズニー映画のワーストは?」と質問すれば、恐らくかなりの高確率で『コルドロン』と返って来るのではないでしょうか。『コルドロン』は、そういう「最も有名な失敗作」とも言うべき作品なんですよね。

 なお余談になりますが、かつて東京ディズニーランドにあった「シンデレラ城のミステリーツアー」というアトラクションは、このドマイナー作品である『コルドロン』をモチーフにしていました。今(2019年9月現在)はもうそのアトラクションはなくなっていますが、一昔前はこのアトラクションの存在も日本のマニアの間での『コルドロン』の知名度向上に貢献してました。





【個人的感想】

総論

 上述した通り、『コルドロン』はディズニーオタクの間では「最も有名な失敗作」とも言うべき作品になっています。ネットで本作品の感想を検索すると「クソ映画」「駄作」「ディズニー映画ワースト」「ディズニーの黒歴史」……etcと散々な評価が出てきます。クソ映画愛好家の人たちから一周回ってネタ扱いされることもあるぐらいです。

 そんなボロクソに叩かれてる『コルドロン』ですが、確かに僕も本作品はかなり「駄作」に近い作品だと思います。ダメダメ度合いは『王様の剣』と並ぶと思います。『王様の剣』もそうでしたが、単純に脚本がお粗末すぎるんですよね。とは言え、中盤まではわりと面白く見れるのも事実だし眠くなるようなタイプのつまらなさはないので、『王様の剣』や『バンビ』『ファンタジア』よりは見るのが苦痛ではないです。それなりに突っ込みどころも多いし、ネタにしながら見れる程度の面白さはあるんですよね。そういう意味で、「駄作ではあるけど言われてるほど酷くはなくね?」という感想も出てくる部分はあります。とは言え、やっぱり駄目な映画には違いないです。決して面白いと言えるような映画ではないです。以下、そう感じた理由について詳述していきます。


題材だけならば面白そう

 『コルドロン』って題材だけならば従来のディズニー映画には珍しい世界観を採用してるだけあって、面白くなりそうな雰囲気を醸し出してるんですよね。中世ヨーロッパ風ファンタジー世界が舞台なんですが、「明るい感じ」のファンタジー世界じゃなくちょっと‟ダーク”な雰囲気もあるファンタジー世界が舞台なんですよね。しかも、RPGにありそうな感じのファンタジー世界です*4。世界征服を企む魔王のお城、魔法の剣、人里離れたところに住む妖精や魔法使い、ドラゴンのペット……などなどそれっぽい要素が盛りだくさんです。

 特に、主人公とその仲間たちがRPGの‟パーティ”っぽさあるんですよね。伝説の魔法の剣を操る主人公・魔法を使えるお姫様・三枚目の吟遊詩人・人語を喋る謎の生物、というRPG的なパーティが冒険をする物語になっています。絵柄の雰囲気も全体的に暗い上、魔王城に住む敵たちのヴィジュアルがわりと恐ろしげなので、そういう点も含めてダークなファンタジーっぽさがあります。ホーンド・キングとか見た目だけならばかなり恐ろしいですもん。

 『眠れる森の美女』もわりとダークな雰囲気があるタイプのヒロイック・ファンタジーっぽい作品ではありましたが、『コルドロン』ではそのダークさがさらに増してます。トールキン氏の小説とかにありそうな暗さをものすごく強くした感じのファンタジーになってます。そういうタイプのファンタジーをディズニー映画で取り上げるのは珍しいので、上手く料理すれば「ディズニーには珍しい異色の名作」として人々の記憶に残ったのかもしれません。しかし、現実はあまりにも料理の仕方が下手すぎたため、その題材の良さを全く生かせてない作品となってしまいました……。


特に活躍も成長もしない主人公

 本作品の一番の欠点はここだと思います。主人公ターランはマジで大して活躍もしなければ成長もしません。ヘタレ主人公が終始ヘタレなまま物語が進行するという点では『王様の剣』を彷彿とさせます。このターランは序盤で「僕は将来勇者になって活躍するんだ」と夢見るものの、そのための努力も特にせず、単に自分の偉大さを無邪気に信じる中二病っぽい青年として描写されてます。しかし、豚のヘン・ウェンを守ることができずホーンド・キングに捕まってしまったことで、「僕は全然勇者なんかじゃなかったんだ」と打ちひしがれます。ここまでの展開を見て、多くの視聴者は「ああ、こうやって身の程を知った主人公が真の勇者として成長する物語なのかな?」と期待します。しかし、その期待は見事に裏切られるんですよね。

 中盤になってターランが急に活躍するんですが、それも単なる魔法の剣のおかげというね……。しかもその魔法の剣も魔女との取引であっさり手放しちゃうし、後半になってもとにかく主人公は全く活躍しません。唯一、ターランが格好良さを見せたのは自らの命を犠牲にしてブラック・コルドロンに飛び込もうとしたシーンだけでしょう。まあ、結局ガーギのほうが飛び込んだのでこの活躍もなくなり、最後にホーンド・キングが死んだのも主人公の活躍とは全く関係ない要因によるものでした。終盤の展開だけ見るとガーギのほうが主人公なんじゃないかってぐらいガーギのほうが活躍してます。

 そして、このターランがヘタレな性格から抜け出して成長する過程も特に描かれてないんですよね。各場面においてターランは毎回「なんか重要そうに見える決断」をするのですが、その決断に至る彼の心境の変化や成長過程がちゃんと描写されてないため、主人公にちっとも感情移入できないんですよね。例えば、ターランはものすごく深刻そうな表情で魔法の剣をブラック・コルドロンと交換するシーンが中盤にあるのですが、その深刻な気持ちが視聴者に全く伝わって来ないです。この魔法の剣ってターランがたまたま地下で手に入れただけの剣で、ホーンド・キングの手下から逃げるときに活躍しただけの剣なので、そんなに思い入れのある剣にも見えないし、「大きな戦力を失う」ことへの深刻さしか感じ取れません。案の定、魔法の剣と引き換えに手に入れたブラック・コルドロンを壊せないと知って後で落ち込む主人公を見ると、この作品は本当に主人公を徹底的に「良いところなし」なキャラとして描きたいのかなと思ってしまいます。

 そんな訳で主人公ターランの魅力が本作品ではほぼ皆無となっています。ここまで主人公に魅力がなく感情移入もできない作品は珍しいと思います。『コルドロン』が駄作と言われる主要な要因の一つでしょう。


中盤までは面白いのに……

 とは言え、この『コルドロン』は中盤までは何やら面白い雰囲気を醸し出してるんですよね。今までのディズニー映画には珍しいダークな世界観のもとで、色々と期待させるような伏線が随所に散りばめられています。展開も目まぐるしく変わるので飽きることなく見られ、続きが気になるようなストーリー運びになっています。それにも関わらず、この作品は中盤までの展開を通して抱いた視聴者の期待を後半で悉く裏切って来るんですよね……。

 例えば、豚のヘン・ウェンの存在です。序盤ではかなりの重要なキーアイテムとして扱われています。未来を見通す不思議な力を持っており、ホーンド・キングもその力を狙ってヘン・ウェンを捕まえようとしています。「きっとこの豚が物語全体の鍵を握る重要な存在となるのだろう」と多くの視聴者は予想しながら物語を見ると思うんですよね。ところがどっこい、後半から豚のヘン・ウェンは物語に一切絡まずに、主人公もホーンド・キングもあっさりとブラック・コルドロンを見つけてしまいます。「ええーー、序盤であれだけ強調されてたヘン・ウェンって結局何だったの……?」とがっかりせずには居られません。こういう悪い意味で「視聴者の期待を裏切る」展開が本作品には多いんですよね。

 ホーンド・キングの存在にしたってそうです。見た目だけはかなり恐ろしい容貌なのにも関わらず、結局大してあくどいこともしないままあっさりとブラック・コルドロンに吸い込まれてあっけない死を迎えてしまいます。なんか雰囲気だけ怖そうな悪役って感じでちっとも魅力がないです。見た目の恐ろしげな雰囲気だけは「何かとんでもないことをやってくれそう」感を醸し出してるのに何もやらないまま終わる。本当になんなんでしょうね、この悪役。


悪い意味で急展開

 本作品の数少ない良いところは「テンポが良い」ところだと思います。それまでの暗黒期の作品のような「無駄に長い」シーンは本作では見られず、次から次へと新しい事件が起こります。それゆえに、中盤まではわりと面白い作品として見続けられるんですよね。でも、その展開の目まぐるしさも後半からは難点に変わります。ぶっちゃけ展開が早すぎるせいで、個々の展開に感情がついていけず置いてけぼりになるんですよね。そのせいで、盛り上がるべきシーンでも気持ちは盛り上がれず、感動すべきシーンでも感動できないんです。急展開すぎて、個々のキャラの心情描写や掘り下げが雑だからだと思います。

 例えば、ガーギの自己犠牲シーンがそれです。このガーギというキャラは完全なる謎の生命体であり、それなりに出番の多いキャラにも関わらず最後まで背景の良く分からない「謎の生命体」のまま物語が進みます。その良く分からない謎のキャラのままであるガーギが終盤で急に自分の命を犠牲にしてブラック・コルドロンを止めたところで、いまいち感情移入できず感動もできません。ガーギについては色々と後の掘り下げられそうな伏線は至る所で散りばめられていたんですよ。ホーンド・キングの城に乗り込むターランに対して、「友達があの城に入るのはダメだ」と言ったりして過去に何かあったのか思わせるようなセリフがちょいちょい吐き出されています。でも、そういう思わせぶりなセリフがあるだけで結局ガーギの過去については何も明かされないまま物語は終盤を迎えます。

 本作品はこういう「説明不足」「描写不足」がやたら目立つんですよね。それなのに、説明不足&描写不足のまま展開だけは目まぐるしく変化するため「悪い意味で急展開」になっていて、視聴者は置いてけぼりを食らってしまうんです。後半の妖精や魔女の登場だって説明不足すぎて全然ついていけなかったです。特に魔女三人組に関しては、彼女たちが何をしたかったのかその目的がいまいち分からないので、魔法の剣と交換する下りや終盤でガーギを蘇らせる下りも含めて、唐突で全くついていけない展開となっています。いや、マジでこいつらの目的が良く分かりません。説明不足にも程があります。何のためにブラック・コルドロンを保管し続けてたのかも分からないし、なんで魔法の剣を欲しがったのかも良く分かりません。最初から最後までずっと謎の魔女たちのままです。訳が分からない。


キャラクターの魅力のなさ

 主人公ターランだけでなく他のパーティメンバーもいまいち魅力に欠ける人物となっています。ヒロインのエロウィー姫も三枚目ポジションのフルーダーも物語においてほとんど活躍しません。

 例えば、魔法の光の玉を操れるという能力持ちのエロウィー姫ですが、その能力が生かされたシーンは最初の登場シーンだけです。しかも、単に光の玉で暗闇を照らすだけの能力なのでショボいことこのうえないです。こんなのわざわざ魔法を使わなくても蝋燭でもあれば事足りる話です。ホーンド・キングはこのショボい能力を使ってブラック・コルドロンを手に入れるためにエロウィー姫を捕まえていたらしいですが、一体彼女のこの能力をどう活用するつもりだったのか全く分かりません。結局、エロウィー姫のこのショボい能力はブラック・コルドロン探しに使われることも一切なく、その後も活躍することなしに物語は終わってしまいます。そのせいで、彼女は存在意義の良く分からないキャラとなってしまいました。

 存在意義の分からなさは吟遊詩人のフルーダーにも当てはまります。この人もこれと言って活躍することなく、単に成り行きでターランたちに付いてきてるだけのキャラになってます。三枚目としてパーティの雰囲気を明るくさせてる以上の存在意義を見出せません。いなくて良くない?とどうしても思ってしまいます。

 序盤で出て来たドルベンも謎だらけのキャラクターです。豚のヘン・ウェンのことも含めて全ての状況を知っているような思わせぶりなセリフを最初のほうで言うのですが、結局この人の正体も良く分からないまま終わってしまいます。なんで謎の能力持ちの豚ヘン・ウェンを飼っているのか、なんでその面倒をターランに任せているのか、全く分からないです。思わせぶりな伏線だけ残していながらそれを最後まで回収することなく「謎の人物」のまま終わる意味不明なキャラクターとなっています。本当に、何者だったんですかね?


納得の黒歴史

 ここまで述べたように『コルドロン』は「ディズニー史上最大の失敗作」と巷で言われるのも納得の駄作となっています。とは言え、上述の通りストーリーや設定に突っ込みどころは多いものの、中盤までは展開のスピーディーさが幸いしてそれなりに飽きずに見られる作品に仕上がってる気もします。説明不足で突っ込みどころの多い急展開の連続ではありますが、それゆえに見てる間眠気を覚えるようなことは全くないです。終始「は?意味わかんない?」と突っ込みながら見ることができる面白さはあります。そういう意味で「駄作」「クソ映画」には違いないんですけど、「愛すべきクソ映画」程度にはなってるんですよね。見るのが苦痛ってほどではないので、ネタとして楽しむ分には悪くないんじゃないでしょうか?ダメダメな作品には違いないですけどね……。

 本作品はディズニー本家でも黒歴史に近い扱いを受けています。例えば、本作のヒロインであるエロウィー姫は一応「プリンセス」であるという設定にも関わらず、2019年9月現在ディズニー公式の「ディズニー・プリンセス」に含まれていません。そんな風に公式からも「黒歴史」扱いされている『コルドロン』ですが、実際そういう扱いを受けるのも納得の出来でしょう。「ネタとして愛せる」程度の駄作ではありますが、やはり決して高くは評価できない作品には違いありません。世界観だけならばディズニーには珍しいダークファンタジーって感じで期待できるんですけどねえ……。やっぱりストーリーがお粗末だとダメなんだなあと感じる作品でした。






 以上で、『コルドロン』の感想を終わりにします。次回は『オリビアちゃんの大冒険』についての感想記事を書く予定です。それではまた。

*1:便宜上、現在の社名であるウォルト・ディズニー・カンパニーの表記をとりますが、正確に書くと当時の社名はウォルト・ディズニー・プロダクションになります。

*2:ウォルト・ディズニーの兄ロイ・O・ディズニーの息子です。つまり、ウォルト・ディズニーの甥です。

*3:アメリカの超大手の映画制作会社です。『インディ・ジョーンズ』シリーズや『スター・トレック』の映画などを作っています。

*4:と言っても、僕はRPGを全然やったことない人なのであくまでもイメージです。ひょっとしたら少し違うかも知れません。

【ディズニー映画感想企画第24弾】『きつねと猟犬』感想~新世代へのバトンタッチ~

 ディズニー映画感想企画第24弾は『きつねと猟犬』の感想記事を書こうと思います。日本での一般的知名度は低いですがディズニーマニアの間ではやたら有名な作品なので、ちょっと渋めの顔で「『きつねと猟犬』良いよね」とか言えばマニアの間でも通ぶれること間違いなしの作品となっています(?)。
 そんな『きつねと猟犬』について語っていきたいと思います。

 f:id:president_tener:20190912091335j:plain f:id:president_tener:20190912091401j:plain

【基本情報】

ナイン・オールドメンの引退

 『きつねと猟犬』は1981年に24作目のディズニー長編アニメーション映画として公開された作品です。原作はアメリカの作家ダニエル・P・マニックスによる同タイトルの小説です。本作品の公開をもって、前作『ビアンカの大冒険』の頃から進んでいたウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ内での世代交代が完了しました。そのため、本作品は「旧世代から新世代へのバトンタッチ」となった作品としてディズニー史においては有名な作品となっています。

 前の記事でも述べた通り、前作『ビアンカの大冒険』制作の頃からすでにナイン・オールドメン*1のうち何人かがスタジオからいなくなっていました。そして、本作『きつねと猟犬』の制作をもってナイン・オールドメンは完全引退することになります。つまりこの『きつねと猟犬』が、ナイン・オールドメンが制作に携わった最後の作品となったわけです。

 例えば、ナイン・オールドメンの一人であり、ウォルト・ディズニー氏の晩年からずっと監督を務めて来たウォルフガング・ライザーマン氏は本作の制作中にスタジオを引退しています。彼は、『王様の剣』から『ビアンカの大冒険』までずっと監督を務めてきた重鎮で、ウォルト死後の低迷期のディズニーを支えて来た人物でした。彼以外にも、フランク・トーマスやオリー・ジョンストンなど、まだ残っていたナイン・オールドメンのメンバーも本作品の制作中に続々と退社しています。

 こうして、この『きつねと猟犬』の制作を最後にナイン・オールドメンは全て引退し、第一期黄金期の頃からディズニーを支えて来た旧世代の時代がここで終了したのです。


新世代へのバトンタッチ

 もちろん、旧世代のナイン・オールドメンが引退したのならば、それに代わる新しい世代のアニメーターが出て来なければなりません。本作品では、その後のディズニーを支えることになる新世代のアニメーターたちが多数制作に携わっています。彼らの多くは、ウォルト・ディズニー氏が晩年に設立したカリフォルニア芸術大学(通称カルアーツ)の出身であり、エリック・ラーソンたちナイン・オールドメンによるアニメーター教育プログラムを受けた人たちでした。

 例えば、グレン・キーンやジョン・マスカー、ロン・クレメンツなどがこの『きつねと猟犬』の制作に関わっています。彼らはみな後の第二期黄金期で活躍するアニメーターたちです*2。この『きつねと猟犬』の制作を通して、彼らのような新世代へのバトンタッチが行われていたのです。

 その他にも、ジョン・ラセター*3ブラッド・バード*4クリス・バック*5など、21世紀以降のディズニーやピクサーの繁栄を支える人たちも本作品の制作に関わっていました。さらに、後に有名な映画監督として活躍することになるティム・バートン氏も、この『きつねと猟犬』の制作にまだ無名のアニメーターとして携わっています。

 このように、『きつねと猟犬』には後のディズニーの繁栄を支える新世代のアニメーターが多数参加していたのです。それゆえに、本作は「旧世代から新世代へのバトンタッチ」を象徴する作品として知られています。

 とは言え、この「世代交代」は必ずしもスムーズに進んだ訳ではありませんでした。本作品の制作中に、ジョン・マスカーやロン・クレメンツなどと同様に新世代のディズニーを率いることになると思われていたドン・ブルース氏がディズニーを退社して新しい会社を設立してしまいます。彼は、当時のディズニーのドル箱作品重視のやり方に反発し、ゲイリー・ゴールドマンやジョン・ポメロイなど仲間のアニメーターを大量に引き連れてディズニーを去ったのです。ドン・ブルースと共に多くのアニメーターがディズニーを辞めていったため、当時の『きつねと猟犬』制作に大きな支障となってしまったそうです。*6

 このような困難に会いながらも『きつねと猟犬』は何とか完成し、ディズニーに残った新世代のアニメーターたちへの旧世代からの引き継ぎも無事に完了しました。ディズニーは世代交代によって新しい時代へと舵を切ることになったのです。


隠れた名作

 上述の通り、『きつねと猟犬』はディズニーの世代交代を象徴する作品としてかなり力を入れて制作されていました。その甲斐あってか、本作品は興行的には大成功を収めます。批評家たちからの評判も概ね絶賛となり、暗黒期にしては珍しい成功作となりました。

 その割りには現在日本での一般的な知名度はあまり高くありません。そのため、本作はディズニーオタクの間では「ディズニーの隠れた名作」としての扱いを受けることが多いです。一般的知名度は高くないのに、マニアの間では「ディズニーの隠れた名作と言えば『きつねと猟犬』だよねえ」みたいな感じで話題に上がることが多いです。そういう「マニアの間では有名」な作品になっている気がします。

 後で、個人的感想の項目でも述べますが、本作品はディズニー映画の中では比較的「重くて深い」テーマを扱った作品なんですよね。最近は少なくなったとは言えいまだに「ディズニーは子供向け」という偏見を向けられることの多い状況において、硬派を気取りたいディズニーオタクはしばしば「いや、ディズニーにも深いテーマを扱った大人向けの渋めの作品があるんだ!」という反論をしたくなりがちです。そんな時に彼ら硬派ディズニーオタクが「大人向けのディズニー映画」の例としてしばしば取り上げがちな作品の一つがこの『きつねと猟犬』なんですよね。*7

 そんな訳で、好きなディズニー映画を聞かれた時に『きつねと猟犬』を挙げると、硬派ディズニーオタクからは「おっ、こいつ分かってんじゃん」「君はなかなかの通ですねえ」みたいに思われることが多いです、多分、おそらく……。なので、硬派なディズニー通を気取りたい人はとりあえずこの『きつねと猟犬』を見ておくと良いと思います(?)。




【個人的感想】

総論

 先述の通り、『きつねと猟犬』はディズニーオタクの間で「隠れた名作」との評価を受けることの多い作品ですが、実際僕もその評価には概ね納得しています。この作品は本当に「隠れた名作」だと思います。世代交代となった作品だけあってか、それまでのディズニー映画とは明らかに作風が違う点があるんですが、その新しい作風が素晴らしいです。

 本作品は今までと違いちょっと「大人向け」なシリアスなテーマを扱った作品となっているのですが、その新しい試みがちゃんと良い効果を生み出しており、ラストの展開にしんみりと感動する傑作に仕上がってると思います。細かい難点は多少なくもないのですが、それでも僕は本作は十分に「隠れた名作」と言えると思っています。


オープニング

 本作品は、オープニングからして「いつものディズニー映画とは違うな」という雰囲気を漂わせています。ちょっとシリアスな雰囲気が全体的に漂ったオープニングになっています。怖くて緊張感のある素晴らしいオープニングだと思います。

 まず静寂な森の様子を見せ、そこにキツネの親子が現れたかと思えば、いきなり恐ろしいBGMが流れ始め、猟犬に追われるキツネの映像が流れる。そして銃声と共に母狐が亡くなったであろうことを仄めかすシーンへと移る。この辺りの展開は『バンビ』を彷彿とさせますね。逃げるキツネたちだけを映して追手の猟犬や猟師は映さない演出が『バンビ』での狩りのシーンと酷似してます。この演出がちゃんと効果的に働いているので、印象に残る緊迫感あるオープニングに仕上がってると思います。


シリアスなテーマ

 そして、そんなオープニングが象徴するように本作ではちょっとシリアスなテーマが描かれています。個人的に僕は「この作品は深いテーマが描かれてるんだよー」みたいなことをドヤ顔で語って作品を持ち上げるオタクをあんまり好まないのですが*8、実際この作品はそういう「ちょっと大人向けな渋いテーマ」を上手く扱えている作品だと思います。

 下手すると「今までのディズニー映画っぽくない」と批判も受けそうですが、そこはきちっと従来のディズニー映画らしい明るいシーンも出すことでバランスを維持しています。例えば、ディンキーとブーマーのコンビがイモムシを追いかけ回すシーンなどでコミカルさも演出しています。そういうシーンを入れることで本作品が過度に暗すぎる作品になることを防いでいます。それゆえに本作は、ちゃんとディズニーの伝統をある程度は守ったうえで新しい試みも忘れずに行うという非常に「ディズニーらしい」挑戦的な作品になってると思います。

 とは言え、やっぱり本作品もどことなく暗い雰囲気はあります。こういう暗さは『ロビン・フッド』や『ビアンカの大冒険』にも見られたので、この時期のディズニー映画の特徴なんでしょう。それにも関わらず『ロビン・フッド』や『ビアンカの大冒険』と違い、『きつねと猟犬』の暗さはあんまりマイナス要因になってないと感じます。それどころか僕は本作品の暗さはこの作品の魅力の一つだとすら思ってます。

 なぜなら、『ロビン・フッド』や『ビアンカの大冒険』の暗さと違って『きつねと猟犬』の暗さは「意味のある暗さ」だと思うんですよね。例えば、『ロビン・フッド』はあんまり感動要素のない軽いコメディとして描かれてるのにも関わらずところどころに陰惨なシーンがあったので、その点がアンバランスに感じて「なんでコメディなのにこんな暗いんだ?」と思っちゃったんですよね。それに対して、『きつねと猟犬』はそもそも作品で扱ってるテーマがわりとシリアスで重い内容なので、作品から漂う暗い雰囲気がそういうテーマときっちり合ってるんですよね。なので、暗い雰囲気にも違和感を抱くことはなく、むしろ「今回はそういう重いテーマを扱った少し暗めの作品なんだな」と思って見ることができるんですよね。だから、ちゃんとテーマに合った意味のある暗さになってる。


トッドとコッパーの関係性の変化

 本作品のテーマは「‟きつね”と‟猟犬”という対立する立場に属する者同士での友情」でしょう。『ロミオとジュリエット』や『あらしのよるに』を彷彿とさせるテーマであり、どうしても悲劇的な展開になりがちな題材でもあります。本作品でも、当然そのような悲劇的な展開が後半から起きています。子供時代は仲の良い親友同士だったトッドとコッパーが、大人になるにつれてきつねと猟犬というそれぞれの立場ゆえに敵対するようになっていく、その関係性の変化がしっかりと丁寧に描かれています。

 両者のこの関係性の変化の過程がすごく自然な展開として描かれているんですよね。そこに不自然な無理やりさはほとんど感じられないです。だからこそ、ちゃんと納得のできる悲劇として、視聴者の感情を揺さぶる展開になってるんですよね。仲の良かった親友同士が対立せざるを得ない状況に追い込まれていく展開には、胸が締め付けられるような悲しみを抱かざるを得ません。本作品のシリアスなテーマをきちんと観客に共感させる形で表現できてる上手いストーリー展開だと思います。

 エイモス・スレイドからは良く思われていないものの、幼少期はお互いに親友として仲の良かったトッドとコッパー。その後、猟犬として成長したコッパーは猟犬としての自分の立場を自覚しつつもトッドへの友情を捨てきれず、一度はトッドを見逃すもそのせいでチーフが負傷するとトッドを恨むようになり、ここで二匹の友情に亀裂が生じてしまいます。ここに至るまでの展開が本当に秀逸なんですよね。そして、禁猟区にて守るべき恋人が出来たトッドも、追ってくるコッパーと森で睨み合い戦う関係になってしまいます。この関係性の変化の過程が自然な展開として描かれてるから、終盤で睨み合って吠え合うトッドとコッパーの悲劇性がしっかりと際立っている。本当に「上手」なストーリー展開だと思います。


アクションの緊張感

 悲劇的な展開を演出する上でさらに「上手いな」と感じるのは、緊張感あるアクションの演出でしょう。本作品では動物同士の戦いが後半から至る所で見られますが、これらのシーンの迫力が凄まじいんですよね。特に、終盤でのトッドとコッパーの戦いやクマとの戦いなどは、かなり迫力や緊迫感のある戦闘シーンとなっています。結構リアリティーのある動物同士の戦いって感じがします。

 こういう迫力のあるアクションの描写も上手いんですよねえ、本作品は。カメラワークや動物の表情の描き方などによるアニメーション映像の魅せ方が秀逸なんだと思います。それ故に、禁猟区でトッドとコッパーが再び対峙してからの一連のシーンはかなり緊張感があってハラハラドキドキさせる展開になっています。エイモスやコッパーに追われながら、ビクシーと一緒に逃げるトッドのアクションにはかなり目を見張るものがあります。

 その後に出てくるクマもすごく恐ろしいです。実は、ディズニー映画でリアリティーのある「凶暴なクマ」が出て来たのってこの作品が初めてじゃないでしょうか?『ジャングル・ブック』に出て来たバルーとかは、コメディ風にデフォルメされたデザインのクマで、そのキャラクター設定も含めて大して怖くないクマでしたもんね。もちろん、そういうクマの描写もそれはそれで悪くないんですが、『きつねと猟犬』のクマはそれら過去作品のクマとは違い「リアルに恐ろしい野生のクマ」が描かれているんですよね。だからこそ、終盤の展開が途轍もなく迫力のあるものになっている。緊迫感のある素晴らしいアクションシーンだと思います。

 こういう「動物の凶暴さのリアリティー」を追求した演出を試みた点も、今までのディズニー映画とは違う本作の新しい点なのかなと思います。世代交代を象徴する作品だからこその、新しいスリルのあるアクションシーンだと言えるでしょう。


渋くてジーンとする終わり方

 この『きつねと猟犬』が今までのディズニー映画とは違って特に新しいと感じる点は、何といってもラストの展開ですね。ディズニーの長編アニメーション映画でいわゆる「大人向けの渋いビターエンド」が採用されたのも本作品が初だと思います。後に『ポカホンタス』や『ノートルダムの鐘』などでもディズニーはそういう渋いビターエンドを採用するようになりますが、その最初の例だと思います。

 結局、ラストでトッドとコッパーは別々の人生を歩むことになるんですよね。昔のように二匹が一緒に遊ぶような暮らしにはもう戻れず、トッドは森で恋人のビクシーと暮らし、コッパーはエイモスの下で猟犬として暮らす。そういう意味では一見するとバッドエンドのようにも感じる終わり方かもしれません。

 しかしその少し前の展開を見ると決してバッドエンドとは言えないことが視聴者には分かります。自分たちを守るためにクマと戦ったトッドを見たコッパーが心変わりしてトッドを守り、そのコッパーの訴えを聞いたエイモスもトッド狩りをやめます。そして、去り際にトッドとコッパーはお互いに笑い合っています。つまり、トッドとコッパーはもうお互いにいがみ合う関係ではなくなったのです。それを裏付けるかのように、エンディングでは「いつまでも友達でいようね」と言い合った子供の頃のトッドとコッパーのセリフが再び流れてきます。この演出が本当に渋くて格好良くて感動するんですよねえ。

 お互いに成長して「きつね」と「猟犬」というそれぞれの立場に応じた暮らしを歩むことになったためもう昔のように一緒に遊ぶこともないけれど、それでも二匹の間には子供時代からの友情が確かにまだ存在し続けている、そんなことがうかがえるエンディングだと思います。「離れ離れになっても繋がっている絆がある」ということを示唆してくれる終わり方が本当に渋くて感動しますね。僕はこのラストを見るたびに、何度も胸がジーンする感情を抱いています。

 クマにやられたトッドをコッパーが庇ってからエンディングに至るまでの間に、トッドとコッパーのどちらも一切セリフがない点も素晴らしいと思います。セリフなしで表情と音楽だけで二匹の友情がしっかり伝わるような演出になってるのも渋くて好きです。こういう「ちょっと大人向けの渋くて格好良い演出」が上手いんですよね、この作品は。それゆえに、味のあるエンディングになっていると思います。

 また、エンディングではエイモスは今まで敵対してたトゥイード夫人と仲睦まじくやっている様子も描かれています。トッドとコッパーだけでなく、エイモスとトゥイード夫人の二人も和解したことがうかがえて微笑ましく感じられます。そういう点でも、この『きつねと猟犬』のエンディングはちょっとビターなところもありつつもやっぱりハッピーエンドなんだと思います。

 誰が見ても分かりやすい単純なハッピーエンドではなく、少しビターエンドに感じる要素はありつつもそれでもやっぱり良く考えるとハッピーエンドなんだと感じるような渋い終わり方が、『きつねと猟犬』の一番の特徴であり魅力的な点だと思います。このエンディングの描写が本当に渋くて大人っぽくてジーンとする感動もあって、とにかく素晴らしいんですよね。だからこそ本作品は名作だと言われているのだと思います。大好きな終わり方です。


音楽

 『きつねと猟犬』もミュージカル映画になっていて、いくつかの劇中歌が流れています。特に、主題歌の"Best of Friends"はなかなかの名曲です。この曲に合わせて、幼少期のトッドとコッパーの無邪気な友情が良い感じに描かれています。カントリー風の癒されるメロディがとてもエモいんですよねえ。この音楽の良さが、本作品の感動要素を数倍に高めてると言っても過言ではないと思います。

 この曲はエンディングでもちょっとアレンジされた状態でBGMとして流れてくるんですが、その余韻が本当に素晴らしんですよねえ。この曲の余韻のお陰で、エンディングの渋さがより一層引き立ってると思います。大好きな曲です。

 ただ、それ以外の曲はちょっとカントリー風すぎてあんまり目立たない曲が多い気は少しします。"Goodbye May Seem Forever"や"Appreciate the Lady"などは、何度か聞けば十分に感動する良曲なんですけどね。耳には少し残りにくい音楽かも知れません。それでも、これらの曲もちゃんと映画内の展開に合った雰囲気を醸し出す良曲にはなっています。この『きつねと猟犬』も、ディズニーらしく音楽による演出がちゃんとしてる映画だと思います。耳には残りにくいけど演出としてはそれなりに効果的な役割を果たしている曲です。


数少ない難点

 ここまで『きつねと猟犬』を褒めちぎる感想ばかり述べてきましたが、本作品には多少の難点もあると思います。例えば、ディンキーとブーマーのコンビがイモムシを追い回すシーンは、作品内で数少ないコメディ要素として何度も登場しますが、このシーンは人によっては「邪魔」に感じるかも知れません。正直言って、本作のメインの展開にはほとんど関係ないので、「作品の暗さを緩和するために申し訳程度に入れた余計なギャグ展開」と感じるのも無理はないと思います。僕自身はそれなりに笑えたのでそこまで邪魔には感じなかったのですが、まあこうも何度もディンキーとブーマーのシーンを繰り返されるとちょっとくどいし邪魔らしく感じる人の気持ちも分からなくはないです。

 もう一つの難点は、トッドが禁猟区に入ってから野生での暮らしを身に着けるまでの展開が少し長すぎて中だるみしてる点でしょう。ここら辺のシーンは、なんか適当な劇中歌でも入れてダイジェストっぽく見せれば十分じゃないか?と思わなくもないです。アナグマとの確執やビクシーと恋に落ちるまでの過程がいちいち長くて、冗長に感じてしまいます。コッパーの猟犬としての成長を描いたから、次にトッドの野良ギツネとしての成長を描きたいという狙いは分からなくもないんですが、前者に比べてトッドの野生帰りパートは少し長すぎるように感じます。

 アナグマヤマアラシとのシーンにも物語の展開上の必要性をあまり感じませんし、ビクシーとトッドの恋愛シーンも少し長すぎるので、ここら辺の展開はもっとバッサリ省いた方が良かった気がします。そのほうが、余計な要素がない分トッドとコッパーの二匹だけの物語となってメインテーマがより一層はっきりすると思います。


新しい作風が光る「隠れた名作」

 まあ、上述のように多少の難点もなくはないですが、それでもやっぱり僕はこの『きつねと猟犬』は文句なしに「隠れた名作」だと思います。「シリアスな重いテーマ」を扱い「大人向けの渋いビターエンド」で終わらせるなど、この作品には今までのディズニー映画にはあまり見られなかった新しい要素がたくさん詰まってると思います。そういう新しい試みが見られたのは、最初に述べたように本作品がスタジオ内における「世代交代」を象徴する作品だからなのかも知れません。引退するナイン・オールドメンたちに代わり新しくディズニーを率いることになる新世代のアニメーターたちが、ディズニー映画に新しい風をもたらしたのかもしれません。

 そんな「新しい作風」が、決して単なる「目新しさ」や「斬新さ」を出すだけで終わってるのではなく、それ以上の「感動」を引き出す「上手なストーリー展開や演出」に繋がってると感じます。だからこそ、この『きつねと猟犬』は今でも「隠れた名作」としてディズニーマニアの間では高い評価を受けているのでしょう。日本での知名度は依然として低い作品ですが、一度は見ておいて損のない傑作だと思います。僕は大好きな作品です。





 以上で、『きつねと猟犬』の感想記事を終わりにします。次回は『コルドロン』の感想記事を書こうと思います。それではまた。

*1:第一期黄金期の頃からディズニーのアニメーション制作を支えていた9人の大御所アニメーターのことです。詳しくは1つ前の記事を参照してください。

*2:ジョン・マスカーとロン・クレメンツのコンビは『リトル・マーメイド』や『アラジン』などの監督を務めますし、グレン・キーンは『リトル・マーメイド』や『美女と野獣』の主人公の作画を担当しています

*3:ピクサーで『トイ・ストーリー』シリーズなどの監督を務め頭角を現したのち、WDASの制作リーダーとして第三期黄金期の立役者となった人です。

*4:ピクサーで『Mr.インクレディブル』シリーズや『レミーのおいしいレストラン』などの監督を務めた人です。

*5:アナと雪の女王』の監督を務めた人です。

*6:なお、ディズニーを去った後のドン・ブルースたちは後に『アメリカ物語』などのアニメを制作してディズニーのライバル的存在となります。

*7:その他にも『ポカホンタス』だったり『ノートルダムの鐘』だったり『ブラザー・ベア』だったりを例に挙げるディズニーオタクも居ます。

*8:エヴァまどマギをやたら持ち上げて「このアニメは深いテーマを扱った大人向けの作品だから傑作なんだ」みたいなことを言いだすオタクが正直嫌いなんですよね、僕。「高尚なテーマを扱ってる作品=偉い」という単純化した考えを抱いてるような感想には賛同も共感もできない。

【ディズニー映画感想企画第23弾】『ビアンカの大冒険』感想~世代交代の始まり~

 ディズニー映画感想企画第23弾は『ビアンカの大冒険』の感想記事を書こうと思います。ぶっちゃけ、日本ではマイナーな作品だと思いますが、実はディズニーの歴史においてはそれなりに重要度の高い作品だったりします。そんな『ビアンカの大冒険』について語っていこうと思います。

 f:id:president_tener:20190911142606j:plain f:id:president_tener:20190911142630p:plain

【基本情報~スタジオの世代交代~】

 『ビアンカの大冒険』は23作目のディズニー長編アニメーション映画として1977年に公開された作品です。原作はイギリスの作家マージェリー・シャープの小説"The Rescuers"と"Miss. Bianca"です。同じ年には『くまのプーさん 完全保存版』も公開されていますが、こちらは前の記事で述べた通り実際は新作ではないので、『ビアンカの大冒険』のほうが前々作『ロビン・フッド』以来のディズニーの新作長編アニメーションになります。

 そして、本作『ビアンカの大冒険』と次作『きつねと猟犬』の2作はウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオにおける世代交代を象徴する作品としても知られています。それまでのディズニースタジオを支えていたナイン・オールドメン*1がいなくなったためです。

 まず、ナイン・オールドメンの一人であり本作品の監督も務めていたジョン・ラウンズベリーが本作の制作中に亡くなってしまいます。さらに、同じくナイン・オールドメンの一人であるミルト・カール氏も本作品での作画を最後に引退してしまいます。その少し前にはナイン・オールドメンの一人であるレス・クラーク氏なども退社しており、ウォルト存命時代からディズニーアニメーションを支えて来た大御所が当時次々といなくなっていったことがうかがえます。

 一方で、そんな引退していくナイン・オールドメンたちに代わり、本作品からはロン・クレメンツやグレン・キーンなどの新参アニメーターたちが本格的に制作に携わり始めます。彼らはどちらも後のディズニー第二期黄金期を率いることになるアニメーターたちです。ロン・クレメンツ氏は後に『リトル・マーメイド』や『アラジン』などの監督を務めますし、グレン・キーン氏は後に『リトル・マーメイド』や『美女と野獣』など多数の第二黄金期の作品にてキャラクター作画を担当しています。

 このように、『ビアンカの大冒険』の頃からのウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオでは、「ナイン・オールドメン」というかつての大御所たちから「後の第二期黄金期を率いる」新参アニメーターたちへの世代交代が進んでいた訳です。この世代交代の動きは次作『きつねと猟犬』制作でより一層進むことになります。

 このように、ディズニーの世代交代を象徴するという点において、『ビアンカの大冒険』はディズニー史において重要度の高い作品だと思います。そんな『ビアンカの大冒険』は興行的にもかなりの成功を収めたらしく、ウォルト死後の暗黒期において久しぶりの大ヒット作となったそうです。




【個人的感想】

総論

 本作は、公開当時にヒットしたと言われているだけあって、暗黒期の作品の中では比較的面白いほうだと思います。僕はわりと楽しんで見れました。とは言え、日本では依然として知名度が低い理由も何となく分かるんですよね。本作品は、ストーリーはそれなりに面白いんですが、音楽などの演出が少し微妙で、ちょっと全体的に「暗くて地味」な作風になってるんですよね。前々作『ロビン・フッド』と同系統の暗さを感じさせる作品です。どうも暗黒期のディズニー作品はちょっと暗くて地味な雰囲気の作品が目立つ印象があります。

 そういう意味で、本作品も『おしゃれキャット』などと同様に「まあまあ面白いけど手放しでは褒められない惜しい作品」という感想を僕は抱いています。後一歩で名作になれそうなのに名作になれてない微妙な感じ。そういう印象を抱かざるを得ない作品ですね。


世界観とストーリー

 まず先に面白かった点を挙げておくと、ストーリー展開と世界観の発想は面白かったです。世界各国のネズミたちが国連総会の裏で集まっているという設定がまずちょっと面白いです。人間社会に隣接した形で独自の社会を築いてる動物たちという設定がピクサー作品っぽさを感じさせてくれます。こういう発想は面白くて良いですね。個人的に、アホウドリの飛行機の設定が特に好きです。飛ぶのに助走が必要なアホウドリだからこそ飛行機の滑走っぽい演出ができてるんですよね。面白い。

 ストーリー展開も、それなりに緊迫感があって見ごたえあります。『101匹わんちゃん』などに通じるミステリーやサスペンス風の展開になってるのが良いですね。それ故に、ちゃんと続きが気になって飽きさせないような展開になっています。

 序盤はミステリーパートになっていて、行方不明となったペニーの居場所を突き止めるための捜査パートです。一般にミステリでの捜査シーンは地味で退屈になりがちであり、本作も少しそういう面はあるのですが、わりとすぐにペニーの居場所が判明するので、そこまで冗長には感じないし退屈もしません。

 そして、マダム・メドゥーサの登場以降はかなり緊迫感のある展開が続きます。後述しますが、このメデューサヴィランとしてわりと良いキャラしてるんですよね。何も特別な力を持たない普通の人間でありながらもとても恐怖を感じさせてくれる存在となっていて、それゆえに作品全体に緊張感が生まれてる。彼女のペットであるワニのネロとブルータスも恐ろしい存在として描かれていて、これらの悪役の存在が後半の展開をハラハラするスリル満点のサスペンスにしてくれてるんですよね。

 この辺りのサスペンス風の緊張感は『101匹わんちゃん』の終盤に通じるものがあります。この恐ろしい悪役たちから果たしてどうやってペニーを救出するのか?そんなふうに続きの気になる緊張感ある展開をしっかりと用意してる点は秀逸だと思います。


アクション

 本作は、このような緊張感のある適度なスリルの下で魅力的なアクションシーンが数多く描かれています。いくつかのアクションはコミカルさと緊張感が適度に混ざった「面白いシーン」となっていると思います。例えば、ワニのブルータスとネロから逃げてパイプオルガンの中でドタバタ劇を繰り広げるシーンは適度な緊張感がありながらもどこかコミカルでもある、見ごたえのあるアクションシーンになってると思います。

 終盤に、沼地の動物たち総出でメデューサを退治するシーンも、どこかコミカルなドタバタアクションになっていてまあまあ面白いです。流れているBGMもコミカルですしね。ここのアクションは非常にテンポが良くて、次から次へと状況が目まぐるしく変わるので、見てて飽きないし面白いんですよね。中盤でバーナードとビアンカの立てた作戦通りにアクションが進んでいく点も面白いです。

 ラストの、水上バイクとワニたちによる追いかけっこのシーンも、ちょっと短すぎる気はしますが、絵面の発想が面白いのでわりと好きなシーンです。多分狙ってるんでしょうけど、水上スキーみたいな絵になってます。こういう発想は好きです。

 また、洞窟の奥を探検してダイヤを探すシーンもかなり緊張感のあるアクションになってます。迫りくる水に何度も溺れそうになりながらも、なんとかダイヤを取り出すシーンは、インディ・ジョーンズのシリーズなどに通じるような面白さがあります。命の危険を感じてハラハラしながら宝を探す展開は、この手の冒険劇の王道ですからね。そういう王道をしっかり踏まえたスリル満点のアクションシーンだと思います。

 他にも、トンボのエビンルードがコウモリから逃げるシーンなど、本作には面白いアクションシーンがたくさんあります。こういう面白いアクションが後半でしっかり用意されてるからこそ、本作は飽きずに見られるストーリー展開になってるんですよね。


メデューサ

 本作において一番魅力的なキャラはやっぱり「メデューサ」でしょう。先述の通り、この悪役の存在こそが本作品のストーリー展開に適度な緊張感やスリルを与える役目を果たしています。このメデューサのデザインを担当したナイン・オールドメンの一人ミルト・カール氏は、同じくナイン・オールドメンの一人で『101匹わんちゃん』の名悪役クルエラのデザインを担当したマーク・デイヴィスへの対抗意識から、このメデューサというキャラクターを考え付いたそうです。それ故に、メデューサのキャラはどこかクルエラを彷彿とさせる部分もあります。その強欲で自分勝手で傲慢で悪辣なキャラクター性は確かにクルエラと似ています。現代世界を舞台にした世界観で動物たちと格闘する辺りもクルエラの立ち位置を彷彿とさせますね。

 そういう意味では、「ぶっちゃけクルエラの二番煎じでは?」という思いも抱かなくはないのですが、それでもクルエラと同じくきっちりと魅力的な悪役に仕上がっていると思います。こういうインパクトの強い魅力的な悪役を出せる点は素晴らしいですね。


暗すぎる

 ここまで『ビアンカの大冒険』の良かった点を挙げてきましたが、本作にもやはり「暗黒期だなあ」と思わざるを得ない難点がいくつかあります。その中でも特に大きいのは、あまりにも作風が暗すぎる点でしょう。この暗さの原因はいくつか考えられますが、そもそもストーリーの内容が暗いという点が一因として挙げられます。

 だって、悪役メデューサのやってることが「児童を誘拐して危ない洞窟で働かせる」ですからね。現代風の世界観でこういうガチの犯罪である児童虐待を出すのは、ディズニーにしてはかなりエグくて暗いです。被害者のペニーが可愛らしくて魅力的な子供として描写されているため、そんな彼女を酷い目に合わせる本作品の展開は彼女への同情を余計に掻き立てるものになっています。こういう悪事のあまりの非道ぶりゆえ、本作品は『ピノキオ』のコーチマンのシーンなどを彷彿とさせるような陰鬱さが全体的に漂っています。それで居ながら、主人公のバーナードのキャラや終盤のアクションなどを通してコミカルさも出そうとしてるため、『ロビン・フッド』同様に「暗さ」と「コミカルさ」がアンバランスなまま共に詰め込まれた作品になってると思います。


映像と音楽の演出

 本作品の暗さの原因としてもう一つ挙げられるのが演出の地味さでしょぅ。まず、映像が全体的に暗いんですよね。ほぼ全てのシーンにおいて暗い色使いの映像が映し出されているため、どことなく暗くてジメジメとした雰囲気を感じさせます。

 さらに、音楽も本作品はちょっと地味です。そもそもこの作品はミュージカル要素が薄くて劇中歌があまりないのですが、それでも"Someone's Waiting for You"などの劇中歌が一応あります。でも、これらの音楽はどれもしっとりしたバラードっぽかったりして、明るさには欠けるんですよね。リズミカルな明るい曲の欠如は本作の暗さの一因になってると思います。終盤のメデューサと戦うシーンのコミカルなBGMぐらいしか明るい曲は思い当たらないです。"Rescue Aid Society"もあんまり楽しくなる感じの歌じゃないしなあ……。


地味な演出と冗長な前半

 このように本作品は全体的に映像も音楽も「暗い」雰囲気が漂っていて、何となく地味ーな演出になっています。それゆえに、後半のアクションシーンは面白いものの前半は少し退屈になってるんですよね。先ほど、捜査パートはそこまで長くないのであまり退屈しないとは言いましたが、人によってはそれでも十分に退屈に感じる展開だとは思います。

 特に、動物園での下りやアホウドリの飛行機に乗ってからの下りは、なんか眠くなる退屈さがあります。後半のような緊迫感のある展開は前半ではあまり見られないため、少し冗長で眠くなる展開に感じてしまいます。動物園でのやり取りなんて、後半の展開にもつながらないうえ、肝心の動物が見えないせいでアクションとしても面白くない展開なので、「このシーン要るか?」とは思ってしまいます。まあ、前半のちょっとしたシーンにすぎないので、あまり気になるほどでもないんですけどね。


面白いけど垢抜けない

 と言う訳で、『ビアンカの大冒険』は暗黒期の作品にしてはストーリーも面白くて悪役のキャラも立っている魅力的な作品だとは思いますが、それでもやっぱり「あと一歩惜しい」という感想が出てきちゃうんですよね。全体的に暗いうえ、音楽や映像などによる演出がかなり地味なので、面白いわりには印象に残りにくい微妙な作品になってる気がします。

 とは言え、『ロビン・フッド』や『ジャングル・ブック』などに比べると、見ごたえのあるスリル満点の面白いアクションがたくさん用意されていて、はるかに「面白い作品」になっていると思います。しっかりと冒険エンタメ作品としての王道を抑えているので、これまでの暗黒期の作品の中では比較的面白いほうだと思います。個人的には、『おしゃれキャット』などと同じく「ストーリーは面白いけど難点もわりと目立つ惜しい作品」という印象が強いですね。黄金期の作品のように垢抜けるにはあと一歩足りない気がする、そんな作品ですね。







 以上で、『ビアンカの大冒険』の感想記事を終わりにします。次回は『きつねと猟犬』の感想記事を書く予定です。それではまた。

*1:以前【ディズニー映画感想企画第14弾】『ピーター・パン』感想~子供と大人の折衷的作品~ - tener’s diaryの記事でも説明しましたが、初期からディズニーに勤めていた9人の大御所アニメーターであり、第一期黄金期の頃からディズニー映画制作を率いてきた人たちのことです。

【ディズニー映画感想企画第22弾】『くまのプーさん 完全保存版』感想~ほのぼの癒される短編集~

 すみません。色々と忙しかったもので前回の更新からだいぶ間が空いてしまいました。ディズニー映画感想企画第22弾です。今回は『くまのプーさん 完全保存版』の感想を書こうと思います。一応、時期としては暗黒期の作品に入ってますが、この作品自体はこの時期の作品の中どころか全ディズニー映画の中でもぶっちぎりで知名度が高いほうでしょう。
 そんな『くまのプーさん 完全保存版』について語っていきたいと思います。

 f:id:president_tener:20190906165231j:plain f:id:president_tener:20190906164843j:plain

【基本情報】

実は新作じゃない

 『くまのプーさん 完全保存版』はディズニー22作目の長編アニメーション映画として1977年に公開されました。とは言え、実はこの作品は‟新作ではありません”。そう、新作じゃないんです。大事なことなので二回言いました。本作品は、すでにディズニーが過去に「短編アニメーション」として制作していた『くまのプーさん』シリーズの作品を3つ集めて、それを繋ぎ合わせて1つの長編アニメーションとして再度公開し直したものです。

 『くまのプーさん』シリーズがディズニーで初めてアニメ化されたのは1966年の短編アニメーション『プーさんとはちみつ』が最初であり、その後1968年に『プーさんと大あらし』を、1974年には『プーさんとティガー』という短編アニメーションをそれぞれ制作していました。この3つの短編アニメーションをまとめて1つの長編アニメーション映画という形にして1977年に公開したのが『くまのプーさん 完全保存版』なのです。オムニバス形式のディズニー長編アニメーション映画は1949年公開の『イカボードとトード氏』以来のこととなります。

 なので、一応1977年の公開とはなっていますが、実際に個々の短編アニメーションが制作されたのはもっと前のことだということを、ここでは改めて強調しておきます。


ディズニーと『くまのプーさん』の関係

 『くまのプーさん』シリーズは、イギリスの作家A・A・ミルン氏による同タイトルの児童小説を原作としています。原作小説は1926年に発表されて以降イギリスで絶大な人気となっていて、ディズニーがアニメ化を手掛ける前からすでにプーさんたちのキャラクターグッズなどがイギリスでは販売していたそうです。1961年、ディズニーはそんな大人気シリーズであった『くまのプーさん』のアニメ化や商標使用の権利を購入し、1966年に『プーさんとはちみつ』という短編アニメーションを公開したわけです。

 しかし、ディズニーによる『くまのプーさん』シリーズのアニメ化は当初から多くの困難に見舞われました。1966年に『プーさんとはちみつ』が公開されるとすぐに、「原作のイメージを破壊した」とイギリスで大いに批判されてしまいました。特に、イギリス人であるはずのクリストファー・ロビンアメリカ中西部訛りの英語を話していたことが大いに問題視され、イギリス英語の発音に吹き替えさせることを求める運動がイギリスで巻き起こりました。結果的にディズニー側が折れて、クリストファー・ロビンの声は吹き替えられました。

 ディズニーが原作改変するのは昔からの伝統ですが、『くまのプーさん』シリーズはそんなディズニー伝統の原作改変が最も問題視されたディズニー映画の一つでした。この吹き替え騒動以降もディズニー版『くまのプーさん』シリーズに対しては、「キャラクターのイメージが原作からかけ離れている」などの批判の声がしばしば投げかけられました。イギリスではディズニーが参入する前からプーさんのグッズなどがすでに至る所で販売されていたため、ディズニー参入前の『くまのプーさん』を愛する保守的なファンが多かったのかもしれません。

 さらに、ディズニーは後に『くまのプーさん』シリーズを巡って法的な闘争まで経験する羽目になってます。ディズニーがアニメ化する前からこのシリーズのグッズ事業などを手掛けていた会社であるスレシンジャー社とディズニー社の間で1991年頃から訴訟合戦が始まってるんですよね。商品化の権利やその利益配分などを巡って両社の間でいくつかの裁判が起こりました。ディズニー側が勝訴したものもあれば敗訴したものもあり、わりと互角の戦いを繰り広げてるっぽいです。まあ、その詳細な内容についてはここでは触れませんが、このようにディズニーにとって『くまのプーさん』シリーズは法的な権利関係の上でも困難に見舞われた作品だったのです。




【個人的感想】

総論

 僕はこの『くまのプーさん 完全保存版』をはじめとする一連のディズニー版『くまのプーさん』シリーズが好きです。あまり原作のほうには思い入れがないので、しばしば批判の対象となる原作との相違点については大して気にならないです*1。このシリーズって本当にひたすら「ほのぼの」としてるんですよね。作品内に悪意がほぼ存在しない「優しい世界」が形成されてるので、ストレスフリーな癒される作品になっていると思います。

 人によってはあまりにも平和すぎる内容で眠くなるかもしれないんでしょうけど、僕はこの極端なほどに「脳みそお花畑」な「優しすぎる世界」ってのがとてつもなく好きなんですよね。すごーく癒されます。なんというか「中身のない日常系アニメ」を好むオタクの気持ちに近いです。世俗な色々な事柄に疲れすぎた時に脳みそ空っぽにして見ることの出来る「癒しのアニメ」だと思います。そういう点で、わりと好きな作品の一つです。


ちょっとメタな演出

 『くまのプーさん 完全保存版』ではちょっとメタな演出が至る所で見られます。特に「絵本の中の物語」であるということを強く意識させる演出が多いんですよね。ナレーターがちょいちょい「ページ数」をナレーションするシーンなんかはその典型例でしょう。他にも、絵本の文字をそのままアニメーション内の動きに取り入れるシーン(例えばティガーが絵本の文字を滑り台のように下りたりする)など、「絵本の世界」だということを印象付ける演出がたくさんなされています。

 他にも、ナレーターが作品内の登場キャラクターと会話し始めたり、ゴーファーが「俺は原作には登場しない」みたいな発言をするなど、本作はかなりメタな演出が多い印象を受けます。こういうメタな演出は人によっては好みが分かれるのかも知れませんし僕もあまりにもやり過ぎなメタは嫌いですが、『くまのプーさん 完全保存版』程度のメタならば面白くて好きですね。わりと発想が独特で新鮮味を感じるし、ちゃんと面白い演出になっていると思います。


音楽

 『くまのプーさん 完全保存版』もディズニーお決まりのミュージカル映画になっており、作品内ではたくさんの名曲が流れています。特に有名なのは何といっても主題歌でもある"Winnie the Pooh"でしょう。ほのぼのとした歌いだしから、ちょっとリズミカルなサビに至るまで、全てが耳に残る名曲だと思います。とにかく癒されます。本作の主題歌になるのも相応しい「ほのぼの系」の名曲です。

 その他にも本作はたくさんの名曲が登場します。ティガーのテーマソングである"The Wonderful Thing about Tiggers"なんかもそんな有名な曲の例の一つでしょう。飛び跳ねるティガーが楽しそうに歌うこの曲は聞いていて本当に楽しい気分にさせてくれます。

 また、『ダンボ』のピンク・エレファンツを彷彿とさせる"Heffalumps and Woozles"の曲も、カオスで耳に残る名曲でしょう。このシーンで登場するズオウとヒイタチによるカオスの映像も相まって、本作品における屈指のトラウマソングとなっています。まあ、『ダンボ』の二番煎じと言ってしまえばそれまでなんですが、『くまのプーさん 完全保存版』のこのシーンも『ダンボ』とはまた違ったカオスさが感じられてとても印象的なシーンだと思います。僕は大好きなシーンです。

 他にも"Rumbly in My Tumbly"や"Little Black Rain Cloud"、"When the Rain Rain Rain Came Down"……etcと、とにかくたくさんの名曲が本作品では流れています。個人的には、"When the Rain Rain Rain Came Down"のようなリズミカルでついつい口ずさみたくなるような曲が特に好きですね。本作は、本当に名曲の宝庫なのでみんな何かしら好きな曲が見つかると思います。


各ストーリーの感想

 先述の通り、『くまのプーさん 完全保存版』は3つの短編から成るオムニバス形式です。そして、「絵本の中の物語」というメタ的な演出とナレーションで、それぞれのアニメーションを繋いでいます。このメタなナレーションによる繋ぎのシーンはわりと上手い演出になっていると思います。戦後初期のオムニバス映画シリーズにしばしば見られたような「雑に繋ぎ合わせた感」が少なく、一つの長編アニメーション映画としても見られるような繋ぎ方になっています。以下、各ストーリーの感想を述べます。

プーさんとはちみつ

 はちみつを巡ってプーさんが色々な苦労をする物語です。風船を使ってはちみつを取るプーさんの発想が馬鹿らしいけどひたすら可愛くて癒されます。それに協力してあげるクリストファー・ロビンの無邪気な優しさも見ていてほのぼのします。

 さらに、ラビットのキャラが好きなんですよね、僕は。ラビットってこのシリーズでは一貫して被害者ポジションであり、プーたちのせいでいつもひどい目に会うラビットはしばしばプーのことを疎ましく思う描写がされてるんですけど、それでもなんだかんだでプーたちに対して「甘い」んですよね。プーに対して完全に意地悪な態度はとれず、訪問したプーについついハチミツをご馳走してあげちゃう辺り、ラビットもなんだかんだで「優しいやつ」であることが分かるんですよねえ。だから好きです。こういうところが、本作の「優しすぎる世界観」の形成に一役買ってるんだと思います。そこに悪意はほとんど存在してないです。

 「原作にはいない」というメタ的なセリフを放つゴーファーのキャラも良いですね。ディズニーの短編アニメらしいコメディ担当となっています。穴に落ちるギャグが何度も繰り返されるんですが、それが天丼ギャグの効果をもたらしていて面白いです。笑えるキャラになってます。

プーさんと大あらし

 この話も『くまのプーさん』シリーズならではの「優しすぎる世界」が描写されてるエピソードなので大好きです。オウルのために自分の家を明け渡すピグレットやそんなピグレットを思いやるプーの優しさに心から癒されます。「僕の家だよ」ってイーヨーに抗議しない辺り、ピグレットたちの心の広さがうかがえます。こういう「登場キャラ全員が優しすぎる世界」が描かれてる点こそがまさに『くまのプーさん』シリーズの魅力だと思うんですよね。

 この話は嵐ゆえのメタ的な演出も多くて、その点も好きですね。特に、強風で絵本の文字が吹き飛ぶ演出が僕は好きです。先述した「ズオウとヒイタチ」の登場シーンも、『ダンボ』のピンク・エレファンツを彷彿させる狂気を感じさせてくれる名シーンですね。大好きです。

プーさんとティガー

 僕のお気に入りキャラであるラビットの優しさをものすごく実感できるお話しです。ラビットは本シリーズにおける屈指の不憫キャラであり、そんなラビットがティガーを憎むのも無理はないと思ってしまうんですよね。実際、ティガーのせいで迷惑を被るラビットの 様子が序盤でたくさん描写されてるので、その後何とかしてティガーに飛び跳ねるのを辞めさせようとするラビットの行動に共感しながら物語を見ちゃうんですよね、僕。

 でも、何だかんだで心の広いラビットは最終的にティガーが飛び跳ねるのを許し、ティガーと一緒に飛び跳ねるまでに至ります。あまりにも優しすぎる世界の描写ゆえに、さっきまでラビットに同情してティガーに怒っていた視聴者である自分の狭量さを実感して恥ずかしく思っちゃうレベルです。『くまのプーさん』シリーズの優しすぎる世界観が存分に描写された名作だと思います。やっぱり、僕はラビットが好きだなあ。


エンディング

 本作品において、ものすごく良い味を出してるのが「エンディング」で交わされるプーさんとクリストファー・ロビンの会話なんですよね。この会話の内容こそが『くまのプーさん』シリーズ全体のメインテーマでもあり、またディズニー映画全体に通底するメインテーマだとも思います。それゆえに、とてもしんみりとする心に響く内容になっています。

 大人になるにつれて「何もしない」をし続ける訳にはいかなくなるクリストファー・ロビン。だからこそ、友人のプーだけにはずっと「何もしない」をし続けてほしいと告げます。まさに「子供も大人も」を基本理念とするディズニーらしいテーマでしょう。クリストファー・ロビン同様に大人になる僕ら視聴者は「何もしない」を永久に続けるわけにはいきません。それでも、「何もしない」をし続けるプーと言う親友の存在をずっと思い続けることは出来る。「大人に成長しても決して子供心への夢を忘れない」というディズニーの基本理念を伝えるエンディングになっていると思います。

 僕はこのエンディングが本当に大好きで仕方なくて、これだけでも『くまのプーさん 完全保存版』はディズニーらしい傑作と言っても過言ではないと思うんですよね。本当にしみじみとする良いラストだと思います。


癒しとなる作品

 そういう訳で、この『くまのプーさん 完全保存版』は「何もしない」をできなくなって疲れて来た大人になってから見ると特に癒される作品だと思います。本作品で描かれている100エーカーの森では悪意がほとんど存在せず、ひたすら優しすぎる世界が描かれています。僕ら大人の生きる現実は決してそんな世界ではないけれど、それでもこの「優しすぎる世界」を微笑ましく思う心を忘れずに、いつまでもプーたちの存在に思いを馳せていたい、そういう思いを抱かざるを得ない作品だと思います。

 100エーカーの森で「何もしない」をし続ける彼らの存在に癒される「ほのぼの」とした名作。それこそがこの『くまのプーさん 完全保存版』の魅力だと思います。だから僕はこの作品が好きですね。本当に癒される。






 ということで、前回の更新からだいぶ間が空いてしまいましたが、『くまのプーさん 完全保存版』の感想記事を終えたいと思います。次回は『ビアンカの大冒険』の感想記事を書こうと思います。それではまた。

*1:そもそもディズニー映画なんてほとんどが原作改変の賜物なので、そんなのいちいち気にしてたらディズニー映画なんて楽しめいと思ってますし。